尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「お友だち政権」どころじゃないトランプ政権

2017年01月10日 23時50分27秒 |  〃  (国際問題)
 トランプ政権の人事がだんだん決まっていく中で、これはあまりにひどすぎるだろうという感じになってきた。ついには長女の夫であるクシュナー氏が大統領上級顧問になるという。当初は国務長官に、前回の共和党大統領候補ロムニー氏という声が高かった。それが実現していれば、「オール共和党」で出発するんだという形は取れたかもしれない。しかし、陣営内部にロムニー氏の大統領選挙時の対応を批判する声が高くてつぶれたという。「根に持つタイプ」なのである。

 結局、今のところ候補の多くがウォール街や軍人出身になってしまっている。国務長官や国防長官も、政治的能力が不明な人物ばかりである。今後、上院で承認が必要になるが、公聴会で失言やスキャンダルが出ないとは言えない。共和党が多数を占めているとはいえ、52議席だから数人が造反すれば承認されない。アメリカは党議拘束が緩いから、最初の最初からもめる可能性も高い。

 ぼくは昨年11月の当選直後に「トランプ大統領はどうなるか」を書き、「お友だち政権」になるだろうと書いた。今のところ、それどころではない「側近政治」になりつつある。かつてのラテンアメリカや東南アジアみたいな感じを思い浮かべると近いのではないか。その時に、石原や橋下がいた日本だからわかることがあるとも書いた。つまり、いずれ「暴言」が連発するだろうと思ったんだけど、どうせなら「維新」のようにツイッターで問題を起こすだろうと書けば大当たりだった。でも、さすがにそれは当選後は控えるだろうと思っていたのである。ちょっと甘かった。

 ところで、大統領選挙の最終得票だけど、ヒラリー・クリントン=65,844,610票(48.1%)、ドナルド・トランプ=62,979,636票(46.0%)になっている。286万票以上の差である。選挙制度の問題で結果は違ったが、ここまでの大差がついていると、米国民の多数によって選ばれたという正統性に明らかに疑問がある。トランプがツイッターで居丈高に批判を繰り返すのも、自分が米国民の多数によって選ばれていないという不安や自信のなさが背景にあるのではないか。

 例えば、ゴールデングローブ賞の授賞式でメリル・ストリープがトランプ(の名前は出していないが)を批判したという出来事がある。それに対して、トランプは「メリル・ストリープはハリウッドで最も過大評価されている女優の一人だ。(略)彼女は大負けしたヒラリーの取り巻きだ」などと「反撃」した。この「大負けしたヒラリー」などという言い方に、自分が300万票近く負けていることを意識している感じがうかがわれる。それにメリル・ストリープを「過大評価」などというのも、口が滑ったでは済まない人間性のレベルが露呈している。(批判のもとになった障害がある記者のモノマネも品がない。)

 なんでもトランプは、批判されると「倍返し」するタイプなんだそうだ。いま世界中のリーダーは、これらのやり取りを注意深く見つめて分析しているだろう。小国はいかにトランプを怒らせないかを探るために。一方、いくつかの大国は「いかにトランプを怒らせて、自分の方が冷静な指導者だと内外に見せつけられるか」を探るために。特に、ロシアや中国はどう対応するか。この問題は別に考えたいが、ロシアが米大統領選を左右した可能性は、どこまで信じられるかは別にして今後考慮しておいた方がいいだろう。一説にはロシアは共和党陣営もハッキングしたがリークしなかったという。そうなると、ロシアはトランプに(表立っては言えないけれど)大きな貸しがあることになる。

 僕は当初は「トランポノミクス」が注目されるかもしれないが、いずれ外交上の混乱に加え、親族や側近などの内紛、それに伴ってビジネスなどの利益相反、利益誘導などが問題視されることは予測できる。そうなると、トランプは一期で終わるか、それどころか韓国のように弾劾問題が浮上する可能性さえ考えておいたほうがいい。単に、右派や保守派が政権に就いたという「政策上の問題」に留まらない混乱を予想しておく方がいい。だから、世界も日本も、今後はトランプだなどとついていかずに、嵐が過ぎ去るのを待つ方は賢明だと思う。
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トランプのトヨタ批判をどう考えるか

2017年01月10日 12時37分28秒 |  〃  (国際問題)
 そろそろトランプ政権のことを書いておこうかと思ったら、昨日はブログに接続できなかった。(gooブログすべてに対して。) さて、本格的に書く前に、トランプ米国次期大統領のトヨタ批判について考えてみたい。トヨタがメキシコに工場を建設することを、5日にツイッターで批判したわけである。これは「絶対に許されないこと」だと思う。普通の常識で考えて、大統領になろうとするものが行うことではない。

 その結果、日本市場でトヨタの株が急落した。前日の終値が7049円だったものが、一時は6830円に下がった。終値は多少持ち直して、6930円になったが、119円の下げを記録した。(連休明けの10日午前終値は、6940円。なお、トヨタ株の単元数は100株。前年度の配当は一株当たり210円。)

 何も僕はトヨタをことさらに擁護しようというわけじゃない。トヨタという会社の経営のあり方には、今まで多くの批判を持ってきた。でも、トヨタの経営方針を決めるのはトヨタの役員会であって、株主総会以外の場で権力者が経営のあり方に口をはさむというのは、どう考えても納得できない。

