還暦直前に心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症弁形成術体験記)

還暦を目前にして滋賀医大の浅井徹先生の執刀で僧帽弁形成術を受けました。
私の体験が同病の方の参考になれば幸いです。

術後6日目--9/20(月)

2010年11月28日 | 入院(一般病棟~退院)
今振り返ると、術後6日目はというとすでに術後の後半の差し掛かりになるわけですが、まだまだそんな実感は持てないでいました。

朝早く、看護師さんが採血に来られました。
「豆パパさん、おはようございます」
「おはようございます」
「気分はいかがですか?」
「はい、調子良いです」
私の娘と変わらない、いやもっと若いはずの看護師さん達ですが、なぜかお姉さんに見え・・・・
るわけはないです。
看護師さんだって人の子、眠いはずなのですが、そんなそぶりはこれっぽっちも見せません。
さすが、プロです。

体温 37.0℃--なかなか36℃台になりません。
体重 52.35kg(昨日より微妙に下がった)
ふと気がつくと、右肩の痛みはずいぶんと和らいでいます。これならもう大丈夫かも。
朝食です。朝は週のうち2回がご飯で、5回パン食となっています。

味噌汁、高野の煮物、海苔佃煮、牛乳でした。
ごはんの時も必ず牛乳は付いてきます。
お盆に患者名、病室番号、メニュー種類、メニュー内容が書かれた札が付いています。
札の下の方に
個人情報保護のため、この札はゴミ箱に捨てず、ご自身で処理してください。
と書かれているんです。そんなこともあってほぼ全部手元に置いています。

9時頃、術後2回目のレントゲン撮影がありましたが、もう車イス送迎はなくて、1人で歩いていきます。
院内の地理も必要なところは頭に入りました。

午前11時頃、A君が見舞いに来てくれました。術前にも一度来てくれて、暇つぶしにとクイズ本を差し入れてくれたのですが、あまり手つかずになっていました。
進んでますか? などと言われたら汗かきそうでしたが幸いその話にはならず、今回は巨峰を差し入れてくれました。大粒でおいしそうです。
家がこの病院に近いらしく、自転車漕いで来てくれました。救急車でこの病院に運ばれたこともあると言ってました。

昼食です。

湯葉冷や奴盛り合わせ、南瓜の煮物、ピーナツ和えでした。
食後はきちんと歯を磨いてます。

昼食後まもなく、胸のガーゼが取れました。
胸を初めてしげしげと眺めました。
皮膚には糸がなく、左右からテープで寄せているだけです。
どうやって縫ってるのだろう?
糸は中だけ?
どうやってるかわかったのは退院後に手術報告書を読んだときでした。
この時細羽先生が
「医者としてすることはすべて終わりました」
と仰いました。とても印象的で今もよく覚えています。

午後1時過ぎ、妻と娘が来てくれました。
それからしばらく後、娘の婚約者が見舞いに来てくれたのです。
背が高くてイケメン!!
5月に家に挨拶に来てくれて以来ですが、こんなところで再会するとは思いもよりませんでした。人数分のイスがないので、デイルームに出かけひとしきりおしゃべりを楽しみました。
私も少しはしゃべれるようになりましたが、うーん、まだ横隔膜がそっぽ向いてますね。

夕食は

ミートローフ、グラッセピーマンソテー、ボイルサラダ、ふりかけ でした。

夕食後、バンコマイシンの点滴がありました。これで抗生剤の点滴は終わりです。
どの日だったか覚えてなくて日記にも書いてないのですが、何回か教授回診がありました。
昔は大名行列よろしく教授が先頭に立って大勢で各病室を回っていたものですが、
(民間病院なら院長回診)
そのような物々しい回診はなかったです。人数もそう多くないし、フレンドリーで気さくでほとんど気を遣うことのない、患者にとっては有り難かったです。

突然ですが・・・・ここで彦根市のゆるキャラ、ひこにゃんの登場です。
娘が撮った写真です。




寝るときの作戦は続行です。もう大丈夫、しっかり眠れます。

では、お休みなさい。

術後5日目--9/19(日)

