還暦直前に心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症弁形成術体験記)

還暦を目前にして滋賀医大の浅井徹先生の執刀で僧帽弁形成術を受けました。
私の体験が同病の方の参考になれば幸いです。

2011年1月の外来受診

2011年04月29日 | 手術後の外来診察
1月は外来診察を2回立て続けに受けました。
ヴォーリズ記念病院循環器科で受けたのが年明け早々の8日。
そして手術した滋賀医大心臓血管外科で受けたのが14日。

まず8日、退院後5回目の外来です。もう5回なんですね、早いなあ。
前回は11月27日でしたから6週間ぶりです。
今回は採血と診察だけ(最小限のセット)。
血圧は102-70。入院後半からは大体こんな数値で安定しています。
聴診ももちろん問題なし。経過は順調です。
薬も変更ありません。なかなかワーファリンが終わりません。
しかしワーファリンが終わっても、バイアスピリンはその後も飲む必要があるとのことです。

献血は再開できるのか、血液センターのHPには心臓病患者は二度と献血できないと書いてあることも含めて、聞いてみました。いただいた回答は、
心臓病患者は薬を飲むことが多いですが、少なくとも薬を飲んでいる間はできません。
ということでした。
確かに薬服用中は血液に薬の成分が混じってますから、献血は良くないでしょう。
もしかして薬から解放されることがないとすると、先に献血不可年齢になりそうな感じです。
献血のリピーターでも69歳までが献血可能年齢なのです。
もっと若いときから献血をいっぱいやっておけば良かったです。
400ミリリットルの献血が始まったときに、献血後フラフラになったことがあってそれから長い間献血から遠ざかっていました。
その他、運動やアルコールについては
お酒は心臓に負担がかかるので不可。
走るのも不可、ただし早足で歩くのはかまわない。
というお話でした。


そして約一週間後の14日、退院後初めて手術を受けた滋賀医大で受診しました。
病院には8時20分に到着、受け付け開始の8時半に機械で再来受付。それから検査部受付で待機しました。
診察の前にまず所定の検査をすませるのですが、9時まで待たされるかと思っていると8時45分に心電図検査から始まりました。
1.心電図
2.心エコー
検査技師より、負荷が軽くなって心臓が小さくなってますねとのコメント
3.レントゲン一般撮影(正面と右側面から撮影)
検査はこの3つでした。9時を待たずに早めに始まったので、9時20分にはすべての検査が終了しました。
次に心臓血管外科外来に行きましたが院内改装工事のため場所がすっかり変わっており、さらに待合室も各診療科共用のためかかなり狭いです。
受付で予約診察票を提出しソファーで数分休憩の後、自動機で血圧を測定しました。
結果は120-58 ←自動機で測るといつもより高めに出る(そういうものらしい)
脈拍は72 ←なかなか良い感じ(脈拍は起きたばかりの時の方が早い)

データをプリントアウトして受付に提出しソファーに腰掛けて待ちます。
工事中のため、いかにも仮住まいって感じの待合いと診察室です。
診察室のドアにかかっている名札は鈴木先生の名札です。今日の外来診察は鈴木先生なのかな?
…と思っていたら診察中の患者さんが出てこられるとまもなく、鈴木先生も退室されるのが見えました。そして看護師さんが浅井先生の名札に変更。
主治医が診るシステムなんだ、と解釈。
それから数分後に浅井先生が診察室に入られるのが目の端に写りました。
なかなか目敏いでしょ(笑)
さて、私の番はいつかなと思っていたら、まもなく私の名前が呼ばれ診察室に入りました。
入るといきなり、先生笑顔で
「豆パパさん、明けましておめでとうございます、メールいただいたのに返信遅くて申し訳ない」
わ、面食らっちゃいましたよ。慌てて
「明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします」
そして促されて椅子に座ります。

先生の口調では私のブログを見ていただいているようでした。
そして、動画サイトに手術映像をアップされたことやHPの管理を依頼されたりなど
…雑談あるいは冗談からスタート。

