音楽の喜び フルートとともに

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暴力の予防

2008-12-21 22:34:03 | 子ども

暴力を奮うシステムはみんな同じです。力を相手をコントロールするために使う。失われた自信を回復させるために、誰かを傷つけたり、脅かしたり、殴ったりして、思い通りの反応を引き出し自信を得る。力の確認作業であると思います。

説教したり、殴ったり怒鳴ったりして、その場で謝らせて、暴力をやめさせたように見えても、力によって屈服させられただけで、システムが変ったわけではないので、他の場や、相手を替えて暴力は奮われます。
これを殴られる人の指導力不足や、殴られる子どもに非があった見る限りにおいて、暴力のシステムは変化が無いと思われます。

殴られている子どもは力にあこがれています。より強く殴る人を尊敬していたりします。
殴らないことが勇気で、静かに話すことが力強いことであると、子どもに理解させることが大切だと思います。いかなる相手、いかなる場合、いかなる事情があろうとも暴力は赦されないと、言い切ることが必要だと思います。

それは、大人自身が、勉強をさせるために子ども殴ったり、威嚇したり、約束事を守らせるために無理矢理引っ張ったり。相手によって態度を変えたりと言うような、システムに生きていると、全く説得力も無いし、子どもは言葉より体験から学ぶものだと思います。

今の教育の困難さは、子どもの世界にだけ、純粋な理想郷を求めるところにあると思います。大人が連帯して、お互いが生き生きとできるように力を使い、静かに話、お互いを尊敬しあうことがもっとも、素晴らしい教育となるように思うのですが、違っているでしょうか?


ピアノ合わせ

2008-12-20 21:20:06 | Weblog

今日は、Tさんに伴奏合わせをしてもらいました。ドイツから、昨日帰ったばかり、風邪を引いて声も出ない状況なのに、さすが軽々とイベールのコンチェルトを合わせてくれました。

うまい人に伴奏してもらうと、自分までうまくなったような気がします。
フランス風の軽さと、ジャズの影響を受けてわざと、美しさだけでなく、ギャンギャンと濁音のような響きとリズムが、ドイツ正統派クラッシックの奏法とは少し違って、違和感があるみたいです。

しかし、もうちょっと私も明確に、クリアーに音を出したいです。今年の私の念頭の抱負はタンギングの種類を増やすことだったのですが、最後に一番苦手かもしれない、このイベールのタンギングに挑戦して仕上がりのはずが…なかなか苦手は克服できません。

おなかを全部うごかしてみたり、舌を動かしたり、やめたり、逆にレガートで吹いたり、PPPPで吹いたり。眉間にフォーカスしたり、わざと左に体を曲げて吹いたり。片足上げて吹いたり、ピンポン球が転がる様子をイメージしたり、あらゆる事を試しています。

4分50秒あまりの演奏に、こんなに、苦悩するとは…でも、これが快感でもあったりする私って

Tさんのピアノにふさわしい演奏しなくっちゃよろしく


2歳児

2008-12-19 21:37:23 | 子ども

0歳児から3歳児の32人に7人のスタッフで保育をしました。

子ども達を良く見ていると、小さなうちから個性豊かで、いろいろだなぁとおもいます。お母さんと別れて、まっすぐに、おもちゃ箱に飛びつく子、片時もお母さんと離れたくなくて、すぐにのけぞって泣く子、泣いても、すぐに、他の興味の対象を見つけてすぐにあそびだす子、何を見せても、振り払ってお母さんだけを見つめている子、泣き方も、甘えるように泣く子、ただただ、暴れまわって抱っこも嫌がる子。すぐには楽しく遊んでいたのに、だいぶたってから思い出して泣き出す子。

1歳の子ども達は友達のおもちゃに手を出すのも、そのおもちゃしか見ていないからですが、2歳の子ども達を見ていると、おもちゃそのものよりも、人が遊んでいるものをとって反応をみるのがおもしろい。と言う感じに見えます。意地悪で悪い子というより、泣いたり怒ったりする相手の反応に興味たっぷりという感じです。