2010年11月27日 | 入院(一般病棟~退院)
朝方というかまだ暗いうちにふと目が醒めるといきなり咳攻撃を受けました。全身蜂の巣(笑)
それで体を起こして枕を抱きながら目を瞑ると、まだまだ眠いので転がってしまいました。
ちょうどそこに看護師さんが来て私のその姿を見て
「豆パパさん、面白い格好!!」
あのねぇ~~
しかし客観的にその姿を想像したら、やっぱり尾も白いと思います。

さてと、体温は37.0℃、だいぶ下がってきました。
昨日よりさらに体は軽いです。順調に回復しているのを感じます。
体重は52.9kg、あと一息なのですが、それにしてもなかなか水分が抜けない体です?
点滴開始の時、バーコードリーダーであちこちピッピッとやっているのは何なのか聞いてみました。
私の手首のリストバンドのバーコード、看護師さんの名札のバーコード、薬のバーコードを読み込んで薬の処方が正しいことを確認していると言うことでした。トレーサビリティーをきちんと管理しているってことなんですね。

レスピフローで息の練習をしたが、あまり進展無し。術前の60%位しか肺活量がありません。
朝の9時半に心電モニターが取り外されました。
これ以後蓄尿も不要、病院内行動自由となりました。また病院食以外のものも食べて良いことになりました。
えっっっ、昨日娘からもらった一口ケーキを食べたのは、あれはフライングだったのか・・・言ったら叱られるかな?

手術創の処置をしていただきました。経過は順調とのことです。
ここのガーゼが取れないと、シャワーの許可が出ません。あと少し・・・・

今日は誰も尋ねてくる予定がないので、のんびり過ごしていました。
音楽聞いたり、読みかけの小説読んだり。
飽きてきたら廊下をブラブラ散歩したり。
病棟外に出る許可は出ましたが、まだ近場で(笑)

午後3時より心臓リハビリ開始、最初にストレッチします。
それからバイクに乗るのですが、初めはごく軽いメニューからスタートです。
バイクに乗ると、心電図測定用電極と酸素メーターが取り付けられます。
負荷  10W
回転数 50回転/1分
時間  10分
モニターに心電図と脈拍が表示されるようになっていて、脈拍は81でした。ベッドにいるときで75前後なのですが、この強度のリハビリですと脈拍はそんなに上がりません。
4人1チームでバイク漕ぐので他の方の心拍数や心電図も見ることができます。
それにしても1人1人違うものです。
ここで深呼吸すれば肺活量が上がるかもしれないと思い、途中からゆっくり深呼吸しながらバイクを漕ぐようにしました。このくらいの強度だと楽勝ですね。

リハビリが終了し病棟に戻ると看護師さんから声掛けられ
デイルームで面会の方がお待ちです、と。
ん、誰だろ? 聞いてないぞ。
慌てて、デイルームに行くと、おおおおーーー、N君が来てる・・・・
時間は4時近くになっていました。すまんな、待たせてしまって。
私を見て術後5日目とはとても思えなかったそうですが、まさに現代医学の賜物ですね。
現代医学の進歩を身を以て体験したわけで、私と付き合いのある人達はみんな認識を新たにしたのではないかと思います。
それで1時間近く、私と彼の所属する職場の近況などを報告し合いました。
と言っても、私はまだ十分しゃべれないし、声もかすれ気味なので聞きづらかったと思います。

昨日辺りから筋肉痛のような肩の痛みが感じられるようになってきてましたが、左はほとんどどうもなくて右だけが痛いんですね。私は左利きなのですが、利き腕でない方が痛いのだろうか?
利き腕の側は可動範囲が広いでしょうから、開胸のストレスに耐えられ痛みは少ないが利き腕でない方は比較すると可動範囲が狭くて痛みが強く出るのかもしれません。
私は体がかなり堅い方なのでこの痛みは強く出るのではないかと、気にしていたのですが、案外少なくてほっとしました。

リハビリの効果が出ているかどうかレスピフローで試したところ、肺活量は術前の状態まで一気に回復していました。
わぉ、もう回復した・・・・、またしぼんだりしないだろうね(笑)

