還暦直前に心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症弁形成術体験記)

還暦を目前にして滋賀医大の浅井徹先生の執刀で僧帽弁形成術を受けました。
私の体験が同病の方の参考になれば幸いです。

手術翌日--9月15日(水)-3

2010年11月14日 | 入院(手術~ICU)
午後2時になりICUを退室することになりました。退室に先立ってカテーテルなどが何本か抜かれました。
首から入っていたのはスワンガンツカテーテルと中心静脈ラインで、以前点滴と書きましたが、間違いだったようです。
首には大きなサロンパス? が貼り付けられました。首筋はちょっと腫れているようです。
それから左手首の血圧測定用のカテーテル。
そういえば、酸素はどうなったんだろ?
尿道カテーテルも取れました。抜くとき、特に違和感などはありませんでした。
だいぶ取れましたよね。

そして残っているのは左腕の点滴と腹腔ドレーン、外付けのペースメーカー。
それに、今朝処置された胸腔ドレーン。腹腔と胸腔とセット? です。
そういうわけでいっぱい付いた状態で賑やかな? 退室となりました。
準備が終わり車イスに移動します。しかしとても自分1人では起きられないんですね。
看護師さんに体を起こしてもらって、車イスに移動しました。
こんなのでも一仕事って感じですね。どんな表情してたんだろ?
胸腔ドレーンのパックは外したと思います。

点滴は付けたままなので点滴スタンドのシャフトを私が前で持ち、看護師さんが椅子を押すというスタイルでの移動となりました。
ベッドとドアの間は事務室のようになっていて、事務机の間を車イスですり抜けていきました。
部屋を出るとき何とか元気を奮い立たせて
「お世話になりました」と言いましたが、あーしんど・・・・
これ以後、ICUの看護師さんには二度と出会いませんでした。

写真は手術部、ICU部前の廊下です。

これを撮ったのは病棟外に出る許可を得た術後7日目の早朝で、まだ照明も点いてないため暗いです。

この記事をアップした今日は手術してちょうど2ヶ月です。
心臓手術は全身麻酔下で行われるので、当然ながらリアリティがありません。
11年前に痔の手術を受けたときは腰から下に麻酔を行う局部麻酔だったので、意識がなくなることはなく器具の音も聞こえましたし、ちょっと寒いなあという感覚もありました。
時計見て時間を確認したり・・・・
今から始めるとか終わったなどの声も耳に入ってきました。
今回はこんな感覚がないわけですね。

そのためか今回の手術がはるか遠い昔のような、はたまたついこの間のような、今以て不思議な感覚があります。

経験された方はいかがでしょうか?

手術翌日--9月15日(水)-2

2010年11月13日 | 入院(手術~ICU)
この日1日もものすごく濃い日になりまして、夕食後知り合いにメールするまでの中身の濃かったことと言ったらなかったです。
もうメールしたのか? と思われそうですが、1人にだけ何とか・・・・
意識があるだけ、手術当日より大変な1日だったかも。

やがて朝食が運ばれてきました。
看護師さんがベッドを起こしてくれましたが、ものすごい目眩がするではありませんか。イヤ、これは参りました。これはたまらないので元の位置まで戻していただきました。
すると目眩は治まりましたが、これでは食事ができません。いやはや困ったものです。
もう一度ゆっくりとベッドを起こしてもらいましたところ、ある角度以上で目が回ることがわかりました。ギリギリのところで食事を摂ることにし、あらためて食事を眺めてみると普通のパン食でした。
えー、いきなり普通のパン?
術後食? というものはないようです。
ヨシと気合いを入れてパンを一かじりと牛乳を一口飲みましたが、それ以上は食べられませんでした。もういいです・・・・食事は片付けられました。

