早稲田松竹でヴィム・ヴェンダースの2大傑作「パリ、テキサス」と「ベルリン・天使の詩(うた)」の2本立てを見た。どっちも80年代の公開以来の再見。今までも時々上映されていたけど、かなり長いので見なかった。30年ぶりに見ても、相変わらず素晴らしい傑作で、心をとらえて離さない。
僕は昔から「パリ、テキサス」(1984)の方が好きで、映像や音楽が心の奥深くまで届く思いがする。カンヌ映画祭パルムドール。(日本では85年のキネ旬6位。) 今見ると、ロビー・ミューラー撮影の心奪われるテキサスの大風景と同じぐらい、主人公の震える心に寄り添うライ・クーダーの音楽が素晴らしい。冒頭、テキサスの砂漠で行き倒れの男が見つかる。ロサンゼルスの弟が引き取りに行くが、口を閉ざして何も語らない。兄トラヴィスに何があったのか。弟夫婦はトラヴィスの息子ハンターと暮らしていた。しかし、トラヴィスの妻ジェーンは行方不明である。
「パリ」はフランスの首都ではなく、テキサス州にある小都市パリスのこと。兄弟の父母が知り合った土地で、映画の中では出てこない。前半はロスでの弟夫婦と暮らすトラヴィスの話で、ここが案外長いけど全く忘れていた。ジェーンの手がかりを得たトラヴィスは、息子を連れてテキサス州のヒューストンに行く。そこからが凄くて、見つけ出したジェーンとトラヴィスをどう出合わせるか。一度見た人には二度と忘れられない心に響く名シーンとなっている。今回も落涙。
ジェーンを演じるのは、ナスターシャ・キンスキー。ヘルツォーク映画の怪演で知られるクラウス・キンスキーの娘だが、ポランスキ-の「テス」に主演して大評判になっていた。1961年生まれだから、それが18歳の時。「パリ・テキサス」でも23歳だったのかと感嘆する。原作、脚本はサム・シェパードで、彼のイメージがかなり大きいと思う。初めて見た時よりも、今の自分にはもう取り返しがつかないものが多くなった。主人公の喪失感の持つ切実な痛みは、今の方が身に迫る。
「ベルリン・天使の詩」(1987)は、「パリ・テキサス」の次の劇映画。(その間「東京画」などのドキュメンタリーを作っていた。)カンヌ映画祭審査員賞、88年キネ旬3位。日比谷のシャンテ・シネで大ヒットし、ミニシアターブームの代表作となった。ベルリン上空で人々を見守る天使二人の話だが、シネマポエム的な構成で判ったようで判らない。脚本にペーター・ハントケが加わっているのが大きいだろう。ブルーノ・ガンツの天使は、最後に地上に降りて有限の生命の人間になる決心をする。それはサーカスの女芸人に恋したから。二人で生きていく決意を語るラストは感動的。
1987年という年は、今から振り返ると「ベルリンの壁崩壊」(1989)、「ドイツ統一」(1991)の直前だった。だけど1988年公開の時に、それを予見していた人は誰もいないだろう。もちろんソ連ではゴルバチョフのペレストロイカ真っただ中だったけど、すぐにも東欧革命が起きるとは予測できなかった。天使が上空にいるのは、分断都市ベルリンを両方ともに見る存在ということになる。映画内には何度も壁が映るけれど、今見ると歴史的な意味合いがある。なお、刑事コロンボで有名なピーター・フォークが自身の役で出演し、人間になった天使の先輩を演じている。それも公開当時面白かった。今回見たら、人間に戻らず天使でいるのもいいのかなと思った。
ヴィム・ヴェンダース(1945~)は、ユーロスペースの前身、欧日協会でやった「まわり道」や「さすらい」が面白かった。その頃はファスビンダーやヘルツォークに続く存在という感じで、ここまで偉大な監督になるとは思っていなかった。「ロード・ムーヴィー」が非常に多いことで有名で、その後の作品もそんな感じ。「ベル天」の続編「時の翼にのって」(1993)や再びサム・シェパードと組んだ「アメリカ、家族のいる風景」(2005)などもあるけど、どうも二番煎じ感が否めない。最近の「誰のせいでもない」もカナダの雪の風景が素晴らしいけど、まあそこそこだった。「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」や「セバスチャン・サルガド」のようなドキュメンタリーの方が素晴らしいと思う。
「ベル天」のラスト、安二郎、フランソワ、アンドレイに捧げると出る。小津、トリュフォー、タルコフスキーである。小津はともかく、「パリ、テキサス」は僕にとって「突然炎のごとく」(トリュフォー)や「ノスタルジア」(タルコフスキー)に匹敵するぐらい、心の奥深くまで揺さぶられる映画だった。旧作は今まであまり書かなかったけど、見てない人もいるから時々書きたいと思う。
