還暦直前に心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症弁形成術体験記)

還暦を目前にして滋賀医大の浅井徹先生の執刀で僧帽弁形成術を受けました。
私の体験が同病の方の参考になれば幸いです。

手術2年後の創の写真

2012年09月30日 | 創の写真
1年後と2年後の創の写真を並べてみます。
 


左が術後1年、右が術後2年です。
下の方には赤い部分が残ったままで固定した感じです。
その他はすっかり白くなり上の端数センチはシャツから見えたりするんですが、ほとんど気になりません。
早めに皮膚科で処置すればすっかりきれいになったかもしれませんが、もう60歳も過ぎ孫もいる爺ですから、何もしないでここまできれいになれば上出来かと。
難点は汗をかくとたまに痒くなります。これくらいですね。

創の長さは胸骨正中切開で20センチほどになります。術後1~2年かけて次第に白くなっていきますが、3カ月後か半年後に赤いまま残る部分があるようですと、私のように残ってしまうと考えられます。全部白く治したいと希望がありましたら、皮膚科の受診をお勧めします。

プロフィール画像を更新

2012年09月26日 | パソコン・モバイル・オーディオ
ブログ始めてほぼ2年になりますが、ようやくプロフィールの画像を更新しました。
今までの花はブログ開設の時に取り敢えず暫定で載せたもので、そのうちまとも?
なものにしようと思いつつ、放ったらかしに・・・・^^;;;

今日は仕事の加減で会社を休んだので、やっと重い腰を上げて更新。
背景は2008年秋に旅行で立ち寄った四万十川、ある沈下橋から上流を撮った写真です。

IT化が進むと歩かないという問題

2012年09月23日 | 雑記帳(その他)
私の職場、工場のいわゆる間接職場なのですが、業務の大半がPCとにらめっこしながらマウスをちょこちょこ。
昔と大違い。
したがって席を立つことがぐーんと減りました。
お茶入れる、トイレに行く、PCに飛んできた資料をコピーする、朝一番のラジオ体操。
日常はそれくらい…かな。
こんな現状ですから1日1万歩歩くのはなかなか難しい。
しっかり歩くのは
朝、駅降りて会社まで
夕、会社から駅まで
家近くの駅を降りたところで万歩計を見るとだいたい7000歩ぐらいです。
うんと昔のことを聞かれると、あちこち行って調べるので1000歩くらいは上乗せされますが。。。

こんな現状ですが、IT化が進んでいなかった時代は、職場でも歩き回ってました。
ファイルを取りに行く、カタログを取りに行く、資料をさがしに行く、工場に行く、その他。
取ってきた資料は当然戻しに行かなくてはなりません。電話も多くて、夕方には声枯らしていたこともあります。
一時期万歩計を付けていたことがあり、会社にいるときだけで7000歩歩いてました。
けっこう歩くもんだなぁと・・・・思ってました。
それが、今は会社だけでは4000歩も歩かない感じです。

お腹も出てくるはず・・・・
涼しくなってきたのでこれから来年の夏前までは、気合いを入れて1日1万歩クリアしたいと思います。

しわの原因と対策について

2012年09月20日 | 雑記帳(その他)
昨日の健康情報番組で取り上げていたのが、しわの原因と予防について。

結論から申し上げますとしわの原因は紫外線、それもUV-Aという波長の長い方です。
皮膚がんやシミの原因と言われるUV-Bは注目を集めていますが、UV-Aの方は注目度は低かったものの実はしわの原因というわけです。

UV-Bは波長が短いため皮膚でほとんど吸収され、皮下まで浸透することはありませんが、その大きなエネルギーによってシミやがんの原因となります。
UV-Aは波長が長いため、皮膚では吸収されず皮膚の下まで浸透し、皮下にある弾性繊維というものを破壊していきます。
弾性繊維がたくさんあるときは、皮膚はぷるぷるでしわになりませんが、UV-Aを受け続けることによって弾性繊維が破壊されていきます。
弾性繊維はゴムのように伸び縮みする性質があり、1.5倍まで伸びるそうです。

長年UV-Aを受けると弾性繊維が破壊され、丸まって団子になり伸びたまま縮まらなくなります。それがしわの原因です。
ところで、UV-Bは季節変動が大きく、夏は大量に降り注ぎますが、夏以外は激減します。
ところがUV-Aは季節変動があまり無く、一年中、それもUV-Bに比べ桁違いの量が地上に降り注いでいます。夏以外のUV-Bが少ない季節はあまり日焼けしないので盲点になってますね。

では対策はどうしたら・・・・
まず、団子になってしまった弾性繊維はもう元には戻りません。したがって今以上にしわが増えないようにする対策となります。

番組で紹介していたのは「日焼け止めクリーム」を塗ることでした。
日焼け止めクリームにはSPFとかPAという紫外線防止効果の指標があるんですねぇ。
私は知らなかったのですが・・・・^^;;;