その後うれしいお話が・・・・
水分摂取量の制限ですが、入院時にもらったスケジュールには
術後1日目は500ml、翌日800ml、翌々日1200ml、4日目以降制限無し、となっていました。
摂取水分量の測定は朝食時に開始するそうです。
目覚めてからの水分摂取量は300mlだったそうですが、この朝食でリセットされ次は800mlかと・・・・ところが、もう水分は制限無しになりました。
うれしーーーーい。
飲み放題です(笑)

食後いよいよ投薬が始まりました。どれだけの薬を飲んだのか覚えていませんが、やっと痛み止めの薬にありつけました。痛み止めが効くまでおよそ1時間かかりましたが、待ち遠しかったですね。

またしばらく横にしてもらっていると浅井先生がお越しになり笑顔で、
手術は大成功です、時間も予定の半分でできました。
と仰いました。続けて胸部と腹部のレントゲン撮影と体重測定。レントゲンは乾板を体とベッドの間に敷いて撮影、体重は体をハンモック状のものに吊して測定です。
なんだか生け贄にでもなったような?
体重は56kg、術前より3kg増えています。尿量が1kg余りでしたから点滴などが4kg体に注入されたわけですね。

さて、その後・・・・
右肺が気胸になり潰れていることがレントゲンにより判明したのです。そういえばなんとなくあまり息が吸えない感覚はありました。息するのも胸が痛いので、吸えないのは痛みのせいかと思っていたのでした。
浅井先生の指示により胸腔ドレーン留置が決定し、ベッドの上で処置が始まりました。
ドレーンの管は細い方を入れることに。
細羽先生が処置をしてくださいました。
どのような方法や手順かは良くわかりませんでしたが、胸腔近くまでメスが到達すると痛み止めが届いていないので、歯を食いしばり痛みに耐えていました。
「ぐぐぐぐ・・・・」
やがてプシューという音がしました。
空気が抜けた音だったのですね。これで肺が拡がったものと思われます。
処置が終わると痛みはすっかり消えました。処置時間は30分ほどでした。
痛みが消えたのは、痛み止めのおかげだと思います。
術後はこうやって必ずレントゲンを撮るそうです。これはルーチンですと・・・・
胸腔ドレーンはわずかな陰圧で吸引して肺を膨らませています。その間に肺胞が自然に治るのを待つわけです。
吸引する空気がドレーンパックの水封用の水中を通るためにポコポコ音を立てています。
大丈夫、すぐ治りますから、とは言って下さいましたが・・・・

さて、ICUの退室時刻は早い方で午前10時、大半の患者は朝のうちに病棟に戻られました。私と同室だった方の名前も呼ばれていたので順調に回復されたようでした。
というわけで私は置いてきぼりを食ったわけですが、午後2時には病棟に戻れることになりました。

昼前に妻が面会に来ました。でもまだ余りしゃべれないんですよね。
弁形成後に浅井先生から撮影画像で説明を受けたことや、心房中隔欠損のことなどを聞きました。
その他、手術中どうやって時間をつぶしたかとか。

昼食も余り食べられませんでした。やはり普通食でしたが、半分も食べたかどうか。

手術翌日--9月15日(水)

2010年11月12日 | 入院(手術~ICU)
目が醒めました。
術後はICUに入るんですよ、と聞いていたのでここがICUなのか・・・・
と、ぼんやり意識が戻ってきました。
つうことは・・・・
おー、生きてる生きてるーー、手術成功したんだ・・・・あぁ、良かった。
麻酔科の先生に聞いたところでは、目覚めの時はいろんなタイプがあるとのことでしたが、ごく普通の目覚めだったようです。ちなみに夢を見た記憶はありません。
それから暴れたとか、だれも言ってなかったし・・・・
それとも知らないのは私だけなのか?
聞いたところでは麻酔中に夢を見る方もおられるそうです。
眠ってからけっこう時間が経っているような感覚はありました。人工的に眠らされるので普通の眠りと何か違う点があるのか興味がありましたが、違いは感じませんでした。
普段でも夢見ない方なので・・・・

