上野千鶴子「在宅ひとり死のススメ」(文春新書)を読んだ。「おひとりさまの老後」(法研、2007、文春文庫2011)がベストセラーになって、早くも10数年。「おひとりさま」という言葉というか、概念、生き方もすっかり定着した感がある。その後、「男おひとりさま道」(2009)、「おひとりさまの最期」(2015)と書かれてきた。僕は後の二つは読んでないと思うんだけど、「最期」まで来て次に書いたのが「在宅ひとり死のススメ」である。
「老後」を考えていたのは、思えばまだまだ若かった。年金を貰うようになっても、昔と違ってなかなか死ぬまでが長い。女性学のパイオニアだった上野千鶴子だが、21世紀になった頃から「老い」や「ケア」を主たるテーマにするようになった。(思えばボーヴォワールもそうだった。)そして現在では「ヨタヘロ期」が長いということを痛感したわけである。
評論家の樋口恵子氏に樋口恵子「老~い、どん あなたにもヨタヘロ期がやってくる」(婦人之友社、2019)という本がある。1932年生まれの樋口氏に対し、上野氏は1948年生まれ。樋口さんは88歳になって、まだ一人暮らしでずいぶん「ヨタヘロ期」になったという。僕はその本も読んでいる。こういう本は福祉系の大学を出た妻が買ってきて、読むべしと置いておくわけである。上野千鶴子も72歳、でもまだ死ぬ感じはしない。そうだろう、人生何が起こるか判らないとはいえ、平均で言えば女性はまだまだ生きるのである。
章と節の名前を少し挙げていくと、第1章「『おひとりさま』で悪いか」は「すごい勢いで、「おひとりさま」が増えている」「『老後はおひとりさまが一番幸せ』というデータ」「ふたり世帯の満足度は最低」「おひとりさまは寂しくも不安でもない」、第2章「死へのタブーがなくなった」は「『多死社会』がやってきた」「『最期は病院で』から『最期は自宅』へ」「子どもに背負える程度の負担を」、第3章「施設はもういらない!」は「わたしが施設に行きたくない理由」「日本を『収容所列島』にすべきか?」「看取りのコストは『病院』>『施設』>『自宅』」といった具合である。
そして第4章が「『孤独死』なんて怖くない」となる。僕も今まで「PPK」がいいと思っていた。「ピンピンコロリ」である。ずっと元気で活動していて、寝たきりになったりせずに突然コロリと死ぬ。しかし、ホントの老人はそんな風には死なない。もしそんな風に死なれたら、それは「不審死」で警察の解剖なんかに回されてしまう。死後の始末も判らないし、それは困った死に方なのである。そして、実際はガンや心臓病や他の慢性疾患で徐々に弱っていく段階があって、その後に死が訪れるというのが普通なのである。そしてその死に方として、「さよなら『孤独死』、これからは『幸せな在宅ひとり死』」と訴えるのである。
なるほど、なるほど。上野千鶴子の本格的学術的著作は難しいけれど、一般向けの本はやさしい。判りやすいけど、戦略的目的を持ったわかりやすさである。この本は第5章、第6章で認知症の問題を取り上げ、「認知症になってよい社会へ」を考える。そして「死の自己決定は可能か?」で「安楽死」問題を取り上げる。細かくなるから省略するが、一番最後に「介護保険が危ない!」という問題が指摘される。
(「介護保険の後退を絶対に許さない!」院内集会のようす)
介護保険は40歳になったら医療保険とともに納め始める。ところが65歳になって、今度は医療保険と別に徴収され、それが突然高くなるのでビックリした。老母がいるが幸いにして介護保険を使ってないので、個人的にはあまり知らなかった。20世紀末の自社さ政権で成立して、2000年から本格的に始まった。最初はどうなるかと思われていたが、現在は「介護保険」があることがすっかり世の中の前提になったのは間違いない。今では存在そのものは根付いたが、当初は利用する人がいるのか危ぶまれていた。
「介護は家族がするもの」「自宅には他人が入って欲しくない」などいった懸念があったのである。自民党保守派の中には反対が強かった。保険料を取るので、実質的な増税に近いので反対論もあった。しかし、保険料を払うことで権利意識が芽生え、「払っているんだから使わないと」という意識を生んだ。しかし、長年にわたって介護保険は「被虐待の歴史」だったという。その「改悪」の中身は本書で詳しく判る。2020年1月に衆議院議員会館で「介護保険の後退を絶対に許さない!」集会を開いたことが紹介される。
介護保険の現在地を知ることが出来て、とても役に立った。それとともに、自分の死に方を考える本としても考えるところが多い。あばら屋でもゴミ屋敷でも、認知症になっても、家で生きて死ぬ方がいいし、それは可能だという考え方に共感する。若い時期には関心もないだろうが、高齢者本人じゃなくても身近に高齢者がいる人は読んでおいた方がいい。