このように元気になってくると、余計なことを考えるようになります。
この頃私が私が囚われていたのは、本当に心臓を手術したのだろうか?
ということでした。
なんせ、手術の最中は深い深い眠りの中ですから、実感が何もないわけです。
でも目が醒めたときは体しんどかったし、食事できなかったし、胸痛いし、何かはしたんだろうなあって・・・・
先生や看護師さんには失礼な話かもしれないですけど(^_^;)
聴診のとき、看護師さんから聴診器を借りて心音を聞いてみたら氷解したんでしょうね。
それもしないで、変な疑い? を持っていたのですからどうかしていたと思います。

就寝時は昨夜と同じ作戦を採用。かなり良く眠れました。
ちなみにこれは夕食です。

鶏肉トマトソース、ヌイユ、サラダ、しば漬け
でした。

術後4日目--9/18(土)-2

2010年11月25日 | 入院(一般病棟~退院)
夕食の時間です。点滴などすべて取れたので、ごはんの写真を撮ってみました。

今日のメニューは
豚肉キャベツ味噌炒め
酢醤油和え
すまし汁

この夕食も完食、術後初めて三食平らげられました♪
食べられるようになったらなったで、昨日までどうして食べられなかったのか不思議です。
それだけ回復してきたってことですよね。しかも三食しっかりお腹に入るわけですから、栄養が全身に回りますので、さらに回復に拍車がかかります。まさに正のスパイラルと言えます。
結局入院中全期間にわたって「病人食」というものには出会いませんでした。
まあ、うれしいことではありますがちょっと意外でした。
お粥ぐらいは出るのかなと、思ってたんですけどね。心臓血管外科のHPにはそう書いてあったんですが・・・・
多少トラブった(気胸と咳)せいで術後の睡眠はかなり不足しているのですが、それでも回復していくものなのですね。自分の体ながらとても有り難い。まだまだ若いのでしょうか。
確かに心臓血管外科病棟の患者さんは大半私より年長です。

夕食後に出た薬は有名な? ワーファリンとアーチスト錠でした。
その後まもなく細羽先生がお越しになり、炎症反応の収まりが遅いので抗生剤の点滴をすることになったという説明がありました。
これが点滴薬です。

裏側に貼られたシールにはバンコマイシンと書かれています。
これを朝夕各1回を全5回処方されることになりました。
なんと、バンコマイシンなんですね。一時は最強の抗生物質と謳われたバンコマイシンです。
これが効かなければ、効く抗生物質はないかもしれない・・・・
でも、熱は下がる傾向が見えたので心配はしていませんでした。

そして点滴が終われば、

このように保護されます。点滴が終了すると留置針に血液が逆流して固まるのを防止するため、抗凝固剤のヘパリンを注入して継続して針が使えるようにします。
なるほどねぇ~~

点滴終了後、輸液ポンプのふたが開いたまま看護師さんが引き揚げたので、ポンプをいろいろ眺めてみました。どんなメカニズムで送液しているのか興味があったので探ろうとしましたが、よくわかりませんでした。点滴が終わると液切れでエラーとなり、エラー信号を無線でナースステーションに飛ばしています。ピコピコ鳴ったらすぐ飛んできてくれます。

昨夜は横隔膜が暴れて? 咳が出て眠れませんでした。二晩続けて同じことの繰り返しはごめんなので、どうすれば眠れるか試行錯誤しました。その結果右側を向けば、横隔膜が比較的大人しくなることがわかりました。しかし、胸骨に左右非対称の力を加えてずれたりしないかという心配がありましたが、とにかくゆっくり横を向いて体を休ませれば大丈夫かな。
そしてゆっくりと深呼吸を繰り返せば、没有問題(中国語でノープロブレム)です。
この作戦は成功し、比較的よく眠れました。

術後4日目--9/18(土)

2010年11月23日 | 入院(一般病棟~退院)
初っぱなから余談なのですが、手術当日の食事メニューは
昼食がポークシチュー、肉じゃが、カレイのバター焼きから選択
夕食がツナの卵とじ、洋風卵焼き、ロールキャベツから選択
でした。好きなものばっか・・・・運が悪いというかなんというか・・・・
食べたかったなあ~~って、そんなの思い出してどうするの(笑)

