尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「台湾有事」の可能性ー金門馬祖が「クリミア」化する日はあるか

2022年01月14日 22時57分30秒 |  〃  (国際問題)
 ウクライナ危機に続いて、「台湾有事」も検討しておかなくていけない。前々から台湾問題は存在するわけだが、中国海軍の軍事力強化、東アジア一帯での活動活発化にともなって、「中国軍が台湾に侵攻する可能性」を警戒する声が高くなってきた。日本は米国だけでなく、オーストラリアやイギリスなどとの軍事的協力を強めている。政治家の発言も多くなってきた。台湾のシンクタンク主催のオンライン討論会で安倍晋三元首相が「台湾有事は日本、日米同盟の有事だ。この点の認識を習近平国家主席は断じて見誤るべきではない」と述べた(2021年12月1日)のはその代表例である。
(「台湾有事」シナリオ)
 ウクライナ危機と違って、こちらの「台湾有事」は短期的には存在しない。中国政府は当面の北京冬季五輪(及び新型コロナウイルスのオミクロン株封じ込め)、そして2022年に開催される第20回中国共産党大会が無事に終わることで精一杯だろう。さらに付け加えれば、「恒大集団」が完全に破綻して中国経済にリーマンショック級の悪影響を与える事態を防ぐという大問題がある。(現時点では恒大が破綻しても、それだけでは世界恐慌への引きがねにはならない可能性が高いと言われているようだが。)

 1949年に建国した中華人民共和国にとって、「台湾省」の「解放」は長年の課題である。しかし、建国直後の中国は、「大陸反攻」を唱える蒋介石軍を攻撃するのではなく、1950年10月に朝鮮戦争に参戦することになった。中国が「抗美援朝義勇軍」を送った経緯には、複雑な国際政治の絡みがあった。それは別にしても、当時の人民解放軍には海軍力が無く、陸続きの朝鮮には参戦できても、海を隔てた台湾は攻撃できなかったのである。以来70年を経て、現在の中国の海軍力は大幅に増強されたから、その気になれば台湾攻撃そのものはできないことはないだろう。

 これを中国政府に直接問いかけても、「内政問題」という以外の答えは返ってこない。実際、日本もアメリカも「一つの中国」を認めているのだから、まさに「内政問題」に違いない。だからといって、人権概念の発達した現代において、武力侵攻による「現状変更」を認めることもできない。しかしながら、ウクライナ危機と同じく、現在では衛星写真で監視しているわけだから、事前に侵攻可能性は察知できるだろう。台湾侵攻のような大作戦では、相当大規模な準備期間が必要で、艦隊の集結、無線放送の激増など明らかなサインがある。だから今の段階ではウクライナの方がずっと重大な危機なのであって、いますぐ「台湾有事」があるかのような言動には他の意図があるのだろう。
(「台湾有事は日本有事」と語る安倍元首相)
 ただ、ここで僕が指摘したいのは「台湾有事」のバリエーションである。先に掲げた画像にあるように、今の「台湾有事」は中国本土から台湾島に直接大規模な攻撃があるというイメージが強い。だけど、僕が思うには「台湾有事」にもいくつかの段階があり得る。ウクライナではまずクリミア半島が併合されたのと同様である。「台湾」というけれど、形の上では大陸から逃れてきた「中華民国政府」である。「中華民国」が現実に統治している地域は、台湾澎湖諸島金門諸島馬祖諸島になる。
(金門、馬祖の位置)
 澎湖(ほうこ、ペンフー)諸島は台湾島西方にあって、台湾省に所属する。昔から台湾と別個に扱われることが多く、下関条約でも台湾とともに澎湖諸島を割譲と別立てで明記されている。一方で大陸のそばにある「金門諸島」と「馬祖諸島」は台湾省ではなく、福建省に属する小諸島である。特に金門諸島では1950年代に砲撃戦が続いたものの、蒋介石軍が防衛に成功した。そのため、今に至るまで台湾側の統治する島になっている。中国にとって、台湾本島を制圧するのは政治的、軍事的、経済的にも難しいと思われるが、金門、馬祖を制圧するのは比較的容易なのではないだろうか。

 安倍元首相の言う「台湾有事は日本有事」という発言は例によってあまり考えられたものとは思えない。中国人民解放軍は「台湾解放」が目的なのであって、日本を侵攻する意図があるわけではない。(もっとも尖閣諸島は台湾省所属と主張しているから、間接的には影響はある。)それにアメリカ軍がどう対応するかは中国にとって重大だが、日本はアメリカの下請け以上の役割を軍事的.政治的に果たせるはずもない。「この点の認識を習近平国家主席は断じて見誤るべきではない」などと大見得を切っても、日本がどうしようが関係ないとしか思ってないだろう。

 台湾本島が攻撃されたときに「邦人保護」をどうするかなどと議論するなら、金門・馬祖が軍事的に封鎖されたときの対応を練っておくべきではないのか。「力による現状変更」にはG7として大々的な制裁措置を発動せざるを得ない。その結果、中国だけでなく、日本や全世界の経済も破壊的な影響を受けてしまう。だから、中国との経済関係を深めるべきではないという考えもあるだろう。でも、そんな対応を取ったら日本以外の国が中国に進出するだけに決まってる。中国と対立すると、レアメタルが入って来ないなどが起こりうる。だがその結果中国経済も打撃を受ける。中国の軍事的挑発を抑止できるほど、中国と世界の経済関係を密接にする方が影響力を行使できるのかもしれない。様々なケースを想定しながら、幾つもの戦略的判断を積み重ねることが大事だ。
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「ウクライナ危機」、ロシア軍の侵攻はありうるか

2022年01月13日 22時33分52秒 |  〃  (国際問題)
 2021年秋頃から、ロシア軍がウクライナ国境に集結しているというニュースが流れ始めた。それ自体は衛星写真で確認されているし、ロシアも否定していない。問題はそれがウクライナ侵攻を意図した準備行動なのかどうかである。集結しているロシア軍は7万とも10万とも、もっと多いとも言われている。本格的に侵攻を開始すれば、すぐにロシア軍が圧倒して首都キエフを制圧できるとされている。そんなバカなことをロシアがするだろうかと思うが、それでも事態を検討しておくべきだろう。
(ウクライナ国境付近に展開するロシア軍)
 ウクライナ危機は根が深く、簡単には解決しそうもない。2014年のロシアによるクリミア半島併合以後、ロシアはウクライナ東部の親ロ勢力に対して公然と武力支援を続けてきた。ウクライナ東部(の一部)は事実上ロシア領となっている。ウクライナのドネツク州、ルガンスク州には親ロ派が独立を宣言した「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」がある。そこにはウクライナ政府の支配は届いていない。この地域を完全にロシア領とするために武力を行使する事態は起こりうると見ておかないといけない。
(ウクライナ東部の「独立国」)
 そんなことは起こらない、ロシア領内のどこにロシア軍を展開しようと主権の範囲内だというわけにはいかない。他国の国境付近にこれほど多くの軍隊を臨時的に集結させるのは異常である。ロシアを非難しすぎるとかえって挑発的行動に出るかもしれないが、見過ごすことは出来ない。ずいぶん前になるけれど、1990年夏イラク軍がクウェート国境に集結した時に、多くの人はフセイン政権がまさかクウェート侵攻などしないと思って見過ごしてしまった。その結果、91年の湾岸戦争、03年のイラク戦争、そして以後の中東混乱を招いた。今回もきちんと警告しておくべきだと考える。
(衛星写真で確認した国境付近のロシア軍)
 1月10日からジュネーブでこの問題に関する米ロ協議が始まった。この協議はまとまらないと思われる。しかし、それでいいのである。話し合いの場があることが重要なのだから。ロシアはウクライナやジョージアへのNATO拡大を認めないと要求している。しかし、アメリカはNATO(北大西洋条約機構)と当該国の意向で決まることだとしか答えようがない。アメリカはロシア軍の国境付近からの撤退を要求しているが、ロシアは主権の問題として反発している。だから両者の主張は正反対で折り合うのは難しい。表面上まとまらないことを前提に、完全に決裂させず継続協議に持って行く必要がある。
(ジュネーブの米ロ協議)
 僕は当面はロシア軍の全面的侵攻はないと思っている。それは政治、経済的な理由ではない。ロシアのコロナ事情はあまり報道されないが、在日アメリカ軍があれほど感染していることを思えば、ロシア軍も大変な状況にあると推測できる。戦車や塹壕など「超密」環境にいれば、あっという間に感染大爆発になる。地上軍を全面的に展開させられる状況なのか。またロシア、ウクライナは冬から春に向かう時期である。ロシアの「冬将軍」の時期に自ら戦争を始めるとは考えがたい。

 しかし、今書いたことは当面の状況である。プーチン政権はクリミア併合でナショナリズムを高揚させ支持率がアップした。プーチン大統領の任期満了は2024年である。もういい加減辞めるかと思うと、まだ続ける可能性もある。1952年生まれなので、今年(2022年)7月で70歳になる。任期満了時は72歳。しかし、バイデン(1942年生)やトランプ(1946年生)、習近平(1953年生)と比べれば、プーチンが続投を目指しても全くおかしくない。ロシア憲法では3選が禁止されているが、このまますんなり退陣するとは思えない。何か国民に訴える重大事態がおきれば憲法改正、あるいは緊急事態による任期延長がありうる。その緊急事態こそウクライナ戦争だと考える可能性はある。

 このウクライナ問題は現在の最大の危機ではないか。ウクライナがNATOに支援を求めれば、かつてのコソボ戦争時のように、再びNATOの空爆もありうる。しかし、対抗手段のないセルビアと違って、ロシアは対抗手段を持っている。世界経済を破綻させかねない大暴挙をそうそうロシアが始めるはずがないと楽観しているわけにもいかない。ちゃんと考えておかないといけない大問題だ。
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カザフスタン騒乱の謎ー「外国勢力」とは誰か?