それからおもむろに検査データが画面に表示されました。まずはレントゲン写真です。
撮影させていただいたので、特に胸骨付近を拡大したものをアップします。

いささか見えにくいと思いますが、胸骨接合用のステンレス線が8本結わえられています。
そして下の方で楕円形に見えているのが、コバルト・クロム・ニッケルの合金からなる人工弁輪の金属です。
そしてこのステンレス線は創の上から触ることが出来ます。
手術後何ヶ月もの間は手術創とその付近がとても敏感で、指でなぞるなどとてもできませんでした。
半年も経つとすっかり普通の感覚に戻ったので時々触るのですが、こりこりとした感じがあります。

話を戻して、先生の診断は
心臓や肺は全く問題なく、心エコーの結果は
逆流は痕跡程度であり軽度までも行っていないので問題なし
心臓の動きも良く、駆出率は70%近いので問題なし
体をどんどん動かしてくださいとご指導いただきました。

手術創の縫合は糸が出ていなくて抜糸もなかったことをお聞きすると、埋没縫合というのだそうです。
これからの診察はスパンを伸ばしてもいいかなと言うことになり、次の診察は8ヶ月後の9月5日になりました。

診察終了時、撮っていただいた1枚です。


1週間前のヴォーリズ記念病院での診察ではまだ走るなと言われたのですが、内科医と外科医の考え方の違いかなと思います。外科医はどの程度まで悪くてどの程度まで良くなったのか患部を直に見ていますから、積極的な判断がしやすいのだろうと思います。
それからヴォーリズ記念病院の寺尾先生と滋賀医大の浅井先生の間には、強い信頼関係が築かれていることが言葉の端々から感じられます。

復帰後3ヶ月目(1月)

2011年04月24日 | 日記
家族4人全員で迎えた久しぶりの正月、年が明けてついに還暦と相成りました。
つまり今年は60歳になるわけで、そして年末には定年も迎えます。
(しかし早い、歳月人を待たずとはよく言ったもの)

今年中には娘が2人とも結婚するので、みんなで祝う正月も最後かな?
私が社会に出たのが二十歳の時なので40年目、節目ですねぇ~~
厳密に言うと入社日が1972年の3月27日ですから、正確にはまだ39年目です。
4月1日を待たず、その1週間前に来るように言われたのです。

ところで1月の日記を読み返してみると、やたら腰痛のことばかり書いてあります。
そうでした……1月14日の滋賀医大の診察の帰り、駅を降りた辺りから腰に違和感が来て、家に着く頃には歩くのもやっとの腰痛に見舞われたのでした。
今までで最悪の腰痛です。
詳しいことはここに書きました→腰痛になりました

この日は金曜日でしたが、翌月曜日に決まっていた歯医者の予約を取り直し、土曜日のコンサートチケットは娘に譲りました。
腰痛が完治したのは27日なので治まるまで約2週間、今回の腰痛は急性で強烈に来ましたが、治まってからは後を引くこともなくなぜか非常に調子良いです。
以前なら治まった後でも電車で20分も立ってたら勘弁して欲しいくらいでしたが…

1月27日のことですが、会社の食堂から職場までの道のり、普通に歩けば3分ほどの距離です。
食堂棟は独立した棟なので一旦外に出てテクテク歩いていき、歩いて帰るわけです。
風が強く、吹きさらし…余りに寒いので年甲斐もなく走ってみました。
どのくらい心臓回復してるかな?

そうしたら意外や意外、途中息が切れて歩くこともなく、走りきれました。
ここ2、3年は雨降りなどで走ろうとしても息が切れて、途中屋根のあるところで休憩しないと走りきることは出来ませんでした。
それでもう50も後半になると体力こんなに落ちるんだと諦めていたんですね。
しかしそうではなかった…弁膜症により必要な血が回っていなかっただけ。
血さえ回れば、まだまだ行けそうです。

実は1月8日に診察を受けたとき、まだ走ってはダメと指導されていたので、走ったことは内緒です(笑)

復帰後2ヶ月目(12月)