お腹のピクピクであまり眠れないまま朝を迎えました。起きてみるとかなり睡眠不足ではありますが、体は昨日よりまたさらに軽いです。こんなんでも体はちゃんと退院駅行きの回復列車に乗っているようです。そういえば胸の痛みも減少のきざしが見えてきました。
ところで術後4日目にしてようやく音楽が聞けました。
8時の朝食まで時間があったので、スリラー、今夜はビート・イット、ビリー・ジーンなどマイケル・ジャクソンのナンバーをちょっと音量を上げて。
初めて聞くのがマイコーとは、自分でも意外です。

熱っぽさもマシになってきました。体温を測ってみると37℃台に戻っています。
風邪などで37℃台の熱が出るとかなりきますが、炎症反応による発熱は37℃台だと、もう平熱感覚です。
体重は53.5kgまで下がってきました。順調に減ってはいるのですが、もっともっと減らさないといけないそうです。
レントゲン一般撮影がありました。目的は胸腔ドレーンを外した後、水が溜まっていないか確認するためだそうです。このとき、レントゲン室までは車イスで送迎いただきました。
送迎の時看護師さんに外に出たいと言ってみましたら、心電モニターが外れるまではダメ、とピシャリ。
病棟から出たらモニターの電波がナースステーションに届かないので豆パパさんが行方不明で、大騒ぎになるのでそれは困ります、とのことです。
はい、すみません。大人しくします。多分それで車イスなんですね。
こんなこと言い出しましたから、少しは元気になったということなんですね。

朝に出た薬の写真を撮りました。

薬の名前と効能は以下の通り。
ラシックス:利尿剤
アルダクトン:利尿剤
タケプロン:胃酸の分泌を抑制し抗菌剤の作用を高める
アスパラカリウム:カリウムの不足を補う
リバロ:コレステロールを低下させる
バイアスピリン:血液の抗凝固剤
アーチスト:心機能改善、血管拡張作用

体が自由になったのでデイルームにぶらっと出かけると、術前に同室で同じ日に手術された(冠動脈バイパス)Mさんと出会い30分ほどしゃべりました。2人とも肩が痛いと・・・・開胸手術の後は肩や背中が痛くなる人が多いそうです。昨日まではあまり感じなかったのですが、胸骨の痛みが和らいでくるに従い、肩に痛みを感じるようになってきました。筋肉痛みたいな感じですが、運動してもこんなところは痛くならないぞ!!

妻と娘が12時前に面会に来てくれました。個室は広いし、椅子も2脚あるので2人とも座れます。
面会・・・・ありがたいですねぇ、忙しいのに頭が下がります。
妻からは簡単に聞いていたのですが、手術当日のことなどさらに詳しく聞かせてくれました。
私は喋ろうとすると咳が出そうになるので、枕抱えてもっぱら聞き役です。
椅子やテーブルに病棟番号の「3D」とマジックで書いてありまして、それをスリーディーと読んで笑わせてくれました。
それじゃ2Dは平面か?(笑)
1Dは直線・・・・

昼食は術後初めて完食できました。やったネ。次の目標は夕食を全部食べること。
妻達が帰ってまもなく、会社から電話がかかってきました。上司からで
来週の初め、見舞いに行っても良いかな?
はい、今よりは元気になっていると思います。
咳き込まないようになんとか話できました。
しかし自分の声がまだ本来の声でないのがわかります。発音も不明瞭でかすれていたのに、相手はちゃんとわかってくれたのでしょうか?
夕方、娘が置いていってくれた一口ケーキを食べてみましたが、1個で満足したというか、それ以上は食べられませんでした。5時の検温では37.5℃で朝よりやや下がった感じ。

いろんな意味でピークは過ぎたように思います。後は横隔膜の痙攣ですね。特効薬はありませんが日にち薬で治っていくでしょう。

血圧

2010年11月22日 | 雑記帳(心臓と関係有り)
血圧の言い方なんですが、上の方が120とか下の方が70とか言いますよね。
わざわざ単位を付けて言ったりはしないですね。
単位はありまして、mmHg(ミリメートルエイチジー)といいます。
これは水銀柱をこの高さまで押し上げることのできるという意味です。
120というのは水銀を120mmの高さまで押し上げることができるわけです。
これを水柱に置き換えてみると、約160センチの高さに相当します。

