2014年1月に、ちくま学芸文庫から出た王丹「中華人民共和国史十五講」は、解説を含めると694頁もあり、2000円もする分厚い文庫本。でも大学の講義をもとにした判りやすい本だし、「あの」王丹が書いたというだけで、買わないわけにはいかない。そういう風に思う人も少なくなっているかもしれないが、それでも帯に「天安門のリーダーは語る 強く心に響く 敗者たちの透徹した認識の数々」とあるから、未だに王丹の名前で買う人もかなりいるわけだろう。
この本には不足する部分も多いと思うが、自分も一人の歴史上の人物として出てくる1989年の民主化運動と弾圧、つまり「6.4」に至る「天安門事件」の記述は臨場感に満ちている。
王丹(1969~)は、1989年当時北京大学で歴史を学ぶ20歳の学生だった。思いもよらぬ歴史の運命により学生運動のリーダーとなり、事件後に拘束され懲役4年となった。釈放後の95年に再逮捕され、結局98年4月にアメリカに「病気治療」として亡命を認められた。以後、ハーバード大学で歴史を学びながら、中国の民主化運動に関わり、2008年に学位を取った後に台湾の大学に赴任した。2010年に、台湾の国立清華大学で「中華人民共和国史」の講義を行ったのが、この本のもとになった。つまり、この本のベースは、現代の台湾の大学生に向けて語られたものである。ということで、世代的にはもう事件後に生まれた人がほとんどの学生を前に、「もう一つの中華世界」である台湾という場所で語られた。その微妙な位置が、この本を面白くしていると同時に、多少判りにくくしてもいると思う。
まさに「中華人民共和国史」なのであって、1949年の建国から語られているのは、その面白さと判りにくさの代表例である。その結果、「中華人民共和国」の国家としての特徴がよく理解できる。しかし、革命前史、つまり中国共産党の「長征」や抗日戦争中の延安根拠地などは、それ自体としては取り上げられていない。台湾の学生なら一応「常識」に類するかもしれないが、それ以外の国では「なぜ、どのように毛沢東が党内権力を握ったか」を理解していないだろう。つまり、もう毛沢東の中共(中国共産党)が蒋介石の国民党に内戦で勝つという段階から、この本は始まるわけである。
そこで、致し方ないとは思うけど、中国共産党内の抗争が延々と語られることになる。毛沢東と「ナンバー2」の失脚史である。高崗、彭徳懐、劉少奇、林彪、二度失脚する小平…。そして次々と繰り広げられる整風運動の数々。僕も文化大革命だけで考えていてはダメで、50年代末の「反右派運動」から考えていかないといけないとは思っていたが、実は51年の「三反運動」、52年に「五反運動」というのがまずあり、そこから考えていく必要があると示されている。そもそも1949年に成立したのは「中華人民共和国」であり、共産党と民主諸党派の合作であるはずだった。そのため「政治協商会議」という「最高機関」があるはずだったのだが、というか今でも共産党ではない「民主諸党派」があることにはなっているわけだが、もう朝鮮戦争中に発動された「三反」「五反」により、共産党以外の人士は疎外されていくわけである。
当初は「新民主主義」の段階を数十年経過するとされていたが、毛沢東は急速に社会主義化を進めた。50年代末の「大躍進」政策の中で、60年前後の中国は深刻な飢餓を招いた。4000万人が餓死したとされる中国史上最悪の飢餓が、土地革命を実現したはずの中華人民共和国でなぜ起こったのか。その恐るべき実態は本書などに詳しく書かれているので詳細は略す。中国の不思議なところは、「右派」や「走資派」は何割いるなどと数字で指示が降りてくることで、だから各職場で「悪質な右派」を2割などと割り振りを決めなくてはならないのである。当然「冤罪だらけ」となる。「大躍進」においては、その反対に「過大な成果」報告運動になっていったので、中央はその過大報告に基づき農産物供出を求めてくるから、農村では飢餓状況になるのである。
