古関彰一氏の「日本国憲法の誕生 増補改訂版」(岩波現代文庫、1720円+税)が出たので、やはり読もうと思った。施行70年の憲法記念日に合わせて書きたかったが、読み終わるのに時間がかかった。安倍首相が本格的に改憲を表明した今、憲法に関して考えておく意味はあるだろう。しばらくこの本を中心に憲法を考えてみたい。

古関彰一氏(1943~、獨協大学名誉教授)の日本国憲法誕生史研究を読むのも3回目だ。最初の「新憲法の誕生」(1989)は、中公文庫版(1995)で初めて読んだ。それから、岩波現代文庫で「日本国憲法の誕生」(2009)として生まれ変わり、さらに今回「増補改訂版」(2017)が出た。大幅改定で、ほぼすべての章で加除、訂正が行われたという。それでもまだ不明の点が残り(たとえば「前文」の起草者)、今後の再訂版もあるかもしれない。だが、まあ今のところ、憲法制定史の決定版だろう。
だから、護憲・改憲といった主張の相違はさておき、日本国憲法に関して何かを述べようとする者は、必ず読んでいなければならない本だ。でも、憲法9条はアメリカの陰謀だ、いや戦争放棄は幣原首相が言い出したなどと、史実無視の思い込みをまだ書き散らす輩もいるように思われる。最低限、この本ぐらい読んでおいて欲しいものだ。そんなに難しい本じゃないんだから。
もっとも、「近衛文麿」とか「幣原喜重郎」って、何て読むんだ? 誰? となる人はちょっと付いていけないかもしれない。高校日本史には必ず出てくる首相経験者だから、読者にはそれぐらいは知っていることが求められている。それを難しいと言えば、まあもちろんある程度は難しいわけだけど、叙述は堅苦しくない。時代が近い分だけイメージも湧きやすく、「応仁の乱」より判りやすいと思うけど。
さて、この本は一種の大河小説のようなもので、大日本帝国の敗戦から新憲法の議会通過まで、さまざまな出来事が出てくる。全部書いているわけにはいかない。全部の論点に触れるぐらいなら、直接読む方がずっと早い。「増補改訂版」なんだから、本来は今回新たに加わった部分を論じるべきなんだろうけど、それでは細かくなりすぎる。読んでない人も多いだろうから、他の問題から書きたい。
日本国憲法と言えば、「押しつけ」か、そうではないかなどという議論がずっとあった。僕の子ども時代から、そういう議論をしている。そういう議論の構図を前提にすると、当時の議会でどのように修正されたかという問題を忘れてしまう。「押しつけ」なんだったら、議会で修正できないはずだが、実際は当時の帝国議会でかなり多くの修正がなされたのである。それには有名な憲法9条の「芦田修正」も含まれる。そうした修正が可能だったんだから、少なくとも単純な「押しつけ」ではなかったのである。
憲法9条の問題は次回に回して、まず他の条文の修正を考えてみたい。憲法の条文のいくつかは、学校で覚えさせられたと思う。憲法25条の「生存権」、具体的には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」も必ず覚えたのではないか。ワイマール憲法で初めて認められた「生存権」あるいは「社会権」が、日本国憲法にも取り入れられた。そのことは「すごく重要なことだ」と学校で教えられたと思う。だけど。これは原案にはなかった。
当時の社会党から出た修正案が取り入れられたのである。これほど重大なことが、いまだに日本国民の常識になってないのは不思議だ。それだけではない。当時の社会党からは、「休息権」や「働く女性と母性保護の権利」も主張されていた。それらが憲法の条文に書いてあれば、「過労死」や「保育所問題」も少し変わったのではないか。むろん、憲法14条があっても差別がなくならないように、憲法の条文にあるだけでは現実は動かない。でも少なくとも「憲法にあれば武器になる」。だが、残念なことにそれらの権利は、生存権規定と引き換えに、社会党が取り下げしまったのである。
国民の運動が憲法の条文を修正した例がたった一例だけだが、紹介されている。それは憲法26条の「教育権」の条項である。いまは「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。」となっている。もともとの政府案では、「その保護する児童に初等教育を受けさせる義務を負ふ」だったのである。