 トヨタがメキシコに工場を建設しても、アメリカの工場を閉鎖するわけではない。だから、直接にはアメリカ政府に何の関係もないことである。もちろん、NAFTA(北米自由貿易協定)がある以上、メキシコで生産された自動車はアメリカに輸出しやすい。その協定そのものを批判するのは政治家の自由である。その結果、株価に変動があっても、それはやむを得ざる政治リスクというもんだろう。

 でも、いまは現にNAFTAというものがある以上、メキシコに工場を作るというのは、合理的な経営方針であるというしかない。トヨタ以前にフォードやGMも同様な批判を受けている。それを受けて、フォードはメキシコ工場建設を中止した。それもおかしな話だと思うんだけど、フォードやGMはアメリカを代表する会社で、誰しも名前を知っている。ある意味では仕方ないというか、有名税みたいなところがある。

 それでも、経営者が政治家に言われて方針転換するのは、株主訴訟リスクが存在するはずだ。会社の利潤を最大化するのが経営者の最大の仕事だと考えるなら、経営的合理性を欠いた判断には、株主が経営陣を訴えるリスクがある。でも、その場合今度はその株主や担当弁護士が、大統領から口汚く批判されるだろう。だから、予想される恫喝に、事前に屈してしまう可能性が高いわけである。

 ところで、トランプは「トヨタがバハにカローラを生産する新工場を作る」と書き込んだ。バハというのは、カリフォルニア州の南のバハ・カリフォルニア州のことである。厳密に言えば、これは事実に反するという。2015年4月に、メキシコ中部のグアナファト州にカローラ工場を新設すると発表した。一方、バハにはすでに工場があり、ピックアップトラックを作っている。

 そんなことはちょっと調べればわかると思うが、要するに「聞きかじり」でちゃんと確認もせずに批判しているのだろう。メキシコに作ることは同じだから、トランプにとっては「ささいなこと」なんだろうと思う。だけど、これは非常に重要な事実を示唆していると思う。それは「トランプの思い込み」で、世界的に重要な企業の株価が大影響を受けるということである。

 これでは「インサイダー取引の温床」となりうる。僕がこの問題を書いているのも、トヨタとか他の自動車企業の問題ということではなく、権力者が個別企業の批判をしてはならないと思うからである。これでは、次にトランプがどこを標的にするか、事前に判れば大儲けができることになってしまう。だから、大国の指導者が個別企業をあれこれ、ちゃんと調べもしないで批判したりはしないものである。

 トヨタの株主構成を調べてみると、日本の金融機関が30.65%、外国法人が26.85%、日本の個人株主が21.1%となっている。(2016年3月末現在。)つまり、トヨタの4分の1以上が外資である。トランプはともかく、関連の財団、あるいは支持者の関係する法人などには、トヨタ株を持っているところもあるはずだ。批判を事前に知れば、売り払うとか空売りするとかができる。そういうことが可能になるわけだから、「李下に冠を正さず」で個別株に影響を与える発言はしないものだろう。

 トランプ本人にそういう意図がなくても、やがてトランプに影響をあたえうる側近や有力者の中には、その地位を蓄財に利用する人々が出てくるだろうと思う。そうして、その人々に群れる人も出てくる。だから、誰も信用できなくなると、親族の重用になる。早くもそうなりつつある。そういうことが予測できるという意味で、トヨタ批判問題は興味深いし、取り上げてみたわけである。まあ、「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」という言葉こそ、トランプに無縁のものもないのだろう。
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「ムシェ 小さな英雄の物語」という本

2017年01月08日 18時42分35秒 | 〃 (外国文学)
 キルメン・ウリベ「ムシェ 小さな英雄の物語」(金子奈美訳、白水社、2015、2300円)という本を読んだ。大変感動的な本で、多分知らない人が多いと思うから書いておきたい。新聞の書評で気になって買ったんだけど、自分でも買ったまま忘れていた。年末に部屋を整理したら出てきて、この本は何だっけと思った。最近は単行本はあまり買わないけど、2千円を超えるけど買ってて良かったと思った。

 キルメン・ウリベ(1970~)と言われても、知らない人にはどこの国の人だか見当もつかないと思う。アフリカのどこかの国、あるいは中東や東欧の小国だと言われたら信じてしまいそうだ。著者は国籍で言えばスペインになる。でも北東部に自治州を持つバスク人なのである。いま、スペインでも非常に注目される詩人、小説家だそうで、2008年に出た「ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ」が評判を呼び、日本でも翻訳された。今回の「ムシェ 小さな英雄の物語」は2012年の作品で、世界で広く読まれているという。日本で初めてバスク語から直接翻訳された本だという話。

 話はスペイン内戦時代のビルバオ(バスク州の州都)に始まる。共和国時代に自治権を獲得したバスクは、フランコ反乱軍に攻め込まれる。ドイツの爆撃で知られるゲルニカもバスクだった。ビルバオで孤立する州政府は、子どもたちを外国に疎開させることを決意する。こうして多くの子どもたちが、内戦下のビルバオを逃れてヨーロッパ各地に渡った。この物語は、その国際疎開を題材にした歴史秘話であり、受け入れたベルギーの「小さな英雄」に対する紙碑である。

 ベルギー西北部にあるヘントに生きる若者、ロベール・ムシェがこの物語の主人公である。この本は歴史ノンフィクションなのか、それとも小説なのか、最初はよく判らないんだけど、基本的なストーリイは歴史的事実である。でも、小説として書かれていて、作者は登場人物の心の中を語っている。歴史小説では、信長や信玄が自分の感情を語ったりするが、それと同じかなと思う。でも、作者自身も中に登場したりしていて、なかなか新しい小説のあり方を追求している。

