世の中には「夫婦別姓」を認めると、最終的に「戸籍制度」が廃止されて「共産主義」になるかのように言ってる人がいる。いや、ウソじゃなくて本当にいるらしいから驚きだ。じゃあ、そのような「極右」勢力は何故「マイナンバー制度」に大反対しないのだろうか。僕には全く不可解である。
世界では「戸籍制度」がある国はほとんどないのが実態である。「戸籍」がないと困るだろうと思うかもしれない。だが、それでやっていけているんだから、工夫すれば何とでもなる。調べてみると、欧米の主要国は「個人番号」を使っているのである。(そして、写真付きの個人番号カードなどほぼない。)個人番号とは、「国家が国民を個人として認識する」ということだ。「戸籍」というのは、「国家が国民を家族の集合体として認識する」ということである。両者は反対概念で、だから「マイナンバー」を導入した以上、戸籍をなくすのが正しい方向のはずだ。
実際にそういう主張をしている人が存在する。カードをどうするかの問題と別に、すべての国民に識別番号を付けているのだから、家族戸籍は要らないはずなのである。もちろん「住民登録」(または「外国人登録」)は必要だ。国民として選挙権を行使したり、教育や福祉などの住民サービスを受けるためには、居住自治体に登録する必要がある。問題は「家族関係」をどう確認するかである。だが、現実にいま児童手当を新たに申請するときに戸籍謄本は要らないようだ。「住民票」で事足りるのである。(子ども自らは申請できないので、同居する親が申請するわけだから当然だろう。)
世界では東アジアの数カ国にしか戸籍制度(のようなもの)はないらしい。日本以外では、中国や台湾には似たようなものがある。韓国にもあったが、2007年末で廃止された。廃止された理由は、憲法裁判所で「両性の平等を定めた憲法に違反する」という判決があったかららしい。戸籍の代わりに「家族関係登録」が新たに作られた。日本の「戸籍」は戦前には「戸主」のもとにすべての家族が登録されていた。戦後はそのような家族制度はなくなったが、それでも誰か「戸籍筆頭者」が必要だ。また親が結婚していない子どもは「子」と記載されるなど、現行の日本の戸籍制度も「法の下の平等」に反しているのではないか。
どうして東アジアに「戸籍」があるかというと、もともと上記画像のように古代中国で始まったからである。前漢王朝頃から作られたらしい。これは人民把握を「共同体単位」ではなく「戸」(家族)単位で行うわけで、一定の歴史発展を反映したものだろう。もちろん徴税や徴兵などを行いやすくするための制度である。日本でも同じような目的で、古代王朝で作られ始めたが、日本の現実を反映したものではなかった。律令制度のタテマエで作られたという性格があり、やがて絶えてしまった。それが近代になって、再び徴税、徴兵のため戸籍が作られたのである。
僕は戸籍は不要だと思う。先に述べたような「両性の平等」という観点もあるが、それ以上に現実に不便なのである。子どもが生まれたときは、親の戸籍に入る。親も誰かの子どもだから、生まれた時は祖父(または祖母)の戸籍に入っていたわけだ。それの繰り返しで、結婚した時点で親の戸籍から除籍されるが、同じ住所に新戸籍が作られる。この間、同じ住所に何代も住み続けている家族などいないだろう。特に60年代以後の高度成長で、日本では農村から都市へ大きな人口移動が起こった。でも住民票は移しても、戸籍はそのままという人が多いだろう。その結果、全然住んだことがない自治体に戸籍がある人も多いだろう。
人口減の中で、住民でもない人間の戸籍を管理する自治体も大変だ。いざという時、取る方も大変である。高齢化が進み、子ども世代からすれば、親の親にさかのぼるが、祖父母になると名前もよく知らないかもしれない。未婚や子どもがいない場合も多いし、子どもがいても海外に住んでいるケースもこれから増えてくるに違いない。それ以上に、親が100歳まで生きていたりすると子どもが先に亡くなる場合も多くなる。長寿でめでたいとばかりは言えなくなってくる現代である。「相続」のための事務手続きを可能な限り簡単にしておく必要があるのである。もう一回実践編を書きたい。