今日は、一人の2歳の女の子が、私が他の子をあやすのに使っていたおもちゃもさっと取り上げて、私の顔をじっと見ます。「それが欲しかったの?どうぞ、でも使いたい時には貸してっていうんだよ。」と言うと、不思議そうな顔。別のおもちゃを私が手にとると、すぐにまた黙ってとろうとします。今度は、渡さずに「使いたい時は貸してっていうんだよ」

すると、きょとんとして、無理矢理とろうとします。それも渡さずに「貸してっていうんだよ」というと、怒った顔。そのうち他の子がやってきて取ろうとするので、「貸してっていうんだよ。」と言うと、その子はすぐに、「貸して。」「どうぞ。」と渡します。

また別のおもちゃを手に取ると、今度はその子も「貸して」っていってきました。「はい、どうぞ。」とおもちゃを渡すと、おもちゃよりも、じっと私の顔を覗き込みます。にっこりして、「ありがとう、っていうんだよ。」というと、にこっとなって「あーとー。」
すると、せっかく手にしたおもちゃを、すぐに、返してくれます。「ありがとう。」って言うと、すぐまた「貸して」「どうぞ。」「ありがとう。」何回も何回もあきるまで。

この子は今日はじめて「貸して」「どうぞ」「ありがとう」と言う言葉のやり取りを覚えたのだと思います。その体験が気持ちよかったから、何度も、繰り返して研究し使いこなせるように、トライしたんだと思います。この頃の子ども達の学習能力って、本当にすごいです。おもしろいと思ったことはすぐに取り入れます。
私もかくありたいと思いますが、なかなかおよびません。大人は時間がかかります。言い訳したり、検討したり、必要ないと勝手に判断してみたり。まあ、およばないながらも、チャレンジだけはし続けたいと思います。


孤立と連帯

2008-12-18 23:11:38 | 哲学

お迎えさんのさざんかは、もう満開。同じ枚方でも場所によってずいぶん開花時期が違います。

今日は、午前中、私がコーディネーターをしている「思春期を語る会」に参加しました。子ども達の安全を守るためには、地域や、学校、機関との連携が大切。と最近では、常識のように言われていますが、足元をみれば、自分と、自分につながる人との連帯がまず難しい。

外の人ではなく、家族、同僚、スタッフ関係の一対一の時、相手との間に行き交ったできごとや言葉などのコミュニケーションの前に、もう、自分の人間観。人の捕らえ方でもう自ら孤立を選んでしまっている。という話は良くわかりました。
たとえば、私の場合、父が沈黙したら、次は怒り出すと決まっていました。ある時、仕事をしている最中に男性の同僚が黙っていました。すると途端に彼が怒っているのではないかと考え、あれが悪いのか?これを出したらもっと怒るかもしれないと、いろいろ考えて不安で怖くて、仕事に集中することもできません。私がまずい質の悪い仕事を終えた後、他の女性のスタッフが「どう思っているの?」と仕事の出来を彼に聞いたら、「疲れてて、何も考えてなかった。」
「失礼な、仕事中に!」と怒るそのスタッフに、私が感じたのは安心と、私の感じた不安と恐れが全くの妄想であったと言う意外感。
後で考えると、私の子どもの頃に刷り込まれた男性は黙ると怒りと言う男性観。それは決め付けに過ぎないのですが、そのことを彼に確かめると言う発想も無い自分には、男性とコミュニケーションを開いて対等なスタッフ関係を結ぶというのは、無理。確かめて怒った女性は、表面から見ると摩擦を起こし、関係を悪くしたように見えますが、相手がどのように感じ考えているかを知るための第一歩を踏み出し、その相手の方も、自分がどう考えているかを伝えた。つまり、交流=コミュニケーションが起きたといえるのです。

自分独自の人間観で彼の表情や、態度をこういう考えを持っているに違いないと考え、私は交流をさけ、自ら彼とよいスタッフ関係を結ぶことを避け、孤立することを自ら選んでいるといえるのです。
それでもこういうことに気づいていけば、うまくいかないことを相手の責任にせずに、自分としての解決策を探ることができるし、足らないところを誰かに助けてもらうこともできます。人間的な成長は無限に開かれています。人間観が変ってくると、フルートの演奏も変ってきます。誰が目の前に座っていても、安心して演奏できるようになれば、演奏の集中力も上がります。

