尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

タレントに「罪」はあるかージャニーズ問題③

2023年09月24日 22時53分08秒 | 社会(世の中の出来事)
 「ジャニーズ問題」3回目で一端終わり。最後に「タレントに罪はあるか」というテーマを考えたい。この問題に関しては、ジャニーズ事務所所属タレントを企業CMで起用するべきか(というか、今起用しているタレントを継続するか)に関して、財界でも大きな問題になっている。現時点では2つの考え方があり、一つは新浪剛史経済同友会代表幹事(サントリーホールディングス社長)による「児童虐待に対して真摯に反省しているか、大変疑わしい。ジャニーズ事務所を使うと、児童虐待を認めることになる」(9月12日)というものである。僕はこの発言を聞いて新浪氏の「マイナ保険証」発言を思い出した。「紙の保険証廃止」を「納期」と表現して、政府に「納期を守れ」と迫った発言である。これは高齢者や障害者への虐待を認める発言じゃないのか。
(新浪氏の発言)
 それに対して十倉雅和経団連会長(住友化学会長)は「ジャニーズのタレントの人たちはある意味、被害者であって加害者ではありません。彼らが日々研鑽(けんさん)を積んでやっている人、それの(活動)機会を長きにわたって奪うことは問題」と発言した。これは新浪氏の発言と全く逆方向の考え方と言える。「ジャニーズ所属のタレントは商品や製品といった“モノ”とは違う」「タレントの救済策を時間をかけて検討すべき」とも主張している。
(十倉氏の発言)
 タレントはモノではないというのは間違いないが、しかし企業トップの不祥事で会社が危機に陥り、時には倒産してしまうということは今まで何度も起こってきた。タレントの関わる問題でも、監督や共演者のスキャンダル(セクハラが公になるとか薬物使用で逮捕されるとか)でせっかく完成した映画がお蔵入りしてしまったなど、近年もあった。そういうことを考えると、所属事務所にスキャンダルがあっても、所属タレントは全く影響なしに活躍出来るというのもおかしな話ではないか。ある程度の影響は避けられないのだが、最終的には「ファンを含めた世論がどう考えるか」が決めるだろうと思う。

 「ジャニーズ事務所」そのものは、日本経済においてそんな大きな存在じゃないだろう。しかし、日本の企業は現在では単に「モノを売る」のではなく、「夢」や「イメージ」を売っている。品質も全く無関係ではないが、ある程度成熟した産業社会では、どの会社の製品を選んでも大差はない。そうなると、宣伝に起用するタレントの影響力が大きくなる。また政府も経済浮揚のため五輪や万博など大型イベントを誘致するが、その盛り上げのために人気タレントに頼っている。日本経済にとって「芸能事務所」は不可欠の存在になっている。そういうあり方はおかしいと言っても、当面どうしようもない。

 芸能タレントの方も、そのような「利用される存在」であることを自覚して、どんな色にも染められるように「無色透明」を心がけるようになる。外国(特にアメリカ)と違って、政治的問題を発言することは控えることが多い。今は大学を出ている人も多いから、クイズ番組に出演して博識を披露することもある。だけど、それはどうでも良いような知識量を競う番組で、国際政治や人権問題を問うことはない。こういう日本の芸能界のあり方自体を再考する必要がある。そういうタレントのあり方がロールモデルとなって、芸能界を目指す若い人々も自ら考えないことになる。

 「タレントに罪はあるか」と題したが、法律的な意味では「罪」がないことははっきりしている。だが倫理的な意味では、「罪」に対する考え方が人それぞれで違うから何とも言えないところがある。例えば、大学や高校で不祥事が起きて、その年の卒業生の就職に影響があるというようなことはあってはならない。だけど、いじめや体罰が横行する学校だとして、そのことに直接的な責任はないとしても、「いじめに対して黙っていた」という場合はどうか。ある程度倫理的な責任はあると言えるかもしれない。

 ジャニーズ事務所の場合、内部からも外部からも「噂としては知っていた」という人ばかりである。どういうレベルの噂かにもよるが、仲間うちで人権侵害が発生していて、当時としては一タレントが公に出来ることはなかったかもしれないが、「何もしなかった」というのではマズいのではないか。それは多くの会社や学校でも似たような問題があるはずだ。「声を挙げるべき時に挙げなかった」のは、犯罪ではないけれど倫理的な責任はある。ジャニー喜多川氏存命中は確かに声を挙げられなかっただろうが、ジャニーズ事務所危急存亡のときにあたっても、自分たちで考えて動き出さないとすれば問題だろう。

 マスコミでも芸能界でも「本当は知っていた」という人がいっぱいいるらしい。それを聞いて思い出すのは、1974年当時の田中角栄首相の「金脈問題」である。雑誌「文藝春秋」が「田中角栄研究」という特集を行い、立花隆氏による緻密な「金脈」調査が掲載されたが、新聞やテレビは全く報じなかった。この時も「あの程度のことは政治部の記者は皆知っていた」などと言われていた。それが外国特派員協会での田中首相の記者会見で、金脈問題への質問が殺到して、初めて日本のマスコミも報道したのである。今回もBBCが報じて初めて国内でも問題になった。つまり、日本社会の構造は半世紀経っても大して変わってない。僕の世代では変えられなかったのだと思うしかない。
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