判るだろうか? 「児童」は小学生である。小学校の教育が「初等教育」である。小学生は「児童会」、中学や高校では「生徒会」だったことを覚えていると思う。中学は「前期中等教育」、高校は「後期中等教育」である。(だから「中高一貫校」を「中等教育学校」と呼んでいる。)政府原案のままでは、小学校しか義務教育じゃなかったのである。これは多くの議員にもよく判っていなかった。
ここに気付いた人々がいる。それは「青年学校」の教員たちだった。青年学校というのは、戦前の学制において、小学校卒業後、高等小学校や中学へ進学できない青少年向けの学校だった。どうしてそのような学校が必要だったかというと、小学校卒業後何も勉強していないと、20歳になって徴兵された時に、低学力の兵となるからである。だから、軍の思惑もあったわけであるが、それはともかく、1939年には男子の青年学校が義務化されている。
憲法で「初等教育は義務」と規定されてしまうと、男子においてはかえって教育が低下してしまうのである。これに気づき、猛運動を開始し、ついにギリギリで修正を勝ち取ったのは、全く青年学校教員たちの運動によるものだった。しかし、議員たちの反応は、「児童」でも「子女」でもいいじゃないか、単なる表現の問題だというものが多かったという。くわしい経過は同書を見て欲しいが、この小さな修正により、中学まで義務教育という「6・3制」という戦後教育の枠組みが可能となったのである。
小学校だけしか義務教育じゃないと、危うく憲法に書き込まれてしまうところだったのである。このことを知っている人はどれだけいるだろう? 全国の教育関係者には全員周知されるべきことではないか。今年は新制中学発足から70年。「創立70年」という垂れ幕がかかっている中学も多いだろう。その裏に、こういう事実があったのである。
それに続けて、同書には非常に重要な指摘が書かれている。それは青年学校の教員よりもずっと社会的地位が上だったはずの(旧制)中学教員はなぜこの問題で運動を行わなかったのかということである。「権利とはそれを否定され、あるいは差別をされ続けてきたものが、はじめに発見するものであることを、あまりにもあざやかに証明しているといえないだろうか。」この指摘は、これから憲法を考えるときに必ず押さえておかないといけないことだろう。

古関彰一氏(1943~、獨協大学名誉教授)の日本国憲法誕生史研究を読むのも3回目だ。最初の「新憲法の誕生」(1989)は、中公文庫版(1995)で初めて読んだ。それから、岩波現代文庫で「日本国憲法の誕生」(2009)として生まれ変わり、さらに今回「増補改訂版」(2017)が出た。大幅改定で、ほぼすべての章で加除、訂正が行われたという。それでもまだ不明の点が残り(たとえば「前文」の起草者)、今後の再訂版もあるかもしれない。だが、まあ今のところ、憲法制定史の決定版だろう。
だから、護憲・改憲といった主張の相違はさておき、日本国憲法に関して何かを述べようとする者は、必ず読んでいなければならない本だ。でも、憲法9条はアメリカの陰謀だ、いや戦争放棄は幣原首相が言い出したなどと、史実無視の思い込みをまだ書き散らす輩もいるように思われる。最低限、この本ぐらい読んでおいて欲しいものだ。そんなに難しい本じゃないんだから。
もっとも、「近衛文麿」とか「幣原喜重郎」って、何て読むんだ? 誰? となる人はちょっと付いていけないかもしれない。高校日本史には必ず出てくる首相経験者だから、読者にはそれぐらいは知っていることが求められている。それを難しいと言えば、まあもちろんある程度は難しいわけだけど、叙述は堅苦しくない。時代が近い分だけイメージも湧きやすく、「応仁の乱」より判りやすいと思うけど。
さて、この本は一種の大河小説のようなもので、大日本帝国の敗戦から新憲法の議会通過まで、さまざまな出来事が出てくる。全部書いているわけにはいかない。全部の論点に触れるぐらいなら、直接読む方がずっと早い。「増補改訂版」なんだから、本来は今回新たに加わった部分を論じるべきなんだろうけど、それでは細かくなりすぎる。読んでない人も多いだろうから、他の問題から書きたい。