今日は共同開催するコンサートの打合せを午後からしました。この同僚関係も、意見が違うことがありました。それでも、なあなあですまさず、確かめることができました。まだ、うまいとは言えませんが、私としては一歩踏み込んだと言えます。仲間と意見を出し合い、連帯をして、良い仕事をしたいと思います。





ゆず

2008-12-18 00:54:46 | Weblog
我が家の名残のバラです。冬のバラはゆっくり咲きます。

イベールのコンチェルト、音程と、スピードの問題は解決しつつありますが、タンギングと、ビブラートがなかなか…。ffで音を飛ばすような短いスタッカートは、まだうまくできません。
遅いffスタッカートか、早いpレガートになってしまう間に合うかなぁ。

言ってる間に練習、練習。アクセントの位置を変えると、前より、楽しくはなってきました。

今夜は里芋抜きの豚汁(単に里芋がなかっただけ)。寒くなってくると、汁ものが多くなります。しょうがをたっぷり入れて、咳を抑えます。食後には近所の方から頂いたゆずを、絞って、お砂糖を入れて、ゆずジュースを作って飲みました。

ゆずは、彼女の庭でとれたものです。時々、いろいろなおすそわけをいただきます。コンニャクイモが取れたときには、お家に呼んでいただいて、みんなで蒸して、重曹を入れて、こんにゃくを作りました。初めての体験。楽しかった。
私よりだいぶ先輩ですが、地域のボランティア活動をいくつもされていて、子育てサロンの立ち上げのときも主となって、動かれました。本当に、柔軟性があって、機動力抜群。それでいて、細やか。尊敬するご近所さんです。
彼女のように年を重ねていけたらなぁとあこがれています。ご近所にこういう人がいるとすごく安心です。

まだ、咳と痰が残っています。インフルエンザも流行っています。皆さんも、お気をつけて。

メンテナンス

2008-12-17 00:19:12 | Weblog
今日は、梅田でレッスン。エスト1とナビオ前もimagesimagesクリスマス飾りです。

イベールのコンチェルトの一楽章。70名のオーケストラが相手であることを忘れないで。
通常は拍頭にアクセントがあるけれど、高音にアクセントがあるので、シンコペーションのようになってジャズの雰囲気をただよわせているので、それを明確に表現すること。ビブラートは無しか、大きな波のビブラートで。下降音のスケールは逆に上昇しているつもりで吹くこと。
長い音符も明確に音の変化をだすこと、音をよく聴くこと。
課題は集約されてきました。

レッスン後、フルートのlow B♭キーのタンポが、破れていたので、予約しておいた、メンテナンスをお願いしまた。すると、なんと、A, B♭のキーも危ないことが判明。3個のキーを変えて思わぬ出費になりました。
なんか最近、E、highF♯の音色がおかしいと思っていたのですが…おかしいのはよくあるのだけれど、直らない。音程が戻っても、音色が変。楽器が悪いのか?体調が良くないこともあって、私が変なのか?ずっと悩んでいたのが、すっきり。

ドルチェ楽器のHさんは私の守護天使に見えました。
20日にあわせがあるので、練習しなくちゃいけないので、お預かりもできないのに、午後から仕事があったので、無理矢理に急がせて、ごめんなさい。1時間半は係るというのを、1時間10分くらいで仕上げてくれました。
ありがとうございます。本当にたすかりました。感謝感謝。

おかげで、仕事にも間に合いました。いろんな人に支えられて音楽を続けることができる私です。

引いてしまう自分

2008-12-16 00:40:49 | Weblog

なぜか、持っている能力の半分も発揮しない人がいます。
実力をつけて、さあ、それを発表とか、これで自由に他の人とアンサンブルができるぞ。というと、病気になったり、家族の誰かの世話をしなければいけなかったり、障害物のように困難な仲間が一人入っていたり…って、これ私のことだね