ところで、このような状況を的確に把握し、毛沢東に恐れることなく実情を報告する勇気ある剛直の士は、彭徳懐しかいなかったというべきだろう。毛沢東がタテマエで言うことを信じたふりをし、いったん毛沢東が支持を出すと、頭を下げて従ったふりをするのが、共産党幹部の習い性となっていた。劉少奇や周恩来も、大きな責任を負っているのである。また、林彪に対する鋭い見方も印象的である。林彪は今まで個人的野心で動き、自ら破滅を招いた愚なる人物と見なされがちだった。しかし、林彪が毛沢東に取り入りナンバー2になっていくのも、毛沢東という人物の特徴をよくつかみ、理解していたということである。そして、だからこそ後継者の地位を固めるべく、はっきりとした国家的地位を求めて毛沢東に退けられる運命にあったのである。林彪の毛沢東理解は極めてリアルなものだったのである。毛沢東死後に後継を任されることになるのは、華国鋒というほとんど実績のない人物だった。
小平は文革で一度失脚したが、党籍は残されたため、周恩来の病気と共に奇跡的な復活をする。しかし、周死後の「4・5天安門事件」で再び失脚し、毛沢東死後に再度復活する。それほどの経験をしながらも、小平は「反右派運動」を過ちとは認めず、一党独裁、軍事支配を貫徹する。「経済開放」を進めながらも、党の独裁は続き、ソ連のようなペレストロイカは起きなかった。文革でひとつの世代が失われたが、文革以後には精神的解放の時期がやってくる。胡耀邦、趙紫陽の時代に、小平がいたがために政治改革には至らなかった。そこで「89年」が起こり、もう25年にもなる。
この本の記述は、「共産党抗争史」に偏り過ぎているというべきだろう。文化大革命についてはまとまった本も多く、この本に語られていることは大体知っていたことが多い。日本の戦後史を語るとして、「自民党戦国史」で語れる時代は70年代の「三角大福」時代の頃までだろう。その後は政治の持つ意味自体が小さくなり、単に政権党を語るだけでは、日本を語ることにならない。でも中国では、「政治」の持つ意味が今でも大きく、政治的自由もないので、政権党である中国共産党内の権力構造の分析に偏るのである。それは仕方ないと思うけど、チベットやウィグルなど少数民族にとっての「中華人民共和国史」がないのは、この本の一番大きな欠落ではないか。独立(インディペンデント)のドキュメンタリー映画運動などの紹介は興味深い。でも、あまりに少数の文化運動というべきで、今後の見通しは不透明である。でも、89年の場合も「歴史の必然」だけではなく、「歴史の偶然」(胡耀邦の憤死と民衆の追悼運動)が運動を起こした。今後も「歴史の偶然」がどこでどう働くかは、目を凝らして見つめていく必要があるだろう。
この本には不足する部分も多いと思うが、自分も一人の歴史上の人物として出てくる1989年の民主化運動と弾圧、つまり「6.4」に至る「天安門事件」の記述は臨場感に満ちている。
王丹(1969~)は、1989年当時北京大学で歴史を学ぶ20歳の学生だった。思いもよらぬ歴史の運命により学生運動のリーダーとなり、事件後に拘束され懲役4年となった。釈放後の95年に再逮捕され、結局98年4月にアメリカに「病気治療」として亡命を認められた。以後、ハーバード大学で歴史を学びながら、中国の民主化運動に関わり、2008年に学位を取った後に台湾の大学に赴任した。2010年に、台湾の国立清華大学で「中華人民共和国史」の講義を行ったのが、この本のもとになった。つまり、この本のベースは、現代の台湾の大学生に向けて語られたものである。ということで、世代的にはもう事件後に生まれた人がほとんどの学生を前に、「もう一つの中華世界」である台湾という場所で語られた。その微妙な位置が、この本を面白くしていると同時に、多少判りにくくしてもいると思う。
まさに「中華人民共和国史」なのであって、1949年の建国から語られているのは、その面白さと判りにくさの代表例である。その結果、「中華人民共和国」の国家としての特徴がよく理解できる。しかし、革命前史、つまり中国共産党の「長征」や抗日戦争中の延安根拠地などは、それ自体としては取り上げられていない。台湾の学生なら一応「常識」に類するかもしれないが、それ以外の国では「なぜ、どのように毛沢東が党内権力を握ったか」を理解していないだろう。つまり、もう毛沢東の中共(中国共産党)が蒋介石の国民党に内戦で勝つという段階から、この本は始まるわけである。