つまり心臓がぎゅっと収縮するとき、水=血液を160センチの高さまで飛ばすことができる。
それだけの力を持っていると言うことなんですね。しかも1日10万回を一生繰り返すわけです。生きている間動き続ける疲れ知らずの心臓、なんだか感動します。

術後3日目--9/17(金)

2010年11月21日 | 入院(一般病棟~退院)
きのうまでのことで1つ書き忘れていました。
他の方の体験記には書かれていない事柄なので、私だけが経験したのかもしれません。
それは腕を動かすときにリンク機構の出来が悪く(ガタがある?)、なんだか遊びが大きい感じがしたことです。目的のところに手を伸ばすのにそのままでは少し誤差が生じるというか、なんだかそんな感じがしていました。ステンレスで固定した胸骨が簡単に動くなんてことはないはずなのですが、変な感じは2日ほど続きました。これは胸骨がしっかりしてくるに伴い、消えていきました。

ところで、術後の体のしんどさは日々取れて体が軽くなってきました。
朝起きて体を起こすのもだいぶ楽にできるようになってきました。そういえば、痛み止めは効果が切れているはずなのですが、もうこれからはなくてもいけそうな予感・・・・

朝食はパンでしたが、術後初めて完食しました。おとといはこれが一口しか食べられなかったんです。
担当医の細羽先生の朝の回診で、胸腔ドレーンと外付けペースメーカーが取れました。
どちらも痛みなどはありませんでした。
残りは点滴と心電モニターです。
点滴は午後に取れました。これで体につながる管はすべて外れました。

自己リハビリは午前中にやりました。廊下を適当に歩き回りましたが、また隣の3C病棟まで足を伸ばしました。毎日歩かないとね、退院してからが大変です。

それで遅まきながら、咳するときの痛み対策について。
術後は咳や痰がよく出ると言われています。手術中に気管挿管する時あるいは抜管時に気管に傷が付いたりするためだそうです。
痰を出すために咳をすると・・・・普通にやると胸骨付近がものすごく痛みます。
あの痛みは堪りませんね。

しかし、この痛みを緩和する方法があります・・・・それは・・・・
私が指導を受けたその方法は・・・・枕を抱く(笑)
咳が出そうになったら枕を胸に当てて、しっかりと抱きしめてコンコンとやるのです。
かなりしっかり抱きしめるとけっこう楽に咳ができるんですよ。
まずは軽く軽くコンコンと咳をして痰を少しずつ気管の奥から押し出します。そして喉まで出かかったら最後に大きめに一発コンとやって痰を吐き出す・・・・のです。
何度かやっているうちにコツがつかめてきます。

病院の指導は・・・・痛くてもどんどん咳して肺を拡げて下さい。咳で胸骨が開くことはありませんということでしたが、痛みの方は枕で何とかなりました。
枕が間に合わないときは・・・・悲惨です。

さて、午後になると次第に熱っぽくなってきました。体温を測ると38℃を超えています。
最高で38.7℃まで上がりました。←入院中の最高体温を記録!
看護師さんに熱を訴えると、採血して菌の培養をすることになりました。
採血の量は多めでした。結果報告はなかったので菌の感染はなかったようです。
2時頃妻が面会に来ましたがその時はしんどくてベッドで伸びていました。
水分が抜けて顔がちょっと締まってきたよ、と言ってくれましたが、鏡で見ても自分ではよくわかりません。もともとこんな顔やん・・・・
明日娘と一緒に来るからねと言って妻が帰った後、4時頃に取引先の方がお二人、面会に来られました。ナースステーションから連絡があり、お通しして良いですか? と。

早く復帰してくださいよ、いろいろ困ってるので。と、けっこう真顔(お芝居?)で言われてしまいました。
えーーーーそれって、まだまだこれからの方が長いのですが。

これもまた午後からなんですが、横隔膜の痙攣が始まってお腹がピクピクし始めました。
このため普通に息が出来なくなりました。空気を小さく吸ったり吐いたり・・・・普通に息すると咳き込んでしまいそうです。
これがだんだんひどくなりました。断続的ではあるんですけどね。
5時頃からはちょっとしたことでピクピク・・ピクピク
エアコンの風がちょっと当たるだけでも刺激になります。
原因で思い当たったのは、きのう腹腔ドレーンを抜いたとき、余計な力をお腹にかけてしまい、それが横隔膜を刺激してしまったのか?

