還暦直前に心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症弁形成術体験記)

還暦を目前にして滋賀医大の浅井徹先生の執刀で僧帽弁形成術を受けました。
私の体験が同病の方の参考になれば幸いです。

初御代桜を見に行った

2025年03月27日 | 近郊・日帰り
今年の冬はかなり寒かったので、早咲きの初御代桜の開花もまだだろうと思っていました。

一昨年見に行ったのは3月16日で満開でした。これでも前年より5日遅かったらしい。

今年は今までよりは遅めの3月26日に見に行って・・・満開でした。良かった・・・・
場所は皇子が丘公園のほぼ東の端です。

一昨年より10日遅れの満開。3年前からは2週間の遅れです。







その後、京阪石坂線に沿って歩きました。

大津市役所前駅を過ぎて250mほど南(びわ湖浜大津駅方面)に進むと、旧別所駅のホームが残っているのが見えます。

京阪電鉄旧別所駅ホーム



映っている電車はお~いお茶のラッピング電車です。

残っているホームは坂本方面行きで、浜大津方面行きのホームもあったはずですが、きれいに撤去されています。坂本方面行きだけなぜ残ったのでしょうね?

旧別所駅と書いたのは、大津市役所が1967年に現在の場所に移転建築されるのに合わせて、駅も別所駅の名前で250m北に移転しました。それから51年後の2018年に大津市役所前駅に改称されています。

大津市役所前駅の隣の京阪大津京駅は元々は皇子山駅でした。どちらも歴史あるいは地名に基づいた駅名でしたが、利便性を良くするために変更されました。

宇治市広野町界隈散策

2025年03月01日 | 近郊・日帰り
1980年の春から10年余り京都府宇治市に住んでいました。市域で言うとほぼ西南の端っこに近い広野町というところです。

長女が1歳になる直前に京都市桂から宇治に引っ越し、宇治では次女が生まれ、4人家族になりましたが、子どもの成長と共に家が手狭になり、名残惜しかったのですが滋賀に引っ越しました。

引っ越しの際にはご近所さんから餞別をいただき、感激した記憶があります。その後数年は年賀状のお付き合いが続きました。

地域のバドミントンクラブにも所属していましたが、活動期間4年あまりで退部することになりました。引っ越しの直前には送別会もしていただきました。

引っ越した後の広野町は、広い道路が開通したり大規模な住宅開発が行われ、様子が随分変わったと聞きました。

そして・・・去年11月に桂を歩いたので、今度は宇治を歩いてみよう、ということで天気の良かった2月27日に歩いてきました。

京都駅でJR奈良線の快速に乗車、宇治駅で各停に乗り換え新田駅で下車し、東口に出ます。

新田駅(東口)


新田駅は2018年に東側に改札口と駅前広場が新設され、便利になりました。私が住んでいた頃の奈良線は単線で、1984年までは非電化でした。

現在は京都駅から新田駅の1つ奈良寄りの城陽駅まで複線化されています。快速も走るようになり、大幅に時間短縮ができています。

さて、新田駅に着いたのが正午前になったので、目に留まったカフェで昼食。アットホームな雰囲気でちょっと長居してしまいました。

店を出て昔住んでいた方向に歩いて行くのですが、その当時の景色とまるで違います。こんな広い道路なかったぞ・・・時の流れを感じます。離れて35年ですからね。

スマホのマップを頼りに懐かしい道路に出ると、なぜか落ち着きました。

小川と散策路


この川の名前は名木川といい、柿本人麻呂が歌を残しています。

漢字    衣手乃名木之川邊乎春雨吾立沾等家念良武可
読み下し  衣手の名木の川辺を春雨に我立ち濡ると家思ふらむか
現代語訳  衣手の名木川のほとりに、私が春雨に濡れていると家では思っているだろうか

因みにこの散策路は歩いていません。

この辺りから20分、当時住んでいた家の通りも歩きましたが、家は建て替えられていました。そして当時の知り合いには出会わず。

その後も右に左に気の向くまま歩き、やがて広い公園で一休み
20分ほど休憩しましたが、私たち以外誰もこの公園を訪れる人はいませんでした。

そろそろ駅に戻ります。

JR奈良線をくぐるアンダーパス

京都府道15号線バイパスで、これが新しくできた広い道の1つ

このアンダーパスをくぐり、大久保100BANに向かいます。よく買い物をしたショッピングモールです。

その大久保100BANに向かう途中に鎮座する皇大神宮社


大久保100BANの中をすり抜けて、ゴールの近鉄大久保駅に向かいます。

近鉄大久保駅は、宇治に引っ越した当初は地上駅で府道15号線の渋滞がひどかったのですが、1980年代のうちに高架化されました。高架になっておよそ40年です。

この大久保駅ですが、駅の現住所は広野町です。大久保駅の名前は、地上駅の時の住所が使われました。そして高架化されたときに駅の位置が100mほど北に移転し住所は広野町になりましたが、駅の名前はもちろん大久保のまま、それはそうですよね。