意識はいつも前向きだし、引いていく時は、いつも立派な理由があるのだけれど。
結局は、一つの方向を指し示しています。

自分の能力を育てるつもりが無い。もしくは、自分に力があることを認めたくない。

自分に力があることを認めると、ハンディがなくなる。言い訳できない。責任を引き受けないといけなくなる。
責任を引き受けると、自由がなくなる気がする。力を出してみて、何かあったときに矢面に立つ気がする。袋叩きに合う気がする。精一杯やって、うまくいかなかったら、もうそれまでになってしまう気がする。
実力を見切られると、見捨てられるような気がする。力を出したら誰かを傷つけるかもしれない。

力を発揮しない理由を見つけるのには、事欠かないです。

もういい年をした大人がハンディを欲したり、責任を嫌がったり。責任を引き受けると叩かれると思っているのは、どうだろう?自分が責任のある人の失敗を心の中で叩いてきたということだし、誰かの実力を勝手にこれくらいだろうと見切ってきたってことだし、出してもいない力でもって傷つけることなんてあり得ないし。そもそも自分が人を傷つけるほどの、大きな力を持っていると思っているなんて、なんて傲慢なことだろう?

こういうのを不合理な信念って、心理学ではいうらしいです。

子どものように、今、私はこれ。これが好き。見て見てお母さん。みんな見て、素敵なものを見つけたよ。ってなぜ言えないんだろう?
たとえ、今の私に足りないところを指摘されても、「ありがとう。教えてくれて。」って言えないのはなぜなんだろう?私も、まだまだ大きな荷物を持ちすぎているみたいです。等身大の自分を恥じるなんて。






夏の名残の薔薇

2008-12-14 22:34:20 | 名曲
この美しいバラはどうでしょう?春のバラも美しいけれど、冬の寒さでキュッと引き締まったバラは、完璧といいたくなるほど、調和がとれて美しいです。

「夏の名残のバラ」ってこんな感じかも。
アイルランド民謡「庭の千草」として、日本では有名な曲ですが、アイルランドの国民的詩人トーマス・ムーアの詩にスティーブンソンが曲をつけたものです。
庭の千草は白菊を歌ったものですが、もともとはバラを歌ったものです。いろいろな作曲家に愛された曲で、ヴァイオリンはエルンスト、ピアノはメンデルスゾーン、フルートはケーラーの変奏曲があります。

「夏の名残のバラ」

'Tis the last rose of summer,          それは夏の名残のバラ
Left blooming alone,                一輪だけ咲き残る
All her lovely companions           美しき仲間たちはすでに
Are faded and gone.               色褪せ散っていった
No flow'r of her kindred             ともに咲く花もなく
No rosebud isnigh                小さな蕾すらない
Toreflect back her blushes,           ため息を分かち合う

I'll not leave tree, thou lone one,    あなたをけして独りにはしない
To oine on the stern,            茎の上で枯れ行くがために
Since thelovely are sleeping,       美しき者たちは眠れるがゆえ
Go, sleep thou with them.         行きなさい、共に眠るがいい
Thus kindly I'll scatter          そして私はあなたを手折り
Thy leaves o'er The bed,         土の上に優しく散らすだろう
Where thy mates of the garden       その庭のあなたの友だちが
Lie scentless and dead.            香りなく散り敷く場所に

So soon may I follow             まもなく私も後に続くだろう
When friendships decay;             友情が消えてゆく時に
And from love's shining circle        そして愛の輝ける輪から
The gems drop away!               宝石たちがこぼれ落ちる
When true hearts lie wither'd,        真実の心が枯れてしまい
And fond ones are flow'n            愛しき者たちも去って行く
Oh! who world inhabit            ああ、誰が生きて行けようか
This bleak world alone?        この荒野のごとき世界に独りきりで


ピアノ

2008-12-13 23:11:06 | Weblog

咳を鎮め、ビタミンCをとるスペシャルドリンク:
 