2011年04月17日 | 日記
私の勤務する部門は毎年11月から翌年3月までが繁忙期で言わば書き入れ時です。つまり4月から10月までは閑散期なのですが、閑散期でも6~8月には少し山が来ます。
9月には一旦ヒマになり、10月中頃から3月にかけては切れ目無く忙しいのが例年のパターンです。
それを意識したわけではなかったのですが、9月に入院&手術、10月下旬に復帰したことは職場や付き合いのある他の部門にはあまり迷惑をかけずにすみました。
退院してリハビリに励むには最高に良い季節だったし、花粉症の季節でもなく結果的にはベストのタイミングとなりました。

…それで、12月です。復帰して2ヶ月目に突入…
体も頭も徐々に慣れてきましたが、ちょっと事件など起こってあちこち電話したりすると以前より何倍も疲れが出ます。その時はわかりませんが、帰宅するとぐったり…
そんなときは風呂に入って早々に寝ます。それにしても以前よりずいぶんと就寝時間は早くなりました。

目まい、ふらつきは相変わらず…大体は立ち上がって一呼吸置いてから出るので何歩か歩いてからが危なかったりします。
ところが一度だけ、すわったままの状態で意識レベルががくんと落ちました。
会社で座って仕事中でしたけど・・・・座っててもなるって大丈夫なのか、私。
運転中にこんなことになるとちょっと…じゃなくてかなり危ないです。
それにしてもあのままいけば、気を失ってしまうのですね。
薬の副作用ですから、そこまでは心配ないと思いますが…

咳やくしゃみは思いっきりやっても全く大丈夫になりました。
思い切り出来ないっていうのはけっこうストレスですから…体がだんだん治っていってるのがわかるのはうれしいです。
しかし、胸骨を開く方向に力を入れてみると、例えば体の前で手のひらを合わせて両方から押してみる・・・・と、ある程度以上の力を加えるとズキンと来ます。
時々これをやってみると、どのくらい治ったかの指標になるのではないかと思います。
ちなみに7ヶ月経った現在、痛みは完全になくなりました。
何やっても痛かったときのことが懐かしく思えてきました。敢えて戻りたいとも思いませんが、心臓手術は二度とごめんというわけでもありません。

脈拍ですが朝、目が覚めて布団の中で測ったときが一番早く、80を超えています。ところが日中は70台に落ちていますが、なぜなのか不思議です。
普通、逆やろって・・・・

40代の頃は起き抜けが最も少なく50くらい。
日中で60くらい…どちらかというと徐脈気味だったのです。
これが50代後半になると10以上増えているのがわかったのですが、あまり深く考えませんでした。この時点ではすでに弁膜症が進行していて代償として脈拍数が増えたり、心臓が大きくなったりして血液循環をなんとか減らさないようにとがんばっていたのですね。
そんな心臓が今はいとおしいです。

4回目の外来受診

2011年04月10日 | 手術後の外来診察
11月27日、ヴォーリズ記念病院の受診日になりました。退院後4回目の診察となり3回目からは4週間ぶりです。
そして4回目にしてようやく初めて、自分で車を運転して行きました。退院後ちょうど2ヶ月が経っています。
バックの時体をうんと捻りますが、引きつったりしないし痛みもなくなりました。
もうすっかり大丈夫ですY(^^)

受付をすませ椅子でのんびり待っていると、採血のため処置室から呼ばれました。
その採血の様子です。


採血の量は15mlでした。しかし注射器に溜まった血液を見るともっとたくさんに思えます。
このような普通の注射器による採血は今回が最後になりました。
それ以後は、翼付針に変わりました。この方が安全確実なのだそうです。
聴診は異常なし、血圧は122-76で問題なし、よかったよかった。
術後から退院まで、血圧は高い方が100前後で異常ではないものの低めに推移していましたが、以前の値を示すようになってきました。

次回の診察は、年末は忙しいでしょうということで、年明けの1月8日になりました。
6週間後なので、薬も6週間分処方されました。

ところが、処方箋薬局で支払う6週間用の薬代が…診察代と合わせると1万円オーバー!
持ち合わせでは足りなくなりましたよ。あらら。
薬局のレジでは、支払いは次回でいいですよと言ってくださいましたが、そうもいきません。薬は持たせてくれましたが、家に帰ったあと、支払いするためもう一度薬局に戻りました。