2022年01月12日 22時51分35秒 |  〃  (国際問題)
 中央アジアのカザフスタンという国は、普段あまり耳にすることがない。だが、今年は年明け早々からカザフスタンのニュースを聞くことになった。まず1月2日にカザフスタンが死刑を廃止したというニュースである。これで旧ソ連諸国ではかのベラルーシを除き死刑を廃止したことになる。(日本の法務省は全く世界に目を閉ざしているが、これが死刑に関する世界情勢である。)

 ところで北京冬季五輪が近づいて来たが、前回2018年が韓国のピョンチャンだったのに再び東アジアで開かれるわけである。夏季の東京を含めれば3回連続である。何で今回の冬季五輪は別の大陸ではないのだろうか。実はヨーロッパの都市も幾つか立候補したのだが、どんどん辞退してしまって最後に残ったのが北京アルマトイだけだったのである。アルマトイというのはカザフスタンの最大都市である。招致投票では44票対40票で北京が上回った。北京には政治リスクや夏季を開いたばかりという問題がある。だから僅差になったけれど、IOC委員としては、やはりカザフスタンにはまだ開催能力に不安があるということなのだろう。

 実際にカザフスタンで暴動が起き、全国に騒乱が広がったというニュースが飛び込んできた。「燃料価格引き上げに抗議する大規模デモ」がきっかけとされ、兵士や警察官などに死者が出ているという当局の発表だった。一時は空港も占拠され、インターネットも遮断されたという。それが5日の段階で、その後の発表では164人の死者が出て、外国人を含む6000名以上を拘束しているとのことである。きっかけは燃料価格の統制を廃止して市場経済化するという方針だった。その結果燃料代が2倍に暴騰したという。
(襲撃され焼け落ちた車とビル)
 カザフスタンのトカエフ大統領は「警告なしに射撃するよう命令を出した」として強硬な弾圧策を取った。またロシアに援助を要請し、ロシアの治安部隊が派遣された。これはCSTO(集団安全保障条約)に基づくものである。旧ソ連のロシア、カザフスタン、アルメニア、ベラルーシ、キルギス、タジキスタンの6ヶ国が加盟している。だから、この措置そのものは合法なのだが、部隊派遣に踏み切ったロシアの「果断な措置」は勢力圏確保への強い意志を感じさせる。
(カザフスタンに展開するロシアの治安部隊)
 カザフスタンは旧ソ連の崩壊で中国とロシアの間の巨大な内陸国家として存在することになった。(海に面していない最大の国家である。)世界第9位の面積を持つが、人口は1880万程度。国土の多くは砂漠やステップ(乾燥草原)になっている。ロシアの影響力は今も強く、バイコヌール宇宙基地周辺は今もロシアの租借地となっている。租借地なんて今もあるんだという感じ。上海協力機構にも所属し、中国、ロシアとは上手に接してきたが、ベースは明らかにロシアにある。他の中央アジア諸国、ウズベキスタンやキルギスなどはサッカーワールドカップ予選等で日本代表と試合することがあるが、カザフスタンはそもそもヨーロッパ協会所属である。だから日本代表との試合もないので、なじみがない。カザフスタンがアジアではなく、西を向いている証拠だろう。
(カザフスタンと周辺諸国)
 ロシア治安部隊の力あってのことか、トカエフ大統領は事態を掌握して治安は回復したとしている。確かにここ数日は騒乱状況が報じられていない。このまま治安が回復するのか、それともまた混乱が広がるのか。僕にはよく判らないが、今回のカザフスタン騒乱には謎が多い。一つにはカザフ国内の権力闘争の可能性である。カザフスタンでは長らくナザルバエフ大統領の独裁が続いてきた。1989年にカザフ共産党第一書記に就任し、カザフ国内の実権を握った。91年末のソ連崩壊に伴って大統領に就任し、2019年まで続けた。その間国内で強権統治を続けたが、諸外国の間をうまく生き抜いて大きな騒乱は起きなかった。しかし、長年の統治に不満も大きくなり不正選挙反対デモもあった。2019年に突然辞任を発表して、上院議長のトカエフが後任になった。
(ナザルバエフ前大統領)
 そのことはニュースで報じられたはずだが、僕もうっかり忘れていた。ナザルバエフは辞任後も与党代表を続け、国家安全保障会議の終身議長を務めていた。つまり事実上ナザルバエフの「院政」が続いていたのである。僕もカザフはナザルバエフ支配という印象が染みついていた。今回トカエフはナザルバエフの終身議長職を解任したと伝えられる。ナザルバエフは家族でキルギスに出国したという情報もある。そういう国内情勢の中で、燃料代の高騰があって自然発生的にデモが発生したというのが、一つの考えである。トカエフがデモを利用してナザルバエフを追い落とし、実権を握ろうとしたと見るわけである。

 もっとも、それにしてはロシアの対応が早すぎたし、「外国勢力を拘束」と言ってるのは何なのかが判らない。外国勢力は実際には存在せず、フェイクニュースを政権が流しているとも考えられる。一方、中国は「カラー革命は認めない」として、ロシアの介入を支持している。カラー革命というのは、旧ソ連圏のウクライナの「オレンジ革命」やジョージアの「バラ革命」など民主主義的な要求を掲げる反政府運動によって政権が転覆した事態の総称である。中国は隣接国に欧米的価値観の政権が誕生して、国境を通して「自由の風」が吹いてくることを恐れている。だから近隣国に何かあれば欧米諸国の暗躍を非難するのだが、内陸国のカザフスタンでそんなに欧米勢力が浸透しているとも考えがたい。
(トカエフ大統領)
 そうすると実は「外国勢力」とは「イスラム過激勢力」を指すと見ることも出来る。旧ソ連のカザフ共和国が独立して「カザフスタン」と改名したのも、イスラム教国家だからである。(「スタン」はペルシャ語で国のこと。)中央アジアはほとんどが「○○スタン」である。カザフスタンでも、国民の7割ほどのカザフ人はほぼイスラム教徒である。ロシア連邦内のチェチェン共和国から中国領の新疆(ウィグル)まで、イスラム過激勢力の浸透が見られる地域になる。カザフスタンやウズベキスタンなどは宗教的には厳格ではないが、強権的政権に反対する動きがあればイスラム過激勢力が浸透する素地がある。

 特にアフガニスタンでタリバンが政権を獲得したことが、中央アジア一帯に刺激を与えている可能性がある。タリバンはIS系とは対立しているから、アフガンに居られない過激勢力は他に勢力圏を求めなければならない。そのような中央アジア全体の勢力変動を予測しておくべきだろうと思う。ところでロシアの果断な対応は、ウクライナ問題から目をそらさせる目的もあると考えられる。「地域に平和をもたらすロシア軍」をアピールする狙いである。そのために本当は派遣の必要がない程度の事態でありながら、ナザルバエフを追い落としたいトカエフとウクライナから目をそらさせたいプーチンが手を組んで、あえて大事にした可能性も考えて置くべきかと思う。
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岩波ホールの閉館を聞くーずっと見てきた世界中の映画

