尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

大昔のアメリカ映画を見る-ジョージ・キューカーなど

2016年06月26日 23時08分10秒 |  〃  (旧作外国映画)
 参院選の話は断続的に書くことにして、本や映画の話を随時。新作映画も見てるけど、それよりまずは昔のアメリカ映画の話。まあ、「昔」と言っても「E.T.」とか「ガープの世界」なんかも「一世代」(30年)以上前の映画になっちゃうけど、もっともっと前、僕もリアルタイムでは知らない50年代以前のモノクロ映画である。戦前から占領期ごろの名作ヨーロッパ映画は、ほとんどが川喜多長政・かしこ夫妻の東和映画が配給して、フィルムセンターに映画が残っている。ずいぶん特集をやっているから大体見たと思う。一方、古いアメリカ映画はなかなか見られないから、深夜のテレビ放映が貴重だった。

 若いころに劇場で見られたのは、リバイバル上映された「ローマの休日」とか「カサブランカ」ぐらいで、他にはあまりなかった。その後、ミニシアター時代になると、ジョン・フォードヒッチコックの特集をしてくれるところも出てきたし、マルクス兄弟プレストン・スタージェスニコラス・レイなんかの特集上映まで行われた。ビデオやDVDを丹念に探せば大体見られる時代になったけれど、やはり映画はスクリーンで見たいと思えば、古いアメリカ映画が抜けていることが多い。

 そんな渇を癒す存在が渋谷に10年前にできたシネマヴェーラ渋谷である。自分のところで字幕を付けたデジタル素材で様々な昔の映画を上映してきた。もっとも僕のところからは結構遠いので、他に行きたいところがあると、つい億劫になる。それでもアメリカのフィルムノワール特集などずいぶん楽しんだ。しばらく行ってなかったんだけど、今やってる「ジョージ・キューカーとハリウッド女性映画の時代」特集は、見てないものが多くて通っている。一週目は全作品を見たんだけど、疲れてしまうから少しセーブして見ないといけない。

 ジョージ・キューカー(1899~1983)というのは、「マイ・フェア・レディ」(1964)でアカデミー監督賞を得た人だが、後はジュディ・ガーランド主演で有名な「スター誕生」(1953)ぐらいしか見てない。戦前から長い経歴があり、「フィラデルフィア物語」(1940)でジェームズ・スチュアートに、「ガス燈」(1944)でイングリッド・バーグマンにアカデミー主演賞をもたらした。そのことは知っていたけど、見たことはなかった。「ガス燈」はちょっと「レベッカ」みたいな心理サスペンスもので、バーグマンの心理描写が見どころ。もっとも夫役のシャルル・ボワイエも印象的だし、的確な役作りを指示するキューカーの職人芸も見どころ。もう上映は終わっているが、今後の「フィラデルフィア物語」が楽しみ。

 もっとも一週目で一番驚いたのは、「女たち」(1939)という映画で、何しろ画面上に女優しか出てこない。もちろん会話の中には男も出てくるが、スクリーンには女優のみ。犬もメス犬しか使ってないという徹底ぶり。もっともわが日本映画にも、一年早く1938年東宝作品、石田民三監督「花ちりぬ」という女優しか出てこない名作がある。でも、これは声では男も出てきたと思うので、「女たち」の方が徹底している。それに場所が「エステサロン」みたいなところで、噂好きのネイリストが「不倫」情報をばらまいて、上流階級の女性たちがすったもんだの大騒動という大傑作。いやあ、世界にはとんでもない映画がまだ隠されているんだなあと思った。キャサリン・ヘップバーンスペンサー・トレイシーという私生活でも「コンビ」(ただし、未婚の「不倫」関係だったが)だった二人の「アダム氏とマダム」(1949)も滅法面白かった。監督は違うが(ジョージ・スティーヴンス)同じコンビの「女性№1」(1942)もおかしい。もっともこれは前に見ていたが。野球場のシーンやラストのケーキ作りは抱腹絶倒。

 こういう「昔のアメリカ映画」を見ると、僕はつい思ってしまうことがある。同時代的には戦争を知らない世代だけど、まだまだ戦争の記憶が残る時代に育ったし、専攻が近現代史だということもあるんだろうけど、「こんな国と日本は戦争をしたのかよ」と思うのである。家はでかいし、特に大金持ちでもないのに、みんなが車や家電製品を持っているではないか。製作年代を見れば判るが、それらの映画は戦時中や戦後すぐに作られている。なんとまあ、豊かさのレベルが違っていたことだろう。自動車や家電製品に関しては、今は別に驚きもないけれど、それでも住環境だけはマネができない。まあ、それはやっぱり金持ちの家で、貧民はもっと小さな家に住んでいたんだとは思うが。

