尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

亀戸事件殉難者、平沢計七『一人と千三百人|二人の大尉』を読む

2023年09月04日 21時45分57秒 |  〃 (歴史・地理)
 そう言えば、関東大震災関連の本を何冊か持っていたと思い出した。直接の震災本ではないが、亀戸事件で犠牲になった平沢計七(1889~1923)の作品集を読んでみた。講談社文芸文庫に平沢計七先駆作品集と銘打ち、『一人と千三百人|二人の大尉』という本が入っているのである。2020年4月に出た本で、本体価格1800円もしたが貴重な機会だと思って買っておいたのである。

 「講談社文芸文庫」というのは、日本の昔の小説などを収録している。そこに労働運動家の平沢の本が入るのは不思議な感じがするかもしれない。しかし、平沢の特徴は労働運動には「文化運動」が伴わなければならないと主張した人なのである。小説もあるが、特に戯曲が多いのが特徴。労働者演劇の可能性を追求した人として忘れてはいけない人なのである。この本には小説13編、戯曲7編、評論・エッセイ7編が入っている。300ページ強の本にこれだけ入っているんだから、一編の作品は短いものが多い。

 まだ文壇で「プロレタリア文学」が流行する以前である。それが「先駆」とある理由で、確かに素朴な正義感に基づき、労働者の覚醒を促すような作品が多い。「純文学」とはちょっと違うが、単なるプロパガンダでもない。作品としては自立しているものが多く、読めばなかなか面白い。では多くの人が是非読むべきかと言えば、そこまで傑作揃いというには躊躇する。労働運動と連動した社会史的な読み方をしなければ面白くない段階と言えるだろう。
(平沢計七)
 内容的には、「国家」や「会社」の示す価値観に囚われている人々が、労働者の真の価値に目覚めるまでを描く啓蒙的作品が多い。作品の発表母体も労働組合「友愛会」の機関誌である「労働及産業」が圧倒的に多い。初期プロレタリア文学の雑誌「新興文学」に発表された作品も2つあるが、そのひとつ『二人の大尉』は軍隊に召集されていた時代を描き鮮烈だった。シベリア出兵を控えた時期に、タイプの違う二人の上官を描き分ける。軍内のリアルな感覚が興味深い。

 平沢は小学校卒業後、ずっと現場労働者として働いてきた。鉄道院の職工となり、軍から帰った後は浜松で働いていた。その時に「友愛会」の存在を知り上京、東京府南葛飾郡(現在の江東区大島)で労働運動家として知られた。そこでの活動が評価され、本部の書記に抜てきされたが、やがて友愛会が急進化して行くにつれ孤立するようになった。1919年には友愛会を脱して「純労働者組合」を結成して、労働会館や「共働社」(消費組合)を作るなどした。また労働金庫、労働者のための夜塾、労働劇団を立ち上げるなど時代を先取りした活動を行っていた。

 このように平沢は急進的な共産主義的労働運動家ではなかった。しかし、震災とともに亀戸署に拘束され、虐殺された。その時点で34歳で、妻子もあった。日本共産青年同盟(民青の前身)の初代委員長を務めていた川合義虎は、1902年生まれでまだ21歳だった。平沢とは一世代違うのである。そのような平沢が何故殺されたのか。日本で一番労働運動が盛んだった「南葛」地区で、地域密着型の活動を長く続けてきた平沢は、日々の活動を通じて警察と常に衝突してきて「目を付けられていた」のだろう。

 やはり戯曲が一番興味深いと思う。もっとも終わり方がどうも都合が良いのが多い。それでも題名通りの『工場法』や造船所の大ストを扱う『一人対千三百人』は貴重だ。実際に労働者によって上演出来るかは難しいと思うけれど。特に大正11年に時間が設定された『非逃避者』(大正12年1月)は問題作である。それは「支那人労働者」に職を奪われるとして、「階級的自覚のない労働者」たちが、「河岸揚人夫頭」を訪れる。賃銀値下げに怒っているのである。その元凶は安く働く「支那人労働者」であるとし、その排撃を訴えるのである。ところが人夫頭は同調すると見えて、思いがけないことを言う。

 昔アメリカで人種差別にあったことがあり、「排日」はおかしいと思っていたのである。同じように、日本が外国人労働者を攻撃するのもどうかと思うと述べる。このような「排外主義反対」は職人の胸にストンと納得されるだろうか。それは現実によって証明されてしまった。震災時の中国人労働者の虐殺事件はまさに、平沢が活動してきた大島で起こったのである。そして、それは中国人の河岸労働者への襲撃に他ならなかった。中国人リーダーだった王希天と平沢は連帯出来たはずだが、そのような動きはあったのだろうか。逆に考えれば、排外主義を批判している平沢は警察からすれば警戒対象に他ならなかっただろう。そういう意味で、震災時の悲劇を予知した作品集でもある。
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