埼玉県の奥の方、国民宿舎両神に一泊旅行。安いプランがあったからだけど、埼玉は行ってないところが多く、長瀞のロウバイも咲き始めているし、ちょっと歩きたいなと思った。朝遅くなってしまい、関越道で事故渋滞もあって、一日目はほとんど行っただけ。でも、たどりついた国民宿舎の両神温泉はとても良かった。アルカリ性の「美人の湯」で、ツルツルの肌になる湯。埼玉には珍しく、露天は掛け流し。大浴場も循環とはいえ塩素臭はなく、入るとあふれるほどの湯が出ている。大きさも広めでいい。食事も満足で、今はご飯とサラダがバイキングという宿が多いが、ここもそれ。基本の鍋なんかも美味しくて、ご飯2種の他に蕎麦やおでんなんかもある。部屋もきれいで、入湯税込8000円。まあ、それはお年玉プランで、もう終わりだけど。自治体が経営している公共の宿は安いけど満足できないというのは昔の話で、今は大変充実している。
近くの山に福寿草やロウバイが咲くところがあるが、一日目に駐車場まで行ったが、けっこう歩くのと寒くて咲いてない感じだったので、今回はパス。氷柱なんかも売りにしてるけど、寒いから止める。8日は風が強く寒い日だった。長瀞に行き、宝登山神社にまず行く。ここはミシュランで埼玉初の一つ星を得たというところ。「ほどさん」はヤマトタケル伝説で「火止山」なんだという。宝に登ると書いて、今はロープウェイもあってにぎやかな観光地。神社は東照宮を小さくまとめたような趣で、きれいにいろいろあるので確かに外国人受けしそうだ。まとまってる感じは悪くない。
最初は宝登山に登る気もあったけど、雪の影響が残ってるのと風が強いので、登りはロープウェイで行き、下りだけ歩くことにする。これは正解で、雪が解けた道が続き、登山靴をはいて行ったけどものすごく汚れてしまった。ロウバイ園は二つあり、東は一分咲きだけど、西園は五分咲き。香りも高い花なので、気持ちいい。少し行くと頂上で、その先に奥宮。ここの狛犬はどう見てもオオカミ。秩父はオオカミの伝説が残るところだけど、そういう影響かな。後は延々と寒い道を下る。まあ多少寒くても歩く方がいいとも思うけど、温泉効果が飛んでしまった感も。
長瀞は東京では有名な観光地で、遠足なんかでもよく行くところだが、個人的にも仕事でも一度も行ったことがなかった。これは珍しいかもしれない。宝登山から下りてきて駅に行く途中に、「旧新井家住宅」がある。郷土資料館についている。重要文化財に指定されている江戸時代中期の民家である。郷土資料館みたいなところはよく行くけど、ここは200円だから寄ってみることをおススメする。この「新井家住宅」の屋根が面白いのである。石がたくさん乗っている。これは栗の木の板を張りつめた屋根の重石なのである。この一風変わった屋根は一見の価値がある。
長瀞は荒川の流れが静かになったところ(それを瀞(とろ)というらしい)ということで、岩が川辺に広がっている岩畳が名所となる。知識としては知ってたけど、行くのは初めて。
埼玉では秩父の方が観光地だけど、大きな温泉がない。越生の梅林や黒山三滝、高麗のあたりなど有名なハイキングの名所にはけっこう行ってるけど、近すぎて日帰りになってしまう。学生時代に秩父の夜祭を皆で見に行った時も夜遅く帰ってきた。日本百名山の両神山に登った時に、今は泊れない両神山荘に泊ったのと、旧石器研究者「ゴッドハンド」F某にダマされて「秩父原人」の現地報告会に行ったときに温泉に前泊した位である。この旧石器ねつ造事件は、日本の考古学、歴史学に深い傷を残したが、僕もまさかそういうことをする研究者がいるとは思わず、すっかり信じ込んでしまった。まあ、新聞もテレビもトップで「秩父で50万年前の旧石器発見」とうたっていたので、僕が信じるのも当たり前と言えば当たり前だが。秩父と言えば、他に明治の秩父事件がある。僕も学生時代には結構読んでいたのだが、今は細かい部分は忘れている。今回宿に行く途中に、秩父事件を描いた映画「草の乱」で使われた井上伝蔵の家(の復元セット)があった。資料館にもなっていたけど、遅かったので見なかった。僕は自分の家に近い足尾鉱毒事件の場所はずいぶん行っているけど、秩父事件の現地調査はしたことがない。もう一回ちゃんと行ってみたい。
もう一つ、数年前に「日本百名城」が選ばれているのだが、埼玉では最近小説、映画で有名になった忍城(=おし城=「のぼうの城」)ではなく、川越城と鉢形城が選ばれている。この「鉢形城」はほとんどの人が知らないか、知っててもまだ行ってないのではないか。ここは関東によくあるけど、「江戸時代にはない城」である。大体日本の城は天守閣が有名で、なかった天守を「再建」してしまうところもあるくらいである。それは支配者として領主が安定的な支配を確立した時代の話で、本当の戦国時代には天守はない。実際に戦っていたわけだし、山城が多いのは当然。関東では、後北条氏の支配する城がたくさんあり、それは秀吉に滅ぼされ、家康に棄てられ、棄てられなかった所は幕末に薩長軍に攻められという歴史をたどる。鉢形城も後北条氏の重要な城で、とにかく大きいが、遺構以外はほとんどない。埼玉県寄居町で、関越道を花園インターで降りて10分程度。今は歴史館が立っている。そこを拠点に歩くといいんだけど、昔の城の範囲に線路が通っているくらい。でも「100名城」の一つなんだから、是非一度は行くといいです。もっとも、今回は何しろ風が寒くて、僕も城跡を歩く気にならなかった。それも今後の課題。
