すこし前になってしまいますが‥6月16日(金)5年生のクラスでの「読み聞かせ」で、この絵本を読みました。
よーく、文字を見てください。「おとしものしちゃった」ではなく、「おとしものしちゃた」なんです。
『おとしものしちゃた』
中山千夏 文
長新太 絵
私がこの絵本を知ったのは、今から1ヶ月くらい前。珍しくメモも見ず、目当ての本もなく、ただ絵本の棚を端から見ていて、偶然見つけ、ひとめぼれしてしまったのです。
何がそんなによかったのかというと‥何と言っても、長新太さんが描くこの絵がよかったのです。
表紙の中の四角いピンク色の子は、シャキットまちのサッサさんという名前なんですが、このサッサさんが抜群にかわいい!!と思ったのです。
長新太さんの数多くの作品の、きっとまだ半分も読破してないと思うのですが、そんな状況で、断言してしまうのもどうかなあとは思うのですが。それでも言い切ってしまうと、私が出会った長新太作品の中で、これほど、自分の好きな色にぴったりの作品は初めてだったのです。開いたどのページの色も、形も、どれもみんな、私の気持ちの大きさにぴったりあったというか‥まるで知らない人がカゴにたくさんのフルーツを入れて持ってきてくれて、そのフルーツのどれもが、私の好みのものだったみたいな、そんな嬉しい驚きさえ感じました。
サッサさんのピンク色もいいし、月がのぼったときのオレンジ色の空もいい。
とおりかかったロケットの色も、ロケットから出る迫力ある煙の色もいい。
ページ半分埋ったたんぽぽの黄色も、そこから出てくるでんでんむしの渦巻きの色もいいのです。
テキストは、中山千夏さん。自由国民社から出ている「中山千夏の絵本」シリーズのうちの1冊のようです。ほかにも長谷川義史さん絵の『となりのイカン』や、和田誠さん絵の『どんなかんじかな』、安西水丸さん絵の『あげたらおはなし』などが出ています。
『おとしものしちゃた』は、なんでもてきぱきパッパとやらないと気がすまないサッサさんが、いろんなものを片付けすぎて、小さい「っ」をどこかへ落としてきてしまうというお話です。
のはらでたんぽぽかたづけた
はまべでかいがらかたづけた
とおりでのらねこかたづけた
ひろばでかみくずかたづけた
ついでにほしくずかたづけて
そこでたいへんきがついた
なぜ、サッサさんは紙屑と一緒に星屑も片付けてしまったのでしょう?
なぜ、そのときに小さい「っ」を落としてしまったのでしょう??
ちょこっとそのあたりがひっかかっているのですが、それよりも、「っ」をなくしたサッサさんの困りようがかわいそうで‥。
何かをなくしてしまうということは、その原因を何で、何でと探ったところでどうにかなるわけではなく、ないものはもうないのだから、ただひたすら探し求めるしかないじゃないかと、いつか自分自身に向って言い聞かせてみたことを思い出し、そして尚更サッサさんが不憫に思えてくるのです。
だから、でんでんむしやってきて、
ゆっくりゆっくりかおだして
「あなたはどなた?どうしたの?」
と言ってくれたときは、それはそれはサッサさん、嬉しかったことでしょう。
でんでんむしは、サッサさんの話をがんばって100回聞いて、たんぽぽをもう片付けないでくれたらの条件付きで、わたしのちいさいつをあげます 思わずサッサさんが頷くと‥
そのとたん
ちいさいつがつつつともどったんだ
でんでんむしはこう言いながら去って行きます。
「めでたいですね」
でんでんむしもじょうきげん
「わたしはなくてもいいんです」
のんびりはなせばいいんだし
かたづけなければならないときも
はしらなければいいんだし
のろのろそろりでいいんだし
ほらね
ちいさいつなしで
なんとかなりますだいじょうぶ」
たんぽぽのあいだを
しあわせそうにはってった
いろんなことがこの言葉に集約されていて、いろんなことを汲み取ることができる言葉です。
私は、ここの箇所が読みたいばっかりに、この本を、5年生の読み聞かせに選んだのかなと、自分でも思っています。このゆったりとしたことばのリズムがなんとも言えず心地よく、お風呂の中でつらつら考えている時に、ふと浮かんできたりしたのです。
今日この絵本のことを書くつもりはなかったのですが。kayoさん や、miyacoさん のところで長新太さんの記事を読み、「今日」書くことに意義があるように思えてきたので、そうすることにしました。