このうちPAがUV-Aの防止効果を表していて
PA+とか、PA++とか、PA+++と表示されています。
+の数が多いほど、UV-Aの防止効果が大きいそうです。

これからは日焼け止めクリームが売れそうですね。

孫を風呂に入れました♪

2012年09月18日 | 日記
先週木曜日から長女が孫連れて帰省しています。
翌金曜日には二女が何ヶ月かぶりに帰省しました。
二女に合わせて長女も帰ってきたわけですが、みんなで孫の相手して楽しませてもらいました。
二女は仕事があるので昨日帰りました。籍入れたのは去年の8月ですが、再来月の11月にようやく式を挙げます。新婚旅行は全然未定だそうです。

昨日と今日は私が孫を風呂に入れました。長女、二女とも赤ん坊の時は私が毎日風呂に入れてましたが、もう30年も前のこと、すっかり要領を忘れてしまっていて入れる前にリハーサル(笑)
昨日は何とか泣かずに、今日は笑顔で喜んでいました。

長女は明日帰るので、再び静かになります。
それにしても成長の早いこと、身長は10センチ伸び、体重は2倍に。
頬は落ちそうで、首は無くなりました(笑)
声出して笑うようになったし。
娘を育てていた時より、楽しくてうれしいですね。

え?
写真ですか。写真は娘のブログにありますのでここには・・・

2年が経ちました

2012年09月14日 | 日記
早いもので、手術の日からちょうど2年です。
いわば心臓再生記念日。

と言うわけで、今日は休暇をいただきました。頑張っている心臓に感謝したいと思います。
会社の制度で年に一度、自分の記念になる日を1日だけ自由に選んで休めるのです。
それで、去年もこの9月14日を選んでいたのですが、すっかり忘れて出勤してしまい、月末になってあれ・・・?(笑)
今年は忘れまいぞと、カレンダーに赤で印を付けてました。

2年経って体調はどうかというと・・・いたって快調です。
そして快腸でもあります。これはピロリ菌を退治したからですが。
昨夜体温を測ってみると36.1℃、術後長いこと高めでしたがすっかり以前の体温に戻りました。
動悸も感じなくなってきましたし、脈も今測ってみると60でした。50歳過ぎまでは50くらいで徐脈気味だったのですが、術前で60くらい、術後は80くらいありました。
この脈拍の高い状態はなかなか戻らなかったので、もうこのまま固定するのだろうかと・・・・
しかし、2年経つと戻りましたですねぇ。しかし50までも下がらなくていいです。

戻らないのは・・・・疲れやすく、睡眠をしっかり取らないとへばるようになったことです。
以前は6時間も眠れば十分でしたが、今は7時間くらい欲しいです。
それと薬(アーチスト錠)の副作用でしょうか、立ち上がった時にフラッとするのはなかなか無くなりません。目まいとまでは言えないのですが、空を見上げたまま体を捻ったりすると体の平衡感覚が狂って転けそうになったりします。

今日は久しぶりに手術のDVDを見ることにします。

僧帽弁形成術の歴史

2012年09月12日 | 雑記帳(心臓と関係有り)
弁置換術は1960年代に始まりましたが、形成術がいつ頃から始まった手技なのか興味があって調べていたのですが、ようやくわかりました。
半蔵門循環器科クリニックのHPから引用します。

僧帽弁形成術は、心臓外科手術の初期の頃から行われてきていますが、当時の手技は交連部を縫い縮めるような比較的簡単なものがほとんどで、強くない逆流に対して行われたり、逆流を減らすのが目的で行われていたようです。

そこに登場したのがフランスの外科医カルポンティアで、1960年代後半からパリのブルセ病院で積極的に僧帽弁形成術を行っていたが、1983年米国胸部外科学会の講演で僧帽弁閉鎖不全症(MR)の病因とメカニズムの分類に基づいたさまざまな形成手技を発表しました。これは逆流が強いものでも、ほとんどすべてのMR症例を対象とし、また「弁の機能や形態を正常化させる」というそれまでにはなかった概念をもったもので、弁形成術の新しい歴史が始まりました。

1990年ブルセ病院のデロシェは、カルポンティアのコンセプトと手技を用いて行われた僧帽弁形成術の良好な長期成績を報告し、この手術は世界に普及するようになりました。

人工弁置換術は1960年代初頭に開発され50年の歴史がありますが、形成術は本格普及が始まってまだ20年ということなので、かなり新しい手技と言えそうです。

各心臓血管外科のHPを見てみると、置換術と形成術の割合については半々ぐらいから、形成術が90%を超える病院まで大きなばらつきが見られますし、治療方針も様々です。
形成術は執刀医の技量に大きく左右されるそうで、形成術が名人芸と言われる所以なのかもしれません。

耳鼻科を受診、結果はやや難聴気味^^;;;

2012年09月08日 | 手術後の外来診察
眼科を受診してその5日後に耳鼻科を受診しました。
記事のアップがだいぶ遅れてます^^;;;
心臓血管外科などと違い、眼科や耳鼻科は少し検索すると一杯出てきて、逆に困ります。
二十歳で学校を卒業して、本州に出稼ぎに出て来てからは耳鼻科も眼科も初めてなので、はて…どこに行ったらいいのやら??

