尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

オリヴィアとジョーン、東京生まれの女優姉妹①

2021年02月16日 23時29分47秒 |  〃  (旧作外国映画)
 最近は昔の映画を見ることが多かった。特にシネマヴェーラ渋谷でやっている「オリヴィア・デ・ハヴィランド追悼 女優姉妹の愛と相克」をかなり見たので簡単にまとめ。オリヴィア・デ・ハヴィランドは2020年7月26日に亡くなった。なんと104歳である。妹のジョーン・フォンテインも有名な女優で、2013年に96歳で亡くなった。現在までともにアカデミー賞主演女優賞を受賞したただ一組の姉妹である。親子で違う部門の賞を取ったケースはあるが、姉妹では二度とないのではないか。そして、この二人は共に東京で生まれたのである。

 何で二人が東京で生まれたかといえば、父親のイギリス人、ウォルター・オーガスタス・デ・ハヴィランド(1872~1968)が日本に働きに来ていたからだ。特に専門技術や宗教的情熱があったのではなく、先に日本に来ていた兄を追ってきたらしい。そして函館や金沢で英語を教えた後で、東京高等師範学校の教師になり、1906年に退職して特許事務所を開いた。東京で早稲田大学教授アーネスト・ルースの妹リリアンと出会い、一度はプロポーズを断わられたが、第一次大戦が勃発して帰国したウォルターは母国で再度プロポーズした。年齢はすでに42歳だった。
(「風と共に去りぬ」のオリヴィア・デ・ハヴィビランド)
 ニューヨークで結婚して東京に戻り、1916年にオリヴィア、翌年にジョーンが生まれた。「デ・ハヴィランド」(de Havilland)とは珍しい名前だが、もともとは英仏海峡のチャネル諸島ガーンジー島の貴族で、ノルマン王朝のイングランド征服に従った一族だという。ウォルターは日本では函館や東京などでサッカーを教えたことで、黎明期の日本サッカー史に名前を残している。
 
 父親は囲碁を紹介する本も書いているように、趣味人タイプだったようだ。子どもが病弱で帰国する途中で夫婦関係が破綻して、ウォルターだけが女中と日本に戻った。「ゲイシャガール」を持ちたかったらしく、帰国後にその女中と再婚した。戦時中に日本人の妻とカナダに移住し、妻の死後に三度目の結婚をして96歳で亡くなった。姉妹とも長命だったのは父の体質だろうか。それほど有名な人ではないが、ウィキペディアに載っていて以上の情報はそれによっている。

 イギリスに帰る途中で子どもたちが病気になって、母と姉妹はカリフォルニアに止まった。リリアンはロンドンの王立演劇学校を出た舞台女優で、子どもたちにシェークスピアを読み聞かせたりした。その後母は再婚し、その相手の姓がフォンテイン。二人は姉妹仲が悪かったことで有名で、別の姓を名乗ることになった。オリヴィアは高校演劇で評価されワーナーと契約しアクション映画やコメディに出演した。そして1939年の「風と共に去りぬ」でスカーレット・オハラの友人メラニー役が一躍評価されてアカデミー賞助演女優賞にノミネートされた。同じく女優になっていたジョーンはスカーレット役を狙っていてヴィヴィアン・リーに敗れた。

 オリヴィアは正統的な美女で、ちょっとマジメなために婚期に遅れそうといった役柄が多い。「国境の南」(1941、Hold Back the Dawn、日本未公開)ではアカデミー賞主演女優賞にノミネートされたが、なんと受賞したのはヒッチコック「断崖」に出ていた妹のジョーン・フォンテインだった。「国境の南、太陽の西」という村上春樹の長編があるが、その「国境の南」は1939年の「South of the Border」 という歌である。同名の映画のテーマだと言うが、今回の映画ではない。
(「国境の南」)
 大戦中に米国入国を待つ人々がメキシコ国境の町に溜まっている。ジゴロのシャルル・ボワイエは米国人と結婚すれば早く入国できると知って、子どもたちの遠足で来た小学校教師オリヴィアに目を付ける。帰れないように車に工作し、翌朝には結婚に持ち込んでしまう。しかし、ヨーロッパで一緒に組んで詐欺を働いていた女が仕組みをバラしてしまう。そんな中でアメリカの捜査官が迫ってくるのだが。婚期に遅れて大学院に行こうかと思っていた女性教師が一途な恋に目覚めてしまった切ないメロドラマ。貴重な映画だが、やはり当時のハリウッド的な結末になっている。

 名監督ジョン・ヒューストンの第2作「追憶の女」(1942)では妹のベティ・デイヴィスが夫と駆け落ちして、やがて行き詰まった夫は自殺する。残されたオリヴィアはベティの婚約者だった男性と次第に心を通わせるようになっていくが、そこにベティが戻ってきて…。名優ベティ・デイヴィスが暴走するドロドロの不倫ドラマを落ち着いたオリヴィアの演技が救う。
(「追憶の女」、ベティ・デイヴィスと)
 「暗い鏡」(1946、ロバート・シオドマク監督)はオリヴィアが双子の姉妹を一人二役で演じるミステリー。殺人事件が起き、目撃証人もいるが、逮捕しようと思うと全く顔かたちが同じ姉妹だったことが判明する。これではアリバイも証明しようがなく、捜査は迷走するが…。正反対の姉妹をオリヴィアが演じ分け、しかも同じシーンで一緒に写っている撮影には驚き。光と影が印象的なモノクロのノワール映画で、いかにも昔のハリウッド映画の醍醐味。

 「蛇の穴」(1948、アナトール・リトヴァク監督)も凄い。幼い頃からのトラウマで心を病んだオリヴィアは精神病院に入れられる。当時のことで治療には「電気ショック」という恐怖の連続で、そこを精神分析で救おうという医師が奮闘するが、果たして治癒するのか。恐るべき精神病院というのは、昔の映画には時々出て来るが、この映画は最高レベル。オリヴィア・デ・ハヴィランドの演技は見事で、アカデミー主演女優賞にノミネートされた他、ニューヨーク映画協会主演女優賞やヴェネツィア映画祭女優賞など多くの演技賞を受賞した。
(「蛇の穴」の電気ショック)
 オリヴィア・デ・ハヴィランドがアカデミー賞主演女優賞を獲得したのは「遙かなる我が子」(1946)と「女相続人」(1949)だった。「遙かなる我が子」は監督のミッチェル・ライゼン(「国境の南」と同じ)と共に今は忘れられたような映画で、今回も上映がなかったので全然判らない。「女相続人」はヘンリー・ジェイムズ原作の舞台化が基になった究極の文芸心理ドラマ。ここでも「オールドミス」の資産家の娘の恋を演じている。名匠ウィリアム・ワイラー監督の本格ドラマだが、昔リバイバルされたときに見ているので今回はパスした。

 他に「いちごブロンド」(1941)と「謎の佳人レイチェル」(1952)を見た。後者は「逆レベッカ」という感じで、年上のオリヴィアにいかれてしまう青年を若き日のリチャード・バートンが演じてアカデミー助演男優賞にノミネートされた。オリヴィアは珍しく謎めいた悪役的演技。父親が長くなってしまって、妹のジョーン・フォンテインを書くのが大変になった。オリヴィアにもまだ書くことがあるんだけど、一端切ってもう一回書きたい。
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