神保町シアターの「日活100年の青春」特集で、「八月の濡れた砂」(1971、藤田敏八監督)を何十年ぶりかで見た。この映画は「日活最後の青春映画」である。日活ロマンポルノが事実上日活青春映画を受け継いだけど、プログラム・ピクチャーとして連綿と作られてきた日活青春映画は、この映画(と蔵原惟二監督の「不良少女魔子」)で終わる。経営が悪化していた大映と共同で作っていた「ダイニチ映配」配給で、映画の冒頭に「ダイニチ」のロゴが出る。何度か見てるはずだが、全く記憶にない。
この映画は70年代には大学などでよく自主上映されていた。銀座にあった名画座の並木座でもよくやっていた。TBSラジオの深夜放送、「パック・イン・ミュージック」の林美雄アナがこの映画を推奨しまくり、石川セリの主題歌もよく掛けていた。石川セリはこの番組で井上陽水と出会った。僕は高校生の時に銀座並木座で見たと思う。並木座は、僕が黒澤や小津や成瀬を初めて見た場所である。「八月の濡れた砂」を見に行ったときに、「今日は石川セリさんの挨拶と歌があります」という回にぶつかったこともあった。70年代の伝説的な青春映画として、3回か4回は見ている。
最近は劇場でやる機会がないので、見たのは何十年ぶり。この映画の生命力が今も残っているかどうか心配である。今ではPC的に問題ありのマッチョ映画ではないかと心配して見た。主役の二人、広瀬昌助とテレサ野田の幼い技量不足は感じるものの、その稚拙さは稚拙な青春の象徴にも見える。「ヨットとバイク(車)とお嬢様」という日活アクションの基本構造に則った優れた青春ドラマになっていた。全シーン太陽がまぶしいような記憶があったが、もちろんそんなことはない。夜のバーのシーンもあるから当然なんだけど、朝霧が立ち込めるようなシーン、雨の降るシーンなんかも結構多かった。湘南の夏の陽光しか出てこないドラマではなかった。やはり映画は「光と影」で、暗い夜の陰謀があってこそ、初めて陽光の下での反逆が意味を持つわけである。
この映画が「レイプをめぐる暴力のドラマ」である意味は、今では伝わりにくいかもしれない。71年当時は、言語に対する肉体の復権が叫ばれていた。その文脈で「性の解放」も唱えられていたけど、日常の中ではまだまだ性はオープンではなかった。「純潔」は意味は持たなくなり、「処女性」への男のこだわりも少なくなりつつあったが、現実の生活の中で性が解放されていたわけではなかった。日活青春映画では、当然「性と暴力」が大きな意味を持っていたが、女は愛を語るが性的な描写は少ない。60年代末期の「日活ニューアクション」でも、暴力による反逆は描かれるが直接の性描写は少ない。この映画でも直接のレイプシーンはない。男と女が「暴力」を介して出会うという象徴として、「レイプされた美少女」をめぐるドラマが進行するのである。
主要な登場人物は4人。主人公の高校生西本清(広瀬昌助)と校長をなぐって退学した同級生の友人野上健一郎。野上は村野武範で、唯一その後も俳優として活躍している。性体験もあるようで、年は同じながら退学して一段大人という扱いである。冒頭はこの野上が高校の校庭に現れ、サッカーボールを蹴るシーン。そのボールがガラスにあたって割れる。そうなんだ、あの頃は学校のガラスがよく割れた。今ではサッカーや野球の球が当たった位では割れないガラスになっているが。
翌朝、清がバイクで湘南海岸を走っていると、自動車が来て数人の男が女の子を砂浜に落とす。服はボロボロで、いかにもレイプされたらしい。彼女は服を脱ぎ裸になって、海に入る。そのシーンを遠くから見ていた清は、その瞬間に彼女に恋してしまう。清はその少女早苗(テレサ野田)を姉夫婦が営む海の家に連れてきて、姉の家から女性の服を持ってくる。が、戻ってみると早苗はいない。昼になって少女の姉が清が妹に暴行したと思い込み、警察に行くと連れ出す。こうしてこの4人が登場する。
野上の母が付き合う男は渡辺文雄、端役で原田芳雄、地井武男、山谷初男なんかも出ているが、基本は若者2人とマジメな同級生男女カップル、そして避暑地の別荘に来ている早苗と姉である。清は早苗が好きなんだけど、レイプされたことにこだわりを捨てきれず、なかなか素直になれない。姉は避暑地の地元の「不良青年」と妹が付き合うのを面白く思わない。野上は母が再婚しようとしている男が気にいらず、常にいらだっていて、マジメカップルをからかい続ける。そして野上の母と男は健一郎へのサービスとしてヨットに誘うが、健一郎は清と早苗を誘い、姉も付いてくる。カモメを撃つと言って猟銃を持ち出していて、銃を突き付けて母と男を下船させ、若い男女4人の危険なクルーズが始まる。
