紅葉する茎があったので、よく見るとイヌタデ。
小さな秋、見つけました。
先週NHKで「赤毛のアン」を見ていたら、セシル シャミナーデが登場していました。
小説も、映画もアニメも読んでいたはずなのに、このようなシーンがあったことを忘れていました。
同性愛のパートナーを亡くしたダイアナのおばさん主宰の追悼パーティーでシャミナーデの演奏があるので楽しみにするアンとダイアナ。
学校で居場所が無いコールも誘って行きます。
個性豊かな来場者たちの中で、変わり者のアンとコールは、そのパーティーで出会う人たちによって励まされていきます。
ダイアナはピアノを弾くからとシャミナーデに紹介されます。
「将来は演奏家になるの。」と言われて絶句するダイアナ。
良妻賢母を目指す母親に厳しくしつけられたダイアナには考えもつかなかったことでした。
セシル ルイーズ ステファニー シャミナード(1857-1944年)
フランス帝国パリ生まれ、モナコ モンテカルロ没
ブルジョワジーの生まれ、母からピアノの手ほどきを受け、8歳の時に自作の曲をビゼーに見せます。
ビゼーは「小さなモーツァルト」と呼びかわいがります。
パリ音楽院は女性の入学許可を与えていなかったので個人教授でゴダールなどから学びました。
その間、父親は彼女の音楽教育を容認しようとしなかったそうです。
18歳でピアノ演奏会を開き、徐々に認められるようになりました。
1879年、国民音楽協会に迎えられます。
トマは「作曲する女性というより、女性の作曲家というべきだ」と言っています。
人気高まり
1908年、アメリカを訪れています。
セオドア ルーズベルトのいるホワイトハウスで演奏したり、多くの熱烈な支持者と交流しています。
1910年ピアノ曲「スカーフの踊り」を発表すると人気が出て、イギリスの香水会社が彼女の名前をつけた石鹸を出しました。
ミュシャによるシャミナーデの演奏会のポスター。
赤毛のアン、第一巻出版は1908年。モンゴメリーはアメリカで出版しています。
その後のお話し。
カナダのプリンスエドワード島アボンリーにシャミナーデがきたかどうか?わかりませんでしたが、史上初めて女性で成功した作曲家、ピアニストを、誇り高く、自立した輝く女性として描いています。
フルート吹きにとっては、シャミナードのコンチェルティーノは大切なレパートリーでなかなか難曲でもあります。