2022年01月11日 22時51分54秒 | 社会(世の中の出来事)
 東京・神保町交差点の岩波神保町ビル10階の「岩波ホール」が閉館するという。朝日新聞のウェブニュースには「ミニシアターの先駆けで、半世紀以上の歴史を持つ「岩波ホール」(東京都千代田区)が7月29日に閉館する。同ホールが11日、公式サイトで発表した。「新型コロナの影響による急激な経営環境の変化を受け、劇場の運営が困難と判断いたしました」という。」と出ている。その公式サイトには先ほどから何度かトライしているが接続できていない。驚いて見ている人がいっぱいいるんだろう。
(岩波ホール)
 岩波ホールと言えば、今では映画館という印象が強いが、もともと1968年に作られた時は多目的だった。1974年から川喜多かしこ高野悦子による「エキプ・ド・シネマ」という組織が作られ、映画上映を始めた。一番最初はインドのサタジット・レイ監督「大河のうた」だった。これは1965年にATGで公開された「大地のうた」の続編である。僕は前編を見てないのに続編から見るのもどうかと思って、その最初の上映は行ってない。その後、3作目の「大樹のうた」を合わせて三部作をまとめて上映したので、その時に見た覚えがある。僕が初めて岩波ホールで見たのは、2作目のエジプト映画「王家の谷」である。
(岩波ホール壁面には今までの上映映画のチラシが)
 その時は僕は浪人生だったが、お茶の水の予備校に行っていたから岩波ホールは行きやすい。(ちなみにアテネ・フランセ文化ホールはもっと行きやすい。予備校をサボってアート映画を見たりしていた。)そして「エキプ・ド・シネマ」の会員になってしまった。それ以来、2年ごとの更新をマメに続けてきたから、僕は第1期からの連続会員なのである。会員になっている映画館も多かったが、映画館以外も含めて減らしてきた。しかし、何となく岩波ホールは継続してしまう。最近はそんなに行ってないんだけど。

 岩波ホールの絶頂期は、1978年から1980年だろう。1978年公開のヴィスコンティ「家族の肖像」は大ヒットし、ベストワンになった。1979年のギリシャのテオ・アンゲロプロス監督「旅芸人の記録」もベストワン。2位には「木靴の樹」(エルマンノ・オルミ)が入った。他にも「女の叫び」「奇跡」「プロビデンス」とキネ旬ベストテンの半数が岩波ホール上映作品だった。1980年の「ルードヴィヒ神々の黄昏」(ヴィスコンティ)が2位。ポーランドのアンジェイ・ワイダ監督の「大理石の男」が4位である。

 イタリアのルキノ・ヴィスコンティはここからブームになった。ワイダ監督の作品はほぼ岩波ホールで公開され、単なる映画を越えてポーランドの民主化の声を伝えた。その中でも作品的には僕は「旅芸人の記録」に一番驚いたものだ。何しろ4時間を越える作品だから、当時の状況では他では上映出来なかったと思う。その後、アンゲロプロス作品はシャンテ・シネなどで公開されるようになった。つまり岩波ホールでヨーロッパの最新アート映画に触れた観客が育っていたのである。
(旅芸人の記録)
 それが80年代以後の「ミニシアター・ブーム」と言われたものだろう。シネマライズ渋谷など代表的なミニシアターも閉館してしまい、「元祖」の岩波ホールもなくなってしまう。しかし、今では世界で評価された映画は大体他でも上映出来るようになった。岩波ホールのラインナップはむしろおとなしくなってしまって、最近は「良心作」に偏っていたと思う。それに椅子が小さいからつらい。僕は劇場、寄席などに行くたび書いているが、大手シネコンのゆっくり座れる椅子に比べると、背もたれが小さい岩波ホールはつらいのである。最近ではチリのドキュメンタリー映画の巨匠パトリシオ・グスマンの映画を昨秋に見に行ったが、なかなかつらいものがあった。今から全面改修するわけにもいかないのだろう。
(高野悦子さん)
 岩波ホールにとって、支配人だった高野悦子さんの持っていた意味が大きい。高野さんが亡くなったのは、2013年のことだった。つい昨日のことのように思っていたら、ずいぶん前だったのに驚いた。当時「追悼・高野悦子」を書いた。映画の名前などは、そっちでいっぱい書いた。重なることも多いから、もう止めることにする。そこで書いたけれど、岩波ホールの上映作品の製作国を世界地図に塗っていけば、地図が大体埋まってしまう。知られざる国々の映画を上映してくれた功績は大きい。

 もう一つ、その時に書かなかったけれど、東京国際映画祭と連動して「国際女性映画祭」を長く続けた。これは岩波ホールというより、高野さん個人の功績と言うべきで、岩波以外で上映した時もあったと思う。しかし、女性監督の作品、あるいは女性、高齢者の映画をたくさん上映したことも忘れられない。1月末からはジョージア映画祭が開催される。ジョージア(昔のグルジア)の映画を見たことがないという人はこの機会に見ておいた方がいい。二度と他ではやらないと思われる。まだ7月末まであるから、何回か行きたい。岩波ホールで映画を見て、新刊・古書を探して、カレーを食べて帰るというライフスタイルが消えるかと思うと残念。
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映画「香川1区」、政治ドキュメンタリーの傑作

2022年01月10日 22時36分22秒 | 映画 (新作日本映画)
 大島新監督の「香川1区」が東京で先行公開されている。地元の香川初め全国では1月21日頃から上映されるところが多いようだ。これは大島監督の前作「なぜ君は総理大臣になれないのか」(2020)の続編として作られた映画である。立憲民主党の小川淳也衆議院議員に密着しながら、2021年10月31日に行われた衆議院議員選挙を記録した映画である。当然ながら対立候補の平井卓也候補(自由民主党)や町川順子候補(日本維新の会)も取材している。この映画を見ようとする人なら、おおむね選挙結果は知っているだろう。ハリウッド製劇映画ならともかく、結果の判っているドキュメンタリーってどうなの? と思いながら見たけれど、それは全く心配なかった。156分もある映画だが、全く退屈せずに見られる政治ドキュメンタリー映画の傑作である。

 前作「なぜ君は総理大臣になれないのか」は公開当時に見逃してしまって、キネマ旬報文化映画ベストワンに選出されてから見に行った。文化映画部門ではあるが、親子そろってベストワン監督になるのは史上初ではないか。(大島新監督の父、大島渚は1971年の「儀式」がベストワンに選出されている。)しかし、僕は前作はあまり面白くなかった。小川淳也という政治家を知らなかったという人が結構いたが、僕は一応名前も知っていたし注目もしていた。偽装統計問題で活躍したのだから。そもそも与野党問わず、何回も当選している政治家は大体知っている。もちろん小川議員の家族構成なんか知らなかったが、基本的には驚きはなかった。

 大島監督の妻が小川議員と高校同窓で、その縁で長年撮りためていたということだったと思う。そのため珍しいぐらいの政治家密着ドキュメントになったけれど、折々に撮影したブツ切れ感が否定できない。メインになるのは2017年衆院選だが、そこで小川は民進党(当時)の方針に従って「希望の党」から出馬し、比例区で当選した。安保法制に賛成する「希望」から出たことで、「裏切り者」と言う有権者もいた。そこら辺が興味深かったが、その問題はすでに「解決」してしまった。「希望」に「排除」された「立憲民主党」が優勢となってしまったのである。そういう政治家に「なぜ君は総理大臣になれないのか」は大げさに過ぎて僕には理解出来なかった。(例えば石破茂の密着なら「なぜ君は総理大臣になれないのか」も判るが。)
(今回も「本人」ノボリを背負って自転車で)
 だが、今回の「香川1区」は非常に面白かった。一つには選挙が2021年秋に行われることが事前に判っていたことがある。2014、2017年の総選挙は安倍政権が突然仕掛けたものだった。大島監督は他の仕事もあるわけだから、急に選挙になっても困ってしまう。ところが今回はコロナ禍で解散出来ないまま任期満了が近づいて、秋までには必ずあるのである。そこで2021年4月18日、小川が50歳の誕生日を迎える日から撮り始めて、選挙戦、投開票日と起承転結の構成が抜群なのである。

 しかも対立候補の平井卓也は菅義偉内閣で初代デジタル大臣を務めた。1年でデジタル庁を立ち上げた「実績」を大いに誇るものの、パワハラ、暴言、接待疑惑をマスコミで追求された。NTTに接待を受けて「割り勘にした」というが、勘定を払ったのは週刊文春の取材を受けた後だったというのだから、脇が甘いにもほどがある。しかし、平井氏といえば、地元香川県で3代に渡る世襲政治家であり、四国新聞西日本放送を傘下に持つ四国のメディア王である。四国新聞はデジタル庁発足を6面に渡って特集したのに対し、小川議員に対しては取材もせずに記事を書くというトンデモぶりである。
(香川1区は高松市と小豆島)
 そこに「日本維新の会」から町川順子という候補が突然出馬を表明した。小川は維新の議員総会に「乱入」して、出馬取りやめを要請する。それを音喜多議員にツイッターで投稿され、他党候補を妨害したと批判された。小川議員は「野党が一本化を最後まで追求するのは当然」というスタンスだが、「悪意をもって報じられるとは思っていなかった」と言う。大島監督は「維新は自民票も取るのでは」と問うが、小川は「それもあるが結局野党票をもっと取る」と述べる。この問題は当然知っていたが、実は町川氏は玉木雄一郎議員(国民民主党代表、香川2区)の秘書だった人で、小川とも面識があった。玉木も出て来るが、町川の出馬には困惑している感じだ。映画は平井デジタル相や町川候補にも直接取材していて、非常に興味深い。