ヨット内に何故か赤いペンキがあり、つまずいて流れ出す。男二人と早苗は船内を赤く塗りつぶし始める。赤いヨットの室内、緊迫した人間関係、海と太陽。この描写がこたえられない魅力で、青春映画の魅力全開である。赤く塗りつぶされたヨットの中は、「胎内回帰願望」とでも言うべきか。シナリオの大和屋竺の趣向だろうか。こうして、ヨットの上の暴力とセックスという極限のドラマが繰り広げられ、映画はそこで終わる。日活青春映画の始まりと言える、中平康監督「狂った果実」(1954)は石原裕次郎がスターとなる湘南ヨット映画だった。「八月の濡れた砂」はまさに日活への挽歌のようにヨットを空中から撮影するシーンで終わる。それは映画ファンには有名なことで、感慨深いシーンである。
渡辺武信「日活アクションの華麗なる世界」から引用しておく。「藤田敏八は遊戯を内部から崩壊させることによって、結局は存在に抗しきれない遊戯の限界をあえて示したのかもしれない。しかしそこには同時に、力の限り遊戯した若者たち、つまり良く戦った者たちへの共感が色濃く流れている。石川セリの唄う主題歌のけだるく抒情的な旋律は遊戯者への美しい鎮魂を奏でているかのようだ。」「『八月の濡れた砂』は存在論的遊戯の切実さを青春の一過性と巧みに重ね合わせつつ、主人公たちにとっても、ぼくたちにとっても、かけがえのない一つの夏の感触を見事に定着した。」
この映画は71年のベストテン10位に選出された。日活青春映画唯一のランクインである。こうして日活アクションは終焉を迎えたはずだったが、低予算のロマンポルノの中に精神が生き延びていく。藤田敏八(1932~1997)はそれまでも「非行少年 陽の出の叫び」(67)、「非行少年 若者の砦」(70)、あるいは野良猫ロックシリーズの2本などを撮っていた。それらは今見ても新鮮は青春映画になっていてる。ロマンポルノを藤田監督も撮ることになり、「八月はエロスの香り」(72)が作られた。いかにも「八月の濡れた砂」的な題名に誘われて、僕はこの映画を見に行って失望した記憶がある。
(藤田敏八監督)
その後、73年に東宝で撮った「赤い鳥、逃げた?」のけだるいムードが好きだし、74年に秋吉久美子をスターにした「赤ちょうちん」「妹」「バージンブルース」など、この頃一番たくさん見ていた監督だった。その後も「帰らざる日々」(78)、「リボルバー」(88)などがある。「リボルバー」が最後になった。むしろ晩年は俳優として活躍、鈴木清順「ツィゴイネルワイゼン」の名演が思い出に残る。忘れられない青春映画の監督であり、懐かしい思い出の監督だ。
この映画は70年代には大学などでよく自主上映されていた。銀座にあった名画座の並木座でもよくやっていた。TBSラジオの深夜放送、「パック・イン・ミュージック」の林美雄アナがこの映画を推奨しまくり、石川セリの主題歌もよく掛けていた。石川セリはこの番組で井上陽水と出会った。僕は高校生の時に銀座並木座で見たと思う。並木座は、僕が黒澤や小津や成瀬を初めて見た場所である。「八月の濡れた砂」を見に行ったときに、「今日は石川セリさんの挨拶と歌があります」という回にぶつかったこともあった。70年代の伝説的な青春映画として、3回か4回は見ている。
最近は劇場でやる機会がないので、見たのは何十年ぶり。この映画の生命力が今も残っているかどうか心配である。今ではPC的に問題ありのマッチョ映画ではないかと心配して見た。主役の二人、広瀬昌助とテレサ野田の幼い技量不足は感じるものの、その稚拙さは稚拙な青春の象徴にも見える。「ヨットとバイク(車)とお嬢様」という日活アクションの基本構造に則った優れた青春ドラマになっていた。全シーン太陽がまぶしいような記憶があったが、もちろんそんなことはない。夜のバーのシーンもあるから当然なんだけど、朝霧が立ち込めるようなシーン、雨の降るシーンなんかも結構多かった。湘南の夏の陽光しか出てこないドラマではなかった。やはり映画は「光と影」で、暗い夜の陰謀があってこそ、初めて陽光の下での反逆が意味を持つわけである。
この映画が「レイプをめぐる暴力のドラマ」である意味は、今では伝わりにくいかもしれない。71年当時は、言語に対する肉体の復権が叫ばれていた。その文脈で「性の解放」も唱えられていたけど、日常の中ではまだまだ性はオープンではなかった。「純潔」は意味は持たなくなり、「処女性」への男のこだわりも少なくなりつつあったが、現実の生活の中で性が解放されていたわけではなかった。日活青春映画では、当然「性と暴力」が大きな意味を持っていたが、女は愛を語るが性的な描写は少ない。60年代末期の「日活ニューアクション」でも、暴力による反逆は描かれるが直接の性描写は少ない。この映画でも直接のレイプシーンはない。男と女が「暴力」を介して出会うという象徴として、「レイプされた美少女」をめぐるドラマが進行するのである。