 ロベールには親友のヘルマンがいる。しかし、ロベールは貧しい生まれで、高校の途中で父が倒れて学業を中断しなければならない。ロベールはのちに社会主義者となり、スペイン内戦に新聞から派遣され、ヘミングウェイやマルローとあったこともある。そんなロベールは、若いけど疎開児童を引き取り、カルメンチュがやってくる。二人の心の交流が生まれるが、やがてフランコ政府は疎開児童をスペインに戻すことにする。第二次大戦を間近にして、カルメンチュは帰っていく。

 その後のロベール、そしてヘルマンはどうなったか。ロベールには一人娘がいて、カルメンチュの思い出にちなんでカルメンと名付けられた少女は、母の遺した父に関するさまざまの書類を大切に取っている。それをもとにして、ロベールの人生を追跡するのが、この本ということになる。話は入り組んでいるんだけど、ロベールとヘルマンの友情と断絶、ロベールの戦傷と結婚、戦時下の抵抗と逮捕、ドイツの収容所での日々…と続いていく。一体、ロベールの運命はどうなっていくのだろうか。これから読む人のために、それは書かないことにする。とっても心に響く「小さな英雄」の物語が、そこにあった。

 第二次世界大戦に関して、多くの本が書かれている。ナチス・ドイツの行ったことは、今でも振り返られている。日本でも何本もの映画が公開されている。ヨーロッパではむしろ、いまこそ振り返ろうとしているのに対して、日本では歴史への無知を恥ずかしがらない風潮さえある。そんな日本の中で、この小さな物語はどれほど読まれることだろう。地元の図書館にもあるのではないかと思うから、ぜひ読んで見て欲しい。歴史の大きなデッサンばかりではなく、実際に生き社会を支えている「小さな英雄」こそ、われわれが「発見」しないといけない。そんな感動本である。

 最後にちょっと、バスク人について。今でも「謎の民族」と言われ、周囲を隔絶した言語を話すとされるバスク人。ピレネー山脈の両側に渡り、スペイン、フランスに居住している。今ではインド・ヨーロッパ語系の人々が移動してい来る以前の、原ヨーロッパ人の文化を受け継ぐ人々ではないかと言われているらしい。イエズス会を作ったロヨラザビエルがバスク人だということは有名だけど、ウィキペディアを見ると南米に多くのバスク系の人々がいる。なんとチェ・ゲバラエバ・ペロンはバスク系アルゼンチン人。チリで社会主義政権を率いたアジェンデ、それをクーデタで倒したピノチェト、クーデタ直後に亡くなったノーベル文学賞詩人のネルーダ。3人ともにバスク系チリ人として掲載されているのには驚いた。
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ヴィム・ヴェンダース「パリ・テキサス」「ベルリン・天使の詩」

2017年01月07日 23時44分22秒 |  〃  (旧作外国映画)
 早稲田松竹でヴィム・ヴェンダースの2大傑作「パリ、テキサス」と「ベルリン・天使の詩(うた)」の2本立てを見た。どっちも80年代の公開以来の再見。今までも時々上映されていたけど、かなり長いので見なかった。30年ぶりに見ても、相変わらず素晴らしい傑作で、心をとらえて離さない。

 僕は昔から「パリ、テキサス」(1984)の方が好きで、映像や音楽が心の奥深くまで届く思いがする。カンヌ映画祭パルムドール。(日本では85年のキネ旬6位。) 今見ると、ロビー・ミューラー撮影の心奪われるテキサスの大風景と同じぐらい、主人公の震える心に寄り添うライ・クーダーの音楽が素晴らしい。冒頭、テキサスの砂漠で行き倒れの男が見つかる。ロサンゼルスの弟が引き取りに行くが、口を閉ざして何も語らない。兄トラヴィスに何があったのか。弟夫婦はトラヴィスの息子ハンターと暮らしていた。しかし、トラヴィスの妻ジェーンは行方不明である。
 
 「パリ」はフランスの首都ではなく、テキサス州にある小都市パリスのこと。兄弟の父母が知り合った土地で、映画の中では出てこない。前半はロスでの弟夫婦と暮らすトラヴィスの話で、ここが案外長いけど全く忘れていた。ジェーンの手がかりを得たトラヴィスは、息子を連れてテキサス州のヒューストンに行く。そこからが凄くて、見つけ出したジェーンとトラヴィスをどう出合わせるか。一度見た人には二度と忘れられない心に響く名シーンとなっている。今回も落涙。

 ジェーンを演じるのは、ナスターシャ・キンスキー。ヘルツォーク映画の怪演で知られるクラウス・キンスキーの娘だが、ポランスキ-の「テス」に主演して大評判になっていた。1961年生まれだから、それが18歳の時。「パリ・テキサス」でも23歳だったのかと感嘆する。原作、脚本はサム・シェパードで、彼のイメージがかなり大きいと思う。初めて見た時よりも、今の自分にはもう取り返しがつかないものが多くなった。主人公の喪失感の持つ切実な痛みは、今の方が身に迫る。