 こうやって書いていると終わらない。いよいよ選挙公示日を迎え、選挙戦本番である。小川陣営はボランティアが集まってくる。「小川淳也を心から応援する会」(オガココ)というグループもあって、選挙事務所は若い感覚で装飾される。いわゆる「為書き」が目立たないようになっている。「為書き」というのは、有力者が「祈当選 為○○○○君」などと書いた紙である。これだけ有力な人が応援しているという示威だが、大臣、知事、大都市市長など有力者にも序列がある。映画で俳優をどんな順番で載せるのかみたいなものである。そんなものが大きく貼ってあるのは古い感じがする。平井陣営の事務所は為書きでいっぱい。町川陣営ではなんと出陣式に神官を招いてお祓いをしている。
(大島新監督)
 平井陣営も不祥事報道に追いつめられたか、次第にピリピリしてくる。街頭演説では「相手陣営はPR映画なんか作って盛り上がってる」などと演説する。聞いていた監督は「PR映画はないんじゃないですか」と問い詰めるが相手にされない。次第に演説撮影も妨害されるようになり、警察に通報される。もちろん選挙演説の撮影は何の問題もなく(一般人がスマホで撮ってたくさんSNSに上げている)、かえって警察に心配される。岸田首相を迎えて大決起集会があるというので、撮影に行くと入れてくれない。首相演説は絶対に映画に入っただろうに、もう大島監督は「敵対陣営」「危険人物」なんだろう。

 それも道理で、監督のもとには「秘密情報」も寄せられる。一つは政治資金パーティの問題で、2万円×10人分の20万円を貰いながら、出席は3人までと明記されている書類である。パーティ券代は出席の対価だから、出席出来ない7人分は「寄付」で扱わなければおかしいと指摘される。さらに「期日前投票」をした人が本当にその候補に入れたかどうか、別会場で確認しているという情報である。自民党県議が持っているビルの2階に、確かに期日前投票をした人がどんどん吸い込まれている。監督が投票を頼まれた人を装って聞いてみたところ、確かに企業の上役などに投票依頼された人が実際に入れたと報告に行くらしい。

 小川候補の両親にも聞きに行くし、小豆島に運動に行く二人の娘も取材する。最初は「妻です」「娘です」というタスキをしていた家族は、最後になって本人の名前入りタスキをしている。「妻」「娘」では男性中心で従属している感じがするので、自分の名前を出すことにしたのである。そして、ようやく投開票日。まさかの「開票速報開始直後の当確」だった。長女も挨拶して「今までは大人の社会に出ると、正直者は馬鹿を見るということなんだなと思っていたけど、今日は正直者が報われることを知った」というようなことを涙ながらに語る。動員された平井陣営に対し、ボランティアがどんどん増えていった小川陣営には、勢いの差があった。特に小川陣営の応援ということではなく、選挙戦を撮影していればそのことが理解出来る。

 とはいえ、立憲民主党は全体としては議席を減らし、党首選が行われた。小川淳也も何とか出馬したが敗れ、現在は政調会長をしていることは周知の通り。なかなか総理への道は遠いが、やはり正直、公正が売り物というのではリーダーは難しいかもしれない。ホンのちょっと出て来る玉木雄一郎の方がリーダーっぽいではないか。「清濁併せのむ」器がなければ、プーチンや習近平に対応出来るのかと思う有権者もいると思う。まあ、もう一皮二皮向ける必要があると思うが、まずは野党が弱いところをじっくり巡って、今回の選挙の教訓を伝授して欲しいと思う。
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佐藤究「テスカトリポカ」を読む

2022年01月09日 21時04分28秒 | 〃 (ミステリー)
 ミステリー系で次に読んだのが佐藤究(きわむ)「テスカトリポカ」(角川書店)。2021年に第165回直木賞、第34回山本周五郎賞を受賞した作品である。直木賞受賞前に評判を聞いて買ったものの、何しろ500頁を越える大作だから年を越すまで放っておいた。作者はよく知らなかったが、2016年に「QJKJQ」で江戸川乱歩賞を受賞した人だった。昔は乱歩賞受賞作は全部読んでたんだけど、最近は読んでないから知らなかった。それ以前は純文学を書いていて、佐藤憲胤(のりかず)名義で書かれた「サージウスの死神」で、2005年の群像新人文学賞優秀作に入選していた。その後なかなか成功せずにミステリーを書いたということらしい。

 何しろとんでもない作品で、好き嫌いは分かれるだろうが、作品世界の壮大さは誰しも否定できないはずだ。題名が覚えられないが、「テトラポット?」「テストポテチ?」「テスラ?」とかつい言ってしまう。やっと覚えた頃には、最初の方に出て来た人物を忘れかけてしまう。困った小説だが、この題名は古代メキシコアステカ帝国の最高神の名前なのである。作品空間はメキシコに始まって、ペルー、日本、メキシコに戻って、リベリア(アフリカ中西部)、インドネシア、そして日本に戻ってくる。特に重要なのは、メキシコインドネシア日本の川崎市である。時間的にはアステカ神話から、何と2024年までに及んでいる。刊行(2021年2月)の半年後の2021年8月に重大事が発生することになっている。

 メキシコとアメリカの国境地帯は麻薬カルテルが支配する暴力地帯となっていると言われる。そのことは時々悲惨なニュースが報じられるし、映画などにも出て来る。ミステリーではドン・ウィンズロウ犬の力」のシリーズが知られている。その地域で暮らしていた娘が兄が殺されて脱出する。いろいろと逃れて日本に来る。日本で働くが、ヤクザと結ばれて子どもが生まれる。しかし、父親は暴力が激しく、母親も薬物中毒になる。子どもはちゃんと学校へも通えずネグレクトされて育つ。そしてこの少年コシモはどんどん背だけが成長していく。この少年が主人公なのかなと思う頃に、話はまたメキシコに戻ってしまう。

 今度は麻薬カルテルを支配する4兄弟の話だが、敵対勢力に襲撃されて一人だけが生き残る。兄弟はネイティブの祖母に教えられたアステカの神々を信じていた。生き残りのバルミロは敵には北へ逃げたと思わせ、実際は南へ逃げて南米、アフリカを経てインドネシアに行き着く。そこでコブラ焼き(毒蛇のコブラを焼いて食べさせる)の店を開きながら、じっくりと時期を待っていた。そこで日本を逃れてきた心臓外科医末永と知り合う。今は腎臓移植のコーディネートをしている。事情あって闇医者になっているが、いずれは心臓外科に関わる仕事をしたいと思っている。
(佐藤究)
 この二人が出会うところから、悪魔的な大プロジェクトが始まるのである。インドネシアの過激イスラム勢力、中国マフィア、それに日本のヤクザ、闇医者が関わって、恐るべき闇の心臓移植が計画される。そこへ向けて、バルミロや末永も日本へやって来る。バルミロは川崎の自動車解体工場に、怪物的な部下を養成する。コシモはどうなったんだと思う頃、再登場したコシモはバルミロを父と仰ぐようになるが…。様々な人物が多々登場し、今は主要人物しか書いていない。バルミロがアステカ神話に基づく名前を日本人にも付けてしまい、小説でもそれで表記されるから人物一覧を付けて欲しかったと思う。

 あまりにも壮絶、壮大、残虐な血の描写、死のイメージが連続する小説で、体質的に読めない人もいるだろう。しかし、コシモを通して「暴力」を越える世界を遠望していると読むべきだろう。明らかに面白い世界レベルのノワール小説だと思うが、アステカ神話を背景にしたために説明的描写が多くなってしまった。神話的壮大さがある反面、説明で物語が進行してしまう弱さも感じる。コーエン兄弟の映画「ノー・カントリー」の原作、コーマック・マッカーシー血と暴力の国」はずっと短い分量で同じような世界観を示しているとも言える。しかし、長いといってもドン・ウィンズロウ「犬の力」ほどではない。メキシコからアフリカ、インドネシア、日本と広がっていく物語は世界レベルの傑作だと思う。まあ、あまり好きにはなれないなと思ってしまったが。
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映画「ダーク・ウォーターズ」、テフロンをどう考えるべきか

2022年01月08日 22時22分51秒 |  〃  (新作外国映画)
 ちょっと前に「ダーク・ウォーターズ」という映画を見た。米国の大企業デュポン社に総額3億ドルの賠償が命じられた公害訴訟を描く社会派良心作である。主役の弁護士ロバート・ビロットを演じるマーク・ラファロが自ら製作も担当して、トッド・ヘインズに監督を依頼した。非常に力強い作品で、見ていて緊迫感もあるんだけど、既視感もある。フィクションなら驚天動地のどんでん返しがあるかもしれない。でも事実をベースにした法廷映画だから、被害者側が敗訴したら映画化されるはずがない。だから作中の弁護士らの苦労は報われるんだろうなと思って見る。そこら辺が弱いところで、2019年の作品だが賞レースには全く絡んでいない。