近くの山に福寿草やロウバイが咲くところがあるが、一日目に駐車場まで行ったが、けっこう歩くのと寒くて咲いてない感じだったので、今回はパス。氷柱なんかも売りにしてるけど、寒いから止める。8日は風が強く寒い日だった。長瀞に行き、宝登山神社にまず行く。ここはミシュランで埼玉初の一つ星を得たというところ。「ほどさん」はヤマトタケル伝説で「火止山」なんだという。宝に登ると書いて、今はロープウェイもあってにぎやかな観光地。神社は東照宮を小さくまとめたような趣で、きれいにいろいろあるので確かに外国人受けしそうだ。まとまってる感じは悪くない。
最初は宝登山に登る気もあったけど、雪の影響が残ってるのと風が強いので、登りはロープウェイで行き、下りだけ歩くことにする。これは正解で、雪が解けた道が続き、登山靴をはいて行ったけどものすごく汚れてしまった。ロウバイ園は二つあり、東は一分咲きだけど、西園は五分咲き。香りも高い花なので、気持ちいい。少し行くと頂上で、その先に奥宮。ここの狛犬はどう見てもオオカミ。秩父はオオカミの伝説が残るところだけど、そういう影響かな。後は延々と寒い道を下る。まあ多少寒くても歩く方がいいとも思うけど、温泉効果が飛んでしまった感も。
長瀞は東京では有名な観光地で、遠足なんかでもよく行くところだが、個人的にも仕事でも一度も行ったことがなかった。これは珍しいかもしれない。宝登山から下りてきて駅に行く途中に、「旧新井家住宅」がある。郷土資料館についている。重要文化財に指定されている江戸時代中期の民家である。郷土資料館みたいなところはよく行くけど、ここは200円だから寄ってみることをおススメする。この「新井家住宅」の屋根が面白いのである。石がたくさん乗っている。これは栗の木の板を張りつめた屋根の重石なのである。この一風変わった屋根は一見の価値がある。
長瀞は荒川の流れが静かになったところ(それを瀞(とろ)というらしい)ということで、岩が川辺に広がっている岩畳が名所となる。知識としては知ってたけど、行くのは初めて。
埼玉では秩父の方が観光地だけど、大きな温泉がない。越生の梅林や黒山三滝、高麗のあたりなど有名なハイキングの名所にはけっこう行ってるけど、近すぎて日帰りになってしまう。学生時代に秩父の夜祭を皆で見に行った時も夜遅く帰ってきた。日本百名山の両神山に登った時に、今は泊れない両神山荘に泊ったのと、旧石器研究者「ゴッドハンド」F某にダマされて「秩父原人」の現地報告会に行ったときに温泉に前泊した位である。この旧石器ねつ造事件は、日本の考古学、歴史学に深い傷を残したが、僕もまさかそういうことをする研究者がいるとは思わず、すっかり信じ込んでしまった。まあ、新聞もテレビもトップで「秩父で50万年前の旧石器発見」とうたっていたので、僕が信じるのも当たり前と言えば当たり前だが。秩父と言えば、他に明治の秩父事件がある。僕も学生時代には結構読んでいたのだが、今は細かい部分は忘れている。今回宿に行く途中に、秩父事件を描いた映画「草の乱」で使われた井上伝蔵の家(の復元セット)があった。資料館にもなっていたけど、遅かったので見なかった。僕は自分の家に近い足尾鉱毒事件の場所はずいぶん行っているけど、秩父事件の現地調査はしたことがない。もう一回ちゃんと行ってみたい。
もう一つ、数年前に「日本百名城」が選ばれているのだが、埼玉では最近小説、映画で有名になった忍城(=おし城=「のぼうの城」)ではなく、川越城と鉢形城が選ばれている。この「鉢形城」はほとんどの人が知らないか、知っててもまだ行ってないのではないか。ここは関東によくあるけど、「江戸時代にはない城」である。大体日本の城は天守閣が有名で、なかった天守を「再建」してしまうところもあるくらいである。それは支配者として領主が安定的な支配を確立した時代の話で、本当の戦国時代には天守はない。実際に戦っていたわけだし、山城が多いのは当然。関東では、後北条氏の支配する城がたくさんあり、それは秀吉に滅ぼされ、家康に棄てられ、棄てられなかった所は幕末に薩長軍に攻められという歴史をたどる。鉢形城も後北条氏の重要な城で、とにかく大きいが、遺構以外はほとんどない。埼玉県寄居町で、関越道を花園インターで降りて10分程度。今は歴史館が立っている。そこを拠点に歩くといいんだけど、昔の城の範囲に線路が通っているくらい。でも「100名城」の一つなんだから、是非一度は行くといいです。もっとも、今回は何しろ風が寒くて、僕も城跡を歩く気にならなかった。それも今後の課題。
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