目覚めたときは、人工呼吸器も鼻から胃に通す管も取り外されていました。
目が醒めたときに管が通されたままだったら苦しかったでしょうね。
術前の説明では、目覚めたときは挿管されたままなのでしゃべれないため筆談になります、と聞いていたのですが、すでに外れていたので良かったです。
自発呼吸の始まりをキャッチして外したのでしょうか?
酸素マスクはしていたと思います。確か鼻からかぶせるタイプ。

ところで、部屋に時計が見当たらないのですが?
何時なんだろ? 聞けば良かったのに・・・・まだ麻酔から覚めきってないので、頭も良く回らない。
果たして手術した日の夕方なのか、それとも翌日未明なのか?
朝食までの時間の感じでは翌日の夜中か明け方だったようです。
よほど麻酔がよく効いたんですね。20時間近い眠り?

しかし目覚めたものの体がすごく重いです。また喉が堪らないほど渇きます。
それから右手は自由だけど、左手は何かを握らされています。
拘束されているのではない、何だろ?
血圧測定用のカテーテルのためなのかな?
しかし、それよりなにより問題は喉の渇きです。
ともかく無性に喉が渇くので、何度も何度も看護師さんを呼んで水や氷をいただきました。
コールボタンがわからなかったので、何度も声を上げて看護師さんを呼んだものですから、右手にボタンを持たせてくれました。で、相変わらず水と氷のおねだりです(笑)
一度も断られることなく、水や氷を持ってきてくれました。

喉を潤した後、まだまだ眠いので目を瞑って寝ようとするのですが、喉から何かが落ち込んで塞がる感じで息が苦しくて眠れません。気管挿管していたせいなんでしょうね。
こんなのが続いたら堪らんなあ・・・・この時は正直そう思いました。
何気なく足下の方に目をやると看護師さんが見えました。それとなく盗み見してみると、モニターを見て何かノートに書き込んだり、私の方を見たり。手元のパソコンにすべての情報が集まっているのでしょうか?
そういえば誰も慌てたり人を呼んだりしていなかったので患者の皆さん、順調だったようです。
そのうち看護師さんの交代の時間となり
「どうもありがとうございました」とお礼を言いました。徹夜でついてくれていたんです。
マスク取ってみてと悪乗りおねだりしてみましたが、ノーメークなのでイヤですと笑顔で断られました。

少し残念だったけど可愛かったんですよ、きっとね。


これは頭のすぐ上に設置されていたモニター

心電図などの波形や脈拍、血圧、酸素飽和度などの数値が表示されています。

これは点滴です。

2つ入っていたのですね。

手術日--9月14日(火)-4

2010年11月08日 | 入院(手術~ICU)
毎日たくさんの方にご訪問いただいて、本当にありがとうございますm(_ _)m
がんばって更新していきます。
新たなカテゴリーも検討中・・・・

ところで弁形成が終わった段階で、浅井先生は手術室を出られました。
家族待合室で待機していた妻と娘が、看護師さんからカンファレンスルームに案内されました。

時間が9時前に遡りますが手術室の入り口で私と別れた妻と娘は、病棟にあるドアがピンク色の家族待合室でしばらくテレビ見たりしゃべったりしていましたが、さすがに時間を持て余したようで、レストラン併設の喫茶店に移動しお茶していました。
食事もしたのかな?
やがてそろそろと・・・家族待合室に戻ってしばらく経ったところに、看護師さんから呼び出しがかかったわけです。

カンファレンスルームでは、サーバーに保存されている手術映像をモニターに映し出しながら先生自ら妻と娘に説明下さいました。
妻達にしてみれば、弁など全く初めて見る映像のはずですからどのくらい理解できたのか?
そしてこの時初めて、心房中隔欠損の話が出たそうです。
大きさも3ミリ程度と小さいものだったので、検査では見つからなかったのですね。
3ミリ程度なら病気とも言えないくらいですが、それにしてもいろいろある私の心臓です。