 見た映画を全部書いてるわけじゃないので、映画的にはスルーしてもいいかなと思うけど、ここで書くのは「テフロン」をめぐる事件だったからだ。テフロンって言えば、「テフロン加工のフライパン」である。他には知らないけど、そもそも何? そしてテフロンのフライパンは有害なの? どうしても見ていてそんなことを思ってしまったので、それを調べて書いてみたいと思う。

 オハイオ州の弁護士事務所でパートナーに昇格したばかりのロブ・ビロットのところに、ある日見知らぬ男がやって来る。祖母の知人だというウィルバー・テナントという農夫である。飼っていた牛が謎の死をとげてしまい、隣の土地にデュポンが埋め立てた物質が怪しいと思う。州や国の環境保護部局に連絡してもらちがあかないという相談だった。しかし、その段階ではロブはうちは企業側の顧問弁護士ですよというスタンスである。しかし、祖母の知り合いだから、一度は現地を見てみようと生まれ故郷のウエストバージニア州のパーカーズバーグを訪れた。実際に見てみると、牛が歯が真っ黒になって死んでいる。200頭近くの牛がほぼ全滅してしまった。車のラジオでは、もっともわが州らしい曲としてジョン・デンバーカントリー・ロード」が流れている。

 ロブは確信はなかったものの、取りあえず裁判所に資料公開の請求を出した。それは認められたが、会社は嫌がらせのように倉庫いっぱいの膨大な資料を送ってきた。ロブは意地になってその解読に取り組む。もはや他の訴訟を手掛ける余裕はなく、弁護士事務所のお荷物になっていく。給与も減らされていくが、長い時間が掛かって「PFOA」という単語がカギになると気付く。しかし、誰に聞いてもその正体が判らない。やがて判ってきたのは、デュポンは当初から製造ラインで従業員に被害が出ていたことを知っていたのである。そしてそれを知りながら、環境基準が設定される前に有害物質を埋め立ててしまったのだった。
(資料を解読するロブ)
 しかし、それだけでは裁判には勝てない。地域住民の健康被害がデュポン社の責任と判断出来るのか。長い時間を掛けた疫学的調査が始まっていく。その間被害者の健康は悪化していくし、自分の家庭も困窮していく。もともと弁護士だった妻(アン・ハサウェイ)はなんとか夫を支えようとするが。事務所では彼の理解者は所長(ティム・ロビンス)だけになってしまうが、所長はこれはアメリカの製造業をよくするための裁判だと擁護する。アン・ハサウェイ(レ・ミゼラブル)とティム・ロビンス(ミスティック・リバー)という二人のアカデミー賞助演賞俳優はさすがの存在感で映画をキリッと締めている。

 でもやはり主演のマーク・ラファロの映画というべきだろう。マーク・ラファロと言われても僕はよく判らなかった。「キッズ・オールライト」「フォックス・キャッチャー」「スポットライト」で3回アカデミー賞助演賞にノミネートされていた。また「アベンジャーズ」でハルク役を演じていたと出ている。以上4作全部見てるのに、マーク・ラファロを覚えてない。若い頃に見た映画の俳優はすぐ出て来るのに、最近の人は記憶できないのである。監督のトッド・ヘインズ(1961~)は今までに「エデンより彼方へ」「アイム・ノット・ゼア」で注目されたが、何といっても2015年の「キャロル」が最高に素晴らしかった。
(ロブ役のマーク・ラファロ)
 さて、肝心のテフロンだが、物質名はポリテトラフルオロエチレンである。フッ素炭素だけからなるフッ化樹脂で、化学的に非常に安定した物質で耐熱性に優れている。1938年にデュポン社の研究員ロイ・プランケットが偶然に発見した。その優れた化学的安定性を生かして、最初は軍事的に利用された。映画では戦車の装甲にコーティングすれば、雨の日や泥道などに役立つと言われていた。しかし、ウィキペディアを読むと、むしろ一番役立ったのは原爆の開発(マンハッタン計画)だったという。ウラン濃縮過程で出る六フッ化ウランという腐食性ガスの取り扱いが簡単になったという。
(テフロン)
 戦後になって民生用に利用されるようになり、1960年にテフロン加工のフライパンが発売された。安全性という意味では、テフロン自体は安定していて毒性はないようだが、280度で劣化し350度以上で分解するという。普通の調理では出ない温度だが、分解後に出る物質は有害だとされる。一般的には非常に高温の調理は鉄鍋を使うもんだろう。テフロンそのものではなく、製造過程で出るペルフルオロオクタン酸という物質に発がん性があるらしい。デュポン社は従業員に被害が出るなど製造過程で有害な可能性を知りつつ、埋め立てによって地下水汚染をもたらした。そのことが立証され、デュポンは高額の和解金を支払うことになったのである。製造過程で有害物質が出て、被害者は「企業城下町」で黙ってしまう。その構造は先に見た「水俣曼荼羅」とそっくりだった。
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デズモンド・ツツ、新井満、古谷三敏他ー2021年12月の訃報

2022年01月06日 23時37分50秒 | 追悼
 2021年12月の訃報特集。南アフリカのデズモンド・ツツ(Desmond Mpilo Tutu)が12月26日に死去。90歳。名前は「トゥトゥ」と表記すべきだろうが、慣例に従って「ツツ」と書いた。(葬儀におけるラマポーザ大統領の感動的な弔辞でも「トゥトゥ」と聞こえた。)反アパルトヘイト運動に尽力して、1984年にノーベル平和賞を受賞した人である。「大主教」と書かれるが、これは1986年に聖公会のケープタウン大主教に就任したことによる。ノーベル賞受賞時は南アフリカ教会協議会事務総長だった。一貫して非暴力を主張したことで知られる。大主教としても女性や同性愛者の聖職者を擁護した。
(デズモンド・ツツ)
 アパルトヘイト撤廃後に設置された「真実和解委員会」の委員長を務めて、国民和解のプロセスに重要な役割を果たした。そのことも忘れてはいけない大切な業績だ。国内ではネルソン・マンデラやANC(アフリカ民族会議)をも批判できる権威を持ち、対外的にも特にアフリカの平和維持に最後まで力を尽くした。同じノーベル平和賞受賞者のアウンサンスーチーに国内のロヒンギャ族保護を要請するなど、公正な人間性が信頼された人物だった。

 作家、作詞家、作曲家の新井満が12月3日死去、75歳。本名は「みつる」だが、創作活動では「まん」と読ませた。芥川賞作家、レコード大賞作曲賞受賞者だが、何だか「イベント・プランナー」的な仕事をした人だと思う。それは電通社員だったことと関係あると思う。作家では「ヴェクサシオン」(野間文芸新人賞)、「尋ね人の時間」(芥川賞)を読んだが、80年代後半で忘れてしまった。その前からカネボウのCMソング「ワインレッドのときめき」を歌って知られていた。一番有名なのは訳詞、作曲を務めた「千の風になって」(2003年)である。僕は不思議な歌詞だなあと思ったけど売れた。何をするも自由だけど、なんで長野冬季五輪や平城遷都1300年、北海道新幹線開業などのイベントに関わるのか、正直僕は疑問だった。
(新井満)
 「ファミコンの父」とも呼ばれる上村雅之が12月6日死去、78歳。シャープを経て、71年に任天堂に入社。開発第二部長としてファミリーコンピュータなどの開発を指揮した。その後、立命館大学大学院特任教授、同大のゲーム研究センター長を務めた。
(上村雅之)
 漫画家の古谷三敏が12月8日死去、85歳。手塚治虫、赤塚不二夫のアシスタントを務め、「おそ松くん」「天才バカボン」に関わった。その後、70年から82年まで「ダメおやじ」を連載して大ヒット。毎日新聞日曜版に「ぐうたらママ」を75年から2020年まで45年間連載した。また「寄席芸人伝」「BARレモン・ハート」など多彩な作品を発表した。大泉学園駅前で作品と同名のバー「BARレモンハート」を経営した。
(古谷三敏)
 俳優、声優の神田沙也加が12月18日に死去、35歳。12月に一番大きく報道された訃報だが、僕はこの人のことを松田聖子と神田正輝の間に生まれたと言うこと以外、ほとんど知らない。映画「アナと雪の女王」のアナ役を担当して紅白歌合戦にも出場した。札幌でミュージカル「マイ・フェア・レディ」に出演中だった。自殺だと報道されているが詳細は知らない。
(神田沙也加)

