誕生日直近ということで、久しぶりに夫婦で映画を見て食べてこようと「マンチェスター・バイ・ザ・シー」を見た。昨日のことなんだけど、国は違うけれど同じマンチェスターでテロ事件が起こり(日本では「共謀罪」が衆院を「通過」し)、なんだかこれほど暗い映画の話を書く気になれなかった。(なんでその映画にしたのかと言われるかもしれないが、株主優待なんだから仕方ない。)でも、間違いなく傑作だし、「映画って何だろう」ということを考えさせられたので、そういうことを書きたい。

マンチェスター・バイ・ザ・シーは、アメリカ東北部マサチューセッツ州の海辺にある小都市である。マンチェスターと言えば、イングランド北部の町がすぐ思い浮かぶ(つい「マンチェスター&リヴァプール」って口ずさんでしまう)。でも、アメリカにも同名の町がニュー・ハンプシャーとコネチカットにあって、マサチューセッツの町は海に面しているから、「バイ・ザ・シー」と呼ぶということだろう。
映画はそこで育った二人の兄弟の人生を描いている。弟のリー・チャンドラーは過去につらい思い出があり、マンチェスターを去って、ボストンで便利屋をしている。兄のジョーは心臓が悪く、ある日リーに心臓発作で兄が緊急入院と電話がある。急いで帰るが兄は死んでいて、遺言は一人息子パトリックの後見人にリーを指定していた。リーはボストンで暮らそうというが、パトリックは友だちがいるマンチェスターを動きたくない。じゃあ、リーが帰ってくるしかないのか。
海辺の町の冬から夏の季節の移り変わり、ちょっと寒そうだけど美しい海辺の町。兄の元妻、リーの元妻、パトリックのガールフレンド(二股中)、パトリックの属するアイスホッケー部やロックバンド。そんな人々をじっくり描きながら、焦点は「リーは過去を乗り越えられるのか」にしぼられてくる。多くの物語では、「様々な人々に支えられながら、何とか新しい道を歩みだす(かもしれないな)」的な終わり方をすると思うけど…。でも、この映画ではあまりにも大きな悲劇、辛すぎる体験と自責の念、本人の持っている人交わりの難しそうな性格。それらがない交ぜになり、どうもうまく行かない。
どうにもうまく行かない「壊れてしまった男」を演じたのはケイシー・アフレックで、今年のアカデミー賞主演男優賞を獲得した。これほどうつろになってしまった人間を見るのは珍しい。大変な力演で、アンドリュー・ガーランド(ハクソー・リッジ)やライアン・ゴズリング(ラ・ラ・ランド)を押さえてオスカーを受賞したのも全く納得できる。迫真の人間ドラマを書いたのは、監督も務めたケネス・ロナーガンで、アカデミー賞脚本賞を授賞している。作品賞、監督賞にもノミネートされた傑作である。
映画っていうのは、やはり「物語」の役割が大きい。原作に有名な小説やマンガ、あるいは実話を選んで大宣伝している広告がいっぱいある。原作そのままだと長くなりすぎることが多く、人物を少なくするなどして巧みに脚本にまとめるシナリオ・ライターがまず必要だ。そして、主演の俳優をキャスティングし、監督が俳優や技術部門をコントロールしながら製作が進められる。だから映画賞では、作品賞以外に、監督や主演男女優、脚本などの賞が主要部門と言われるわけである。
今年のアカデミー賞を見ると、作品と脚色が「ムーンライト」、監督と主演女優が「ラ・ラ・ランド」、主演男優と脚本が「マンチェスター・バイ・ザ・シー」と二つずつで相拮抗している。(アカデミー賞では、脚本賞はオリジナルもの、脚色賞は原作があるものと二つに分かれている。)まさにその結果にふさわしい作品だと僕も思うんだけど、映画自体としてはどうなんだろう。
僕は話だけなら「マンチェスター・バイ・ザ・シー」が一番だと思う。もともとケネス・ロナーガン(「ギャング・オブ・ニューヨーク」などの脚本を書いた人)の脚本が素晴らしく、俳優のマット・デイモンが初監督する予定だったという。だが日程が合わずにデイモンはプロデューサーに回り、ロナーガン自身が監督することになった。どうもこの映画の魅力は脚本と主演男優によるところが非常に大きいように思う。
この映画は助演男女優賞にそれぞれノミネートされた他、技術部門には一つもノミネートされなかった。撮影、美術、作曲賞受賞は「ラ・ラ・ランド」。編集、録音賞受賞は「ハクソー・リッジ」。「ムーンライト」は撮影、編集、作曲賞にノミネートされていた。僕も見ていて、途中から編集や音楽がちょっと弱いなと思い始めた。撮影は悪くないと思うけど、「ラ・ラ・ランド」「ムーンライト」「沈黙」なんかに比べると、確かに超えているとは言えないだろう。「過去」の描写が重要な映画だけに、(それは現在を描く場面にインサートされるわけだが)、編集リズムに違和感があったのには困った。
映画は映像だから、物語を描くときの映像、およびそのつなぎ方がやっぱり一番大事だなと思う。実はそういうことを感じたのだが、名作であることは間違いない。そしてもう一つ、商業映画としては異例なほど、未来への希望がない。そういうことが実際には結構あり、本人や周りが頑張れば必ずうまく行くなどとは僕も思わない。そうなんだけど、ここまで立ち直れない姿は正視しがたいほど。画面を見つめるだけしかできない。(またパトリックがけっこうテキトーにやっていて、父は病気、母はアル中で離婚、叔父は訳ありだって言うのに、部活にバンドに男女交際にと意欲的。だから「同情」の必要性が薄い。その分、リーの傷の深さが伝わる。)