 「ベルリン・天使の詩」(1987)は、「パリ・テキサス」の次の劇映画。(その間「東京画」などのドキュメンタリーを作っていた。)カンヌ映画祭審査員賞、88年キネ旬3位。日比谷のシャンテ・シネで大ヒットし、ミニシアターブームの代表作となった。ベルリン上空で人々を見守る天使二人の話だが、シネマポエム的な構成で判ったようで判らない。脚本にペーター・ハントケが加わっているのが大きいだろう。ブルーノ・ガンツの天使は、最後に地上に降りて有限の生命の人間になる決心をする。それはサーカスの女芸人に恋したから。二人で生きていく決意を語るラストは感動的。

 1987年という年は、今から振り返ると「ベルリンの壁崩壊」(1989)、「ドイツ統一」(1991)の直前だった。だけど1988年公開の時に、それを予見していた人は誰もいないだろう。もちろんソ連ではゴルバチョフのペレストロイカ真っただ中だったけど、すぐにも東欧革命が起きるとは予測できなかった。天使が上空にいるのは、分断都市ベルリンを両方ともに見る存在ということになる。映画内には何度も壁が映るけれど、今見ると歴史的な意味合いがある。なお、刑事コロンボで有名なピーター・フォークが自身の役で出演し、人間になった天使の先輩を演じている。それも公開当時面白かった。今回見たら、人間に戻らず天使でいるのもいいのかなと思った。

 ヴィム・ヴェンダース(1945~)は、ユーロスペースの前身、欧日協会でやった「まわり道」や「さすらい」が面白かった。その頃はファスビンダーやヘルツォークに続く存在という感じで、ここまで偉大な監督になるとは思っていなかった。「ロード・ムーヴィー」が非常に多いことで有名で、その後の作品もそんな感じ。「ベル天」の続編「時の翼にのって」(1993)や再びサム・シェパードと組んだ「アメリカ、家族のいる風景」(2005)などもあるけど、どうも二番煎じ感が否めない。最近の「誰のせいでもない」もカナダの雪の風景が素晴らしいけど、まあそこそこだった。「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」や「セバスチャン・サルガド」のようなドキュメンタリーの方が素晴らしいと思う。

 「ベル天」のラスト、安二郎フランソワアンドレイに捧げると出る。小津、トリュフォー、タルコフスキーである。小津はともかく、「パリ、テキサス」は僕にとって「突然炎のごとく」(トリュフォー)や「ノスタルジア」(タルコフスキー)に匹敵するぐらい、心の奥深くまで揺さぶられる映画だった。旧作は今まであまり書かなかったけど、見てない人もいるから時々書きたいと思う。
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ハワード・ホークス「脱出」「三つ数えろ」

2017年01月05日 22時58分28秒 |  〃  (旧作外国映画)
 シネマヴェーラ渋谷で、アメリカのハワード・ホークス監督(1896~1977)の特集を行っている。今回はボギー映画2本について。ホークスになると、さすがに同時代には一本も見てない。「リオ・ブラボー」はテレビでよくやっていたし(その後、劇場でも見た)、1970年の「リオ・ロボ」が遺作だから、何となく西部劇いっぱいのアクション監督のように思っていた。

 今回の特集はかつてないほど多くの作品を集めているが、西部劇は「赤い河」だけ。アクション映画も多いけど、それ以上にコメディが多い。自身も飛行機乗りということで航空映画もかなりある。見てない映画が多いので、この機会に全部見ようかと思ったけど、さすがにそれは無理だった。喜劇は時代性が強いけど、「ヒズ・ガール・フライデー」や「ヒット・パレード」はやっぱり面白い。

 「脱出」(1944)と「三つ数えろ」(1946)は、ハンフリー・ボガート(1899~1957)とローレン・バコール(1924~2004)が主演した伝説的なハードボイルド映画である。シネマヴェーラは最近古い映画をいくつも上映しているので、どっちも前に見ている。最近は混んでいることが多いんだけど、もう一回見たいなと思って出かけて行った。魅力的な番組だから大混雑していたけど。

 どちらもウィリアム・フォークナーが脚本に参加している。当時のアメリカ作家の多くは、ハリウッドに招かれて生計を立てていた。(今は大学で作家養成コースを担当することが多い。)まあ、どれだけ内容に関与したのかは知らないけど。「脱出」はヘミングウェイ「持つと持たぬと」の映画化。「三つ数えろ」はチャンドラー「大いなる眠り」の映画化である。もっとも「持つと持たぬと」は、今ではほとんど読む機会がない。日本でも翻訳は大昔のものしかないから僕も読んでない。

 「脱出」はカリブ海にあるフランス領マルチニーク島が舞台である。戦時中のフランスはドイツに占領され、ヴィシー政権ができている。島ではヴィシー派が権力を握っているが、反ナチスの自由フランス派も存在している。ハリーは観光客向けの釣り船をやっていて反体制派の密航を頼まれ、否応なく争いの中に巻き込まれていく。そのさなかに、金が尽きて舞い込んできた怪しい美女マリーが現れる。ハリーをやってるボギーはまさにはまり役で、情に厚い反骨の役柄にぴったりである。
 
 一方、マリーのローレン・バコールはモデル出身で、「脱出」がデビュー作。ずいぶん心配されたようだけど、撮影中にどんどん彼女の役が大きくなっていったという。見れば一目瞭然、驚くばかりのミューズ誕生だった。神秘的な悪女にして蠱惑的な歌姫、清楚でもありながら、男をとりこにする。ボギーの相手役として実に見事な銀幕デビューだった。そして、この二人は歳の差25歳を超えて、実生活でも結ばれ、ハリウッドのおしどり夫婦として映画史の伝説となった。