僕は昔から「パリ、テキサス」(1984)の方が好きで、映像や音楽が心の奥深くまで届く思いがする。カンヌ映画祭パルムドール。(日本では85年のキネ旬6位。) 今見ると、ロビー・ミューラー撮影の心奪われるテキサスの大風景と同じぐらい、主人公の震える心に寄り添うライ・クーダーの音楽が素晴らしい。冒頭、テキサスの砂漠で行き倒れの男が見つかる。ロサンゼルスの弟が引き取りに行くが、口を閉ざして何も語らない。兄トラヴィスに何があったのか。弟夫婦はトラヴィスの息子ハンターと暮らしていた。しかし、トラヴィスの妻ジェーンは行方不明である。
「パリ」はフランスの首都ではなく、テキサス州にある小都市パリスのこと。兄弟の父母が知り合った土地で、映画の中では出てこない。前半はロスでの弟夫婦と暮らすトラヴィスの話で、ここが案外長いけど全く忘れていた。ジェーンの手がかりを得たトラヴィスは、息子を連れてテキサス州のヒューストンに行く。そこからが凄くて、見つけ出したジェーンとトラヴィスをどう出合わせるか。一度見た人には二度と忘れられない心に響く名シーンとなっている。今回も落涙。
ジェーンを演じるのは、ナスターシャ・キンスキー。ヘルツォーク映画の怪演で知られるクラウス・キンスキーの娘だが、ポランスキ-の「テス」に主演して大評判になっていた。1961年生まれだから、それが18歳の時。「パリ・テキサス」でも23歳だったのかと感嘆する。原作、脚本はサム・シェパードで、彼のイメージがかなり大きいと思う。初めて見た時よりも、今の自分にはもう取り返しがつかないものが多くなった。主人公の喪失感の持つ切実な痛みは、今の方が身に迫る。
「ベルリン・天使の詩」(1987)は、「パリ・テキサス」の次の劇映画。(その間「東京画」などのドキュメンタリーを作っていた。)カンヌ映画祭審査員賞、88年キネ旬3位。日比谷のシャンテ・シネで大ヒットし、ミニシアターブームの代表作となった。ベルリン上空で人々を見守る天使二人の話だが、シネマポエム的な構成で判ったようで判らない。脚本にペーター・ハントケが加わっているのが大きいだろう。ブルーノ・ガンツの天使は、最後に地上に降りて有限の生命の人間になる決心をする。それはサーカスの女芸人に恋したから。二人で生きていく決意を語るラストは感動的。
1987年という年は、今から振り返ると「ベルリンの壁崩壊」(1989)、「ドイツ統一」(1991)の直前だった。だけど1988年公開の時に、それを予見していた人は誰もいないだろう。もちろんソ連ではゴルバチョフのペレストロイカ真っただ中だったけど、すぐにも東欧革命が起きるとは予測できなかった。天使が上空にいるのは、分断都市ベルリンを両方ともに見る存在ということになる。映画内には何度も壁が映るけれど、今見ると歴史的な意味合いがある。なお、刑事コロンボで有名なピーター・フォークが自身の役で出演し、人間になった天使の先輩を演じている。それも公開当時面白かった。今回見たら、人間に戻らず天使でいるのもいいのかなと思った。
ヴィム・ヴェンダース(1945~)は、ユーロスペースの前身、欧日協会でやった「まわり道」や「さすらい」が面白かった。その頃はファスビンダーやヘルツォークに続く存在という感じで、ここまで偉大な監督になるとは思っていなかった。「ロード・ムーヴィー」が非常に多いことで有名で、その後の作品もそんな感じ。「ベル天」の続編「時の翼にのって」(1993)や再びサム・シェパードと組んだ「アメリカ、家族のいる風景」(2005)などもあるけど、どうも二番煎じ感が否めない。最近の「誰のせいでもない」もカナダの雪の風景が素晴らしいけど、まあそこそこだった。「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」や「セバスチャン・サルガド」のようなドキュメンタリーの方が素晴らしいと思う。
「ベル天」のラスト、安二郎、フランソワ、アンドレイに捧げると出る。小津、トリュフォー、タルコフスキーである。小津はともかく、「パリ、テキサス」は僕にとって「突然炎のごとく」(トリュフォー)や「ノスタルジア」(タルコフスキー)に匹敵するぐらい、心の奥深くまで揺さぶられる映画だった。旧作は今まであまり書かなかったけど、見てない人もいるから時々書きたいと思う。