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絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

ひとりじゃさびしかろうはどこから来るのか

2006-06-08 15:41:49 | 好きな絵本

 今、旬のくだものはなんでしょう?

 私はアメリカンチェリーが大好きなので、6月になると、八百屋さんの店先で、
スーパーマーケットの果物コーナーで、アメリカンチェリーが、グラムいくらで
売っているかに、目を光らせます。

 今日もさっそく買いに行ったのですが、売っていたのは「さくらんぼ」。なので代わりに、
目玉商品のキウイフルーツを買いました。9個も入っていて、198円(税込み価格)!なんです。
 たぶん、途中で飽きてしまうので、初の試み「キウイジャム」にしてみようと思いました。

 だって、この絵本を読んだばかりなんです。

        キウイじいさん(クレヨンハウス)


       『キウイじいさん』

        渡辺茂夫 文
            長 新太 絵

   キウイのすきな じいさんが、
   キウイのなえを いっぽんかって、
   にわにうえた。

   「キウイ はよう みをならかせ」と、
   まいにち みずをやっていると、
   キウイのなえは、ひょろひょろのびて
   はをしげらせたけれど、
   はなが ひとつだけ ぽちりと さいて、
   ぽろりと おちただけ。

 
植物を栽培したことがある人なら、この気持ちよくわかりますよね。毎日水をあげながら、
心の中で、ついつぶやいてしまうはず‥です。

 さて。キウイも交雑受粉をしないと実がつかない植物だということを、この絵本を読んで
初めて知りました。そもそも「交雑受粉」という言葉さえ、お初で。

 先日ブルーベリーの苗を買ったとき、同じ系統の別の品種を一緒に育てると実がよく
つきます、と説明がついていたのは、この「交雑」のことだったんだなと、自分の中で合点!
となったしだいです。

 絵本に戻って。

 「じいさん、一本だけではいくら水をあげたって、一生実がつかないよー」と思っていたら、

   じいさんは、つぎのとし、
   キウイも ひとりじゃ さびしかろうと、
   もういっぽん なえをかってきて、
   ならべてうえて、

 うんうん、よかった、もう1本買ってきてくれて、と安心しました。

 キウイも ひとりじゃ さびしかろうと 
 このひとことが、このあってないような「理由」が、私はとってもいいなあと思っています。

 私は、おばあちゃん子でしたから、理詰めではない、こういいもの言いにとても慣れて、
いや、馴染んでいます。植物だから、寂しいなんて感情はなく、受粉するために必要不可欠
だった、が正解なんですが、ひょろっと伸びている苗が風に吹かれたりなんかしているのを
みると、それはやっぱり「寂しそう」に見えたりするし、もう1本、隣になんか植えてやろうかねえ、
というのが人間の情、というものです。

 お母さんに叱られたときも、学校でいやなことがあったときも、転んで血がでたときも、
「〇〇ちゃんは、わるくないよ、〇〇ちゃんはわるくない」
 なんで泣いているのか、すねているのか、おこっているのかの理由はともかく、いったん
脇に置いて、理屈抜きに、私を肯定してくれたおばあちゃん。泣くだけ泣いて、背中を
さすられているうちに、またその「理由」に向き合ってみよう、という勇気がわいてきたような‥
今思えばそんな気がするのです。

 大きく話はそれていきましたが、ひとりじゃ さびしかろうと の気持ちは、
「理屈抜きの大肯定」にもどこかで繋がっているようで‥大切にしなければ、
大切にしていきたい気持ちのうちのひとつです。

 
 無事、交雑受粉できた、じいさんのうちのキウイは、じいさんの気づかぬうちにどんどん
大きくなっていき、

   キウイの すきな じいさんは おおよろこび。
   「はよう うれよ、うれたら もいで、
   はらいっぱい くおう」と、
   キウイのりょうりを かんがえた。

 
じいさんの考えたたくさんの料理の中に、キウイのジャムもあったんです。


 
 ここからは余談ですが。

 この絵本が発行されたのは、昨年の11月。そう、長新太さんが亡くなられた後です。
 入退院、家での介護の末、昨年9月に私も父を亡くしたばかりだったので、本文なかほどに
出てくる「ベッドの上のおじいさんのパジャマ姿」に敏感に反応してしまい‥。
書店でこの絵本を見つけ、ページをめくっていくうちに、とてもつらい気持ちになったのを
よく覚えています。
 それから、9ヶ月という時間が流れ、今は、そう感じた自分の気持ちを「思い出」の
カテゴリーに入れることができたようです。図書館で見つけた時も、もう動揺しませんでした。

 長新太さんは、この絵本でキウイを描くにあたって、こうあとがきで述べています。

「どんな枝ぶりなのか、どんな葉なのか、そのへんのところがわかりません。
そういったことがわからないと、描けません。マンガふうだから、いいじゃないかと
思われるかもしれませんが、なんだか不安なのです。結局、伊豆の知人の家で発見。
クネクネしたつるを帽子のように頭にのせて、急いで帰宅したのでした」

 ほんとに頭に乗せたのかな、乗せたのだろうな。急いで家に戻って、仕事場にこもり、
一生懸命描いたのだろうな、傍らにキウイを置いて。そのときは、お体の具合は
どうだったのだろう?

 ついつい、またそんなことを想ってしまうのでした。
  

コメント (8)
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