 原作は1937年だから、ヴィシー政府が出てくるわけがない。戦時中の愛国映画として映画化されたんだろうけど、今見ても素晴らしい出来である。もちろんボギーは、2年前の「カサブランカ」の役柄を背負っている。だけど、今回のボギーは自ら「行動」に踏み切らざるを得なくなる。酔いどれ船員役のウォルター・ブレナンがいい味を出していて、「リオ・ブラボー」も同じような酔いどれ役だった。

 「三つ数えろ」は「大いなる眠り」の映画化だが、原作はどうも筋を忘れてしまう。映画も入り組んでいるけど、原作も同じ。今回は年末に読み直してみた。村上春樹訳で「プレイバック」が出たから、それを読んだ後に、探してきて読み直したわけ。でも、それでもよく判らなかった。ストーリイそのものがちょっとズレていて、一番肝心の事件が主筋になってない。関連の事件を追ううちに、事件の中心ではない人物がどんどん殺されていくから、物語の中心が判らなくなるのである。

 見直してみると、ボギーとしても、ハードボイルド映画としても「マルタの鷹」(1940、ジョン・ヒューストン監督)の方がずっと面白いんじゃないだろうかと思った。映画化に伴って改変された部分も、あまり効果的ではない。ボギーとバコールは1945年に結婚していたから、さすがに二人は息があっている。富豪のスターンウッド家の姉妹、姉のヴィヴィアンがバコールだが、妹のカーメンこそ話の中心である。でも、マーサ・ヴィッカーズという知らない女優がやっていて、要するにマーロウ(ボギー)、ヴィヴィアン(バコール)の映画に作り直されているわけである。

 有名な映画だし、原作がどのように映像化されているかも興味深いので、もちろん見ておかないといけない映画である。チャンドラ―の映画化として一番いいのは、ディック・リチャーズ監督、ロバート・ミッチャムがマーロウの「さらば愛しき女よ」ではないか。まあ現代風にされたアルトマンの「ロング・グッドバイ」も悪くはないんだけど。この「三つ数えろ」の題名の謎は最後に判るけど、もう「大いなる眠り」の名前で上映してもいいのではないかと思う。ボギーもバコールも決して、いわゆる美男美女ではない。バコールも僕はちょっとファニー風なところが味になってると思う。とにかく伝説的カップルの2作は、見るだけで楽しい二本立てだった。
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服部龍二「田中角栄」を読む

2017年01月04日 21時50分12秒 |  〃 (歴史・地理)
 年末に服部龍二「田中角栄 昭和の光と闇」(講談社現代新書)を読んで面白かった。昨今、角栄ブームとかだが、大部分の本は読む気も起きないものばかり。この本はマトモな歴史研究本で、読む価値がある。角栄も歴史研究の対象になったのかという思いもある。

 最初に著者を紹介すると、1968年生まれの中央大学教授(総合政策学部)。専攻は日本政治外交史、東アジア国際政治史である。これはカバーにある紹介の引用だけど、最近気になる本をいくつも書いている気鋭の学者である。中公新書の「広田弘毅」はフェアな記述で学ぶところが多かった。だから、戦前の有名な偽文書「田中上奏文」をめぐる「日中歴史認識」(東大出版会)も買ったけど、まだ読んでない。その後に出た「日中国交正常化」(中公新書)、「外交ドキュメント 歴史認識」(岩波新書)も読んだ。戦前期の研究者かと思ってたら、その後大平正芳、中曽根康弘に関する本も出していて、新史料に基づいて戦後保守政治史を研究している。

 田中角栄(1918~1993)は、1972年7月から1974年12月まで、第64代、65代の内閣総理大臣を務めた。首相就任時に54歳と、戦後の首相としては異例の若さだった。(その後、細川護熙、安倍晋三、野田佳彦が50代半ばで就任した。)72年7月に福田赳夫を破って自民党総裁選に勝利し、9月には中国に飛んで日中国交正常化を成し遂げた。支持率は7割を超え、「コンピューター付きブルドーザー」「今太閤」(小学校しか出ていない学歴ながら総理になったことを秀吉になぞらえた)と呼ばれた。
(田中と首相を争った福田赳夫)
 というようなことは、僕にとってはまさに同時代史である。(その意味では、前半に関しては知ってる話が続くけど、若い人には新知識が多いだろう。)著者は1968年生まれだから、記憶にないはずである。でも、戦後政治史を学んでいれば、田中角栄の名前はよく出てくる。だんだん同時代的感覚が出てきたのか、ほとんど違和感のないフェアな記述が続いている。僕はもちろん同時代には批判的に見ていたが、角栄を知っておくことは大事だと思っている。(授業でも戦後史をやるときは、ビデオ映像で田中角栄を紹介していたものだ。)

 先にあげた有名なニックネーム「コンピューター付きブルドーザー」は、朝日記者の小田原敦の発案だとある。(120頁)それによると「なにわ節をうなるコンピューター」という案も作ったけど、なにわ節は勘弁と退けられたという。今に至るも自民党幹事長の通算最長在任記録は田中角栄である。(4年1か月、最年少就任記録も持っている。)佐藤栄作内閣時に、党をまとめて選挙で勝利し、佐藤派内に自分の配下を次第に増やしていく様は、まさに「コンピューター付きブルドーザー」だった。