マンチェスター・バイ・ザ・シーは、アメリカ東北部マサチューセッツ州の海辺にある小都市である。マンチェスターと言えば、イングランド北部の町がすぐ思い浮かぶ(つい「マンチェスター&リヴァプール」って口ずさんでしまう)。でも、アメリカにも同名の町がニュー・ハンプシャーとコネチカットにあって、マサチューセッツの町は海に面しているから、「バイ・ザ・シー」と呼ぶということだろう。
映画はそこで育った二人の兄弟の人生を描いている。弟のリー・チャンドラーは過去につらい思い出があり、マンチェスターを去って、ボストンで便利屋をしている。兄のジョーは心臓が悪く、ある日リーに心臓発作で兄が緊急入院と電話がある。急いで帰るが兄は死んでいて、遺言は一人息子パトリックの後見人にリーを指定していた。リーはボストンで暮らそうというが、パトリックは友だちがいるマンチェスターを動きたくない。じゃあ、リーが帰ってくるしかないのか。
海辺の町の冬から夏の季節の移り変わり、ちょっと寒そうだけど美しい海辺の町。兄の元妻、リーの元妻、パトリックのガールフレンド(二股中)、パトリックの属するアイスホッケー部やロックバンド。そんな人々をじっくり描きながら、焦点は「リーは過去を乗り越えられるのか」にしぼられてくる。多くの物語では、「様々な人々に支えられながら、何とか新しい道を歩みだす(かもしれないな)」的な終わり方をすると思うけど…。でも、この映画ではあまりにも大きな悲劇、辛すぎる体験と自責の念、本人の持っている人交わりの難しそうな性格。それらがない交ぜになり、どうもうまく行かない。
どうにもうまく行かない「壊れてしまった男」を演じたのはケイシー・アフレックで、今年のアカデミー賞主演男優賞を獲得した。これほどうつろになってしまった人間を見るのは珍しい。大変な力演で、アンドリュー・ガーランド(ハクソー・リッジ)やライアン・ゴズリング(ラ・ラ・ランド)を押さえてオスカーを受賞したのも全く納得できる。迫真の人間ドラマを書いたのは、監督も務めたケネス・ロナーガンで、アカデミー賞脚本賞を授賞している。作品賞、監督賞にもノミネートされた傑作である。
映画っていうのは、やはり「物語」の役割が大きい。原作に有名な小説やマンガ、あるいは実話を選んで大宣伝している広告がいっぱいある。原作そのままだと長くなりすぎることが多く、人物を少なくするなどして巧みに脚本にまとめるシナリオ・ライターがまず必要だ。そして、主演の俳優をキャスティングし、監督が俳優や技術部門をコントロールしながら製作が進められる。だから映画賞では、作品賞以外に、監督や主演男女優、脚本などの賞が主要部門と言われるわけである。
今年のアカデミー賞を見ると、作品と脚色が「ムーンライト」、監督と主演女優が「ラ・ラ・ランド」、主演男優と脚本が「マンチェスター・バイ・ザ・シー」と二つずつで相拮抗している。(アカデミー賞では、脚本賞はオリジナルもの、脚色賞は原作があるものと二つに分かれている。)まさにその結果にふさわしい作品だと僕も思うんだけど、映画自体としてはどうなんだろう。
僕は話だけなら「マンチェスター・バイ・ザ・シー」が一番だと思う。もともとケネス・ロナーガン(「ギャング・オブ・ニューヨーク」などの脚本を書いた人)の脚本が素晴らしく、俳優のマット・デイモンが初監督する予定だったという。だが日程が合わずにデイモンはプロデューサーに回り、ロナーガン自身が監督することになった。どうもこの映画の魅力は脚本と主演男優によるところが非常に大きいように思う。
この映画は助演男女優賞にそれぞれノミネートされた他、技術部門には一つもノミネートされなかった。撮影、美術、作曲賞受賞は「ラ・ラ・ランド」。編集、録音賞受賞は「ハクソー・リッジ」。「ムーンライト」は撮影、編集、作曲賞にノミネートされていた。僕も見ていて、途中から編集や音楽がちょっと弱いなと思い始めた。撮影は悪くないと思うけど、「ラ・ラ・ランド」「ムーンライト」「沈黙」なんかに比べると、確かに超えているとは言えないだろう。「過去」の描写が重要な映画だけに、(それは現在を描く場面にインサートされるわけだが)、編集リズムに違和感があったのには困った。
映画は映像だから、物語を描くときの映像、およびそのつなぎ方がやっぱり一番大事だなと思う。実はそういうことを感じたのだが、名作であることは間違いない。そしてもう一つ、商業映画としては異例なほど、未来への希望がない。そういうことが実際には結構あり、本人や周りが頑張れば必ずうまく行くなどとは僕も思わない。そうなんだけど、ここまで立ち直れない姿は正視しがたいほど。画面を見つめるだけしかできない。(またパトリックがけっこうテキトーにやっていて、父は病気、母はアル中で離婚、叔父は訳ありだって言うのに、部活にバンドに男女交際にと意欲的。だから「同情」の必要性が薄い。その分、リーの傷の深さが伝わる。)