尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

アフリカとアンデスー羽仁進の映画③

2017年07月22日 22時43分00秒 |  〃  (日本の映画監督)
 羽仁進の映画をたどる3回目。2回目に書いた「不良少年」「充たされた生活」「彼女と彼」を僕は高く評価しているんだけど、羽仁進の映画全体からすると、社会派的、芸術表現的に突出している感じがする。そういう面が羽仁進に在ったのは確かだろうが、本人の資質からするともっと自由な映画を作りたかったんじゃないかと思う。つまり、子どもや自然を見つめる映画のような。

 ということで、次に作ったのは「手をつなぐ子ら」(1964)という映画になる。ベストテン31位だから、高い評価は得られなかった。これは今回初めて見たけど、確かに失敗作だろう。この映画は伊丹万作脚本、稲垣浩監督の「手をつなぐ子等」(1948)のリメイクで、前作は当時高く評価されベストテン2位に選出された。障害児教育の先駆者、田村一二の原作を、病床の伊丹万作が脚色した遺作で、障害児学級を描いている。その脚本に羽仁進が手を入れ、64年当時の大阪の小学校の話にしている。

 確かに「弱い者いじめ」などは描かれるし、どうも知的に少しボーダーの感じの子どもを描いているけど、普通の小学校の話になっている。素人の子どもたちが自然な演技をしている点で、ドキュメンタリー時代のような感触がある。でも、脚本はキッチリしているし、劇的事件がいくつか起こる。劇映画としては弱く、ドキュメントにしてはドラマ的。モスクワ映画祭審査員賞。担任教師役の佐藤英夫は、「七人の刑事」など多くのテレビドラマで知られるが、これは映画の代表作だろう。

 そして、その後羽仁進は日本を飛び出して、世界を舞台にしたドキュメンタリー・ドラマを作る。当時はまだ日本人が自由に世界旅行へ行けない時代だった。(外貨の持ち出し制限が撤廃されたのは1966年からだが、外国の観光旅行は特別の富裕層しかできないことだった。)そんな時代、「異文化理解」なんて概念もない時代に、欧米ではない外国へ出かけて映画を作った。羽仁進の発想力は時代をはるかに飛びぬけていたことがよく判る。

 最初は渥美清がアフリカ大好きになった映画、「ブワナ・トシの歌」(1965)で、ベストテン8位。これは実に素晴らしい映画だけど、今見られる映像は画面が褪色してしまっている。是非修復して欲しい。渥美清と言えば「寅さん」しか思い浮かばないというのは悲しいと思う。実話を基にした原作があるけど、もう感触としてはドキュメンタリーを見ている気がする。実際渥美清以外の現地の人々は素人を使っている。それが実に素晴らしいのである。

 大学の研究者がタンガニーカの奥地に研究に行くことになり、渥美清が先遣隊として建設会社から派遣される。学者たちが住むプレハブ住宅を作るためである。だけど現地にいるはずの学者は病気で不在。言葉も知らない渥美清が、一人で住宅作りを始めるけど…。村人に手伝いを求めると、村の仕事を手伝いたいのかと誤解され牛飼いに駆り出され…。だんだん村人が手伝いに来るが、のんびりした村人とはペースが違う。ついにトラブルになり渥美清は手を上げてしまい、村を追放される。

 渥美清は奥地の山でマウンテンゴリラを調べている日本人学者のところへ避難する。そこで見た厳しい自然、マウンテンゴリラの死体、一年に一度もゴリラに会わないような学者の日々。村の学校の先生に相談に行けというアドバイスに従うと、村の裁判が開かれる。アフリカの奥地でこそ、白人に支配された歴史から「非暴力」が村の掟になっている。そんな中でだんだん「異文化」を理解していく渥美清(が演じる建設労働者)が素晴らしい。ついに完成し、最後に村人の送迎の宴が開かれ「ブワナ・トシの歌」が歌われる…。これがまた素晴らしい内容で、感動的だ。

 こういう映画が1965年に作られていたということが素晴らしい。この映画を見るのは3回目なんだけど、2回目は割と最近で一昨年だった。渥美清没後20年という特集で見たので、今回はパスしようかとも思ったけど、何度見ても素晴らしい映画だった。ところどころで出てくる動物の素晴らしい映像は、後の羽仁進につながっていく。舞台になるのは、1964年にタンガニーカとザンジバルが連合したタンザニア。タンガニーカの独立を村で喜ぶシーンがあるが、1961年のことだから再現映像だと思う。

 続いて、1966年に「アンデスの花嫁」を作る。ベストテン6位。(この2本の映画は東宝系の東京映画が製作に参加している。)これは厳しい南米アンデス山脈に暮らすインディオの村に、左幸子が出掛けてゆく。日本人の「農業指導員」の「写真花嫁」として子連れで向かうというのである。いくら自分の妻とはいえ、こんなつらいシーンばかりさせていいのか…というような壮絶なシーンが多い。現地の女性と取っ組み合いをするシーンもあり、体当たり演技が素晴らしい。

 夫の福田は、どうも農業指導というよりも「インカ遺跡の発掘」をしているらしい。新婚の妻を置いて出かけることも多い。村ではタネがなく、アマゾン流域に入植した日系人集落に取りに行く。その役割が左幸子で、ペルーのあちこちを見て回りながら入植地に付く。そこで高橋幸治が村人を演じている。左と高橋だけがプロの俳優で、他は素人を使っている。これも非常に独特のドキュメンタリー・ドラマだけど、日系人中心の話なので、ただ一人現地のルールと格闘する「ブワナ・トシの歌」の方が今見ると面白い。だけど、映像や「女性映画」的な観点からすると、「アンデスの花嫁」も捨てがたい。

 両者ともに、今はあまり触れられないけど、日本人がまだ自由に海外旅行もできない時代に作った、時代に先がけた傑作だと思う。羽仁進の発想が国境などに関係なく、世界に羽ばたいている。世界の各地でロケされた映画は当時もたくさんあるけど、ヨーロッパやハワイなどを「観光」する映画が圧倒的に多い。「異文化」と格闘する映画は数少ない。フランスの映画祭で「ブワナ・トシの歌」を見た批評家は「二人の素人俳優が素晴らしい」と新聞に書いたという。渥美清を知らない人は「素人俳優」と思ったのである。羽仁映画では、国境だけでなく、俳優と素人の差も飛び越えている。
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