そこで、致し方ないとは思うけど、中国共産党内の抗争が延々と語られることになる。毛沢東と「ナンバー2」の失脚史である。高崗、彭徳懐、劉少奇、林彪、二度失脚する小平…。そして次々と繰り広げられる整風運動の数々。僕も文化大革命だけで考えていてはダメで、50年代末の「反右派運動」から考えていかないといけないとは思っていたが、実は51年の「三反運動」、52年に「五反運動」というのがまずあり、そこから考えていく必要があると示されている。そもそも1949年に成立したのは「中華人民共和国」であり、共産党と民主諸党派の合作であるはずだった。そのため「政治協商会議」という「最高機関」があるはずだったのだが、というか今でも共産党ではない「民主諸党派」があることにはなっているわけだが、もう朝鮮戦争中に発動された「三反」「五反」により、共産党以外の人士は疎外されていくわけである。
当初は「新民主主義」の段階を数十年経過するとされていたが、毛沢東は急速に社会主義化を進めた。50年代末の「大躍進」政策の中で、60年前後の中国は深刻な飢餓を招いた。4000万人が餓死したとされる中国史上最悪の飢餓が、土地革命を実現したはずの中華人民共和国でなぜ起こったのか。その恐るべき実態は本書などに詳しく書かれているので詳細は略す。中国の不思議なところは、「右派」や「走資派」は何割いるなどと数字で指示が降りてくることで、だから各職場で「悪質な右派」を2割などと割り振りを決めなくてはならないのである。当然「冤罪だらけ」となる。「大躍進」においては、その反対に「過大な成果」報告運動になっていったので、中央はその過大報告に基づき農産物供出を求めてくるから、農村では飢餓状況になるのである。
ところで、このような状況を的確に把握し、毛沢東に恐れることなく実情を報告する勇気ある剛直の士は、彭徳懐しかいなかったというべきだろう。毛沢東がタテマエで言うことを信じたふりをし、いったん毛沢東が支持を出すと、頭を下げて従ったふりをするのが、共産党幹部の習い性となっていた。劉少奇や周恩来も、大きな責任を負っているのである。また、林彪に対する鋭い見方も印象的である。林彪は今まで個人的野心で動き、自ら破滅を招いた愚なる人物と見なされがちだった。しかし、林彪が毛沢東に取り入りナンバー2になっていくのも、毛沢東という人物の特徴をよくつかみ、理解していたということである。そして、だからこそ後継者の地位を固めるべく、はっきりとした国家的地位を求めて毛沢東に退けられる運命にあったのである。林彪の毛沢東理解は極めてリアルなものだったのである。毛沢東死後に後継を任されることになるのは、華国鋒というほとんど実績のない人物だった。
小平は文革で一度失脚したが、党籍は残されたため、周恩来の病気と共に奇跡的な復活をする。しかし、周死後の「4・5天安門事件」で再び失脚し、毛沢東死後に再度復活する。それほどの経験をしながらも、小平は「反右派運動」を過ちとは認めず、一党独裁、軍事支配を貫徹する。「経済開放」を進めながらも、党の独裁は続き、ソ連のようなペレストロイカは起きなかった。文革でひとつの世代が失われたが、文革以後には精神的解放の時期がやってくる。胡耀邦、趙紫陽の時代に、小平がいたがために政治改革には至らなかった。そこで「89年」が起こり、もう25年にもなる。
この本の記述は、「共産党抗争史」に偏り過ぎているというべきだろう。文化大革命についてはまとまった本も多く、この本に語られていることは大体知っていたことが多い。日本の戦後史を語るとして、「自民党戦国史」で語れる時代は70年代の「三角大福」時代の頃までだろう。その後は政治の持つ意味自体が小さくなり、単に政権党を語るだけでは、日本を語ることにならない。でも中国では、「政治」の持つ意味が今でも大きく、政治的自由もないので、政権党である中国共産党内の権力構造の分析に偏るのである。それは仕方ないと思うけど、チベットやウィグルなど少数民族にとっての「中華人民共和国史」がないのは、この本の一番大きな欠落ではないか。独立(インディペンデント)のドキュメンタリー映画運動などの紹介は興味深い。でも、あまりに少数の文化運動というべきで、今後の見通しは不透明である。でも、89年の場合も「歴史の必然」だけではなく、「歴史の偶然」(胡耀邦の憤死と民衆の追悼運動)が運動を起こした。今後も「歴史の偶然」がどこでどう働くかは、目を凝らして見つめていく必要があるだろう。
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