矢田部理(やたべ・おさむ)、5日死去、89歳。74年社会党から茨城県から参議院議員に当選し、以後4回当選。小選挙区制、社民党への改称に反対して離党、新社会党を結成して初代委員長になった。98年は比例区で立候補し落選。
丸谷明夫、7日死去。76歳。吹奏楽の名指導者として知られ、全日本吹奏楽連盟理事長を務めた。大阪府立淀川工業高(現淀川工科高)に実習教員として赴任、その後教員免許を取得し電気科で教えた。その間、吹奏楽部顧問として全日本吹奏楽コンクールに41回出場、32回金賞受賞という全国最多の成果を挙げた。阪神タイガースの優勝パレード、高校野球大会などで指揮をするなど、吹奏楽を越えて関西で活躍した。テレビ番組でも何度も特集されたというが、僕は名前も知らなかった。異動せずに一校で指導できた時代だったんだなと思った。
鈴木淳、9日死去、87歳。作曲家。67年に伊東ゆかりの「小指の想い出」が大ヒット。八代亜紀なみだ恋」、ちあきなおみ四つのお願い」、「X+Y=LOVE」など60年代から70年代の歌謡曲を作った。
高良留美子(こうら・るみこ)、12日死去、88歳。詩人、評論家。母は参議院議員を務めた女性運動家、高良とみ。詩人として50年代から活躍。1963年、詩集「場所」でH氏賞を受賞した。1988年に「仮面の声」(現代詩人賞)、2000年に「風の夜」(丸山豊記念現代詩賞)など多くの詩集がある。女性史や女性問題に関する著作も数多く、「高群逸枝とボーヴォワール」などを残した。訃報が小さく忘れられている感じだが、重要な人だと思う。
柏木博、13日死去、75歳。デザイン評論家。近代デザイン史を研究し、「家具や家電のみならず広告や都市も対象に、造形論にとどまらない、時代や社会を批評するデザイン論を展開し、広く社会に問いかけた」と訃報に出ている。非常に多くの本があるが、僕は知らない。
飯塚繁雄、18日死去、83歳。拉致被害者家族会前代表。金賢姫に日本語を教えた「リ・ウネ」とされる田口八重子さんの兄。
瀬川昌久、29日死去、97歳。ジャズ批評家。富士銀行に入社して、1953年にニューヨークに赴任。本場でデューク・エリントンやチャーリー・パーカーを聞いて、評論活動を始めた。戦前のジャズ・レコードを中心に、映画やミュージカルの評論活動を続けた。長年のポピュラー音楽への寄与に対し、2015年に文化庁長官表彰を受けた。映画監督瀬川昌治の兄にあたる。

ボブ・ドール、5日死去。元米国上院議員。98歳。1996年大統領選で共和党候補として現職のクリントンと争って敗北した。
マイク・ネスミス、10日死去、78歳。元「モンキーズ」のメンバーとして活躍した。解散後はカントリーのバンドで活動。
金英柱(キム・ヨンジュ)、14日死去、101歳(とされる)。金日成の実弟で、朝鮮労働党の要職をかつて歴任した。72年の南北対話では北側の責任者として署名した。この時点では後継候補ナンバーワンとみなされ、副首相を務めていた。その後金正日との後継争いに敗れ、70年代半ばに失脚したとされるが、一時復活が伝えられた。最高人民会議代議員はずっと務めていたというが、まだ存命だったのに驚いた。
リチャード・ロジャース、19日死去、88歳。イギリスの建築家。機能的デザインやハイテク志向のデザインで知られた。ロンドンのロイズ保険本社、ミレニアムドームなどで知られた。全世界で活躍し、日本でも汐留の日本テレビ本社、政策研究大学院大学などがある。
カルロス・マリン、20日死去、53歳。ヴォーカルグループ「イル・ディーヴォ」のリーダーでバリトン担当。クロスオーバー音楽のブームを先導した。新型コロナウイルスに感染していたと言われている。
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ジョエル・コーエン監督「マクベス」を見る

2022年01月05日 20時42分07秒 |  〃  (新作外国映画)
 今回も映画の紹介。12月31日から一部映画館でジョエル・コーエン監督「マクベス」が上映されている。これもまた配信映画だが、Netflixではなく「Apple TV+」の映画。宣伝がないから知らない人が多いと思って紹介する次第。監督のジョエル・コーエンは、今までコーエン兄弟として「ファーゴ」「ノー・カントリー」「トゥルー・グリット」など多くの傑作映画を作ってきた。今回が初の単独クレジットだが、弟のイーサン・コーエンはもう映画製作はいいやということらしい。

 ジョエル・コーエンの妻がフランシス・マクドーマンドで、今まで「ファーゴ」「スリー・ビルボード」「ノマドランド」でアカデミー賞主演女優賞を3回受賞した。彼女がマクベス夫人で、マクベスはデンゼル・ワシントンが演じている。なんと中世スコットランドの王にアフリカ系をキャスティングしたのである。もしカラー映画だったら違和感もあったかもしれない。だが、この映画は画面が真っ暗の白黒映画になっている。デンゼル・ワシントンはすでに発表されたゴールデングローブ賞の主演男優賞にノミネートされた。そのぐらい素晴らしい名演で、「暴君道」まっしぐらの圧倒的な演技を披露している。
(マクベスとマクベス夫人)
 画面がいかに暗いかは上の画像で判るだろう。またセットが凄い。どこかヨーロッパの古城かと思ったが、コロナ禍でそんなことが可能だろうかと疑問。それに幾何学的に計算された光と影の美学で貫かれていて、これはセットだろうなと思った。実際にカリフォルニアに作られたセットで撮影されたということだが、まるで実際の古城でロケされたかのような効果を発揮している。マクベスの物語は有名だからここでは書かない。普通は「マクベス夫人」と言えば「夫をそそのかして悪事に向かわせる悪妻」の代名詞になっている。今回はデンゼル・ワシントンの演技もあって、本人もかなり積極的にやってるような演出だと思った。
(マクベス)
 シェークスピアの戯曲はいずれも何度も映画化されてきた。舞台もそうだけど、近年では今までにない視点からの映画化が多い。例えばマイケル・ラドフォード監督の「ヴェニスの商人」は、ユダヤ人側から描いている。「マクベス」も今までに何度も映画化されてきた。有名なのは、1948年のオーソン・ウェルズ監督「マクベス」、1957年の黒澤明監督「蜘蛛巣城」だろう。僕のベストは1971年のロマン・ポランスキー監督「マクベス」である。日本公開以来見てないが、暴力や不安感の描写が印象的だった。何しろシャロン・テート事件以後に初めて作った作品なのである。
(マクベス夫人)
 今回調べたら、2015年にマリオン・コティヤールがマクベス夫人を演じた「マクベス」(ジャスティン・カーセル監督)もあった。日本でも公開されているが、そんな映画記憶にないなあ。オーソン・ウェルズ版は見てるかどうか覚えてないけど、(「オセロ」や「フォルスタッフ」はよく覚えているが)、今回の映画は余計なものをそぎ落とした骨太の映画だと思う。「3人の魔女」も幻想的な演出だし、負けていくラストも簡潔である。結局はデンゼル・ワシントンとフランシス・マクドーマンドの、運命に操られて滅びてゆく人間像の演技合戦である。筋は知ってるわけだし、何だか配信で見ればいいような気もしたけれど、大スクリーンで見られる機会は少ないから紹介。
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集英社新書「安倍晋三と菅直人」を読む

2022年01月04日 22時12分00秒 | 〃 (さまざまな本)
 年末年始というのに、特に一年のまとめも年頭所感も書いてない。別にもう「新年の抱負」なんて特にないし、明けても全然めでたくない。今年も当然いくつかの良いことはあるだろうけれど、基調としては悪い流れを引きずる年になる。世界のすべてに責任を持つことは出来ないが、それでも日本の中で起こることは時たまは書き続けたい。今年は年始も休まず書いているが、本や映画の感想を残しておきたいのである。まあ一人ぐらい読んだり見たりする人がいるかもしれないし。

 年末に多くのミステリーの合間に読んだ本が、尾中香尚里安倍晋三と菅直人」という本である。集英社新書の10月新刊で、定価1034円。どうしようかと悩んだんだけど、東京新聞の書評を読んで買ってしまった。著者の尾中香尚里(おなか・かおり)氏は毎日新聞記者として大震災と原発事故を取材した。2019年に退社後は共同通信47NEWS、週刊金曜日などに記事を書いているという。この10年間に日本を襲った危機、それが原発事故新型コロナウイルスである。その危機に臨んで国のリーダーがどのように対応したか。それを時の総理大臣だった菅直人安倍晋三、二人を近くで取材した立場から論じた本である。

 最初にこの本を見たときには、あまり読みたい気がしなかった。コロナ禍への安倍政権の対応はまだ覚えているし、原発事故対応も同じ。あまり思い出したくないし、書名にある安倍晋三、菅直人という二人は、この10年でも毀誉褒貶(きよほうへん)、つまり褒めたり貶したりが激しい政治家である。二人とも大好きという国民はいないわけだから、多くの人は読むとどこかで不快感を感じそうである。でも、この本は二つの意味で読んでよかった。一つは10年前の原発事故はもちろん、一去年の新型コロナ登場時のことも細かいことをかなり忘れていた。もう一つはもっと重要で、僕らは大体新聞、テレビ、ネットニュースなどで情報を得ているが、そこでは国会質疑などを全部読むことはないのである。