6時前にリハビリ室から迎えに来られました。熱は下がってはいないのですが、取り敢えず行くだけ行ってみようと・・・・38℃台の熱があっても歩くぐらいは大丈夫です。
初めて行く部屋ですが、今日は心臓リハビリの前に体組成分析をすることに。
写真のような機械に1~2分乗ると体各部の体組成が測定される仕組みです。


どういう仕掛けかよくわかりませんが、胴体、左右の腕、左右の足にそれぞれ分けて筋肉量、脂肪等が測定されます。
その結果は、体脂肪率は11%という驚異的な? 数値でした。
それ本当なの?、と言いたくなります。
家の体脂肪計では14%くらいなのですが、11%の方が正しい(笑)
心臓リハビリはバイク漕ぎが主ですが、それは来週からとなりました。
この日は三食のうち完食は朝食のみ、昼食も夕食も残してしまいました。

横隔膜痙攣による咳は治まらず、おとといに続き夜は眠れない・・・・
トホホです。こんなので回復するのだろうか?

バッテリー上がり

2010年11月20日 | 雑記帳(心臓と関係有り)
車のバッテリーが上がってしまいました。
去年の6月補助金頼みで19年乗ったT社からN社に乗り換えた車ですが、9月初頭から乗っていなかったんです。大方3カ月になりますね。
退院の時1ヶ月は運転するなと言われていたのですが、ちょっと大事を取って2ヶ月後の初運転となりました。
時々はエンジンかけて調子を見てはいたのですが、今日洗車&ガソリン入れにスタンドに行こうとしてエンジンかけようとしたら・・・かからない(^_^;)

それで妻用の軽のバッテリーとブースターケーブルでつないだら何とかかかりました。それから20分以上エンジンをかけたままにしておいた後、エンジンを止めて洗車しました。
洗車の後エンジンかけようとしたら、またかからない。
アイドリング程度では大して充電できないのですね。

また、軽自動車とつないでエンジン始動です。何やってんのやら・・・・
ガソリンがほとんどなくなっていたのでスタンドに行こうとしたのですが、スタンドで止めた後またかからないと余りに情けないので、エンジン高回転モードでかなり遠回りのドライブをしてからガソリンを満タンにしました。
今度は・・・・かかりました。ほっ・・・

昔の車は少々放ったらかしでもバッテリーは上がらなかったのですが、今の車はバッテリーの消費が大きいのですね。あまりほっとくとバッテリーが上がりますね。
またバッテリーが上がったまま時間が経つと、復活しなくなりますので要注意です。

それで術後2ヶ月経っての運転は、バックしようとして体を捻ったときに少し胸に来ました。
完全に痛みが取れるにはあと1ヶ月かかるのかな?

術後2日目--9/16(木)

2010年11月20日 | 入院(一般病棟~退院)
朝です。6時前には目が醒めて、というより昨夜からあまり眠れてないんですが、モソモソと起き出しました。まずトイレに行かなくては・・・・溜まってます(笑)
昨日と比較すると、だいぶ元気になっているのが感じられました。

トイレに行くため指導を受けた通り、体を右に捻り足をベッドから下ろします。次に右肘を胴の下に入れて上半身を起こします。そしてベッドに腰掛けます。
これらすべての動作をスローモーションでみるようにゆ~~っくりやるのですが(ゆっくりとしかできない!)、それでも胸は痛いです。昨夜飲んだ痛み止めの効果も切れてますしね。がまんがまん。

トイレは個室にあるのですが、いろいろつながってるものの処置をします。
心電モニターが入っているウエストポーチを腰に巻く
点滴用輸液ポンプの電源コードを外して電池駆動に切り替え
酸素チューブを壁の酸素栓から抜く
胸腔ドレーンパックの吸引用チューブを外してベッドに置いておく

これだけの作業をすませた後にやっとこさスタンドを転がして動けるようになります。
術後数日は患者の皆さん、こんな感じですね。
トイレに入っている時間よりも準備の方が長いんですよ(笑)
ついでにナースステーションまで歩いて体重も測定。体重計に乗る前にウェストポーチは外してカウンターに置きます。
そしてベッドに戻ったら逆のことをやるわけです。
8時が待ち遠しいです。ご飯より薬って感じ・・・・