主要な登場人物は4人。主人公の高校生西本清(広瀬昌助)と校長をなぐって退学した同級生の友人野上健一郎。野上は村野武範で、唯一その後も俳優として活躍している。性体験もあるようで、年は同じながら退学して一段大人という扱いである。冒頭はこの野上が高校の校庭に現れ、サッカーボールを蹴るシーン。そのボールがガラスにあたって割れる。そうなんだ、あの頃は学校のガラスがよく割れた。今ではサッカーや野球の球が当たった位では割れないガラスになっているが。
翌朝、清がバイクで湘南海岸を走っていると、自動車が来て数人の男が女の子を砂浜に落とす。服はボロボロで、いかにもレイプされたらしい。彼女は服を脱ぎ裸になって、海に入る。そのシーンを遠くから見ていた清は、その瞬間に彼女に恋してしまう。清はその少女早苗(テレサ野田)を姉夫婦が営む海の家に連れてきて、姉の家から女性の服を持ってくる。が、戻ってみると早苗はいない。昼になって少女の姉が清が妹に暴行したと思い込み、警察に行くと連れ出す。こうしてこの4人が登場する。
野上の母が付き合う男は渡辺文雄、端役で原田芳雄、地井武男、山谷初男なんかも出ているが、基本は若者2人とマジメな同級生男女カップル、そして避暑地の別荘に来ている早苗と姉である。清は早苗が好きなんだけど、レイプされたことにこだわりを捨てきれず、なかなか素直になれない。姉は避暑地の地元の「不良青年」と妹が付き合うのを面白く思わない。野上は母が再婚しようとしている男が気にいらず、常にいらだっていて、マジメカップルをからかい続ける。そして野上の母と男は健一郎へのサービスとしてヨットに誘うが、健一郎は清と早苗を誘い、姉も付いてくる。カモメを撃つと言って猟銃を持ち出していて、銃を突き付けて母と男を下船させ、若い男女4人の危険なクルーズが始まる。
ヨット内に何故か赤いペンキがあり、つまずいて流れ出す。男二人と早苗は船内を赤く塗りつぶし始める。赤いヨットの室内、緊迫した人間関係、海と太陽。この描写がこたえられない魅力で、青春映画の魅力全開である。赤く塗りつぶされたヨットの中は、「胎内回帰願望」とでも言うべきか。シナリオの大和屋竺の趣向だろうか。こうして、ヨットの上の暴力とセックスという極限のドラマが繰り広げられ、映画はそこで終わる。日活青春映画の始まりと言える、中平康監督「狂った果実」(1954)は石原裕次郎がスターとなる湘南ヨット映画だった。「八月の濡れた砂」はまさに日活への挽歌のようにヨットを空中から撮影するシーンで終わる。それは映画ファンには有名なことで、感慨深いシーンである。
渡辺武信「日活アクションの華麗なる世界」から引用しておく。「藤田敏八は遊戯を内部から崩壊させることによって、結局は存在に抗しきれない遊戯の限界をあえて示したのかもしれない。しかしそこには同時に、力の限り遊戯した若者たち、つまり良く戦った者たちへの共感が色濃く流れている。石川セリの唄う主題歌のけだるく抒情的な旋律は遊戯者への美しい鎮魂を奏でているかのようだ。」「『八月の濡れた砂』は存在論的遊戯の切実さを青春の一過性と巧みに重ね合わせつつ、主人公たちにとっても、ぼくたちにとっても、かけがえのない一つの夏の感触を見事に定着した。」
この映画は71年のベストテン10位に選出された。日活青春映画唯一のランクインである。こうして日活アクションは終焉を迎えたはずだったが、低予算のロマンポルノの中に精神が生き延びていく。藤田敏八(1932~1997)はそれまでも「非行少年 陽の出の叫び」(67)、「非行少年 若者の砦」(70)、あるいは野良猫ロックシリーズの2本などを撮っていた。それらは今見ても新鮮は青春映画になっていてる。ロマンポルノを藤田監督も撮ることになり、「八月はエロスの香り」(72)が作られた。いかにも「八月の濡れた砂」的な題名に誘われて、僕はこの映画を見に行って失望した記憶がある。
(藤田敏八監督)
その後、73年に東宝で撮った「赤い鳥、逃げた?」のけだるいムードが好きだし、74年に秋吉久美子をスターにした「赤ちょうちん」「妹」「バージンブルース」など、この頃一番たくさん見ていた監督だった。その後も「帰らざる日々」(78)、「リボルバー」(88)などがある。「リボルバー」が最後になった。むしろ晩年は俳優として活躍、鈴木清順「ツィゴイネルワイゼン」の名演が思い出に残る。忘れられない青春映画の監督であり、懐かしい思い出の監督だ。
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