当時は毎日この駅で乗降していましたが、店がたくさんできているのを見るのは初めてだし、駅前広場は当時無かったし・・・ぐるっと回りました。

飲食店、食品スーパー、パチンコ&スロット、書店、金融機関の支店等々

その後京都行きの急行に乗り、宇治を後にしました。

桂駅周辺散策

2024年11月15日 | 近郊・日帰り
京都市桂に、結婚して3年間住んでいました。その後3回引っ越し、現在は滋賀県南部に住んでいます。

長女は桂で生まれ、1歳になる直前に宇治に引っ越しました。その桂を離れて44年になるのですが、長女が5歳か6歳くらいの時に、生まれたところを見たいと言ったので、1度車で桂を訪ねましたが、それきりこちらの方に来ることはありませんでした。

それからもう40年近くなります・・・・
一度住んでいた辺りを歩いてみましょうという話になり、麗らかな天気の日に桂を訪ねました。

JR京都駅で地下鉄に乗り換え烏丸四条駅で下車、歩いてすぐの阪急京都線烏丸駅で乗車、桂駅で下車。まず西口に出て、ここから歩きます。

桂駅西口

駅舎は橋上駅舎に改築され、東口も西口もバスロータリーが広く取られ、アーバンライクな駅に変貌しています。駅ビルは5階建てでたくさんの店が入っています。

それで東側も西側もだいぶ立ち退きが発生したはずで、よく食べに行ったおたやんといううどん屋は無くなっていました。

ほかにも洋菓子の「タカラブネ」や「お菓子のコトブキ」もありません。もっともこちらの方は会社自体が無くなってしまいましたが・・・

話を戻してまず、桂駅の西側にあった(←過去形)、ニチイ桂店のあった場所に向かいます。
その場所にはドラッグストアとかマンションが建っていました。

次に向かったのは、長女が生まれた産婦人科のある病院です。気温は20℃ほどなのですが、だんだん暑くなってきて服を1枚脱ぎました。

建て替えられたので、懐かしさはあまりわいてきませんが感慨はありますね。面会時間を過ぎても粘っていたので、看護師さんに追い出された記憶があります。当時27歳でした。

その次は、桂離宮の側を通って桂川河川敷に下りました。

水辺より上流を見る


水辺より下流を見る

向こうに見える橋は桂大橋です。橋の両側に以前は無かった歩道があります。架け替えられたのか、拡幅して歩道を付けたのか?

河川敷に戻り橋の方向に歩く


橋のたもとで堤防に上がります。

桂大橋西詰に設置の常夜燈

以前は桂大橋を通る道が、京から山陰地方に向かう街道(山陰道)でした。今は少し北に架かる西大橋を通ります。

常夜燈を囲む石柱には桂橋と刻まれています。グーグルマップでは桂橋と表示されていますが、桂大橋です。

昼を少し過ぎたので、近くの「中村軒」で軽い昼食。そして和菓子を買いました。

続いて・・・

下桂交差点

新しくできた片道2車線の広い道路が南北に通ってできた交差点。この辺り昔の面影は全くありません。

愛宕山常夜燈

この道は愛宕山に向かう街道だったのですね。愛宕山常夜燈は西京区だけでも33か所に設置されているそうです。

桂地蔵寺

京都の六地蔵巡りの1つですが、住んでいた20代半ばの頃は神社仏閣にはほぼ興味が無く、70代になった今、こうして歩いてみると新たな発見があります。

その後、毎週買い物に行っていたショッピングセンターを訪ねましたが、建て替えられて、違う名前のスーパーになっていました。

これで考えていたところは大体回ったので、桂駅に戻り帰宅しました。

よはのつき~湖畔を彩る竹・ヨシあかり

2024年11月05日 | 近郊・日帰り
9月14日から開催されている、「よはのつき~湖畔を彩る竹・ヨシあかり」を見に行きました。

開催場所は大津市内に5か所ありますが、そのうち2か所を訪問。

まずは、大津港会場から



向こうに見えるのは琵琶湖ホテル

移動して、なぎさ公園(打出浜)

三日月


一部拡大



石場の常夜燈を囲んでいます。


とても細かな細工ですね。

打出浜はその昔船着き場で、常夜燈は灯台の役目でした。

またもっと昔は紫式部が石山寺に参拝するときに打出浜から船に乗ったそうです。式部の父藤原為時が越前に国司として赴任する際にも父娘でここから、琵琶湖最北端の塩津まで船に乗っています。