 若くして閣僚に就任し、岸内閣の郵政相、池田内閣の大蔵相を務めあげる。若いうえに学歴もないと内心侮っていたに違いない高級官僚に対し、責任は自分が取るから思い切ってやれと発破をかけ、一方従来の常識を超える贈り物攻勢で、すっかり人心をつかみ取ってしまう。(その後、田中派から選挙に出た官僚が多い。)そういう上り坂の時期、言ってみれば秀吉における「信長の草履を温めていた時期」で終われば、戦後政治史の名脇役だったろうに。でも本人も周囲も、ここまできたら一気に総理を目指すんだという気になってしまったのが、本人にも日本にも悲劇だったと思う。

 印象的なことは、首相になった後に成功が少ないということである。そうだった。案外忘れてしまったけど、支持率はその後急落していくのである。73年の石油ショックがあったとはいえ、74年ころの物価上昇はとんでもなかった。1年で3割も上がれば、後で賃上げがあってもついていけないし、人心不安を呼ぶ。選挙も不調だし、党内も割れた。その辺はもう詳しく書かないが、74年の「金脈問題」で命脈が尽きた。(なお、新史料として73年のヨーロッパ、ソ連訪問時の首脳会談が扱われ、大変興味深い。)

 今では周知の女性問題(妻の他に、子どもがいる女性が二人)も、当然触れられている。そこも大きかった。後援会である越山会の会計を預かる佐藤昭(のち昭子と改名)を表に出したくないという動機が様々な政治活動に影響を与えたのである。どうも一番愛したのは佐藤昭ではないかと思うけど、この本の中でも異様な存在感を持っている。佐藤からすれば、田中の金脈は自分が全部判っていてクリーンだと思っていたらしい。でも、この本によれば、田中関連企業が土地を東電に転売した柏崎刈羽原発の利益は、直接に目白台の田中邸に運び込まれて、ブラックマネーとなっている。
(佐藤昭)
 新潟中越沖地震で大被害が起きた東電柏崎刈羽原発は、田中金脈だったのである。そして、1976年にロッキード事件で逮捕、起訴され、「闇将軍」として政治家人生を終わる。どうして裁判を抱えながら、田中派を膨張させたのか。いろいろな憶測が書かれている。1982年に鈴木善幸首相が突然再選出馬をあきらめたのも、この本では田中側の強引な要求があったのではないかとされている。具体的には判らないが、ロッキード裁判に関することではないか。

 ロッキード事件に関しては、田中角栄が「裸の王様」になっていたと指摘している。例えば、秘書の榎本は2日目に「自白」しているが、そのことを田中、あるいは弁護団に伝えていなかった。言えなかったんだろう。だから、裁判で検察側が明かしたときに防御ができない。(ただし、裁判開始前に証拠を全部開示しない検察側は、当時はそれが当然だったわけだが、アンフェアには違いない。)著者によれば、「裁判対策上は、授受を認めて、わいろ性を争った方がよかったのではないか」ということである。

 ロッキード事件では、最高裁が不起訴を宣明して、ロッキード社の社長らに「嘱託尋問」を行った。直接の贈賄側調書はそれしかないが、裁判で弁護側が反対尋問できない。本来、それが有罪の証拠になるのは問題で、実際にその後に最高裁で嘱託尋問は違法とされた。(最高裁が自分で自分を否定したのはおかしいが。)そうなると、「わいろ性」に関しては確かに法的問題は残るのである。ただし、「5億円の授受」そのものを田中側が完全否認したが、この本を読む限り、授受の否定は無理である。

 そうすると、「わいろではなくても」、外国企業から大金を受領したという事実が残る。保守政治家にとって、これは致命傷である。右翼からすれば「売国奴」と追及される事態である。そして、5億円は今でも大金だけど、当時はもっともっと大金だった。授受があれば、わいろ性も否定しきれないだろう。少なくとも国民世論的には。裁判上は「首相の権限」で否定できるかもしれないけど、子ども(特に非嫡出)のことを考えれば、外国企業からの資金授受は絶対に認めたくないことだったのだろうと僕は思う。

 田中派からは、後に竹下登、さらに橋本龍太郎、小渕恵三の自民党首相を産んだ。党を違えて、細川護熙、羽田孜、鳩山由紀夫も田中派だった。小沢一郎もそうである。だけど、21世紀には田中の政敵だった福田系の森、小泉、福田、安倍らが首相になり続け、旧田中系は全く影が薄い。それは何故か。それは僕にも今答えはないけれど、現在の政治理解のためにも、「ちょっと前の政治史」をきちんと知っておく必要は大きい。若い人にぜひ読んでほしい本。
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根津甚八、小川宏、ジョン・グレン等ー2016年12月の訃報

2017年01月03日 22時58分05秒 | 追悼
 2016年最後の12月は比較的に「大きな訃報」が報じられないで来たんだけど、年末になって俳優、根津甚八が亡くなった。12月29日没、69歳。僕の時代の映画、演劇ファンには忘れられない名前だけど、数年来病気が伝えられていたので意外感はなかった。2015年の映画「GONIN サーガ」が最後だが、20年前の映画「GONIN」で死んでいたはずの役を、生きていたことにして病身で出演していた。
 