片栗粉 大さじ1、しょうがすりおろし 小さじ1、お砂糖 小さじ1、レモン汁 4分の1個分
 水 大さじ1を入れて、良く混ぜる。後はポットのお湯を入れてすばやくかき混ぜます。

生姜糖にレモン足しただけです。ピアノのSさんは、咳じゃなくてお腹にきたそうです。忙しいのに仕事を休まず、がんばっています。

「シャンソンとパディヌリ」は前半部分は微妙なテンポのゆらぎが、これからって感じ。後半部分は、ピアノとフルートのアンサンブルが肝心。細かい動きの中にピアノが入ってきます。夏にも何度か遊びでやっているので、なんとかなりそう。一回目の合わせにしてはまあまあ。

あと、イベールの一楽章と、ゴーベールのソナチネを合わせて貰いました。こっちは遊び。
イベールは必死になってしまいます。テンポ120が、112くらいにな
ってしまいましたが、それでも必死。瀟洒に演奏できるといいんだけれど。なかなか大変。それにしても、Sさんはこれを歯抜けながら、初見でこのテンポで通して弾いてしまう。ほんとにすごい

ゴーベールは前に演奏した曲だけれど、その再演。でも、吹いてみるといろいろ忘れてる。さらいなおさなきゃ。
1938年作曲されたこソナティネは、1941年に死去したゴーベールの集大成のような曲だと思います。
2楽章は「シューマンへのオマージュ」とタイトルに書かれています。オマージュとは尊敬リスペクト、古くはナイト騎士の礼と言う意味があるそうです。
シューマンはフルート曲を残してくれていないので、私にとって未知の作曲家です。Sさんに聴いたら、

「『蝶々』中の何曲か、これっぽいのがあるよ。」と言うので、ねだって弾いて貰いました。
シューマンってなんだか、解決しない和音の集まりで、唐突に曲調が変化する。なるほど、ゴーベールは特徴を捉えています。おもしろい。今日は発見があって楽しかった。ありがとうSさん。


夢のようなもの

2008-12-13 00:35:45 | Weblog

さざんかの季節ですが、今日も暖かかったですね。

鼻水と、咳と痰がなかなかとれません。咳をしすぎてぼーっとしてしまいます。
納豆を食べていてお箸を落とし、ひらおうとしてかがんだら、納豆の鉢を胸につけてしまい糸を引いた豆が胸にぶら下がり…。なんてことを一人でしています。
フルートを吹いても、タンギングの切れがいま一つも二つも。

カミュのシャンソンとパディヌリを明日は、伴奏あわせ。ピアノのSさんも咳とか。大丈夫かなぁ。

日経を見ていると、2006年をピークにオペラの需要が高まっていたのが、ちょっとかげりがみえているそうです。ポップスなども含めて、CD全般の売り上げも落ちているらしいです。
不景気になると、真っ先に切られるのがこういうジャンルです。

前のバブルの時、起業して、儲けて一頃はベンツに乗っていた友達が、崩壊後、破産して離婚しました。その時友達が、どん底と思われる時期に言っていました。
「どんなになっても、あきらめられないもんがあるんよ。それが無くなったら、生きてるかいがないってものが。夢のようなもの。贅沢やって言われてもあきらめらるわけにはいかないんや。そういうもんは、おいときや。」
彼のあきらめない夢のようなもの、何かしらないけれど、彼は、あれから10年近く、ぷらぷらしたり、仕事をしたり、大もうけはないらしいけれど、なぜか元の家族と住んで、孫を抱いて、いまも元気で楽しそうにやっています。

私のこれだけはあきらめられない。家にいて、高い楽器や、楽譜を買って、コンサートに行ったり、フルートを延々、ああでもない、こうでもないと吹いているだけなんてつまんない時間とお金の使い方なのかもしれない。でも、これがあるから、私は元気に生きていられる。

厳しい不況が、何もかも根こそぎにしないように。
何が無くても、楽しむ方法はあるし、幸福が、奪われるわけではないと思います。人の幸福はみんな違う違うから、みんなの分あります。みんなで幸福になりましょう。きっと不景気なんかどうでもよくなる・・・・かも。