このあかりプロジェクトの「よはのつき」は、式部が詠んだ
めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に
雲隠れにし 夜半(よは)の月かな

から取られているようです。

高島市今津町でラリーイベント

2024年10月15日 | 近郊・日帰り
滋賀県高島市今津町にある高島市今津総合運動公園で開催された、トヨタ主催のラリーチャレンジ2024を見に行きました。

このラリーチャレンジは年間13戦ありますが、第11戦が高島で開催されました。

1週間くらい前の新聞の折り込み広告でこのイベントを知りました。今までラリーを身近で見たことがなかったのですが、高島市なら2時間もかかりません。興味津々です。

電車やバスで行くのは難しく、一般来場者のためにグラウンドが駐車場に開放されていました。

ラリーのSS(スペシャルステージ)は、本来の駐車場にクッションドラムが数カ所設置されて、タイムレースが行われました。
スラロームやぎゅいんと回ったりするのですね。速い車はタイヤから煙が出ていました。





一段落したあと、近くにいたスタッフに聞いてみたところ、SSはここだけではなくて林道でもやっていて、YouTubeで見られますよ、と説明を受けました。

次にイベント会場に移動しました。子ども向けの車がらみのゲームや先ほど聞いた林道でのSSのパブリックビューイング、外はキッチンカーがずらり。

天気がすごく良くて暑くなったのでかき氷を食べました。その後JAFが所有するシートベルトコンビンサーによる、時速5kmでの衝突体験を体感しました。

「たったの時速5キロ」の衝突ですが、いやいやこれがバカにできないもので、かなりの衝撃がありましたね。

驚きました。

イベント会場で見た車


というわけで帰りはいつにも増して安全運転。
渋滞も激しいものがありました。なので所々近道を利用しました。

10年ぶりに大原

2024年06月19日 | 近郊・日帰り
5月上旬にKBS京都テレビで放送された「京都浪漫 悠久の物語」の
第145回 新緑の大原を歩く~悲運の皇子伝説を訪ねて~

で、古民家レストラン「わっぱ堂」が紹介されました。

京都浪漫は、主に京都または周辺の寺社、伝統工芸や歳時が紹介される番組で、番組開始時から見ています。

大原は京都市の北部に位置しちょっと遠いですが、このレストランに行こうと・・・

大原を訪れるのは2014年8月以来なので、ほぼ10年ぶりになります。
しかしまあ10年って・・・・あっという間です。

店の近くに車を停めて、地図を頼りに店に向かいます。
※事前に予約済み

外観

築130年になる古民家レストランです。
~お好きな席にどうぞ~

松花堂弁当

野菜は全て大原で収穫されたもの

これは豆ご飯

ほかに、味噌汁もついてきます。
大変美味しくいただきました。

会計の時、京都浪漫を見てこの店を知ったことを伝えました。

店の前の道

寂光院への参道です。

朧の清水

わっぱ堂のすぐ近くです。大原観光保勝会のHPにおいて
寂光院への参道の途中にある泉。建礼門院(平徳子)が寂光院にお入りになる道すがら日が暮れて、月の明かりでこの泉に姿を映されたという。

と説明されています。

その寂光院まではこの場所から500m、約10分の道のりです。
建礼門院が寂光院に入ったのは1185年9月のことで、今を去ることおよそ840年になります。

景色を楽しみながら駐車場まで歩き、「里の駅大原」に立ち寄り、地元で採れた野菜、夕食用に弁当などを買って、カーナビの指示はまるで無視して帰りました。

漏刻祭

2024年06月11日 | 近郊・日帰り
2週続けて近江神宮に出かけました。
6月2日の流鏑馬に続いて、時の記念日である6月10日に行われる漏刻祭を見ました。

近江神宮の祭神は天智天皇で、神社の創建は1940年です。
天智天皇は大津に遷都され漏刻(水時計)を作られました。そして時報開始日が現在の6月10日に当たると言うことで、6月10日が時の記念日に制定されたそうです。

残念ながら、その漏刻は遺跡としては残っていません。遺跡として残ったのは明日香村にある水落遺跡で、大津京の漏刻より10年ほど前だそうです。

漏刻祭は11時開始

時計献納(11時半頃)

各メーカーの時計新製品を神前にお供えします。

舞楽奉納(11時50分頃)