今朝手術室に行く前に先生が病室に来られたとき、弁の手術が終われば家族の方には映像を映しながら説明しますので、と仰ってたのですが、そこには当然私はいないので(笑)、しかし私にも知る権利があるのではないだろうか、ということでそのビデオ、私も見たいと手を上げてみました。
ご希望でしたら退院までに時間取って説明しましょう、と言ってくださいました。

さて、手術終了後私はストレッチャーで隣のICUに運ばれました。
ICUの出入り口ですが、手術室からは別のドアを通るのかもしれません。
これは廊下から見たICUのドアです。

とりたてて特別なドアではありませんね。

私がICUに落ち着いた後、妻と娘はICUに案内されました。モニターに映し出される心電波形や血圧等の数値の説明を受けて、問題なく経過していますとのこと。その後娘がカメラを取りだして何枚か写させてもらいました。

ICUで眠っている私です。

奥にモニターが見えますが、以下の項目などをリアルタイムでモニタリングしています。
動脈血圧、中心静脈圧、肺動脈圧、酸素飽和度、尿量その他
左手首の動脈カテーテルで多分動脈血圧
首にも何かつながっていたのですが、点滴だったようです。
とても全部は把握しきれない・・・・

ちなみに、酸素飽和度は100%でした。
麻酔中は人工呼吸器で呼吸しますが、空気ではなく酸素呼吸なのですね。
空気呼吸では100%にはならないそうです。99%が精一杯。

これは人工呼吸器です。


ドイツはマッケ社製のSERVO-iシリーズのようです。

退院後、写真データを娘からもらいましたが、あらためて術後の管理レベルの高さというものを感じました。これだけやっていただければ、まあ滅多なことはないなあと、安心できますね。

手術日--9月14日(火)-3

2010年11月06日 | 入院(手術~ICU)
体に刺すもの刺して挿入するもの挿入して準備完了の後、手術が始まります。
胸部正中切開--胸骨をカッター(のこぎり)で切開します。ギコギコ・・・
心膜を切開します。切開すると心嚢液が流れ出すのかな?
上行大動脈に送血管をカニュレーションする
送血管とは人工心肺から体に血液を戻す管です。

脱血管は上大静脈と下大静脈にカニュレーションする
一般的に脱血管は右心房にカニュレーションするらしいのですが、手法はいろいろあるんですね。
脱血管とは体から集まってきた静脈血を人工心肺で処理するため取り出す管です。

心筋保護液を順行性に700ml、逆行性に300ml注入。
心筋保護液は十数分毎に何度かに分けて冠動脈から注入されます。
順行性とは通常の血液の流れに沿う流し方で、逆行性は出口から注入するという逆方向から注入する方法です。
これより人工心肺を運転開始します。飛行機で言えば離陸。
心筋保護液はカリウムが大量に含まれていて、循環すると刺激伝導系からパルスが出なくなり拍動が停止します。
肺循環が無くなるので、この時点で人工呼吸器は止めるのでしょうね。

脱血管で取り出された静脈血は一旦リザーバタンクに入ります。ついで人工肺に入りガス交換します。ここで酸素化が行われ動脈血になるわけです。
そしてローラーポンプで圧力を与えられ、送血管から大動脈に戻り全身を循環します。
人工心肺を操作する人をME(Medical Engineer)といいます。
ちなみに人工肺は使い捨てらしいです。

右側左心房を切開し、僧帽弁を観察
前尖A3と後交連が逸脱し、P3の腱策が一本断裂。

最初に逆流確認。
右上側(前尖A3)から逆流しているのがよくわかります。



弁形成開始です。その前に人工弁輪取付用の糸を通しておきます。
記念の一針目



針通し完了


人工弁輪取り付けの後、逆流を最終確認中です。

もう全くと言っていいほど、逆流はありません。

形成のために針を入れる毎に逆流を確認します。

これで弁形成は終了しました。ビデオ撮影はここで終了です。
この人工弁輪は繊維質ですが、一部金属が使用されているそうです。
僧帽弁の状態を確認中に見つかった心房中隔欠損部を閉鎖しました。
左心房切開部を閉鎖。
これで、心臓自体の手術操作は終了しました。

