尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

スマホにしてみたけど…ぼくのケータイ遍歴

2017年07月30日 21時40分05秒 | 自分の話&日記
 先週月曜日朝に、連れ合いのケータイ電話が突然ご臨終を迎えた。前夜に充電して、その時までは何の問題もなかったという話で、朝になったら完全にいかれていた。バッテリーかなんかの問題ではなく、全然立ち上がらないという話。ケータイショップでは、8年も使ったので修理もできないと言われた由。だから電話帳なんかがまったく失われたのである。

 それをきっかけに、僕のケータイ電話も変えてしまうこととし、会社も変えた。今回はようやく「スマホ」にしたんだけど、やはりまだ使いにくい。いつかスラスラ使えるようになるかは予測がつかない。会社を変えたので、番号は変わらないけど、メールアドレスは変わった。でも、なかなか面倒でほとんどの人に変更通知を出してない。1年間にメールが来る人も限られているのが実際だから、昔の卒業生なんかどうしようと思うと、だんだん面倒になる。

 要するに、@以前は同じなので、ezweb を docomo に変えてくれればいい。まあ、知り合いはあまりブログを見てないらしいけど。そのうち順々にお知らせメールも出したいと思ってる。

 面倒と言えば、僕の場合、「スマホにはしない主義」かと思ってた人もいるらしい。そんなことはなくって、ただ面倒だっただけである。そもそも携帯電話を持つことそのものが面倒だ。ケータイショップに行くのは、歯医者に行くのと同じぐらい緊張を強いられる。訳が分からないことをいくつも決めないといけないから。会社も変えるとなると、ほとんど一日仕事である。先週は完全に予定が狂った。

 じゃあ、なんで会社を変えたかというと、「固定電話」の会社が変わったからである。僕の場合、母親と一種の2世帯住宅みたいな感じで電話2回線を使ってる。その電話を昔付けた時は、多分その頃の最新機種で、インタフォンと連動しているのである。外でピンポンとなると、電話に映像が映る。これが今では稀少機種で、光電話に変えられないのである。そして、KDDIで長くやってたけど、そういう電話回線サービスをKDDIが止めてしまったので、やむなくNTTに戻すしかなくなった。それまではKDDIの固定電話と、auの携帯電話をまとめるプランだったのだが、それはできなくなった。そこで次に壊れた時は、DoCoMoに変えてしまいたいと強く思っていたわけである。

 今までの「ガラケー」では、使えるコンテンツがどんどん減っている。例えば、昔はFacebookのメッセージ機能をケータイでできたのに、しばらく前から記事も見られなくなった。(ところで、Facebookのメッセンジャー機能は、パソコンでもどうやるんだか判りにくいんだけど。)このブログも、例えば震災のボランティアに行ったときは、ケータイから投稿できた。その頃の記事は現地から送ったものである。でも、数年前からそういうこともできなくなった。それじゃあ、スマホに変えるしかないではないか。

 ということで、次はスマホにするしかないかとは思っていた。だけど、現実の人間関係がどんどん希薄になっている段階で、スマホは必要なんだろうか。けっこう重たいし。それに何より、僕の指に反応しないとか、違うところを押してしまうという悩みがある。それらは高齢スマホユーザーに共通の悩みだろう。だけど、それ以上の大問題がある。それはケータイ電話やパソコンに共通する大問題。

 セキュリティの問題。世の中が便利になれば、その便利さを悪用する輩もいろいろ出てくる。そういう犯罪記事は毎日のように出ている。そうなると、何でもかんでも「パスワード」を要求するようになった。自分で決めたパスワードも忘れるけど、会社が最初に掛けたパスワードもたくさんあって、それをこっちは知らない。今回は今までの「電話帳」のパスワードが判らないから、スマホに移せなかった。自分で探し回った挙句、もともと会社が設定したパスワードだった。知るわけない。結局はまた別の日に行って、auのケータイからDoCoMoのケータイに赤外線通信で送り、それをスマホに再転送するというやり方で何とか移したのだった。

 パソコンでも、すぐにパスワードを要求してくるから、面倒になったら止めてしまう。そういうことが多くなった。個人情報保護というのは、学校でもいい迷惑だったけど、自分の持ってる通信機器でさえ自分で自由にならない。だから、スマホで使えるといういろんな機能も、まだほとんど使ってない。それじゃあ意味ないと言えば、そうなんだけど。僕の場合、パソコンとかスマホ(ケータイ)にかける時間はできるだけ少なくして、読書時間をキープしたいという欲求がある。すぐにもういいやとなっちゃう。

 僕が携帯電話を初めて持ったのは、1997年のことだった。何でちゃんと言えるかというと、FIWC関東委員会の「らい予防法廃止一周年記念集会」の連絡先になった時に持ったからである。その時は「Jフォン」というのだった。(ちゃと「フォン」だったんだな。)それはやがて、ボーダフォンとなり、ソフトバンクになった。そして、auに変え、今度はドコモに変えたから、三社遍歴したことになる。実は三社とも、歩いて5分ほどのところにお店があるので、どこにしても同じである。

 最初はメール機能もなかった。本当に携帯できる電話に過ぎなかった。それが電子メール機能が加わったのはいつごろか。自分が変えたのは21世紀初めごろではなかったか。その頃から、夜間定時制やチャレンジスクールに勤務したので、欠席がち、病気がち、引きこもり、アルバイト、ただの怠けなどで学校には現れてくれない生徒との連絡手段は、ケータイ電話しかなかった。生徒とメールするのは怪しからんなどという人は、不登校の生徒を担任して見てくれよと言いたい。だから、仕事にために持っていたようなもんなので、今後いつまで持つべきなのか、自分でも考えてしまうんだけど、ケータイ止めるとなると、またそれはそれで結構決断力を要する。
コメント
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