尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ブラジリアと首都移転した国々をめぐって

2023年01月15日 22時50分38秒 |  〃 (歴史・地理)
 2023年1月8日にブラジルで、約4000人のボルソナロ前大統領支持者が大統領府や国会議事堂を襲撃する事件が起きた。2年前の2021年1月6日に起きた、アメリカの国会議事堂襲撃事件を思い出してしまう。かつてカール・マルクスが「歴史はくりかえす。ただし、一度目は悲劇、二度目は喜劇として」(『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』)と述べたのも思い出した。
(ブラジルの国会襲撃事件)
 もっとも「選挙結果を認めない前大統領」が「二度目」なのと同時に、今回当選した左派のルーラ大統領も2度目である。2003年から2010年に大統領を務め、その後就任中の汚職事件で実刑判決を受けて収監されていたが、2019年11月に釈放された。その後、2021年になって、最高裁がこれまでのすべての判決を無効化したことによって、2022年の大統領選に出馬が可能になったのである。ボルソナロとルーラと一体どちらが悲劇であり、どちらが喜劇なのか、まだ歴史の判定に待つしかないだろう。

 ところで今回書こうと思うのは、首都ブラジリアの話である。そこは計画的に整備された人工都市で、移転された首都だったことは有名だ。それ以前の首都はリオデジャネイロだったが、50年代に移転計画が進行して1960年に移転が実現したのである。それは非常に有名な話だが、60年以上も経って「当たり前」になってしまい意識することも少なくなった。移転当時は「何もない」と言われていたが、現在はサンパウロリオデジャネイロに続く、人口300万を超えるブラジル第3の大都市になっている。
(ブラジリアの国会議事堂)
 ブラジリアは標高1100メートルの高原のほとんど何もない荒野を切り開いて作られた都市で、建築家ルシオ・コスタによって設計された。今回は首都中心の「三権広場」に人々が集結し、その周囲に建設された国会議事堂、大統領府、最高裁判所が襲われた。これらの公共建築は、ニューヨークの国連ビルを設計したことで知られるブラジル人建築家オスカー・ニーマイヤーが設計した。このブラジリアは何と1987年に世界遺産に登録されている。世界には歴史地区が世界遺産に登録されている首都はたくさんあるけど、ブラジリアのように建設から30年ほどしかない都市が世界遺産になったのは他にはない。

 ブラジルのように首都を移転した国は世界にはかなりある。というか、日本でも「首都機能移転」が議論されてきた。長い不況が続き、もう議論は終わったかのような感じだが、一応まだ正式に終わったわけではない。もっとも国会である程度ちゃんと議論されたのは20世紀の間で、小泉内閣以後は次第に尻つぼみになって、今は国交省内の担当部局も廃止され専任の担当者はいないのだという。かつては移転先候補として「栃木・福島」「岐阜・愛知」、候補可能性のある地域として「三重・畿央」まで絞られたなんて、もう覚えていない人がほとんどだろう。

 今回は世界で首都が移転した国を見ておきたい。歴史では「昔の教科書と今の教科書はこんなに違う」なんて時々テレビでもやるぐらいだが、案外「地図の知識」は昔のままという人がいる。日本では都市が合併して名前が変わった所が多い。世界でも国がなくなったり、名前が変わったところがある。今でも「チェコスロバキア」があると思ってたり、うっかり「ウクライナを攻めるなんて、ソ連はひどい」なんて口走る人も世の中にはいるのではないか。

 ブラジルと同じく、1960年に首都を移転したのがパキスタン。パキスタンそのものがインドから分離独立した人工国家だが、初めは最大の港湾都市カラチが首都だった。ブラジルが首都を移転したのは内陸部の開発を考えてのことだが、パキスタンも同じように北部に新しく首都を建設した。かつてはサイドプルという小都市だったらしいが、そこに「イスラマバード」(イスラムの町)という宗教的色彩のある都市名を付けた。現在は近隣のラワルピンディと結びついた大都市圏を構成している。イスラマバード自体では人口100万ほどで、パキスタンでは11位の都市になるという。
(イスラマバード)
 もっともブラジルとパキスタンは首都移転から60年以上経つので、僕の時代に学校で使った地図もすでに変更済みだった。だから、むしろ「以前の首都」を知らない人の方が多いかもしれない。それに対して、以下の国々は知らない人もいるかもしれない。知らなくても生きていけるけれども、社会科教員なら知っておきたい。身近にいたらクイズに出して見ると面白いかも。

