2017年6月の訃報特集。6月は独自に書いた人はいなかった。最近はできるだけ翌月の頭にまとめて書けばいいかなという感じ。一番大きく報道されたのは、小林麻央だったろうが、僕はよく知らないので書けない。海老蔵が結婚した時に知っていたのだから、何となく顔と名前は覚えていたのだろう。その後、ガンの闘病を明らかにし、ブログを開始したということだけど、それは追っていなかった。自分の母も乳がんサバイバーだけど、これほど進行が速いということが今もあるということに驚いた。
さて、元沖縄県知事、大田昌秀(おおた・まさひで 1925.6.12~2017.6.12、92歳)が亡くなった。見れば判るように、誕生日に逝去したのである。米軍統治下の沖縄から、早稲田大学に「留学」し、さらにアメリカのシラキューズ大学大学院を修了した。そういう「戦後沖縄のエリート」なわけだが、沖縄戦や沖縄の現実を鋭く追及する「行動する学者」となっていった。若いころは「世界」をかなり読んでたので、もちろん名前はずっと前から知っている。でも、ちゃんと読んだ本はないようだ。
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1990年に沖縄県知事に当選、1998年まで2期務めた。復帰後、沖縄県知事は屋良、平良と「革新」系が二人いたが、平良の病気辞任後の1978年に自民党衆院議員の西銘順治が当選し、3期務めた。その西銘4選を阻む切り札として、大田が立候補したのである。当選後、「平和の礎」(いしじ)を作ったこと、1995年の「少女暴行事件」後に「軍用地の代理署名拒否」を打ち出したことで知られている。しかし、現在の翁長県政もそうだけどガラス細工のような「革新共闘」は難しい。3期目を目指しながら1998年には稲嶺恵一に敗れた。その後、2001年に社民党から参院選に立候補し,1期務めた。
野際陽子(1936~2017.6.13、81歳)は、主にテレビで晩年まで活躍していた。僕らの年代では、やはり「キイハンター」が一番思い出に残る。共演した千葉真一と1973年に結婚し、もうその頃のイメージが強い。その後もずっとテレビなどで活躍していたし、調べてみると僕が見ている映画なんかにもずいぶん出ている。だけど、主役級じゃないことが多く、あまり印象にはない。もともとは1958年にNHKにアナウンサーとして入局した。名古屋放送局に配属され、一年後輩の下重暁子とともに仕事をした思い出を下重が東京新聞に書いていた。62年に退職し、パリに留学し、帰国後にドラマで活躍する。
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・西武の中継ぎで活躍し、2015年から西武の投手コーチだった森慎二が死去。6.28没、42歳。
・三浦大四郎は、サンカ小説で知られる三角寛の娘と結婚し、義父の経営していた池袋の映画館、人生坐、文芸坐の支配人となった。6.21没、89歳。
・蓮見重臣(はすみ・しげおみ)は音楽家で様々なジャンルで活躍したという。「私は猫ストーカー」という映画で毎日映画コンクール音楽賞。6.12没、49歳。蓮見重彦の子どもだという。
・長谷川元吉(げんきち、6.25没、77歳。こちらは作家の長谷川四郎の子どもで、映画カメラマン。「私をスキーに連れてって」とか「波の数だけ抱きしめて」を撮った人でもあるけれど、そえより吉田喜重監督の難解ATG映画の独特の映像美の撮影者なのである。大傑作「エロス+虐殺」や「煉獄エロイカ」「戒厳令」など、この人無くして作品世界が成立しない。
外国の人では、ドイツ統一時の首相、ヘルムート・コールが死去。6.16没、87歳。1982年に西ドイツの首相に就任、統一をはさんで1998年まで16年間にわたってドイツのリーダーだった。この人無くして統一は難しかったと言われつつ、2000年に「裏金疑惑」が起こり、2002年以後は政界引退状態だった。2001年には病気を苦にした夫人が自殺。本人も08年に転倒して不自由な体となり…と晩年は不遇を伝えられていたが、死亡とともに「欧州統合の偉人」に祭り上げられたのは皮肉とも言える。
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映画監督のジョン・G・アビルドセンは、「ロッキー」の監督である。6.16没、81歳。他にも「ベスト・キッド」などいろいろあるけど、要するに「ロッキー」の監督。
マイケル・ポンド、6.27没、91歳。「くまのパディントン」シリーズの著者である。