世界では「戸籍制度」がある国はほとんどないのが実態である。「戸籍」がないと困るだろうと思うかもしれない。だが、それでやっていけているんだから、工夫すれば何とでもなる。調べてみると、欧米の主要国は「個人番号」を使っているのである。(そして、写真付きの個人番号カードなどほぼない。)個人番号とは、「国家が国民を個人として認識する」ということだ。「戸籍」というのは、「国家が国民を家族の集合体として認識する」ということである。両者は反対概念で、だから「マイナンバー」を導入した以上、戸籍をなくすのが正しい方向のはずだ。
実際にそういう主張をしている人が存在する。カードをどうするかの問題と別に、すべての国民に識別番号を付けているのだから、家族戸籍は要らないはずなのである。もちろん「住民登録」(または「外国人登録」)は必要だ。国民として選挙権を行使したり、教育や福祉などの住民サービスを受けるためには、居住自治体に登録する必要がある。問題は「家族関係」をどう確認するかである。だが、現実にいま児童手当を新たに申請するときに戸籍謄本は要らないようだ。「住民票」で事足りるのである。(子ども自らは申請できないので、同居する親が申請するわけだから当然だろう。)
世界では東アジアの数カ国にしか戸籍制度(のようなもの)はないらしい。日本以外では、中国や台湾には似たようなものがある。韓国にもあったが、2007年末で廃止された。廃止された理由は、憲法裁判所で「両性の平等を定めた憲法に違反する」という判決があったかららしい。戸籍の代わりに「家族関係登録」が新たに作られた。日本の「戸籍」は戦前には「戸主」のもとにすべての家族が登録されていた。戦後はそのような家族制度はなくなったが、それでも誰か「戸籍筆頭者」が必要だ。また親が結婚していない子どもは「子」と記載されるなど、現行の日本の戸籍制度も「法の下の平等」に反しているのではないか。
どうして東アジアに「戸籍」があるかというと、もともと上記画像のように古代中国で始まったからである。前漢王朝頃から作られたらしい。これは人民把握を「共同体単位」ではなく「戸」(家族)単位で行うわけで、一定の歴史発展を反映したものだろう。もちろん徴税や徴兵などを行いやすくするための制度である。日本でも同じような目的で、古代王朝で作られ始めたが、日本の現実を反映したものではなかった。律令制度のタテマエで作られたという性格があり、やがて絶えてしまった。それが近代になって、再び徴税、徴兵のため戸籍が作られたのである。
僕は戸籍は不要だと思う。先に述べたような「両性の平等」という観点もあるが、それ以上に現実に不便なのである。子どもが生まれたときは、親の戸籍に入る。親も誰かの子どもだから、生まれた時は祖父(または祖母)の戸籍に入っていたわけだ。それの繰り返しで、結婚した時点で親の戸籍から除籍されるが、同じ住所に新戸籍が作られる。この間、同じ住所に何代も住み続けている家族などいないだろう。特に60年代以後の高度成長で、日本では農村から都市へ大きな人口移動が起こった。でも住民票は移しても、戸籍はそのままという人が多いだろう。その結果、全然住んだことがない自治体に戸籍がある人も多いだろう。
人口減の中で、住民でもない人間の戸籍を管理する自治体も大変だ。いざという時、取る方も大変である。高齢化が進み、子ども世代からすれば、親の親にさかのぼるが、祖父母になると名前もよく知らないかもしれない。未婚や子どもがいない場合も多いし、子どもがいても海外に住んでいるケースもこれから増えてくるに違いない。それ以上に、親が100歳まで生きていたりすると子どもが先に亡くなる場合も多くなる。長寿でめでたいとばかりは言えなくなってくる現代である。「相続」のための事務手続きを可能な限り簡単にしておく必要があるのである。もう一回実践編を書きたい。
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