池袋駅東口にある西武池袋本店で、8月31日にストライキが行われた。外資系企業への売却方針に対して雇用の維持を求めてきたが、一向にはっきりした方針が示されなかったからである。しかし、親会社のセブン&アイ・ホールディングスは、スト実施中の同日に外資系の「フォートレス・インベストメント・グループ」への売却を決定した。
(西武デパート本店)
「そごう・西武」の企業価値は2200億円と算定されたが、有利子負債を引いて実質8500万円での売却になり、「セブン&アイ」は1457億円の特別損失を計上するという。フォートレス・グループと協力している「ヨドバシホールディングス」は、西武池袋本店の土地などを約3,000億円で購入する方針だという。このニュースを聞いて、何だか釈然としない思いをする人が多いだろう。いくら借金を抱えているとはいえ、その借金を棒引きさせて手に入れた物件をすぐに他に売りつける。報道が正しいのなら、有利子負債があったままでも儲けが出る。日本企業が労働者ごと外国資本に安く売られることへの反撃ストだった。
(スト実施中)
西武デパートの売却問題は、昨年来高野之雄豊島区長(当時)が懸念を表明して注目されてきた。単に一企業の盛衰に止まらず、西武デパートは豊島区の文化でもあるからだ。一時は日本のデパートの中で売上高が1位になっていたこともある。70年代後半から80年代においては、堤清二社長の下、「セゾン文化」の発信基地ともなってきた。西武池袋線と直結していて、西武線沿線の経済・文化圏と密接に結びつくとともに、ファッションを中心にして「ニューファミリー」と70年代に言われた「中流」層を取り込んだ。その意味で、確かにこれは一企業の問題ではなく、「文化」の問題でもある。
(売却の仕組み)
僕も「西武美術館」(1975年~1999年、1989年にセゾン美術館と改称)にはよく行った。池袋にある大学に通っていたからだ。自分の父が東武鉄道勤務だったため、買い物は東武百貨店を利用することが多かった。東武デパートは池袋駅西口にあり、通学時に利用しやすいこともある。このように「不思議な不思議な池袋 東が西武で西東武」(ビックカメラのCMソング)は、池袋を代表する商業施設として競い合ってきた。堤康次郎の死後、鉄道は堤義明、流通は堤清二が相続して、流通系は「セゾン・グループ」と改称して両者は分離した。バブル崩壊後に巨額負債を抱えた「西洋環境開発」破綻に伴い、セゾン・グループは解体された。
(セブン&ァイグループ)
西武デパートは「そごう」とともに、セブン&アイグループに属していた。元はイトーヨーカドーから始まった会社だが、現在はセブンイレブンが最大の売り上げとなっている。コンビニ、スーパー、デパートを束ねる総合流通企業という強みは生かされず、百貨店事業は赤字だった。「セブン&アイ」の外資系株主からは、デパートを売ってコンビニに集中するよう求められてきた。スーパーマーケット事業も風前の灯で、近所のヨーカドーも閉店してしまった。次は祖業のヨーカドーも危ない。
これで良いのかと思うが、そういう風に自分が言えるかとも思う。1957年に開館した有楽町そごう(フランク永井の「有楽町で逢いましょう」の舞台)は、すでに2000年に閉店してビッグカメラになっている。僕はそごうは利用したことが無いが、ビックカメラ有楽町店は利用している。新宿三越と池袋三越も閉店し、前者はビックカメラ、後者はヤマダ電機になっている。デパートが家電量販店になるのは前例があるわけだ。ただ、池袋西武は旗艦店であり、駅に直結して影響力も大きい。「西武」が培ってきた戦後文化が変容してしまうと危惧するのも当然だろう。でも、西武デパートは利用しないが、ヨドバシカメラになれば行くという若者も多いだろう。
自分の母親はデパートへ行くのが大好きだった。聞いてみると、同年代の女性にはそういう人が多いらしい。デパートは単に「百貨」が買えるだけではなかった。いろんな展覧会が開かれ、文化に触れる場所でもあった。(伊勢丹や東武にも美術館があった。)屋上には遊園地があり、家族皆で食べられる大きな食堂もあった。安心して子どもを連れて行ける場所でもあったのである。デパートの食堂で初めて洋食を食べたという人もいた時代である。