これからは多めに財布に入れておこうと思った豆パパでした。

ところで診察室に呼ばれる前、壁に貼られていたインフルエンザ予防接種のポスターが目に留まりました。今までならそのまま見過ごしたのですが、何十年かぶりに受けることにしました。

原発の発電効率は高くない

2011年04月08日 | 雑記帳(その他)
効率の高い原子力発電という内容が新聞などに散見されていますが、火力発電に比べ原子力発電の効率は決して高くはありません。

原子力発電では熱出力が電気出力の3倍と書かれていますが、つまり核分裂によって発生する熱の1/3が電気に変換されるわけです。残りの約2/3は熱のまま海などに捨てられています。
この場合効率は33.3%になります。
約と書いたのは発電所の運転そのものにも大きな電力が必要なためです。

石油やLNGによる火力発電は燃料をボイラーで燃やし、そのガスでガスタービンを回し発電します。この時のガスの温度は1000℃を超えています。
タービンを回した後のガスは捨てるのではなくて、水を温め水蒸気を作ります。この水蒸気は600℃くらいとかなりの高温で、乾いた質の良い蒸気です。この蒸気で蒸気タービンを回し発電します。このように燃やしたガスを使い回すので、現在の火力発電は効率が50%を超えるものもあります。1970年代でも既に40%は超えていました。熱のように質の悪いエネルギーを最高に質の良いエネルギーである電気に変換するのに効率が50%を超えるのはすごいことです。

原子力発電ではウランの核分裂による熱で水蒸気を作りますが、火力発電ほど高温の蒸気ではありません。そのため湿気を含んでおりタービンを回す前に湿気を取り除く工程が必要です。
あまり高温に出来ないのは高温にしようとすると圧力容器をさらに強化しなければならず、パイプなどから放射性を帯びた蒸気が漏れるリスクも増大すると考えられます。そのリスクを少なくするためあまり圧力を上げられない、低めにして安全のマージンを稼いでいると考えています。
原子炉の安全性と発電効率は多分二律背反なのでしょう。

2年ぶりの墓参

2011年04月03日 | 近郊・日帰り
少し前ですがお彼岸の3月21日に墓参のため、故郷に帰りました。
一昨年母の七回忌(この母は継母です)と父の三回忌の法事を執り行い、8月には普段閉めている実家で父の3回目のお盆を迎えました。
次は父の七回忌ですが少し時間がありますので、当面の息子としての勤めは終わりました。
それ以外には実家の庭や裏の畑の草刈りに春と秋の2回帰り、ついでに家の点検などもやっていました。
築100年を超える古~い家なのでいろいろとメンテが…

しかし去年は天候の加減やこちら(滋賀)でいろいろ用事が発生し、帰ることが出来なくなってしまいました。
秋は入院、手術でしたが、春はなんの用事だったのか…?
そのため、庭や畑の草刈りは地元のシルバー人材センターにお願いしましたが、墓地の手入れまでは頼んでなくて、ずっと気になっていました。

いくらなんでも今年の春のお彼岸には帰らないとなあと思ってまして、3月初旬に伊勢に旅行したときに墓参に行くぞと切り出しました。
娘達も賛成、21日に行くことにし、そして前日20日には全員揃いました。

まず実家に戻り掃除用具と2リットル入りのペットボトル2本、それから以前忘れた傘を車に積み込みました。最後に電気のブレーカを全部落としました。

お墓はご先祖様の事情により2箇所に分散しているんです。まず遠い方を先にお参りしました。こちらには共用の水道がありそこでペットボトルを満タンにし、曾祖母が眠っているお墓にお参りをしました。雨模様でしたがだんだん小降りになってきて、雲の切れ目からは晴れ間も。

つぎに豆パパ家の累代墓にお参りしました。こちらは少し草が伸びてきてましたので、簡単に草刈りもしました。こちらのお墓には曾祖母以外全員が眠っています。
娘の結婚のこと、私の手術のことや夫婦で無事還暦を迎えたことなど、報告することがたくさんありました。
それにしてももう花が飾ってありました。従兄がやってくれたのか?