と言うわけで、眼科も耳鼻科も駅に近いところを最優先に選択!!

耳鼻科に行こうと思い立った理由は、長年続く耳鳴りと最近耳が詰まった感じになることが気になったからで、心臓手術とは特に関係はありません。

まず鼓膜を診ていただいたところ、異常なし。
次に聴覚検査、無響室らしい部屋に入り、ヘッドホンをかけて音が聞こえたらボタンを押すという検査です。
もちろん左右別々に測ります。
その結果、いささかショックなことが判明。
低音から2KHzぐらいまでは20dB以下、特に500~1kHzは15dBくらいで良好。
ところが、
4kHzでは40dB
8kHzでは70dB
これってヤバくない? 特に8kHz
会社の健康診断で測るのは1kHzと4kHzの2点だけで、いつも○となっています。

先生は、高い音が聞こえにくいのは年齢的なもので、それほど気にすることはないというコメントでしたが、あまり歯切れ良くなかったんですよね。

それで、このデータはどんなものなのか、帰宅して調べてみるとぬあんと…80歳ぐらいのレベルであることが判明。
今60歳なので、20歳も先取りしている^^;;;
こういう先取りはうれしくないですね…全く。

ま、日常生活には今のところ全く差し障りはありません。
コンサートに行っても楽器の音が変とか思わないし。
500~1kHz辺りで聞こえにくくなるとエラいことですが。。。

耳鳴りはまだ子供がまだ幼い頃に帰省した今から20年以上昔、親父から
お前、耳鳴りあるか?
と聞かれ、耳鳴り?
それまで意識したことがなかったのでどんなものか聞いてみたら
耳の奥でセミが鳴いている
と親父が言ったんですね。
耳の奥でセミが鳴く・・・・あらためて意識してみると私の耳の奥にもセミが住んでることがわかり、その時に初めて耳鳴りを意識しました。

まだ30代半ばでしたから、耳鳴りとの付き合いはもう20年以上になります。

幸いその後耳が詰まる感じはなくなったのですが、どちらにしても耳鳴りを治す方法はないのでこのまま付き合うしかなさそうです。

ところで昨日の金曜日は、残業に入った後やる気がゼロになり、早めに退社しました。
盆明けから忙しくなり、また残業復活です。

再雇用契約は1年なので年末に切れます。切れる少し前に更改があるのですが、更改も交渉事です。今度はもう簡単にはハイハイ言わないぞ!!

23回目の外来受診

2012年09月03日 | 手術後の外来診察
9月3日は1年ぶりの滋賀医大の受診日でした。
滋賀医大は退院後3回目、ヴォーリズ記念病院と合わせると通算で23回目になります。
改装もすっかり終わりきれいになってるし、レストラン、カフェ、コンビニも出店してると聞いていましたのでどんななのかとても楽しみでした。

予約時間は去年と同じ11時。初めて車で行きました。
そして初めて妻も一緒。診察室に一緒に入るつもりはなく、レストランが楽しみだったみたい(^^)

中はすっかり変わっていて受け付けも会計も何もかも変わっています。
変わってなかったのは検査室と診察室ぐらいかな?
検査メニューは前回と同じで
心エコー、心電図、胸部レントゲンの3点でした。

今日は浅井先生、いらっしゃるようでしたが、途中で廊下に出てこられて
お待ちいただいて申し訳ないんですが、今から緊急手術のため失礼します…と仰って待合いの患者全員と握手なさって中に戻られました。
それから3番目に呼ばれ、どの検査も問題は何もないが、何か気になることなどありますか?
と聞かれました。去年診ていただいた先生ではなかったと思います。
手術着を着ておられたので、手術室から直行されたのでしょうか?