やがて8時、朝食の時間になりました。
あらら、またしても完食できません。なんだか先は長そうです。
ごはんを前にしたときは食べられそうなんですけどね、噛んでいるうちになんだか精神的に疲れてしまってもういいやと投げやりになってしまう・・・・
体力もですけど、精神力も衰えています。
それでも歯は磨きに行きましたし、ついでに薬を飲みました。
ん?、歯磨きがついでかも(笑)
しばらくすると痛み止めが効いてきました。

そして9時前かな、朝の回診です。先生や看護師さんがたくさんお見えになりました。
「それじゃ腹腔ドレーンを取りましょう。」
ちょっと痛いですよ、と声かけしてくれたのは良いのですが、私が過剰反応してしまって抜くときお腹につい力を入れてしまったんです。
抜けるときはやや痛い+気持ち悪い感じがしました(ヌルヌルヌル~~)
浸出液がなくなったわけでもないのに抜いて大丈夫なのかな? という疑問はありましたが、お任せするしかありません。
ドレーンは心嚢に留置されていましたから、そこそこの長さはあったようです。

それと、胸腔ドレーンの吸引がなくなりました。
深呼吸するように言われて深呼吸してみると、ドレーンにつながるチューブ内に溜まった血の混じった胸水が揺れています。けっこう出てるんですよね。
「良いですね、止めましょう。」
気胸は治ったとの判断のようで吸引の音がなくなり静かになりました。
やったー、今晩からは眠れそうです。すぐ治りますよ、と言われたのは本当でした。
酸素吸入も停止されました。
もっとも胸腔ドレーンはまだぶら下がっていますし、点滴もまだまだ継続です。

この日も昼食も夕食も残してしまいました。はぁ~~
ちょっとめげたりして看護師さんに聞いてみたんですが、術後間もないのだからそれだけ食べられたら十分ですよ、と慰めてくれました。

病院のプログラムによるリハビリは夕方でしたが、やることがなくてヒマな私は自主リハビリを敢行、3D病棟を全部制覇しました。スタンドがお友達、いつも一緒(笑)
調子こいて隣のの3C病棟まで行っちゃってしまいました。
夕方のリハビリは、回廊になっている廊下を2周回りました。
けっこう歩けるものです。だいぶ自信がついてきました。
部屋に戻ると、レスピフローを思い出しました。
再掲します。


せっかく買ったんだから使わなければ、と・・・がんばってみましたが、やはり胸が痛くて術前の60%が精一杯です。すっかり衰えてますね。がんばって起きてないとね。
目標は退院時で術前の80%まで戻すことだそうです。まあ、何とかなるでしょう。
毎食後の薬服用時に痛み止めの薬が付いてくるのはこの日までで、3日目以降は希望すれば持ってきていただけます。

日中から夕方にかけて、知人や友人、そして娘にメールしました。
吸引がなくなって静かになりましたので、夜はよく眠れました。
炎症反応により体温は37.6℃でした。
このくらいなら大したことはなかったんですが・・・・

1回目の診察

2010年11月17日 | 歯と口腔内の健康
今日定時後に、歯医者で診てもらいました。
予約取ってないので、40分くらい待たされましたが、呼ばれてからは丁寧に診ていただけました。痛んでいる歯は2年前に治した歯でしたが、もう抜歯しかないかもしれないほど、傷みが激しいそうです。
私の勘違いで今年の初めに治した歯の隣の歯でした。

今日は金属の被せを取り外して炎症を止める治療でした。
歯茎を押さえたら膿が出たそうです。
とりあえず、痛みは治まりました。

ワーファリンを飲んでいると初診のアンケートに書いたので、心臓がお悪いのですか? と聞かれました。弁膜症の手術を2ヶ月前に受けたと言いましたところ、今度の診察時には薬のリストを持ってきてくださいと言われました。

まだワーファリンの調整は不要とのことです。治療していただけそうで、よかった。

手術翌日--9月15日(水)-4

2010年11月17日 | 入院(一般病棟~退院)
午後3時前、3D病棟に戻ってきました。部屋はナースステーションすぐそばの個室(D304号室)です。手術後は個室に入ると聞いていましたが、この部屋がそうです。広いですし、何かあれば看護師さんが飛んで来てくれます。滋賀医大附属病院では心臓手術の後はいったん個室に入るシステムになっています。