 この本では時間を整理し、時には国会答弁や記者会見で語られたことをまとめて紹介している。僕もなるほどと思うことが多かった。簡単に感想を書いておくと、まず原発事故。僕もきちんと追っていたわけではないので、菅直人首相や枝野幸男官房長官、福山哲郎官房副長官など事故処理に当たった中心人物たちが回想記を残していたことを知らなかった。それは多くの事故調報告書などと事実関係において、ほぼ矛盾はないという。後になって隠ぺいや自己弁護するのではなく、貴重な経験を残しておくという意味で記憶をまとめたのである。著者は安倍政権でコロナ対応に当たった人たちは回想記を書くだろうかと書いている。

 原発事故においては、首相官邸がずいぶん大きな権限を行使したが、それを批判する人は当時も今もかなりいる。それに対して、原子力災害特別措置法(原災法)で決められている首相の大きな権限を自覚的に行使していたことが指摘される。一方、コロナ禍では安倍政権がなかなか「新型インフルエンザ等対策特別措置法」を発動しなかった。野党側が「」と法律にあるんだから「等には新型コロナウイルスも該当する」と認定すれば、政府は防疫のために大きな権限を行使できるとたびたび指摘しても、安倍政権は応じなかった。結局は法改正を行って、そのために貴重な時間をムダにしたのである。

 安保法制ではあれほど「憲法の拡大解釈」を積み重ねたのに対し、どうしてコロナ禍で法律の拡大解釈的運用を行わなかったのか。一つは新型インフル等特措法が野田内閣で成立した「民主党時代の遺産」なので、「悪夢のような民主党政権」の作ったものは使いたくないらしいのである。もう一つは「憲法に緊急事態条項がない」から政府が危機にあたって権限を行使できない、憲法改正に野党が反対してきたから政府がコロナに対応できないと、あからさまにそこまでは言わないけど、まあそんなニュアンスの発言を度々しているのである。しかし、先ほど書いたように「新型インフル等特措法」の「等」を活用すれば、もっと早くいろんな対応が出来たのである。

 そして法律が改正されても、なかなか緊急事態宣言を発しなかった。全国の学校の一斉休校などを行ったにもかかわらず、権限に基づく民間業者への法的命令を発しなかった。「自粛の要請」に止まることが多く、そのため「自粛警察」みたいな事態が起こった。これらは「補償」を避けたいと言うことだったのがこの本でよく判る。事態の性格が全く違うとは言え、原発事故の時の民主党政権の方がずいぶんマトモだったとこの本を読めば理解出来る。あまりの大災厄だったから、原発事故の時の政府対応はダメだったと思っている人が多いだろう。僕もまあそうだったけれど、コロナ禍の安倍政権よりマシだったのではないか。嘘だと思う人はこの本を読んでから批判して欲しい。

 もう一つ、当時も今もよく批判の的になるのが、菅直人首相の原発訪問である。著者も理解は出来るが、当否の判断は難しいとしている。非常事態において最高指導者が訪問したちょうどその時に、原発の爆発が首相ヘリを直撃することも可能性としては絶無ではないからだ。しかし理系の菅直人首相にとって、原発を理解出来ていない官僚的な対応、説明に満足出来なかった。その問題はちょっと置いて、原発視察後のヘリは燃料の持つ限界まで北上して津波被害も確認したのだという。その結果、首相は自衛隊派遣人員をそれまでの5万人から10万人と倍増させた。自衛隊を活用するんだから、自民党は歓迎するかと思うと、この本によると「本来業務」、つまり「国防」に影響すると批判したのだという。そんなことがあったのかと今さら驚いた。ちょっと読んでみて欲しい。
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ジンネマン監督の「結婚式のメンバー」(1952年)を見る

2022年01月03日 22時14分42秒 |  〃  (旧作外国映画)
 シネマヴェーラ渋谷で「Strangers in Hollywood 1」という特集をやっていて、ヨーロッパ生まれでアメリカに渡った3人の監督、ダグラス・サークロバート・シオドマクフレッド・ジンネマンの初期作品を上映している。全部見るわけにもいかないけど、僕は40年代、50年代ハリウッドのB級犯罪映画やメロドラマが大好きなので、いろいろと楽しんで見ている。今日はフレッド・ジンネマン監督「結婚式のメンバー」(The Member of the Wedding)を見に行った。これは日本未公開なので貴重である。

 名前で判る人もいると思うが、これはカーソン・マッカラーズ原作の映画化である。近年村上春樹の新訳が新潮文庫から刊行されている。そのことは「村上柴田翻訳堂①-村上春樹の本をちょっと①」(2016.11.17)で書いた。原作は1946年に刊行され、その後舞台化されて評判になったらしく、それが1952年に映画化された。フレッド・ジンネマン監督としては「真昼の決闘」(1952)と「地上(ここ)より永遠(とわ)に」(1953)の間に作られた作品。「真昼の決闘」と「地上より永遠に」は映画ファンなら皆が知る作品だが、その間にこんな文芸名作の佳品を作っていたとは知らなかった。
(村上春樹訳「結婚式のメンバー」)
 この小説はアメリカ南部(原作者の生まれたジョージア州あたり?)の蒸し暑いひと夏、ある小さな町に住む12歳のフランキージュリー・ハリス)を描いている。かなりエキセントリックなフランキーは、母はすでに亡く父も忙しくて相手にしてくれない。故郷に居場所がないフランキーは、もうすぐある兄の結婚式後の一緒に家出しようとしている。近くの基地で従軍している兄ジャービスは、優しいジャニスと結ばれた。まさか新婚旅行に妹が付いていくなんてあるわけないと周囲は頭から思っているが、まだ子どものフランキーはひたすら脱出の機会を待ち望んでいる。兄夫婦に憧れて、名前も「ジャスミン」と変えたいぐらい。
(フランキー役のジュリー・ハリス)
 フランキーの日常は優しい家政婦のベレニス(エセル・ウォーターズ)と幼い従兄弟のジョン・ヘンリー(ブランドン・デ・ワイルド)と遊ぶだけ。黒人のベレニスは自分の家に問題がある。フランキーの相手をしてくれるけど、本気で家出をするつもりの思春期の悩みは判らない。そして兄の結婚式が終わって、フランキーはハネムーンの車に乗り込んで待っているが、皆が力ずくで追い出してしまう。夜になって一人家出したフランキーだったが、酔った男にからまれる。やむなく自宅へ戻るとジョン・ヘンリーが突然危篤になっていた。こうしてひと夏の冒険が不発に終わったフランキーは大人に近づいて行くのだった。

 加島祥造訳では「夏の黄昏」と題されていた。そのような南部の夏の黄昏に、少女期の心の揺らぎ印象的に描いている。フランキー役のジュリー・ハリスは舞台でも演じて評判になったという。この映画ではすでに25歳を越えていたが少女の雰囲気を出している。この映画でなんとアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。舞台女優としてトニー賞を5回の受賞しているが、映画「エデンの東」で兄の恋人でありながら弟のジェームス・ディーンに惹かれていくアブラを演じた人だった。小さなジョン・ヘンリーを演じたブランドン・デ・ワイルドも劇で同役をやって評判になり映画に出演した。ゴールデングローブ賞の助演男優賞を受賞している。この人は「シェーン」のジョーイ少年、「シェーン、カムバック」と叫んだ少年である。でも「エデンの東」も「シェーン」も判らずに見た。

 ベレニス役のエセル・ウォーターズはまず歌手として有名になった人で戦前から有名だったらしい。やはり舞台版「結婚式のメンバー」からやっていて、やけに3人のアンサンブルがいいと思ったのも理由があった。カーソン・マッカラーズ原作では最近村上春樹訳が出た「心は孤独な狩人」の映画化「愛すれど心さびしく」(1968)も見てみたいものだ。フレッド・ジンネマン監督は同時代で見た「ジャッカルの日」「ジュリア」が思い出される。今回初期作品をいろいろと見てB級時代のノワール映画が面白いのに驚いた。また戦時中に作られた反ナチス映画、アンナ・ゼーガース原作の「第七の十字架」は以前に見て紹介したことがある。「結婚式のメンバー」は今後3連休を含めて6回の上映がある。古い映画やアメリカ文学に関心がある人向けに紹介した次第。
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米澤穂信「黒牢城」、戦国大名「荒木村重という謎」に迫る

2022年01月02日 22時56分39秒 | 〃 (ミステリー)
 今本屋でいっぱい並んでいるのが米澤穂信黒牢城」(角川書店)である。「このミステリーがすごい!」「週刊文春」「ミステリが読みたい」「本格ミステリ・ベスト10」で、それぞれ2021年のベストワンに選出された。だから「史上初 4大ミステリランキング完全制覇」とうたっている。他に第12回山田風太郎賞を受賞し、また直木賞の候補にもなっている。

