「シン・ゴジラ」は面白く見たけど、ここでは書かなかった。今頃書くのは、キネ旬ベストテンで2位、しかも脚本賞という選出にどうかなと思ったからである。今回のベストテンには「君の名は。」が選出されなかったのも話題になった。そっちは「『君の名は。』をどう見るか」を書いたけど、合わせて考えてみたい。この2本は、2016年を代表するヒット作だけど、もともとは「ジャンル映画」である。
「ジャンル映画」というのは、娯楽映画の中で発展した形式である。内容や形式でいくつもに分かれる。小説で言えば、ミステリー小説というジャンルの中に、本格、ハードボイルド、スパイもの、倒叙などのサブジャンルがある。同じように、日本の代表的な娯楽映画である「時代劇」の中に、一般的な勧善懲悪のチャンバラ映画の他に、捕物帳とか股旅物、歴史劇なんかのサブジャンルがあった。
「ジャンル映画」(に限らずサブカルチャーの中のジャンルすべてがそうだろうが)は「お約束」によって成立している。ミュージカル映画では何でセリフを歌うのか、チャンバラ映画では何で悪役がみな都合よくヒーローに斬られていくのか。そんなことを疑問に思うのはヤボというもの。名探偵は最後にすべて解決するし、ゾンビは死んでるのに動き回る。そういうもんなのだ。
だから、人はお約束を疑わず楽しむけど、その代わり「リアリズムを重視する芸術とは扱われない」というもう一つの約束もあった。時代劇では、黒澤明の「七人の侍」や「用心棒」などは「ジャンル映画を超越したリアリズム映画」とされていて、初めから映画評論家も高く評価する。だけど、東映や大映で営々と作られ続けた軽快でひたすら楽しい時代劇は、ベストテンには入らない。まあ、だいぶ前の話だけど、そういうもんだったわけである。
「怪獣映画」は東宝の「ゴジラ」のヒット以来、日本を代表するジャンル映画となってきた。ジャンル映画だから、水爆実験の影響だか何だか、巨大なる怪獣が出現したということ自体を問題にしてはならない。そういうもんだと思って楽しむ(恐怖する)のが「お約束」である。だから、ベストテンに入るような扱いにはならず、今までには「ガメラ 大怪獣空中決戦」(1995、金子修介監督)が6位に入ったことがあるだけである。「ジャンル映画を超えた傑作」と見なされると、そういうこともある。
「若者向けのアニメ映画」というのも、日本のサブカルチャーを代表する一大ジャンルになっている。「君の名は。」もそもそもは、そういうジャンル映画であり、若者向けに作られている。大ヒットして社会現象化したから、大人も見た。そして中には、過去を改変するのは危険な発想だとか、過去の大災厄をなかったことにしていいのかといった、「お約束」違反のような「批判」もあったりする。それは「パラレルワールド」ものなんだから、言うだけヤボでしょう。ベストテン選外なのは、「ジャンル映画を超えた」とまでは見なさなかった批評家が多かったということだろう。僕はそれは基本的には正しいと思う。
では「シン・ゴジラ」はどうなんだろう。この映画は確かに大変によく出来ている。東京をゴジラが破壊していく様は、もちろんCGと判っているけど迫力がある。映画は登場当時から「破壊」に情熱を燃やしてきた。チャップリンの映画でも、キングコングでも、戦争映画でも。そういうのが特撮だと知れ渡ると、実際の自動車をメチャクチャに暴走させるカーアクションが大流行した。
とにかく暴力と破壊、これは自分に向けられると困るけど、画面で見てる限りでは面白いのである。それはお約束だから問題視する気はないけど、初代ゴジラにはあった「破壊されるもの」の心情がこの映画には全くと言っていいほど出てこない。代わりに、政治の場でどのような対応がなされたかが延々と描かれる。そこが新しい。怪獣映画というより、政治映画である。