 まずスリランカである。そもそも国名も1978年に変更したもので、以前はセイロン(島の名前)。首都は最大都市コロンボだったが、1985年にスリジャヤワルダナプラコッテに移転された。これは長くて覚えられない首都名として有名。僕は何とか覚えたけど。英語で表記すると「Sri Jayawardenepura Kotte」で、「スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ」となる。意味は「聖なる・勝利をもたらす都市・コッテ」で、もともとのコッテに美称を加えた。しかし、当時の大統領ジャヤワルダナの名前がすっぽり入っていて物議を醸した。コロンボ南東部にあって、都市機能としては同一地域とみなして良い。
(スリジャヤワルダナプラコッテ)
 次にアフリカのナイジェリア。アフリカ最大の人口を持つ国で、かつて1967~70年に悲惨なビアフラ内戦が起きた。その後も軍政とクーデタが頻発し、近年は北部でイスラム過激派の攻撃が問題化している。最大都市のラゴスがかつての首都で、今もそう思っている人が多いのではないか。1991年に中央部のアブジャに首都を移転し、中心部の設計を丹下健三が担当した。人口は100万ほどで、ラゴスは800万ぐらいある。ナイジェリアは巨大国家で、ブラジルと同様に首都を中央部に移すのが移転の目的だろう。
(アブジャ)
 次は中央アジアのカザフスタン。ソ連崩壊後に独立し、地名もカザフ読みに変えた。それまでの首都アルマアタはロシア語で、それをアルトマイに変えた。今も最大都市である。アルトマイは南部にあるので、1997年に北部のアスタナに移転した。アルトマイは地震が起きやすいという理由もあったという。人口118万ほどで第2位。首都機能の設計は黒川紀章が担当した。一時はナザルバエフ前大統領の名前から取った「ヌルスルタン」に変更されたが、ナザルバエフの失脚後に元に戻された。
(アスタナ)
 案外知らないのが、ミャンマーの首都移転。昔は「ビルマ」で、首都は「ラングーン」(現在はヤンゴン)だったが、そのまま覚えている人が多いのではないか。今までの各国と同じように、国土の中心部に近いところに首都を置くということで、2006年にネピドーに移転された。ここも人工首都で、やっと人口が100万を越えたようだが、まだ整備は途中らしい。というか、軍政で行政中心部は一般人立ち入り不可という話もあって、普通の意味の首都とは言えない。下の写真はヤンゴンにあるパゴダを模した建築。
(ネピドー)
 さて、今まではすでに移転した国々だが、次に首都を移転する国がインドネシアである。2024年に移転予定だが、今後どう進むだろうか。これは人口最大のジャワ島から、カリマンタン島東部のヌサンタラに移転予定だが、ここでも国土の中心部に移すという意味がある。インドネシアの政情は必ずしも安定しているとは言えず、今後どうなるかは非常に注目される。
 (ヌサンタラ)
 そもそも「首都」とは何か。首都が最大の経済都市じゃない国はかなり多く、アメリカ合衆国やカナダ、オーストラリアなども、政治的事情で決定された「政治都市」を首都としている。しかし、この3国とも移民国家。ヨーロッパの主要国では歴史的に形成された経済、文化的な中心都市が同時の首都となっていることが多い。日本もその中に入るだろう。

 歴史的に形成された「ロンドン」「パリ」などの首都は移転しにくい。今までの例を見ても、発展途上国が首都を移転することが多い。民主政治が定着していると、あちこちの反対が飛び出してくるので難しい面もあるだろう。日本もかつては「平城京」から「平安京」、そして「東京」へと遷都したが、今後は難しいのかもしれない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« フェルディナント・フォン・... | トップ | ぼくの好きなパスタソースの話 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

 〃 (歴史・地理)」カテゴリの最新記事