旅行の話、書きたいなあ。忘れないうちに残しておかないと‥と思いながら、昨日の日曜日に、
家族3人で見に行った、国立博物館の展覧会の話を先に書くことにしました。
(京都等の話は、1回きりでは終わりそうもないので)
伊藤若冲の作品に惹かれていたのは、私ではなく夫の方で、この展覧会を知った時も、
どれくらい若冲の作品があるのかなあとしきりに気にしていたのです。夫が決めかねているうちに、
私が、まつかぜさんがお出掛けになった記事と、そのコメント欄で「散歩な生活」のmiyacoさんちも
見にいった話を読み、miyacoさんからは「絶対に好きだと思いますよ」と力強いお言葉まで頂いて‥
それならばと、気合を入れて出かけてきました。
この展覧会を見ながら思ったこと‥大きく分けると2つにまとまりました。
ひとつは、屏風って日本家屋にふさわしい、なくてはならない装飾品であり、家具だったのだなあということ。
会場に足を踏み入れて、最初に思ったのは、「暗い」ということでした。陽の下の明るさだけでなく、
夜が暗くならない生活にも慣れているせいか、照明をかなり抑えてある会場内は、とても暗く感じました。
その中でガラスケースの中の掛け軸や屏風を見ていくうちに、ほとんどの場合、家の中は暗かったのだということに
気がつき、薄暗い座敷の中に置かれた屏風は、だからこそ、その美しさを存分に発揮できたのだと、自分の中で
納得がいきました。正面から向き合うもよし、斜から見るもし。朝の光の中のそれと、蝋燭(行灯?)の灯りの下とでは、
同じ絵が違って見えるであろうということも、今回の展示の中の「光と絵画の表情」のコーナーで体験し実感しました。
それにしても、ただ「しきる」ためや「目隠し」のためなら、1枚の板状のものでよかったはずなのに、
それをじぐざぐに折れるようにした(畳んでしまうこともできるし)のは、とても素晴らしいと思います。
一つ角度が付くごとに、そこに表情が生まれます。
もうひとつは、若冲の絵を見て思ったことなのですが。
その前に、朝10時半にもかかわらず、なんでこんなに、この会場に、若冲という江戸時代の人の絵を見るために
大勢の人間が居るのだろうと、思ってしまいました。幼い子を連れたママやら、若いカップルやら、
私たちのような親子連れ、老夫婦。和服をお召しになった方、バックパックを背負った方‥
とにかく電車の車両にたまたま乗り合わせたというふうな‥特定の傾向が見られないということなんですが‥
人が皆一様に、若冲の絵を見ているんです。
しばし、考えてしまいました。ゴッホとかモネとかルノワールなど日本で人気がある、印象派の展覧会も
こんな風なのかあと。
それとも、若冲や、他の江戸絵画の作家によって描かれた掛け軸や、屏風だからこそ、なのでしょうか。
後者だとしたら、「やっぱり新しい畳の匂いはいいね」や、「おしょうゆがちょっと焦げた香ばしさがたまらない」という、
私たち誰でもが持つ「日本人としてのDNA」が、この絵画展に人々を向かわせているのではないか、
なんて思ってしまいました。
話をもとに戻します。
若冲の絵を見て思ったこと‥それは、バランスのよさということでした。
構図のバランスが取れているとか、色のバランスが素晴らしいとか、そういうのとはちょっと
違った意味合いになるかもしれませんが。1枚の絵の中でも、部分によっては、ひどく大雑把に、筆の勢いだけで
描いていたかと思うと、鋭く観察し、とても丹念に仕上げたところもあって。
全体としてみた時にそこのあたりがとても見る側に「おもしろみ」を与えているのだと思うのです。
力強いところ、穏やかなところ、丁寧な部分、省いた部分‥そういう力加減というか、匙加減というか、
バランス感覚のとても優れた人だったのではないでしょうか。
絵でも写真でも、そして文章においても、バランスがとれている、バランスがよいということは、
とっても大切なことだと、しみじみ思ったしだいです。
巧く描けている(書けている)だけでは、人は感動しないのです。