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絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

見つめた先にあったもの

2008-03-29 15:12:23 | 好きな本


ふたりのゴッホ ゴッホと賢治37年の心の軌跡
  『ふたりのゴッホ ゴッホと賢治37年の心の軌跡』
       伊勢英子 作


この本は、画家のゴッホと、詩人であり童話作家の宮沢賢治に
国や時代の垣根を越えて、こんなにも似通っているところがあったのだ
ということを、伊勢英子という画家が、自分の足で実際にゆかりの地を旅し、
自分の目で見たこと、感じたことを、研究し、表したものです。
文章にしながら、伊勢英子さんは、自分の中にある、
ゴッホと賢治への尽きない気持ちを、確かめていたのだと思います。


ふたりは、生まれた場所、生まれた年代は違うのに、
こんなにも、共通したところがありました。

宗教心、猛烈な読書、弟(ゴッホの場合)妹(賢治の場合)への限りない愛情、
旅への欲求、生前の不遇、貧困、37年の生涯。そして、どちらの家庭も
裕福であり、父親の期待を受けた長男として生まれたことー。



私の中でも、ゴッホという画家は、興味のある人でした。
20年くらい前に竹橋で開かれた展覧会の図録や、自分で買い求めた画集があり、
それに、何の本で読んだかは思い出せませんが、波乱万丈な人生や
ゴーガンとの因縁も、よく覚えていました。

ゴッホの描いた絵の中で、好きなのは「アイリス」。
跳ね橋や教会や糸杉やひまわりや麦畑など、どれも強く印象に残りますが、
ゴッホが描いた自画像も、忘れてはならない彼の重要なモチーフです。

自画像を、描く人の気持ちは、推察できます。
そこにある自分というものを、すこしでも、自分自身で捕まえたい、
あるいは深く知りたいからでしょう。

椅子だけを描いた絵もあります。
自分の椅子と、ゴーガン用に用意した椅子の絵。

『ふたりのゴッホ』202ページに、椅子についての記述がありました。

 ゴッホは空っぽの椅子を描くことで自分の不在を描いたのだが
 それ(不在を描くこと)は、そこにそれを描く画家の眼と不在を
 凝視する視線があったことを意味する。
 つまりゴッホは不在と同時に強烈に自分の「存在」を描いたと
 いうことだ。



どうやって描いたか、ということよりも、
何を描いたか、ということのほうが、より重きをおかれることなのだと
あらためて思いました。

ゴッホが見た自分自身、ゴッホが見たゴーガンのための椅子、
ゴッホがみたひまわり、ゴッホが見た糸杉、ゴッホが見た麦畑…

気持ちが寄り添えば寄り添うほど、その絵は、ずきずきと見るものに
迫ってくるでしょう。


ことばによって、切り取られた風景も、それを読むものの中に、
またイメージとなって同じ風景を呼び起こします。
私は、宮沢賢治作品を、そう多くは知らないので、痛むほどの詰まった気持ちは
沸き起こりませんが、深くその世界を知っている人は、ゴッホの絵から感じるのと
同じようなせつなさを受けるのでしょう。





ゴッホが生まれたのは、1853年。宮沢賢治は1896年生まれです。
ゴッホは、賢治のことを知るはずもないですが、賢治は、ゴッホの名も
ゴッホの作品も知っていたのではないでしょうか。


まだ読んだことがない宮沢賢治作品にも、伊勢英子さんの他の
著作へも、興味はつきません。




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3月をふりかえる

2008-03-29 12:05:47 | 日々のこと
気が着けば、3月ももう終わりで、お花見日和です。


私の3月は、伊勢英子さんのサイン会で始まり、長田弘さんの
お話
を聴いて‥(そのあたりまではよかったのですが)
でも、左耳を傷つけてしまって耳鼻科へ通い、加えて、
先週右足ふくらはぎのニクバナレ‥気候がよくなるのと反対に
気持ちは下降ぎみでした。

左耳は、まったく自分自身のせいなのです。掃除のし過ぎと、
耳鼻科の先生に叱られました。
病名はついてないのですが、耳の中がなかなか乾かず、いつも
水がはいっているみたいな閉塞感がつきまとっています。

右足は‥エアロビクスのレッスン中のことで、ちゃんとストレッチもしたし、
自分のせいではないかなあと思っていますが、年齢を考慮した準備を、
もうすこししていかないといけないという、忠告みたいなものでしょうね、
体からの。



「こだわる」という言葉がありますよね?
いい意味で使われると、使われたほうは、すこし嬉しくなるような‥
でも、固執するという意味に近くなると、ちょっとまずいかなあという
感じになってきます。

今回、そのよくない「固執」が左耳をきれいにする、そうじする、さわる、いじる
という方向にむいてしまいました。いけないいけないと思いながらも、
やめることができないのです‥そして、とうとう「閉塞感」というところまで
やってきて、やっと、自分を制することができるのです。
そういうのって、かなり、まずい、と自分でも感じています。
数年前、手と腕にかけての湿疹が悪化したときも、思えば、そういう過程を
踏んでいたと思います。これ以上、触ったら、掻いたら、いけないってわかって
いるけど‥。



そんな体調不良の毎日の中で、この本をすこしづつ読んでいました。



ふたりのゴッホ ゴッホと賢治37年の心の軌跡
 


決して、こだわる自分を、肯定しているわけではないのです。
でも、なんか、3月に「片耳の閉塞感」の中で、ゴッホの話を読んだことは
ただの偶然ではなかったような気がしてきています。


(本のはなしは、次回に続きます)




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