もう僕の世代には、そういう「百貨店幻想」はない。今のデパートも「専門店」を揃えたブランドショップ街になっている。渋谷の東急百貨店、新宿の小田急百貨店は改築中で、今後東京のデパート事業は良くも悪くも大きく変わっていくのは避けられない。
(西武デパート本店)
「そごう・西武」の企業価値は2200億円と算定されたが、有利子負債を引いて実質8500万円での売却になり、「セブン&アイ」は1457億円の特別損失を計上するという。フォートレス・グループと協力している「ヨドバシホールディングス」は、西武池袋本店の土地などを約3,000億円で購入する方針だという。このニュースを聞いて、何だか釈然としない思いをする人が多いだろう。いくら借金を抱えているとはいえ、その借金を棒引きさせて手に入れた物件をすぐに他に売りつける。報道が正しいのなら、有利子負債があったままでも儲けが出る。日本企業が労働者ごと外国資本に安く売られることへの反撃ストだった。
(スト実施中)
西武デパートの売却問題は、昨年来高野之雄豊島区長(当時)が懸念を表明して注目されてきた。単に一企業の盛衰に止まらず、西武デパートは豊島区の文化でもあるからだ。一時は日本のデパートの中で売上高が1位になっていたこともある。70年代後半から80年代においては、堤清二社長の下、「セゾン文化」の発信基地ともなってきた。西武池袋線と直結していて、西武線沿線の経済・文化圏と密接に結びつくとともに、ファッションを中心にして「ニューファミリー」と70年代に言われた「中流」層を取り込んだ。その意味で、確かにこれは一企業の問題ではなく、「文化」の問題でもある。
(売却の仕組み)
僕も「西武美術館」(1975年~1999年、1989年にセゾン美術館と改称)にはよく行った。池袋にある大学に通っていたからだ。自分の父が東武鉄道勤務だったため、買い物は東武百貨店を利用することが多かった。東武デパートは池袋駅西口にあり、通学時に利用しやすいこともある。このように「不思議な不思議な池袋 東が西武で西東武」(ビックカメラのCMソング)は、池袋を代表する商業施設として競い合ってきた。堤康次郎の死後、鉄道は堤義明、流通は堤清二が相続して、流通系は「セゾン・グループ」と改称して両者は分離した。バブル崩壊後に巨額負債を抱えた「西洋環境開発」破綻に伴い、セゾン・グループは解体された。
(セブン&ァイグループ)
西武デパートは「そごう」とともに、セブン&アイグループに属していた。元はイトーヨーカドーから始まった会社だが、現在はセブンイレブンが最大の売り上げとなっている。コンビニ、スーパー、デパートを束ねる総合流通企業という強みは生かされず、百貨店事業は赤字だった。「セブン&アイ」の外資系株主からは、デパートを売ってコンビニに集中するよう求められてきた。スーパーマーケット事業も風前の灯で、近所のヨーカドーも閉店してしまった。次は祖業のヨーカドーも危ない。
これで良いのかと思うが、そういう風に自分が言えるかとも思う。1957年に開館した有楽町そごう(フランク永井の「有楽町で逢いましょう」の舞台)は、すでに2000年に閉店してビッグカメラになっている。僕はそごうは利用したことが無いが、ビックカメラ有楽町店は利用している。新宿三越と池袋三越も閉店し、前者はビックカメラ、後者はヤマダ電機になっている。デパートが家電量販店になるのは前例があるわけだ。ただ、池袋西武は旗艦店であり、駅に直結して影響力も大きい。「西武」が培ってきた戦後文化が変容してしまうと危惧するのも当然だろう。でも、西武デパートは利用しないが、ヨドバシカメラになれば行くという若者も多いだろう。
自分の母親はデパートへ行くのが大好きだった。聞いてみると、同年代の女性にはそういう人が多いらしい。デパートは単に「百貨」が買えるだけではなかった。いろんな展覧会が開かれ、文化に触れる場所でもあった。(伊勢丹や東武にも美術館があった。)屋上には遊園地があり、家族皆で食べられる大きな食堂もあった。安心して子どもを連れて行ける場所でもあったのである。デパートの食堂で初めて洋食を食べたという人もいた時代である。
もう僕の世代には、そういう「百貨店幻想」はない。今のデパートも「専門店」を揃えたブランドショップ街になっている。渋谷の東急百貨店、新宿の小田急百貨店は改築中で、今後東京のデパート事業は良くも悪くも大きく変わっていくのは避けられない。