日本国憲法と言えば、「押しつけ」か、そうではないかなどという議論がずっとあった。僕の子ども時代から、そういう議論をしている。そういう議論の構図を前提にすると、当時の議会でどのように修正されたかという問題を忘れてしまう。「押しつけ」なんだったら、議会で修正できないはずだが、実際は当時の帝国議会でかなり多くの修正がなされたのである。それには有名な憲法9条の「芦田修正」も含まれる。そうした修正が可能だったんだから、少なくとも単純な「押しつけ」ではなかったのである。
憲法9条の問題は次回に回して、まず他の条文の修正を考えてみたい。憲法の条文のいくつかは、学校で覚えさせられたと思う。憲法25条の「生存権」、具体的には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」も必ず覚えたのではないか。ワイマール憲法で初めて認められた「生存権」あるいは「社会権」が、日本国憲法にも取り入れられた。そのことは「すごく重要なことだ」と学校で教えられたと思う。だけど。これは原案にはなかった。
当時の社会党から出た修正案が取り入れられたのである。これほど重大なことが、いまだに日本国民の常識になってないのは不思議だ。それだけではない。当時の社会党からは、「休息権」や「働く女性と母性保護の権利」も主張されていた。それらが憲法の条文に書いてあれば、「過労死」や「保育所問題」も少し変わったのではないか。むろん、憲法14条があっても差別がなくならないように、憲法の条文にあるだけでは現実は動かない。でも少なくとも「憲法にあれば武器になる」。だが、残念なことにそれらの権利は、生存権規定と引き換えに、社会党が取り下げしまったのである。
国民の運動が憲法の条文を修正した例がたった一例だけだが、紹介されている。それは憲法26条の「教育権」の条項である。いまは「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。」となっている。もともとの政府案では、「その保護する児童に初等教育を受けさせる義務を負ふ」だったのである。
判るだろうか? 「児童」は小学生である。小学校の教育が「初等教育」である。小学生は「児童会」、中学や高校では「生徒会」だったことを覚えていると思う。中学は「前期中等教育」、高校は「後期中等教育」である。(だから「中高一貫校」を「中等教育学校」と呼んでいる。)政府原案のままでは、小学校しか義務教育じゃなかったのである。これは多くの議員にもよく判っていなかった。
ここに気付いた人々がいる。それは「青年学校」の教員たちだった。青年学校というのは、戦前の学制において、小学校卒業後、高等小学校や中学へ進学できない青少年向けの学校だった。どうしてそのような学校が必要だったかというと、小学校卒業後何も勉強していないと、20歳になって徴兵された時に、低学力の兵となるからである。だから、軍の思惑もあったわけであるが、それはともかく、1939年には男子の青年学校が義務化されている。
憲法で「初等教育は義務」と規定されてしまうと、男子においてはかえって教育が低下してしまうのである。これに気づき、猛運動を開始し、ついにギリギリで修正を勝ち取ったのは、全く青年学校教員たちの運動によるものだった。しかし、議員たちの反応は、「児童」でも「子女」でもいいじゃないか、単なる表現の問題だというものが多かったという。くわしい経過は同書を見て欲しいが、この小さな修正により、中学まで義務教育という「6・3制」という戦後教育の枠組みが可能となったのである。
小学校だけしか義務教育じゃないと、危うく憲法に書き込まれてしまうところだったのである。このことを知っている人はどれだけいるだろう? 全国の教育関係者には全員周知されるべきことではないか。今年は新制中学発足から70年。「創立70年」という垂れ幕がかかっている中学も多いだろう。その裏に、こういう事実があったのである。
それに続けて、同書には非常に重要な指摘が書かれている。それは青年学校の教員よりもずっと社会的地位が上だったはずの(旧制)中学教員はなぜこの問題で運動を行わなかったのかということである。「権利とはそれを否定され、あるいは差別をされ続けてきたものが、はじめに発見するものであることを、あまりにもあざやかに証明しているといえないだろうか。」この指摘は、これから憲法を考えるときに必ず押さえておかないといけないことだろう。