 もともと唐十郎の状況劇場(紅テント)出身の役者で、テント芝居からスターが登場してきたと70年代後半には「一世風靡」という感じの勢いがあった。芸名も唐十郎が付けたもので、本名の根津姓に「真田十勇士」の根津甚八をあてがったものである。今じゃ講談で有名だった十勇士も知らない人が多いかと思うけど、ずいぶんいい加減なネーミングだと僕はずっと怒っていた。
 (「さらば愛しき大地」)
 テントでも見ているような気がするが、あまり覚えてない。79年に退団しているから、全部じゃないけど状況劇場でも見てるはず。テレビのニュースでは黒澤監督の「影武者」「乱」に出たと報じていたが、そっちも覚えてないんだから、どうも昔のことは遠くなってきた。僕が一番印象にあるのは、キネ旬主演男優賞を取った「さらば愛しき大地」である。映画では男性的な役柄が多かったが、テレビ出演もとても多い。見てないのが多くてあまり判らない。そこらへんはやはり男優で見てたわけじゃないので…。

 27日に、スター・ウォーズのレイア姫だったキャリー・フィッシャーが亡くなった。60歳。と思ったら、28日に母親のデビー・レイノルズが娘の死にショックを受けて急死したと報じられた。84歳。キャリーの方は、飛行機内で心臓発作を起こしたと報じられていた。スター・ウォーズは見てるけど、どうもレイア姫は僕の好みに入ってなくて、正直名前も覚えてなかった。デビー・レイノルズは、「雨に唄えば」のヒロインで有名。下のポスターの真ん中でダンスをしているのがデビーである。3回結婚して、その最初の歌手エディ・フィッシャーとの間の子がキャリー。娘はポール・サイモンと結婚していた。その後の結婚で生まれた娘ビリー・ラードも女優。下の写真の最初はキャリー。
 
 フジテレビ系のワイドショー、「小川宏ショー」で有名だった小川宏が11月19日に亡くなった。90歳。NHKの「ジェスチャー」の司会者で人気が出た。当時はNHKで人気が出て民放の司会者に転身するケースが多かった。「小川宏ショー」は17年間続いた。穏やかな感じの司会者だったと思う。90年代に「うつ」を患ったと出ているが、もうその時代はよく知らない。

 元ジャイアンツの打撃コーチの荒川博が死去。12月4日、86歳。もう「王選手に一本足打法を指導した」ことで伝説になっている存在である。現役時代は毎日(現ロッテ)ということだが、全然知らない。その後70年代半ばにヤクルトの監督をしているが、それも覚えてない。ほとんど巨人時代の「荒川道場」で記憶されているのである。葬儀のニュースには長嶋、王両氏が参列していた。

 野球では加藤初(はじめ)の訃報もあった。12月11日没、66歳。72年に西鉄に入団し新人王。76年には巨人に移籍し、ノーヒットノーランを記録した。通算141勝113敗22セーブ。76年というのは、75年に長嶋監督で最下位だった翌年ということである。75年優勝の広島から、4月に加藤初が大記録を達成した。76,77と長嶋監督はセリーグを連覇したのは加藤初の移籍が大きいとされる。

 義太夫節三味線の人間国宝、鶴澤友路(つるさわ・ともじ)が12月13日没、103歳。阪神淡路大震災の時の地震対策担当相を務めた自民党の元衆院議員、小里貞利が12月14日没、86歳。

 外国では、米国初の地球周回飛行に成功した元宇宙飛行士、ジョン・グレンが亡くなった。12月8日没、95歳。紹介に限定が多いが、米国初の宇宙飛行士はアラン・シェパードで、61年5月である。だが、周知のように、有人宇宙飛行の最初は61年4月のソ連のガガーリンだった。61年8月、ソ連のチトフが宇宙に一日滞在する。そして、62年2月にグレンが地球を3周した。そういう米ソの宇宙競争時代のスターだった。それ以前はテスト・パイロットで、つまり映画「ライトスタッフ」のモデルである。そして、74年から99年まで、民主党からオハイオ州選出の連邦上院議員を務めた。98年には、77歳にして再び宇宙に飛び立った。向井千秋さんと同じ時の「ディスカバリー」である。という戦後アメリカの伝説のような人。

 フランスの女優ミシェル・モルガンが12月20日に死去、96歳。1946年の第一回カンヌ映画祭で最初の女優賞を「田園交響楽」で得た。へえ、そうなんだ。調べると確かにそう記録されている。もともと戦前のフランス映画で活躍していた。マルセル・カルネの「霧の波止場」など。だけど、戦時中はアメリカに逃れて、そこで結婚した。だから米英の映画主演もけっこうある。キャロル・リードの「落ちた偶像」とか。その後フランスで、「夜の騎士道」のジェラール・フィリップの相手役などを務めた。ヌーベルバーグ以前のフランス映画はほとんど忘れられているが、フランスを代表する美人女優だった人。

 「ラスト・クリスマス」などで知られる歌手、ジョージ・マイケルが、12月25日に死去、55歳。84年の曲だというけど、僕は全然知らないなあ。大体80年代はほぼ空白な感じがする。新米教員で学校が荒れて多忙を極めたし、結婚してテレビのない生活をしていたから、80年代のヒット曲やヒット映画はずいぶん抜けている。フランスの作詞・作曲家ピエール・バル―が28日に死去、82歳。ルルーシュの「男と女」の「ダバダバダ」という歌詞(?)の作詞をして、男声パートを歌った人という。
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「リンダ リンダ リンダ」と「ナビィの恋」

2017年01月02日 22時59分49秒 |  〃  (旧作日本映画)
 2016年の映画見納めは、キネカ大森の名画座二本立て。「ナビィの恋」と「リンダ リンダ リンダ」。あまりに面白かったので、書いておくことにしよう。日本の10年ちょっと前の映画は、なかなかスクリーンで再会しにくい。もっと昔の映画の方が、デジタル化されて上映されている。フィルム映画の上映環境が少なくなる昨今、こういう機会は貴重だと思う。(どちらもフィルム上映。)