 今日見た「三人の妻への手紙」(1949)も素晴らしかった。これも初めてである。1950年のキネ旬ベストテン3位。1位が「自転車泥棒」の年で、「情婦マノン」に次ぐ3位。「無防備都市」や「赤い靴」より上で、これは過大評価なのではないかと今まで思っていたが、いやはや、もすごく面白くてこれも大傑作だった。監督はジョセフ・L・マンキウィッツ(1909~1993)で、アカデミー監督賞、脚本賞を同時に得た。翌年の「イヴの総て」も監督賞、脚色賞を得ている。2年続けて監督賞を受賞したのは、「怒りの葡萄」(1940)「わが谷は緑なりき」(1941)のジョン・フォード、そして昨年と今年のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ(「バードマン」と「レヴェナント」)の3人がいるだけである。

 そりゃあ、「イヴの総て」(All About Eve)の方が大傑作だとは思う。これは群を抜いた映画史的大傑作だし、演劇界バックステージもの、新人女優出世物語の最高傑作、基本中の基本である。だけど、「三人の妻への手紙」(A Letter to Three Wives)の語り口のうまさ、脚本のうまさはなんという技量だろう。同時にアメリカの小都市の雰囲気をつかんで社会映画的な面白さもある。ニューヨーク近郊の小都市。5月の第二土曜、3人の仲良しがボランティアで子供会のピクニックに付きそう。そこにアディ・ロスからの手紙が着くと、そこには「あなたたちの夫の誰かと駆け落ちします」と書いてある。アディというのは、町の伝説の美女で、3人の夫はみな若いころから何かの関わりがあった。初めてのキスの相手だったり、憧れの相手だったり。3人はいずれも、自分の夫がアディと駆け落ちしたのではないかと疑心暗鬼になりつつも…。

 このアディという女性がナレーションだけで写真も出てこない。物語の中心にいながら、姿を見せないという脚本がすごい。3人の妻たちはみな事情がある。一人はラジオ作家で成功しながら教師の夫と必ずしもうまく言ってない。一人は戦地でめぐりあって結婚したものに、夫の地元に溶け込めていないと感じている。もう一人は貧しい家庭でデパート店員になり社長と結婚したが、愛情で結ばれていないと思い込んでいる。みなが夫の真の愛情は、「あの伝説のアディ・ロス」に向けられているのではと思うわけである。時間をさかのぼりながら、うまく説明していく脚本作法は、古いけれども、物語的に面白い。アディという女性の過去はあまり語られないが、アメリカの青春映画によくあるような「ハイスクール・クイーン」だったんだろう。付き合いたくて男が群れを成しているような存在である。

 一体誰が駆け落ち相手かという「謎」と同時に、アメリカ社会のありようも描いていく。何しろ家が大きいし、パーティが多い。夫婦で行くパーティなんて、日本じゃ冠婚葬祭しかないと思う。そういうときも外部の店を使うし、自分の家には人を招けるほどのスペースがない。ボランティアもあるし、教師の給料は安い。この頃はまだラジオの時代で、だけどもう三人の夫の一人、カーク・ダグラスはラジオが人を愚かにするというような批判をしている。その後、テレビのことを大宅壮一が「一億総白痴化」と呼び、スマホやパソコンの時代になればもっと安直な知の時代が来ている。もう電車に乗っても本を読んでるのは、自分ひとりぐらいというような時代になってしまった。しかし、それはアメリカではラジオの時代から言われていたのか。

 今後この特集では、ベティ・デイヴィスがオスカーを得た「黒蘭の女」が珍しい。他にも「女相続人」「終着駅」などの他、先に触れた「フィラデルフィア物語」などを上映。またキネカ大森では7月2日から、ワーナー映画の特集として、「カサブランカ」「理由なき反抗」「ダイヤルMを廻せ」「俺たちに明日はない」「スケアクロウ」「ガープの世界」などの上映が予定されている。機会を丹念に探せば結構あるもので、やっぱり昔のハリウッド映画ほど面白くできているものはないので、見ておく価値がある。最近のSFやヒーロー映画よりずっと面白い。新作の話も書くつもりで始めたのだが、古い映画で長くなってしまった。それにしても、と改めて思う。こんなに豊かな国と戦争をするなんて、どうなっていたんだ。
コメント (2)
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