尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

浜離宮ー東京の庭園⑦

2019年12月14日 21時10分12秒 | 東京関東散歩
 東京の都立庭園の中で「浜離宮」にはしばらく行ってなかった。ここは隅田川が海に出る辺りで、浅草から隅田川を下る「水上バス」の発着所がある。昔は本当に「ポンポン蒸気」という感じの船で、ノンビリ水辺から東京を楽しめた。下町の定番デートコースで、僕も何回か行った気がする。実はそれ以来で、しばらくぶりで行ってみると、約25ヘクタールという大きさが印象的で風格の大きな庭園だった。今も海水を取り入れ「潮入の池」を楽しめる。国特別名勝特別史跡。正式名称は「浜離宮恩賜庭園」。
   
 浜離宮も芝離宮や小石川後楽園のように、周りをビルで囲まれている。だが園内が広いので圧迫感が少ない。上の写真で見るように、むしろ借景として楽しめるんじゃないだろうか。どうしてそこまで広いのかというと、ここは大名庭園ではあるけれど、もっと格上の「将軍庭園」なのである。1654年に4代将軍家綱の弟で甲府藩主だった徳川綱重が海を埋め立てて作った。綱重の子家宣が6代将軍になったのを契機に将軍家の別邸になったと案内に出ている。それ以来「浜御殿」と呼ばれ、鷹狩り、鴨猟場として使われた。今も正月には鷹を放つ「放鷹術」が行われている。(2、3日)
   
 訪ねた日は静岡旅行の前で、予報では晴れだったのに実際には曇っていた。例年なら紅葉も終わりだが、今年は東京都の「庭園へ行こう」というホームページを見ても、まだ各園の紅葉情報が載っている。ただ浜離宮は場所柄か日当たりが良さそうで、紅葉は盛りを過ぎていた感じだった。「浜御殿」は明治になって皇室所有の「浜離宮」となり、1879年にグラント米国前大統領が訪日した際は浜離宮の延遼館に一ヶ月間滞在し明治天皇が訪れた。浜離宮が「迎賓館」だったのである。延遼館は日本初の洋風石造建築だが、1892年に老朽化で解体された。舛添知事時代に再建計画があったが凍結。
   
 浜離宮は駅で言えば、都営地下鉄大江戸線汐留、築地市場が直近となるが、JRで言えば新橋駅12分。正門に当たる大手門から多分始めて入ったと思うが、これはまるでお城とお堀。さすが将軍の庭だと思う。中へ入ると、かなり広くて池が遠い。基本は池泉回遊式庭園だが広くて歩き甲斐がある。
  
 海辺というか川辺に出るとこんな感じ。4枚目は海水の取水口。
   
 気持ちのいい道を歩く。中が広いから、ところどころ池も川も見ない山の中の小道みたい。
  
 園内にはかつて多くの建物があった。少しずつ再建されていて、「中島のお茶屋」(下1枚目写真の池向こう)では抹茶などを頂けたらしいが、工事中で見られなかった。「松のお茶屋」「燕のお茶屋」「鷹のお茶屋」が再建された。まだ古色がないから風情を感じないけど。その周辺を水辺を中心に。
   
 大手門近く左手に「三百年の松」がある。行く時には逆方向に歩いていて気づかなかった。この松は6代将軍徳川家宣が植えたというから、それが本当なら確かに300年だ。表から見ると大きく広がった感じに見えるんだけど、裏を見てみると遠くに根があってずっと広がっているのに驚いた。
  
 新橋駅から浜離宮に行く途中に「旧新橋停車場 鉄道歴史展示室」がある。日本最初の駅があった場所だ。前に見てるから今回はパス。
  
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