女人舞楽・原笙会(にょにんのぶがく はらしょうかい)による舞楽
今年の演目は「春庭花」

献花

内拝殿前に生けられた献花、写真は向かって右ですが両側に献花されます。
滋賀県花道協会の流派持ち回りで、今年は池坊です。

その後、時計業界関係者などによる玉串奉納、各種団体や個人に対する表彰が行われ、最後に宮司の挨拶がありました。

午後には古代火時計の実演点火があったと思いますが、それは見ずに帰りました。

近江神宮の流鏑馬神事

2024年06月03日 | 近郊・日帰り
近江神宮で6月第1日曜日に行われる、流鏑馬神事を見に行きました。

前日HPで
 明日6月2日、雨がちの予想になってきていますが、微少の雨であれば流鏑馬は開催予定です。最終判断は明朝午前10時までに行います。

そして当日の9時半には
 本日6月2日、雨がちの予想ですが、降っても少雨と考え、流鏑馬神事は開催することになりました。ただし雨の状況により、時間短縮その他通常どおりの開催とはならない場合があります。

と案内があったので、これは見に行かねば・・・念のため傘は用意しました。

曇りがちですが時折日差しもあり、比較的涼しい天気でした。

行進中(天長地久の式)

馬場末から馬場元に向かっています。
前から神職、諸役そして馬に乗った射手
射手は5人でうち女性が1人でした。
射手と馬の紹介がありまして、馬の名前は2頭覚えましたが、射手の名前は頭に残りませんでした^^;;;
旗印は白が源氏、赤が平家を表しています。

的の種類は3つで、式の的、板的、土器(かわらけ)の的

式の的はこれです

神事に使用されるのはこの式の的です。

まずこの式の的で騎射が行われます。式の的の次は板的が用意されます。テレビニュースで放送されるのはこの板的が多いですね。





最後に用意される的は土器の的、競射です。
土器の的は小さいので、射手の腕の見せ所となります。





板的も土器の的も鏑矢が当たると、乾いた大きい音がします。

なお、その後の天気が不安定とのことで、土器の的に当てる競射は1度で終了となりました。

流鏑馬はテレビのニュースで見たことはありますが、生で見たのは初めてです。目の前を馬が全速力で走り、馬上から射手が的を射るわけで、大変迫力がありました。

葵祭

2024年05月17日 | 近郊・日帰り
京都の三大祭りの1つである、葵祭の平安行列を見に行きました。
5月15日。
家を出るのが少し遅れ、電車に乗るのがまた遅れ、地下鉄今出川駅で降りて、行列が通過する場所に着いたのが11時20分頃。

すでに、半分くらい過ぎた後でした。

この行列のことを正式には「路頭の儀」と言います。
葵祭の儀式の1つですが、ニュースになるのはこの路頭の儀ですね。

命婦

花傘を差し掛けられているのが命婦(高級女官)です。

斎王代

葵祭のヒロインです。輿から十二単の裾を垂らしていますが、これは平安時代の貴族女性の習慣だそう。

牛車

牛を引く狩衣姿の少年は牛童と呼ばれます。

去年は雨で1日順延されましたが、今年は曇が多く日差しもあまりなくて、良かったと思います。

帰り道、大きな道標を見ました。

大原口道標

慶応4年4月に設置された、高さが1.68mある立派な道標です。場所は寺町今出川の北東交差点。

東方面は
下かも、吉田、真如堂、比ゑい山、黒谷、坂本越とそれぞれ目的地までの距離も示されています。下部には寄進者の名前が刻まれています。

同様に他の三方向も行き先と距離が刻まれています。慶応4年は西暦1868年なので設置後156年になります。

びわ湖の春 音楽祭2024

2024年04月28日 | 近郊・日帰り
びわ湖ホールで開催されている、びわ湖の春 音楽祭2024 のロビーコンサートを聴きに行きました。
※料金は無料

京阪びわ湖浜大津駅で降りて、ホールまで最短コースを歩きました。最寄り駅は石場駅なのですが、少しでもウォーキングの足しにしようと思い歩くことにしました。

ロビーコンサートの内容
小林沙羅(ソプラノ)
園田隆一郎(ピアノ)
フォスター:夢路より
プッチーニ:金色の夢
レオンカヴァッロ:『道化師』より「鳥の歌」
アンコール
フォーレ:夢の後に

山中惇史(ピアノソロ)
ヘンデル(山中惇史編):アフェットゥオーソ
J・S・バッハ=ブゾーニ:シャコンヌ
アンコール 子犬のワルツ

演奏を楽しんだ後、駅まで琵琶湖岸を歩きました。

連休初日の湖岸はツツジが満開です。

キリシマツツジ




隣にツツジ


ドウダンツツジ

花は目立ちませんが秋は紅葉がきれいです。

噴水装置

この噴水は大津港沖合の「びわ湖花噴水」とは別のもの?

大津港に停泊中のビアンカ

ミシガンと並ぶ大型の観光船

ミシガンは出港中でした。