 米澤穂信(よねざわ・ほのぶ)は僕がものすごく読んでる作家である。「古典部シリーズ」「小市民シリーズ」など高校生が主人公のライトノベル風な「日常の謎」ミステリーが好きなのである。今まで各種ミステリーベストテンでは「満願」「王とサーカス」などが高く評価されたが、僕はどうもなあと思うところがあってブログでは書いてない。(中世イングランドを舞台にした「折れた竜骨」は読んでない。)今度の「黒牢城」は戦国時代の史実をもとに「本格推理」を展開するとともに、歴史に潜む謎をも解き明かすという驚くべきアイディアで書かれている。

 時は1578年。畿内をほぼ統一した織田信長は残された石山本願寺(一向一揆)との戦いと進めるとともに、羽柴秀吉や明智光秀に命じて山陽、山陰への進出を進めていた。しかし、秀吉と共に播磨(はりま)の三木氏を攻略していた荒木村重が突如信長に反旗を翻した。村重は一代で摂津(せっつ、大阪府北部、兵庫県南東部)を制圧し、摂津守に任じられていた。ところが突然、本願寺や毛利氏と連携して反信長陣営に加わったのである。古来より何故反乱を起こしたのかには諸説があって確証がない。

 信長もこの謀反には驚いたらしく、明智光秀らを説得に派遣している。一度は説得に応じようとした村重だが、中川清秀から信長は一度反旗を翻した臣下を許さないと言われて、本拠地の有岡城(伊丹城)に戻った。(中川清秀が逆にその後信長に投降する。)秀吉も村重と旧知の小寺官兵衛(後の黒田孝高)を説得に派遣したが、村重は当時の通念に反して官兵衛を生かしたまま土牢に閉じ込めてしまった。(官兵衛は後の筑前福岡藩黒田家の祖になった。)こうして荒木村重の反信長籠城戦が始まった。

 ここまでは完全に史実そのままである。荒木村重の謀反は教科書に載るほどではないが、戦国時代に関心がある人なら誰でも知っている。黒田官兵衛が幽閉されたのも史実。有岡城開城後にからくも救出されて、以後秀吉のもとで武将として大成する。ところで、この「黒牢城」は信長軍と対峙しながら毛利の援軍を待ち続ける有岡城内で、奇妙な不可思議事態(不可能犯罪)が発生する。その謎と背景に潜む思惑を村重が解き明かそうとするが、なかなか解明できずに困り果てると城内の牢を降りていって官兵衛に謎を語る。官兵衛の言葉をヒントにして、村重が謎を解く。という超絶的発想の謎解きミステリーなのである。
(有岡城址)
 それぞれの謎は、「密室殺人」に近い事件、戦場の手柄首の消滅事件、旅の僧侶の殺人事件など、なかなか工夫を凝らしている。しかし、最後になって判るが、それらは実はもっと深い背景事情があって起こっていた。僕はそれまでは何で厳しい籠城戦を持ちこたえている有岡城で、よりによって「不可能犯罪」が起こるのか、疑問を持たざるを得なかった。設定に無理があるんじゃないかという感じである。無理にミステリーにしなくても、単に歴史小説で良いのではないか。しかし、最後まで読むと、官兵衛を生かした意味、その献策が持つ意味を通じて、村重最大の謎に迫るのに驚いてしまった。

 村重最大の謎とは、状況が悪化した時点で自ら城を抜け出て、尼崎城に移ったことである。有岡城は主を失って開城を余儀なくされる。村重や主要な武将の妻子は信長の命によって無惨に処刑された。村重はその後も花隈城によって信長軍に抵抗を続け、敗北しても毛利家に亡命して生き延びた。1582年の本能寺の変で信長が横死すると、堺に移って茶人として復活した。もともと「利休十哲」の一人で茶人として有名だった。そのことは小説の中でもうまく生かされている。村重はその後1586年に死去して秀吉による全国統一を見ることはなかった。しかし、信長の死後まで生き延びた。それは武将としては恥辱だったかもしれないが。

 僕はこの超絶的なミステリーを面白く読んだが、結構長くて大変だった。正直言って戦国時代のイメージや予備知識がないと大変だと思う。ミステリーとしても、先に読んだ「自由研究には向かない殺人」の方が間違いなく面白いと思う。やはり、このような本格ミステリー仕立てにしなくても、歴史的事実そのものが謎に包まれているんだから歴史小説で良かったんじゃないかと思ってしまう。歴史上の有名人物が探偵役になるミステリーはかなり書かれている。「黒牢城」もその一つになるが、主人公(村重)が抱えている苦難は飛び抜けている。とても謎解きをしてるヒマはないだろう。

 まあそこは上手に設定されているが、ここではミステリーだから詳細は書けない。結局光秀も謀反するんだから、村重は「早すぎた決起」ということになるのか。それにしても、何故有岡城を脱出したのかはこの小説の解釈でも僕は完全には判らなかった。この小説では「官兵衛の画策」に大きな意味を見出している。が、それはフィクションなんだから不明と言うしかない。結局「荒木村重という謎」の方が大きすぎて、 この力作ミステリーでも完全には納得できなかったという感じ。なお、浮世絵の祖といわれる岩佐又兵衛は村重の子供だと言われている。そこもミステリーである。村重の子は何人か生き延びて、諸家に仕えている。
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「世界で一番美しい少年」、ビョルン・アンドレセンの人生

2022年01月01日 21時12分43秒 |  〃  (新作外国映画)
 2021年に見た最後の映画は「世界で一番美しい少年」( The Most Beautiful Boy in the World)。ルキノ・ヴィスコンティ監督「ベニスに死す」のタジオ役で一躍世界に知られたビョルン・アンドレセンの驚くべき人生を描くドキュメンタリー映画である。クリスティーナ・リンドストロムクリスティアン・ペトリの二人が共同監督にクレジットされている。前者のリンドストレムは以前に書いた「パルメ」(暗殺されたスウェーデンの元首相)を作った監督の一人だった。

 ここで書くつもりで見たわけじゃないんだけど、あまりに驚くべき悲惨だったのと日本に深い関わりがあったので、書いておこうと思った。ビョルン・アンドレセンに僕はそれほど関心があったわけではなく、最近アリ・アスター監督「ミッドサマー」(見逃し)に老人役で出ていたことも知らなかった。この映画を見ると、そもそも家族に恵まれない人生だった。父も母もなく祖母に育てられ、音楽好きでバンドをやってる少年だった。映画には出て来ないが、ウィキペディアを見るとロイ・アンダーソン監督の「スウェーディッシュ・ラブ・ストーリー」(旧題「純愛日記」)にチョイ役で出演していたという。

 その後、タジオ役を求めるヴィスコンティのオーディションに祖母の勧めで参加。すぐにヴィスコンティはこれだと思ったらしい。オーディションの様子は映像に残されているが、それはイタリアの公共放送RAIの依頼で撮られたものである。選ばれてベニスへ向かって「ベニスに死す」に出演。映画はカンヌ映画祭で25周年記念賞を獲得し、日本でもキネマ旬報ベストワンになった。しかし、日本では興行的には厳しく、以後「家族の肖像」(1974)が4年遅れで岩波ホールで公開されるまで、しばらくヴィスコンティ作品は日本で上映されなかった。僕はこの映画を高校1年の時にリアルタイムで見て非常に感動した。
(「ベニスに死す」)
 僕は映画はよく覚えているけど、ビョルン・アンドレセンについては特に何も感じなかった。だから、この映画で出て来たように、日本でアイドル視されたことは全く覚えていない。明治製菓のチョコレート「エクセル」のCMに出ていたんだから、当時見たこともあるんだと思う。このチョコは今はないが、僕も覚えている。でもCMは全然覚えてない。そして彼は日本語歌詞の歌までレコーディングしていた。祖母は日本で成功するように望んでいた。世界中からファンレターが来たが、特に日本からが圧倒的に多かったという。極めつけは池田理代子が出て来て、「ベルサイユのばら」のオスカルのイメージはビョルンだと語る。
(東京を再訪して)
 いや、全く思いもよらぬことばかり。ところで、この事態は16歳のビョルン・アンドレセンにとっては、全くコントロール出来ないものだった。特にゲイを公表していたヴィスコンティが「世界で一番美しい少年」と評したことで、彼は性的な眼差しにさらされることになった。「美少年」イメージが先行して、精神的に追いつめられる。家族関係の不幸も重なり、一時はアルコールに溺れたりウツ状態だったらしい。この映画の撮影当時はボロアパートの一人暮らしでほとんどゴミ屋敷みたいな感じである。そこから立ち直って、取材として東京やベニスを再訪する。ビョルン自身は好きだった日本を再訪できて良かったと語っている。

 僕は「美少年」に関心がないというよりは、性別を問わず彼のような顔の長いタイプは好みに入ってこないのである。だから、「ベニスに死す」という映画は傑作だと思うけれど、映画でダーク・ボガードがビョルン・アンドレセンを「発見」する設定そのものが今ひとつ判らなかった。まあ、とにかく美少年も老いてゆくわけである。今回知ったけれど、日本流で数えれば学年は一つ上だけど、同じ年に生まれていたことに驚いてしまった。
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