 世界中で作られている音楽映画、その数多しといえど、日本のこの2本も最も面白いものの中に入るだろう。2016年も「シング・ストリート」や「ハートビート」、ここで書かなかったけれど「ストリート・オーケストラ」(ブラジルの貧民街の子どもたちでクラシックのオーケストラを作る)や「イエスタデイ」(ノルウェイの少年がビートルズに憧れてバンドを作る)など、なかなか面白い音楽映画があった。

 でも、僕は「リンダ リンダ リンダ」はもっと面白いと思う。ごひいきの山下敦弘(のぶひろ)監督のリズムがあってるということでもある。2005年のキネ旬6位選出。高校文化祭映画としても、「青春デンデケデケデケ」を超えてベストワンだと思う。この映画のいいところは、初めからやる気いっぱいの部活動じゃなくて、ゴタゴタ続きで出るか出ないかというところからもめてることである。

 この映画では、軽音部の女子バンドの中で、ケンカしてケガもして、一度空中分解しているらしい。もう文化祭前日だというのに。そこが超リアルで、現実に教師として経験したトラブルを想起せざるを得ない。抜けた人を除いて、それでもやろうというのが集まる。抜けたメンバーが書いたオリジナル曲はできないから、部室であれこれ何やろうと相談して…突然ブルーハーツの「リンダ リンダ リンダ」をやろうと盛り上がる。だけど、ヴォーカルがない。と目についたのが、韓国からの留学生ソンさん。

 突然留学生がいるというのがおかしいけれど、ここでペ・ドゥナをキャスティングしたのが、この映画の成功の最大原因だろう。僕の大好きなペ・ドゥナがでているだけでうれしいんだけど、年齢不詳だけに高校生でも通じる。(1979年生まれだからホントは苦しいはずだが。)そして一生懸命歌の練習をしている。夜の体育館の舞台で幻のメンバー紹介をしている場面は、映画史に残る名場面だと思う。そして、まだ名前を認識していなかった時代の松山ケンイチが思わぬ形でソンさんに絡んでいた…!

 バンドの主要メンバーは、前田亜季香椎由宇、そして音楽活動中心という関根史織(Base Ball Bear)。香椎由宇って誰だっけと思ったら、オダギリジョー夫人である。10代で演じている役柄は等身大の女子高生バンドという感じで、現実に会ってきた高校生のだれかれをつい思い出してしまう。顔立ちもそうだけど、性格付けなんかに、相似たものを思い出してしまうのである。そして、いろいろあって(お約束的にいろいろある)、最後に体育館で演奏ということになる。いや、良かった。

 もう一本、「ナビィの恋」は音楽映画でもあるとともに、「沖縄映画」という位置づけをした方がいい映画である。でも、全編にわたって音楽が満ちていて、琉歌ばかりでなく、なぜかアイルランド人が来ていてフィドルを弾いている。主演のナビィ役の平良とみ、夫役の登川誠仁(のぼりかわ・せいじん)はともに亡くなっているので、こっちは追悼的な気分で見ることにもなる。

 京都出身ながら沖縄で映画製作を続けている中江裕司監督が、1999年に製作した最高傑作である。東京では2000年に公開され、キネ旬の第2位にランクインした。当時は大評判となり、沖縄サミットを前に急逝した小渕総理も見に行った。今見直しても素晴らしい出来栄えで、思いが歌とともに深く揺さぶられる。風景も美しいし、編集のリズムもきびきびしていて飽きない。

 東京から沖縄・粟国島(あぐにじま)に戻ってきた奈々子(西田尚美)。家にはオバアのナビィ(平良とみ)がブーゲンビリアの世話をして過ごしている。おじいは毎日牛の世話に出かけている。そんなナビィは最近どうも様子がおかしい。船で一緒だった謎の人物が関わっているらしい。そのサンラーは60年前にナビィと恋仲になったが、ユタの「認めない」というお告げで島を追放される。そうして今やっと、ブラジルから戻ってきたのである。という古い古い恋の物語を劇中では、白黒の無声映画で表現する。

 一方、フラッとやってきた福之助(村上淳)はおじいの仕事を手伝いながら、いつの間にか家に住みついている。連絡船の運転手、ケンジも奈々子に夢中で、老若二人のヒロインの周辺はザワザワしてくるのだが…。という主筋が歌に乗せ語られていく。一種のミュージカル的手法でもあるけど、沖縄の風土ではそれもリアリズムかなと思わせる。奈々子の家は東金城家で、「あがりかなぐすく」と読ませる。 

 舞台の粟国島は、那覇の北東にある小島。人口743人という。最近は製塩で知られている。この島の魅力も映画の力になっている。一種「現代の神話」のような感じでもあるけど、共同体的なありようの不自由さも感じられる。音楽がいっぱいで、その魅力で輝いているような映画だと思う。中江監督はこの映画の後は、本格的な劇映画を作っていない。そろそろ期待したいところ。

 どっちも公開当時に見た時から、また見たいと思うような映画だった。今回も気持ちが満たされたような映画体験で、音楽の力は大きいなと思う。沖縄映画という意味では、その最高峰とも言える高嶺剛監督がいるが、しばらくぶりの新作がもうすぐ東京で公開される。それに伴って今までの特集上映もある。2017年最初の期待は高嶺剛特集。
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