僧帽弁形成術の経験者の方は、およそこのような手順で手術操作が行われています。
これから弁形成の手術を受けられる方は、このような手順で形成が行われます、多分。
ご参考になれば・・・・

青い糸が使用されていましたが、ゴアテックスだそうです。
これは溶ける糸ではありませんので・・・・(笑)
溶けたらエラいことです。

いよいよ手術も後半です。野球でいえば7回表・・・かな?
体外ペースメーカーのリード線を右心房と右心室にそれぞれ固定。
大動脈遮断を解除し、心臓拍動開始。
体外循環より体内循環への切替を行う。離脱といいますが問題はなかった。
離陸に対してこれは着陸です。離脱の方が難しいそうです。

止血処置後、心膜縫合、大動脈被覆、ドレーン2本を心嚢内に留置。
胸骨をステンレス線8本で合わせ、皮下を縫合、真皮を連続縫合
表皮は縫い合わせてないので、体の表面に糸は見えません。ただ、左右から合わせてテープで留めてあるだけ。

以上で手術終了です。
ちなみに出血量は200mlでした。
少ない量ですね。わずか牛乳瓶一本分です。
実際には600ml程度の出血はあったのですが、大半は回収されて人工心肺に戻されています。
回収しきれなかったのが200mlになるわけですね。戻すというのもすごいと思います。
感染の危険があるわけですから・・・・どうやっているのでしょうね。
というわけで無輸血の手術でした。
貯血もしていなかったのでもったいないこともないし。。。

ちなみに、浅井先生が開設されているサイトでは手術の動画がいくつかアップされています。滋賀医大心臓血管外科のサイトにリンクが貼られています。
写真で物足りないと思われた方はそちらへどうぞ。。。
なお、その動画は私のではありませんので。

手術日--9月14日(火)-2

2010年11月03日 | 入院(手術~ICU)
手術室は全部で15室あり、うち2室がクリーンルーム仕様となっています。
ほぅ、大したもんだと聞いてたら、心臓の手術にはそのクリーンルームを使うそうです。
半導体や液晶の製造はクリーンルームで行われ、私も仕事で入ったことがあります。
手術室のクリーンルームってどんなんだろう?
エアシャワーを浴びて埃を落として入室するのだろうか?
半導体工場などではそのようになっているんですが・・・・
そしてこのドアから入って、土間みたいなところを過ぎると小上がりになっていて、その手前で車イスから降ります。スリッパも履き替えて、誘導されるまま手術室まで歩いていきました。
ううう、さすがに鈍感な豆パパさんも緊張してますよ・・・・もうすぐまな板のコイ。それともイワシ?
そういえばエアシャワーなど無かったなあ。。。まあ、いいや、仕事じゃないし(笑)

手術室はかなり広くて全体的に銀色で無機質な感じで、寒いくらい冷房が効いています。
キョロキョロ周りを見渡しましたが、スタッフはみんな大きなマスクをしているので知った顔はわかりません。人数もよくわかりませんでした。人工心肺がどこにあるかもわからずじまい。
さてさて、ゆっくりはさせてくれません。
さっそくリストバンドをチェックされました。そして教えられた通り
お名前は?
豆パパです。
どこの手術ですか?
心臓です。心臓の僧帽弁の手術です。
あぁ、ちゃんと言えた・・・・ほっ

手術台に乗るときはまず三段くらいの台に乗って手術台に腰掛け、それから体を回します。
手術台って狭いんですよ。肩幅プラスα程度かな?
しかし、寒いわ・・・・と思っていたら、暖かいシートをかけられました。
おー、こりゃ暖かくてええわ、と思いきや、一瞬の早業で手術着をはぎ取られてしまいました。
わぁ~~、恥ずかしいよー? って、今さら何を。