入室後はいったん寝かされました。点滴が左、胸腔ドレーンが右、なお、窓が右側で床頭台も右側です。点滴スタンドが左にあると右の胸腔ドレーンとで両手に花? 状態になり、動きにくいというより、実際動けません。
それで点滴のスタンドを右に移動しスタンド下部にドレーンパックを固定し、スタンドを右に一本だけにしていただきました。
それから酸素は経鼻カニューラを付けられました。手厚い看護です、はい。
ベッドを離れるときは準備が面倒ですが、これなら何とか動けそうです。
ほんと、めちゃめちゃ準備が邪魔くさかったです。

そして看護師さん達が退室後、しばらくすると妻が来ました。
ICUでは長時間の面会ができないので、午前の面会後はどこかで時間をつぶしていたのですが、私の顔を見るなり、この人誰といったような表情をしていましたよ。
その妻を見て私は??
私の顔がむくんで満月のようになっていたそうです。手術時の点滴による水分過剰によるむくみなんですよね。
水分が多量に体に入っているので、顔も手もむくんでいます。指もむくんでいて手が握れませんでした。

それ以外に何をしゃべったのか覚えていませんが、4時頃に妻は帰宅しました。
入れ替わりにリハビリの先生が来室されました。
まずベッドから起きる手順について教えていただきました。
体を右に90度捻って足をベッドから下ろす。
つぎに右腕を体の下に入れて肘で支えて体を起こす。
そしてベッドに座る。
こうするのがもっとも痛くない方法だそうです。ゆ~~っくりと時間をかけて・・・・まあ時間はいくらでもありますから(笑)
こうやって座ってしまうと別に痛くはないんですよね。座るまでは痛いですが・・・・
そしてその次は歩行訓練です。
「豆パパさん、歩けそうですか?」
「・・・・はい・・・・」
『しんどいのにもう歩くの・・・・』←心の声
でもこれが正念場、リハビリの第一歩です。がんばらなきゃ。

滋賀医大心臓血管外科が標榜する、
術翌日から積極的なリハビリを行うことで初めて可能になる、
Super Fast-Track Protocol(超早期回復管理)、これです。

一応念のため歩行器を用意いただきました。これに手を添えてナースステーションの前を行ったり来たり。1往復の予定でしたが足取りは大丈夫だったので大変ゆっくりではありますが2往復、歩けました。
距離にして100mくらい歩いたでしょうか。立ち上がってしまうと歩けるものですね。
部屋に戻りベッドで休憩、横になるとまた起きるのが大変なのでなるべく起きていようと思いました。
実は横になるのも痛いし時間がかかるのでそれなりに大変。それなら起きてる方がマシってことです。

意外なことに音楽を聞く気にならず、もちろん本など読む気力はありません。
夕食まで、ベッドに座った姿勢のままでぼんやり外を見ていました。
食事のお茶は原則自分で汲みに行くのですが、この日から3日間くらいは給食部の方が来てくれたときにお願いしました。離床の準備作業が大変なので・・・・

夕食は、やはり半分くらいしか食べられません。胃が受け付けないとか食欲がないとかじゃないのですが、なんて言ったらいいのでしょうね、噛む気力が萎えてしまうといった感じでした。
その後知り合い1人にメールしたところ、すぐ返事があり、もうメールできるの と、驚かれました。

でも1人に打つのがやっとでしたけどね。その夜は、胸腔ドレーンの水封の音がうるさくてあまり眠れませんでした。

この日は入院中で最も苦しい日になるのだろうな・・・・眠れぬまま、そんなことを考えていました。
しかし苦しいけど、歩けたじゃないか。もう1往復くらいは歩けたはず。
そしてこうも考えました。明日目が醒めたら、今日より楽になっているはずだ。
あさってはさらに・・・・2週間後の退院目指して~~
先生は手術がんばってくれたんだし、明日からは私がリハビリがんばる番だ。
リハビリ科に世話になるだけじゃなくて、やることなすことすべてリハビリのつもりでがんばろう。

でも、しんどかったです、はい。