で、眼科受診の話をしました。
その先生の説明では、心臓手術後に視野の異常等訴える患者は結構あるらしいのですが、一時的に血流が変動するようなことのようで、心配する必要は特にはないとのことでした。
診察が終わって妻と落ち合い、1階ロビーに戻り支払いをして6階のレストランに行きました。
なかなかはやってて、少し待ちましたが、味も良く…診察後は毎回ここで食べることにしよう。

実は・・・浅井先生にいろいろと聞きたいことがあったのですが、ただ…病気以外のことばかりなので要らんことですが(笑)
またまた、次回に持ち越しです。
次回は9時です。朝早い方が緊急手術は入りにくいので浅井先生の診察は確実性が高くなるとの話でしたので、来年はいろいろ聞けるかな・・・・?

しかし、どこをどう改装してコンビニやカフェが入ったんだろう?
コンビニやカフェが入る前は何があったのか?
コンビニが出来て従来の売店はなくなりましたが、場所は全然違うし広さも違うし…?

今日は待合いで隣に座った年上の男性から話しかけられました。
反対隣の女性のご主人なのですが、その奥様が私よりさらに2年前に浅井先生の手術を受けたと聞きました。やはり弁膜症のようでした。
病気がわかってその後娘さんがインターネットで調べ、浅井先生に手術をしていただこうと決めたと、仰ってました。

それから4年になります。ますますネットの時代なのでしょうねぇ。

目の検査、結果OKでした

2012年09月01日 | 手術後の外来診察
先日、眼科を受診しました。
大人になってからは初めてです。中学生の時に一度か二度受診したかもしれません。
以前記事にしたことがありますが、心臓手術後に視野が欠けたり、視野の一部が暗くなったりすることがありました。
視野が暗くなるって文字通り暗くなるのですが、全体が暗くなるのではなくて視野の一部が暗くなるので違和感を感じ、目をパチパチしたりこすってみたり。
視野が欠けるというのは、視野の下1/3程度が灰色になって何も見えなくなったのが、手術翌日と社会復帰後の12月のある日。継続時間は多分2~3分以内でした。
2回目の時は右目でした。1回目は手術翌日だったので頭が回らず、右か左か確認できずじまいでした。この時は知人にメール打ってる最中でした^^;;;
つい1ヶ月ほど前にはテレビ視聴中に、視野のやや右上が島状に灰色になりました。左右どちらなのかは忘れました。

このことを循環器科で話してみると、眼科受診を勧められました。
ワーファリンとバイアスピリンが終了してから再発したのですが、薬を止めたこととは関係ないとのことでした。再発は数回ありましたが、8月に入ってからは一度も起こっていません。
落ち着いたのかな?

ともかく1回眼科に行って診てもらおうと思った次第です。
会社の帰り、途中の駅で一旦降り眼科のドアを開けました。

受付でかくかくしかじか・・・説明して・・・待ち時間5分で呼ばれました。早いです。
まず、視力検査。眼鏡かけて測って両眼とも1.2
視力検査の次は眼圧測定
眼圧は16と13、10-21mmHgが正常なので良い値です。
眼圧の測り方って面白いですね。
圧搾空気を瞬間角膜に吹きかけるんです。その時の角膜の凹み具合を計算して眼圧を求めるのだそうです。知らなかったので、えっ・・・・と思いました。

次は視野検査
検査機械の中央の橙色の光を見つめ、周囲のどこかに光が一瞬光るのでそれが確認できたらボタンを押すのです。ゲームみたいですね。
片眼ずつ行うのですが、1つの目で5分、両目で10分くらいです。
結果は問題なし。結構弱い光が一瞬点くだけなので、途中何もわからない時があり、視野欠けがあるのかとドキドキしました。
点いたような気がしてボタンを押すこともありましたね。

つぎは眼底検査に備えて、瞳孔を拡げる点眼。
20分後には照明がやたら眩しくなり、とても正視できなくなりました。
蛍光灯でさえ眩しいんです。
やがて診察室に呼ばれまず、網膜の写真撮影。そのデータが先生のPCに転送されました。
いよいよ眼底検査です。強い光を当てられた状態で(すごく眩しいですよ)
目を上→右上→右→右下→下→左下→左→左上→上と回していきます。
先生はモニターで拡大映像を見てらっしゃるんでしょうね。
結果はきれいな眼底で何も問題なかったそうです。

最後に白内障の確認、これはついでです。
還暦を迎えるような年齢では誰でもなっているのだそうで、なるのは仕方がないが程度はごく軽いので問題ないとのことでした。

以上の結果より目には何ら問題がないが、視野の症状が今後も起こるようなら神経内科の受診を勧められました。ちなみに薬も出ませんでした。
目自体に問題はなく、それは良かったです。
ところで家に帰って鏡を見るとまだまだ瞳孔が開いたまま。
月や街灯には周囲に虹がかかったように見えます。
記念に? 目の写真を撮りました。が、ブログにはアップしないでおきます(笑)
目の拡大写真など気持ち悪いですしね。

その数日後耳鼻科を受診しました。