さて、これで前準備の前準備完了。
これから体にいろいろ付けられます。
心電図シール5箇所
血圧計のカフ
両腕から点滴--麻酔の初めは点滴のバイパスから入れられます。
酸素メーター(酸素飽和度測定)
酸素マスク
ここまでは正気です(笑)

ここで、麻酔を入れます、と声がかかりました。
麻酔薬が体に入るまではまだ意識がありますが、再度声がかかると1~2秒で意識がなくなりました。
意識がなくなる寸前
「よろしくお願いしまーす」と言ったつもりですが、果たして口に出せたのかどうか?
ここまでは記憶があり、以後ICUで目覚めるまでのことは麻酔説明書や手術報告書等からの転載です。

気管挿管--全身麻酔すると自発呼吸が無くなるため人工呼吸に切り替え
肺動脈カテーテル
経食道心エコー用プローブ
鼻から胃にチューブ--心エコーもあるので絡まないのか?
導尿管
その他--よくわからない、左手首の動脈からカテーテルを入れ、血圧を測っていたらしいが?

心臓の手術操作については、写真を入れていこうと思います。
僧帽弁形成を撮影したビデオ(DVD)をいただいていますので、いくつか取り込んで、と思います。
弁部分の拡大ですから、怖くないです。

手術日--9月14日(火)

2010年11月02日 | 入院(手術~ICU)
今回の入院でもっとも濃い日がやってきました。そうです、いよいよ今日は手術日です。
ただし、記憶は薄いんですが・・・・9時前には眠ってしまったからです。
ベッドの壁には昨夜からこんな札がかかっています。
食べるな、飲むな(笑)
今日は三食抜きです。

朝は普通に目が醒めました。手術の直前って浣腸することが多いのですが、入院してから浣腸の話がないので・・・・剃毛もないのですから、浣腸も無いかもと勝手に判断して、トイレに行って腸を空っぽにしてきました。これで迷惑かけることもないでしょう。
歯を磨く必要はありませんが、ヒゲは剃りました。身だしなみは大事です。

T字帯は7時過ぎに付け、昨夜看護師さんが届けてくれた手術着に着替えました。
あー、いよいよ手術なんだ~~~ 豆パパさんの心臓が生まれ変わる記念日です。
そして荷物の最終整理をしていると看護師さんが来られたので、ICUに持って行く品物の入った紙袋を渡しました。そしたらこれも要らんあれも要らんと(笑)、だいぶ減らされました?

そうこうしているうちに妻と娘がやってきて、お父さん、私達が付いてるから大丈夫だよ、みたいなことを言ってます。
私のいるD310号室は私ともう1人のMさん(年齢は1つ違い)が本日手術を受けることになっていて、Mさんの手術内容は冠動脈バイパス手術です。

8時15分頃浅井先生が部屋に来られ、先にMさんと挨拶を交わしています。
その時、妻と私、娘と私でピースしながら写真撮っていました。浅井先生は続いて私のベッドにお越しになり、挨拶を交わすと
「私も撮ってくれる?」と仰り、私と握手しながら写真を撮りました。これは家宝です、はい。
妻が、帰国直後で、時差ボケは大丈夫なのですか?
と聞いてみると、飛行機の中で調整しているから大丈夫ですよ、と。

いつの間にか、車イスが部屋の入り口に。
それに乗り込み、いざ出陣です。8時20分でした。それにしても慌ただしいです。
写真は病室を出たばかりです。病棟を出てそのまま同じ3階の手術室まで2~3分です。

そして下のは、手術室前に到着したときに娘に撮ってもらったもの。ぶれているのを幸い顔を隠さないで出します(笑)
この時、通りがかりの女性から「がんばってね」とエールをいただきました。

そして、手術室に入室です。
この時の看護師さんの決めぜりふ「ご家族の方はここまでです」
ドラマと同じですよね。

手術室の入り口は何とも殺風景? な、ただの鉄の扉です。
しかも、手術室という看板もありません。知らなければ、素通りしてしまいますよ。
まあ、それはそれで良いんですけどね。