それはそれでいいんだけど、ではその扱い方はどうなんだろうか。ゴジラは地上では自重を支えられないから、水中から出ないと思われると学者や政治家が呼びかけると、すぐにゴジラは地上に現れる。だから、学者や政治家は後手後手になるんだと強く印象される。だけど、ゴジラはどうやって自重を支えているの? それは説明されないのは、一種の情報操作ではないのか。
さらに「自衛隊」や「原子力」、「日米関係」など、日本映画が正面から扱わないことが多いテーマが取り扱われる。だから、人によれば「自衛隊が協力した反原発映画」だといった声も聞かれた。しかし、ホントに反原発映画なら、自衛隊が協力するはずがないではないか。むしろ正直な印象としては、自衛隊の宣伝映画に近くないか。「革新官僚」みたいな中堅官僚が活躍するのも感心できない。
ゴジラが核廃棄物を排出しているらしいという話も出てきて、さらに未知の物質だとかいう。でも地球内から誕生したゴジラに、どうして未知の物質がありうるか。あれほど大量の核廃棄物を体内にため込んだら、内部被ばくで細胞が破壊されると思うが、どうして動けるのだろう。原子力というのは、原子核分裂反応で出る巨大エネルギーをそのまま熱光線として使う(核兵器)か、核分裂で得られた熱を使って蒸気機関を動かすというものである。ゴジラは巨大といえど爬虫類なんだろうから、原子力で動く機械ではない。有機物を消化してエネルギーにしているはずだ。
というような疑問を書くのは、ジャンル映画だから本来ヤボである。この映画を好きな人もいるんだろうから、あえて書くまでもないかと思って、見た直後には書かなかった。今も自衛隊の出動根拠や国連安保理の問題は、もう面倒だから書かないことにする。だけど、そっちもかなり問題があると思う。でも、「ジャンル映画を超える」脚本にしようとしたのは作り手側であり、そこに「原発事故を思い起こさせる」仕掛けをしたのも作り手の方である。そこの野心が評価されたんだろうが、僕はその部分には科学的、あるいは法制度的な問題も多いと思う。しかし、その前にジャンルとしての怪獣映画が僕は好きではない。僕はベストテンには選ばないんだけど、好きな人がいてももちろんいいわけである。ジャンル映画的な面白さはあるけど、問題を盛り込み過ぎたところが僕はダメということになる。
「ジャンル映画」というのは、娯楽映画の中で発展した形式である。内容や形式でいくつもに分かれる。小説で言えば、ミステリー小説というジャンルの中に、本格、ハードボイルド、スパイもの、倒叙などのサブジャンルがある。同じように、日本の代表的な娯楽映画である「時代劇」の中に、一般的な勧善懲悪のチャンバラ映画の他に、捕物帳とか股旅物、歴史劇なんかのサブジャンルがあった。
「ジャンル映画」(に限らずサブカルチャーの中のジャンルすべてがそうだろうが)は「お約束」によって成立している。ミュージカル映画では何でセリフを歌うのか、チャンバラ映画では何で悪役がみな都合よくヒーローに斬られていくのか。そんなことを疑問に思うのはヤボというもの。名探偵は最後にすべて解決するし、ゾンビは死んでるのに動き回る。そういうもんなのだ。
だから、人はお約束を疑わず楽しむけど、その代わり「リアリズムを重視する芸術とは扱われない」というもう一つの約束もあった。時代劇では、黒澤明の「七人の侍」や「用心棒」などは「ジャンル映画を超越したリアリズム映画」とされていて、初めから映画評論家も高く評価する。だけど、東映や大映で営々と作られ続けた軽快でひたすら楽しい時代劇は、ベストテンには入らない。まあ、だいぶ前の話だけど、そういうもんだったわけである。
「怪獣映画」は東宝の「ゴジラ」のヒット以来、日本を代表するジャンル映画となってきた。ジャンル映画だから、水爆実験の影響だか何だか、巨大なる怪獣が出現したということ自体を問題にしてはならない。そういうもんだと思って楽しむ(恐怖する)のが「お約束」である。だから、ベストテンに入るような扱いにはならず、今までには「ガメラ 大怪獣空中決戦」(1995、金子修介監督)が6位に入ったことがあるだけである。「ジャンル映画を超えた傑作」と見なされると、そういうこともある。