シモーヌ・ヴェイユ(6.30没、89歳)は同名の哲学者ではなく、フランスの政治家である。アウシュヴィッツ収容所を生き延び、ジスカールデスタン政権で妊娠中絶の合法化を成立させた。79年に欧州議会議員に選ばれ議長となって活躍した。
さて、元沖縄県知事、大田昌秀(おおた・まさひで 1925.6.12~2017.6.12、92歳)が亡くなった。見れば判るように、誕生日に逝去したのである。米軍統治下の沖縄から、早稲田大学に「留学」し、さらにアメリカのシラキューズ大学大学院を修了した。そういう「戦後沖縄のエリート」なわけだが、沖縄戦や沖縄の現実を鋭く追及する「行動する学者」となっていった。若いころは「世界」をかなり読んでたので、もちろん名前はずっと前から知っている。でも、ちゃんと読んだ本はないようだ。
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1990年に沖縄県知事に当選、1998年まで2期務めた。復帰後、沖縄県知事は屋良、平良と「革新」系が二人いたが、平良の病気辞任後の1978年に自民党衆院議員の西銘順治が当選し、3期務めた。その西銘4選を阻む切り札として、大田が立候補したのである。当選後、「平和の礎」(いしじ)を作ったこと、1995年の「少女暴行事件」後に「軍用地の代理署名拒否」を打ち出したことで知られている。しかし、現在の翁長県政もそうだけどガラス細工のような「革新共闘」は難しい。3期目を目指しながら1998年には稲嶺恵一に敗れた。その後、2001年に社民党から参院選に立候補し,1期務めた。
野際陽子(1936~2017.6.13、81歳)は、主にテレビで晩年まで活躍していた。僕らの年代では、やはり「キイハンター」が一番思い出に残る。共演した千葉真一と1973年に結婚し、もうその頃のイメージが強い。その後もずっとテレビなどで活躍していたし、調べてみると僕が見ている映画なんかにもずいぶん出ている。だけど、主役級じゃないことが多く、あまり印象にはない。もともとは1958年にNHKにアナウンサーとして入局した。名古屋放送局に配属され、一年後輩の下重暁子とともに仕事をした思い出を下重が東京新聞に書いていた。62年に退職し、パリに留学し、帰国後にドラマで活躍する。
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・西武の中継ぎで活躍し、2015年から西武の投手コーチだった森慎二が死去。6.28没、42歳。
・三浦大四郎は、サンカ小説で知られる三角寛の娘と結婚し、義父の経営していた池袋の映画館、人生坐、文芸坐の支配人となった。6.21没、89歳。
・蓮見重臣(はすみ・しげおみ)は音楽家で様々なジャンルで活躍したという。「私は猫ストーカー」という映画で毎日映画コンクール音楽賞。6.12没、49歳。蓮見重彦の子どもだという。
・長谷川元吉(げんきち、6.25没、77歳。こちらは作家の長谷川四郎の子どもで、映画カメラマン。「私をスキーに連れてって」とか「波の数だけ抱きしめて」を撮った人でもあるけれど、そえより吉田喜重監督の難解ATG映画の独特の映像美の撮影者なのである。大傑作「エロス+虐殺」や「煉獄エロイカ」「戒厳令」など、この人無くして作品世界が成立しない。
外国の人では、ドイツ統一時の首相、ヘルムート・コールが死去。6.16没、87歳。1982年に西ドイツの首相に就任、統一をはさんで1998年まで16年間にわたってドイツのリーダーだった。この人無くして統一は難しかったと言われつつ、2000年に「裏金疑惑」が起こり、2002年以後は政界引退状態だった。2001年には病気を苦にした夫人が自殺。本人も08年に転倒して不自由な体となり…と晩年は不遇を伝えられていたが、死亡とともに「欧州統合の偉人」に祭り上げられたのは皮肉とも言える。
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映画監督のジョン・G・アビルドセンは、「ロッキー」の監督である。6.16没、81歳。他にも「ベスト・キッド」などいろいろあるけど、要するに「ロッキー」の監督。
マイケル・ポンド、6.27没、91歳。「くまのパディントン」シリーズの著者である。
シモーヌ・ヴェイユ(6.30没、89歳)は同名の哲学者ではなく、フランスの政治家である。アウシュヴィッツ収容所を生き延び、ジスカールデスタン政権で妊娠中絶の合法化を成立させた。79年に欧州議会議員に選ばれ議長となって活躍した。