「老後」を考えていたのは、思えばまだまだ若かった。年金を貰うようになっても、昔と違ってなかなか死ぬまでが長い。女性学のパイオニアだった上野千鶴子だが、21世紀になった頃から「老い」や「ケア」を主たるテーマにするようになった。(思えばボーヴォワールもそうだった。)そして現在では「ヨタヘロ期」が長いということを痛感したわけである。
評論家の樋口恵子氏に樋口恵子「老~い、どん あなたにもヨタヘロ期がやってくる」(婦人之友社、2019)という本がある。1932年生まれの樋口氏に対し、上野氏は1948年生まれ。樋口さんは88歳になって、まだ一人暮らしでずいぶん「ヨタヘロ期」になったという。僕はその本も読んでいる。こういう本は福祉系の大学を出た妻が買ってきて、読むべしと置いておくわけである。上野千鶴子も72歳、でもまだ死ぬ感じはしない。そうだろう、人生何が起こるか判らないとはいえ、平均で言えば女性はまだまだ生きるのである。
章と節の名前を少し挙げていくと、第1章「『おひとりさま』で悪いか」は「すごい勢いで、「おひとりさま」が増えている」「『老後はおひとりさまが一番幸せ』というデータ」「ふたり世帯の満足度は最低」「おひとりさまは寂しくも不安でもない」、第2章「死へのタブーがなくなった」は「『多死社会』がやってきた」「『最期は病院で』から『最期は自宅』へ」「子どもに背負える程度の負担を」、第3章「施設はもういらない!」は「わたしが施設に行きたくない理由」「日本を『収容所列島』にすべきか?」「看取りのコストは『病院』>『施設』>『自宅』」といった具合である。
そして第4章が「『孤独死』なんて怖くない」となる。僕も今まで「PPK」がいいと思っていた。「ピンピンコロリ」である。ずっと元気で活動していて、寝たきりになったりせずに突然コロリと死ぬ。しかし、ホントの老人はそんな風には死なない。もしそんな風に死なれたら、それは「不審死」で警察の解剖なんかに回されてしまう。死後の始末も判らないし、それは困った死に方なのである。そして、実際はガンや心臓病や他の慢性疾患で徐々に弱っていく段階があって、その後に死が訪れるというのが普通なのである。そしてその死に方として、「さよなら『孤独死』、これからは『幸せな在宅ひとり死』」と訴えるのである。
なるほど、なるほど。上野千鶴子の本格的学術的著作は難しいけれど、一般向けの本はやさしい。判りやすいけど、戦略的目的を持ったわかりやすさである。この本は第5章、第6章で認知症の問題を取り上げ、「認知症になってよい社会へ」を考える。そして「死の自己決定は可能か?」で「安楽死」問題を取り上げる。細かくなるから省略するが、一番最後に「介護保険が危ない!」という問題が指摘される。
(「介護保険の後退を絶対に許さない!」院内集会のようす)
介護保険は40歳になったら医療保険とともに納め始める。ところが65歳になって、今度は医療保険と別に徴収され、それが突然高くなるのでビックリした。老母がいるが幸いにして介護保険を使ってないので、個人的にはあまり知らなかった。20世紀末の自社さ政権で成立して、2000年から本格的に始まった。最初はどうなるかと思われていたが、現在は「介護保険」があることがすっかり世の中の前提になったのは間違いない。今では存在そのものは根付いたが、当初は利用する人がいるのか危ぶまれていた。
「介護は家族がするもの」「自宅には他人が入って欲しくない」などいった懸念があったのである。自民党保守派の中には反対が強かった。保険料を取るので、実質的な増税に近いので反対論もあった。しかし、保険料を払うことで権利意識が芽生え、「払っているんだから使わないと」という意識を生んだ。しかし、長年にわたって介護保険は「被虐待の歴史」だったという。その「改悪」の中身は本書で詳しく判る。2020年1月に衆議院議員会館で「介護保険の後退を絶対に許さない!」集会を開いたことが紹介される。
介護保険の現在地を知ることが出来て、とても役に立った。それとともに、自分の死に方を考える本としても考えるところが多い。あばら屋でもゴミ屋敷でも、認知症になっても、家で生きて死ぬ方がいいし、それは可能だという考え方に共感する。若い時期には関心もないだろうが、高齢者本人じゃなくても身近に高齢者がいる人は読んでおいた方がいい。
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