コンスタントに映画を作っているが、ここではあまり書いてない監督が何人かいる。アメリカのウェス・アンダーソン(Wes Anderson、1969~)もその一人で、嫌いじゃないが不思議な設定に戸惑う映画が多い。「日本」が舞台のSFアニメ『犬ケ島』(2018)など変すぎて困った。いま思えば『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014)を見るのが遅れて、書く時期を逸したのが残念だった。ベルリン映画祭金熊賞、アカデミー賞4部門受賞の波瀾万丈の傑作である。
前作『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』(2021)も魅力的ながら、とても変な映画だった。「新聞」作りがモチーフで、アメリカの新聞がフランスの架空都市で出す別冊の最終号という設定。いろんなエピソードが面白いが、ちょっとまとまりがないと思って書かなかった。今回の『アステロイド・シティ』(2023)は「演劇」作りがモチーフで、お芝居を作っていく過程を見せるという体裁で、描き割りのセットの中で奇妙な物語が進行する。
どんな変な物語かは、映画の紹介をコピーした方が早いだろう。「時は1955年、アメリカ南西部に位置する砂漠の街、アステロイド・シティ。隕石が落下してできた巨大なクレーターが最大の観光名所であるこの街に、科学賞の栄誉に輝いた5人の天才的な子供たちとその家族が招待される。子供たちに母親が亡くなったことを伝えられない父親、マリリン・モンローを彷彿とさせるグラマラスな映画スターのシングルマザー――それぞれが複雑な想いを抱えつつ授賞式は幕を開けるが、祭典の真最中にまさかの宇宙人到来!?この予想もしなかった大事件により人々は大混乱!街は封鎖され、軍は宇宙人出現の事実を隠蔽しようとし、子供たちは外部へ情報を伝えようと企てる。」
(アステロイド・シティ風景)
アステロイド(asteroid)は「小惑星」の意味。ネヴァダ州にある人口87人の小さな町とされる。1955年当時はまだ行われていた大気圏内核実験が時々見える。その小さな町で「ジュニアスターゲイザー賞」という天文分野で業績を挙げた若者に与えられる賞の授与式が行われる。そこに妻が亡くなったばかりの戦場カメラマン(ジェイソン・シュワルツマン)や有名女優ミッジ・キャンベル(スカーレット・ヨハンソン)らが集まってくる。いずれも子どもが「超秀才」で、受賞者なのである。
(ミッジとオーギーは隣同士)
子どもたちは歴史人名を順に挙げていくゲームをするが、その際今までに言われた人名もすべて最初から言うルールにする。オーギーの息子は「北条時行」と言うが日本人だって知らないだろう。鎌倉幕府最後の執権北条高時の子で、「中先代の乱」を起こした。そんな超秀才たちが授賞式のためだけに来たつもりが、トンデモ事件に巻き込まれて町が閉鎖されてしまう。そんなこんなの大混乱に、大人たちと子どもたちは様々な行動を取るのだが…。人口的なセットや色彩設計の中で物語が進行して、カメラは移動やパンなどを繰り返す。まるで舞台上を撮影したような映画だが、では実際の砂漠でロケをすれば良かったのかと言えば違うだろう。
(オーギーと義父)
それは人口的な設定にして現実性を削ぐことで成立した「痛みの記憶」が真のテーマだからだ。核実験を背景にして、天才児を持った親たちの現実が語られる。戦場カメラマンは義父(トム・ハンクス)と不仲で、子どもたちはこの小さな町に母親の骨を埋めようとしている。ミッジにはアザがあるが、それはメイクだと言い張り、ここでもセリフのレッスンをしている。まるで現実感がない世界で起きていることが、でもわれわれにも通じる。それは「物語」的な進行はせず、エピソードの連鎖として、われわれの人生そのものように描かれる。評価しない人もいると思うが、こういう映画もあって良い。
(ウェス・アンダーソン監督)