よーく、文字を見てください。「おとしものしちゃった」ではなく、「おとしものしちゃた」なんです。
『おとしものしちゃた』
中山千夏 文
長新太 絵
私がこの絵本を知ったのは、今から1ヶ月くらい前。珍しくメモも見ず、目当ての本もなく、ただ絵本の棚を端から見ていて、偶然見つけ、ひとめぼれしてしまったのです。
何がそんなによかったのかというと‥何と言っても、長新太さんが描くこの絵がよかったのです。
表紙の中の四角いピンク色の子は、シャキットまちのサッサさんという名前なんですが、このサッサさんが抜群にかわいい!!と思ったのです。
長新太さんの数多くの作品の、きっとまだ半分も読破してないと思うのですが、そんな状況で、断言してしまうのもどうかなあとは思うのですが。それでも言い切ってしまうと、私が出会った長新太作品の中で、これほど、自分の好きな色にぴったりの作品は初めてだったのです。開いたどのページの色も、形も、どれもみんな、私の気持ちの大きさにぴったりあったというか‥まるで知らない人がカゴにたくさんのフルーツを入れて持ってきてくれて、そのフルーツのどれもが、私の好みのものだったみたいな、そんな嬉しい驚きさえ感じました。
サッサさんのピンク色もいいし、月がのぼったときのオレンジ色の空もいい。
とおりかかったロケットの色も、ロケットから出る迫力ある煙の色もいい。
ページ半分埋ったたんぽぽの黄色も、そこから出てくるでんでんむしの渦巻きの色もいいのです。
テキストは、中山千夏さん。自由国民社から出ている「中山千夏の絵本」シリーズのうちの1冊のようです。ほかにも長谷川義史さん絵の『となりのイカン』や、和田誠さん絵の『どんなかんじかな』、安西水丸さん絵の『あげたらおはなし』などが出ています。
『おとしものしちゃた』は、なんでもてきぱきパッパとやらないと気がすまないサッサさんが、いろんなものを片付けすぎて、小さい「っ」をどこかへ落としてきてしまうというお話です。
のはらでたんぽぽかたづけた
はまべでかいがらかたづけた
とおりでのらねこかたづけた
ひろばでかみくずかたづけた
ついでにほしくずかたづけて
そこでたいへんきがついた
なぜ、サッサさんは紙屑と一緒に星屑も片付けてしまったのでしょう?
なぜ、そのときに小さい「っ」を落としてしまったのでしょう??
ちょこっとそのあたりがひっかかっているのですが、それよりも、「っ」をなくしたサッサさんの困りようがかわいそうで‥。
何かをなくしてしまうということは、その原因を何で、何でと探ったところでどうにかなるわけではなく、ないものはもうないのだから、ただひたすら探し求めるしかないじゃないかと、いつか自分自身に向って言い聞かせてみたことを思い出し、そして尚更サッサさんが不憫に思えてくるのです。
だから、でんでんむしやってきて、
ゆっくりゆっくりかおだして
「あなたはどなた?どうしたの?」
と言ってくれたときは、それはそれはサッサさん、嬉しかったことでしょう。
でんでんむしは、サッサさんの話をがんばって100回聞いて、たんぽぽをもう片付けないでくれたらの条件付きで、わたしのちいさいつをあげます 思わずサッサさんが頷くと‥
そのとたん
ちいさいつがつつつともどったんだ
でんでんむしはこう言いながら去って行きます。
「めでたいですね」
でんでんむしもじょうきげん
「わたしはなくてもいいんです」
のんびりはなせばいいんだし
かたづけなければならないときも
はしらなければいいんだし
のろのろそろりでいいんだし
ほらね
ちいさいつなしで
なんとかなりますだいじょうぶ」
たんぽぽのあいだを
しあわせそうにはってった
いろんなことがこの言葉に集約されていて、いろんなことを汲み取ることができる言葉です。
私は、ここの箇所が読みたいばっかりに、この本を、5年生の読み聞かせに選んだのかなと、自分でも思っています。このゆったりとしたことばのリズムがなんとも言えず心地よく、お風呂の中でつらつら考えている時に、ふと浮かんできたりしたのです。
今日この絵本のことを書くつもりはなかったのですが。kayoさん や、miyacoさん のところで長新太さんの記事を読み、「今日」書くことに意義があるように思えてきたので、そうすることにしました。