「若者向けのアニメ映画」というのも、日本のサブカルチャーを代表する一大ジャンルになっている。「君の名は。」もそもそもは、そういうジャンル映画であり、若者向けに作られている。大ヒットして社会現象化したから、大人も見た。そして中には、過去を改変するのは危険な発想だとか、過去の大災厄をなかったことにしていいのかといった、「お約束」違反のような「批判」もあったりする。それは「パラレルワールド」ものなんだから、言うだけヤボでしょう。ベストテン選外なのは、「ジャンル映画を超えた」とまでは見なさなかった批評家が多かったということだろう。僕はそれは基本的には正しいと思う。
では「シン・ゴジラ」はどうなんだろう。この映画は確かに大変によく出来ている。東京をゴジラが破壊していく様は、もちろんCGと判っているけど迫力がある。映画は登場当時から「破壊」に情熱を燃やしてきた。チャップリンの映画でも、キングコングでも、戦争映画でも。そういうのが特撮だと知れ渡ると、実際の自動車をメチャクチャに暴走させるカーアクションが大流行した。
とにかく暴力と破壊、これは自分に向けられると困るけど、画面で見てる限りでは面白いのである。それはお約束だから問題視する気はないけど、初代ゴジラにはあった「破壊されるもの」の心情がこの映画には全くと言っていいほど出てこない。代わりに、政治の場でどのような対応がなされたかが延々と描かれる。そこが新しい。怪獣映画というより、政治映画である。
それはそれでいいんだけど、ではその扱い方はどうなんだろうか。ゴジラは地上では自重を支えられないから、水中から出ないと思われると学者や政治家が呼びかけると、すぐにゴジラは地上に現れる。だから、学者や政治家は後手後手になるんだと強く印象される。だけど、ゴジラはどうやって自重を支えているの? それは説明されないのは、一種の情報操作ではないのか。
さらに「自衛隊」や「原子力」、「日米関係」など、日本映画が正面から扱わないことが多いテーマが取り扱われる。だから、人によれば「自衛隊が協力した反原発映画」だといった声も聞かれた。しかし、ホントに反原発映画なら、自衛隊が協力するはずがないではないか。むしろ正直な印象としては、自衛隊の宣伝映画に近くないか。「革新官僚」みたいな中堅官僚が活躍するのも感心できない。
ゴジラが核廃棄物を排出しているらしいという話も出てきて、さらに未知の物質だとかいう。でも地球内から誕生したゴジラに、どうして未知の物質がありうるか。あれほど大量の核廃棄物を体内にため込んだら、内部被ばくで細胞が破壊されると思うが、どうして動けるのだろう。原子力というのは、原子核分裂反応で出る巨大エネルギーをそのまま熱光線として使う(核兵器)か、核分裂で得られた熱を使って蒸気機関を動かすというものである。ゴジラは巨大といえど爬虫類なんだろうから、原子力で動く機械ではない。有機物を消化してエネルギーにしているはずだ。
というような疑問を書くのは、ジャンル映画だから本来ヤボである。この映画を好きな人もいるんだろうから、あえて書くまでもないかと思って、見た直後には書かなかった。今も自衛隊の出動根拠や国連安保理の問題は、もう面倒だから書かないことにする。だけど、そっちもかなり問題があると思う。でも、「ジャンル映画を超える」脚本にしようとしたのは作り手側であり、そこに「原発事故を思い起こさせる」仕掛けをしたのも作り手の方である。そこの野心が評価されたんだろうが、僕はその部分には科学的、あるいは法制度的な問題も多いと思う。しかし、その前にジャンルとしての怪獣映画が僕は好きではない。僕はベストテンには選ばないんだけど、好きな人がいてももちろんいいわけである。ジャンル映画的な面白さはあるけど、問題を盛り込み過ぎたところが僕はダメということになる。