いつものようにオールスターキャストである。トム・ハンクスやスカーレット・ヨハンソンだけでなく、エイドリアン・ブロディ(『戦場のピアニスト』)やティルダ・スウィントン、ウィレム・デフォー、エドワード・ノートン、マーゴット・ロビーなども出ているが、見ている時はほとんど気付かなかった。ウェス・アンダーソンの映画は監督の美学と世界観に浸るためにあり、僕はこの監督の映画としてはかなり満足出来た。好き嫌いがあるから、無理に勧めないけれど。
前作『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』(2021)も魅力的ながら、とても変な映画だった。「新聞」作りがモチーフで、アメリカの新聞がフランスの架空都市で出す別冊の最終号という設定。いろんなエピソードが面白いが、ちょっとまとまりがないと思って書かなかった。今回の『アステロイド・シティ』(2023)は「演劇」作りがモチーフで、お芝居を作っていく過程を見せるという体裁で、描き割りのセットの中で奇妙な物語が進行する。
どんな変な物語かは、映画の紹介をコピーした方が早いだろう。「時は1955年、アメリカ南西部に位置する砂漠の街、アステロイド・シティ。隕石が落下してできた巨大なクレーターが最大の観光名所であるこの街に、科学賞の栄誉に輝いた5人の天才的な子供たちとその家族が招待される。子供たちに母親が亡くなったことを伝えられない父親、マリリン・モンローを彷彿とさせるグラマラスな映画スターのシングルマザー――それぞれが複雑な想いを抱えつつ授賞式は幕を開けるが、祭典の真最中にまさかの宇宙人到来!?この予想もしなかった大事件により人々は大混乱!街は封鎖され、軍は宇宙人出現の事実を隠蔽しようとし、子供たちは外部へ情報を伝えようと企てる。」
(アステロイド・シティ風景)
アステロイド(asteroid)は「小惑星」の意味。ネヴァダ州にある人口87人の小さな町とされる。1955年当時はまだ行われていた大気圏内核実験が時々見える。その小さな町で「ジュニアスターゲイザー賞」という天文分野で業績を挙げた若者に与えられる賞の授与式が行われる。そこに妻が亡くなったばかりの戦場カメラマン(ジェイソン・シュワルツマン)や有名女優ミッジ・キャンベル(スカーレット・ヨハンソン)らが集まってくる。いずれも子どもが「超秀才」で、受賞者なのである。
(ミッジとオーギーは隣同士)
子どもたちは歴史人名を順に挙げていくゲームをするが、その際今までに言われた人名もすべて最初から言うルールにする。オーギーの息子は「北条時行」と言うが日本人だって知らないだろう。鎌倉幕府最後の執権北条高時の子で、「中先代の乱」を起こした。そんな超秀才たちが授賞式のためだけに来たつもりが、トンデモ事件に巻き込まれて町が閉鎖されてしまう。そんなこんなの大混乱に、大人たちと子どもたちは様々な行動を取るのだが…。人口的なセットや色彩設計の中で物語が進行して、カメラは移動やパンなどを繰り返す。まるで舞台上を撮影したような映画だが、では実際の砂漠でロケをすれば良かったのかと言えば違うだろう。
(オーギーと義父)
それは人口的な設定にして現実性を削ぐことで成立した「痛みの記憶」が真のテーマだからだ。核実験を背景にして、天才児を持った親たちの現実が語られる。戦場カメラマンは義父(トム・ハンクス)と不仲で、子どもたちはこの小さな町に母親の骨を埋めようとしている。ミッジにはアザがあるが、それはメイクだと言い張り、ここでもセリフのレッスンをしている。まるで現実感がない世界で起きていることが、でもわれわれにも通じる。それは「物語」的な進行はせず、エピソードの連鎖として、われわれの人生そのものように描かれる。評価しない人もいると思うが、こういう映画もあって良い。
(ウェス・アンダーソン監督)
いつものようにオールスターキャストである。トム・ハンクスやスカーレット・ヨハンソンだけでなく、エイドリアン・ブロディ(『戦場のピアニスト』)やティルダ・スウィントン、ウィレム・デフォー、エドワード・ノートン、マーゴット・ロビーなども出ているが、見ている時はほとんど気付かなかった。ウェス・アンダーソンの映画は監督の美学と世界観に浸るためにあり、僕はこの監督の映画としてはかなり満足出来た。好き嫌いがあるから、無理に勧めないけれど。