墓参の後、初代ご先祖様が生まれた家を訪ねました。従兄の家でもあるのですがあいにく従兄は不在でした。
アポ無しで行った私が悪いのですが、従兄の子(同い年で中学校は同じ学年)と1時間ほど近況を喋り合い、お暇しました。
家族全員で訪ねたのは娘達が小さかったとき以来なので、ものすごく久しぶりでした。
従兄は齢90になりますが(私より30も年上で父より1つ若い)、近所回って震災の義援金を集めると言っていたそうです。
それを聞いて元気なんだと安心しました。

私が2年もサボっていたのに、従兄弟達や伯母がお彼岸にはお参りに来てくれているようです。胸にじーんと来ました。
当主? の私がこのままではいけません。実家の草刈りはシルバー人材センターの方から、これからもやらせて欲しいと頼まれましたので依頼しようと思っていますが、お墓参りは続けたいと思います。

復帰して2~4週間

2011年04月02日 | 日記
復帰して1週間も経つとだんだん仕事が忙しくなってきました。
2週間は定時操業で何とかこなせましたが、そろそろ限界に…
3週間目から、残業を始めざるを得なくなりました。
といってもまだまだ疲れやすいので、やっても1時間程度です。

出張は当面は禁止なので、代わりの人を探すことになっていたのですが…実際にそんな話が2件立て続けに起こりました。
行かなくてすむのは楽は楽ですが、楽ばかりしていて果たして良いのだろうか…?
いつか埋め合わせしなければ。

職場のパートさんに元オペナースだった人がいるのですが、復帰した私を見て驚かれました。彼女が現役看護師だった頃は、手術後退院まで1ヶ月。退院して社会復帰までは何ヶ月もかかるのが普通だったそうで、今は10日~2週間程度で退院、退院後1~2ヶ月で復帰が普通と説明すると、目を丸くしていました。ついでにカッターシャツのボタンを1つだけ外して、手術創を見せました。
「えー、きれいですねー」
と言う反応でした。
顔色も良く、病気した人間には見えないそうです。

11月半ばには、見舞金や給付金の申請を行いました。
会社の共済会に対し、1ヶ月の病気欠勤による見舞金
欠勤の月数が2ヶ月に満たないので申請できるのは1ヶ月分だけ。
全労済に対し、18日分の入院給付金
申請はこの2件です。

押印するハンコについては、シャチハタはダメと書かれています。
しかし会社の引き出しにはシャチハタのハンコしか置いてありません。
しょうがないので申請書は家に持って帰りました。
私の苗字はシャチハタの標準品にないため(私の姓は全国で200軒あまりでわりと珍しい)、数年前に大枚(でもないか…)はたいてオーダーしたんです。関係ないですね。しかし、途中の駅で降りてはんこ屋さんまで2回も行きましたから…ハンコ作るときはいつもこうなんです。

話がそれましたが、この時点では来年2月になれば、医療費還付請求をしなければ…と思っていました。

体調は快復率90%程度となり、トピックとして書くようなことはなくなってきました。
が、しかし、立ち上がったときに目まいやふらつきがするようになってきました。必ずなるのかというとそうでもなく、多くて1日数回、ほとんどない日もあります。
薬(アーチスト錠)の副作用と思われます。

目まいというと手術翌日ICUで目が覚めて、ベッドを起こしてもらったとき天井が猛烈にぐるぐる回りました。戻すと治る、また起こすと目が回る…の繰り返しで朝ご飯が大変でした(笑)
パンひとかじりと牛乳一口で下げられてしまいました。
食欲もあまりなかったのですが、牛乳はもう少し飲みたかった…ですが、そういう元気もなかったのでした。
そのご飯ですが、手術翌日はお粥と聞いていましたが、昼も普通のご飯でしたし、結局お粥は食べずじまいでした。一度くらい食べたかったかも。そういえば、目まいは昼には治りました。

術後2ヶ月に差し掛かってきたので、自動車の運転もそろそろ始めないと…自動車は週一くらいでエンジンをかけないと傷むので、時々5~10分程度エンジンかけて暖機していました。ところが11月の20日でしたか、今日こそは運転するぞと気合い入れてエンジンかけようとすると無反応。
あれ!?
バッテリーが上がってしまったのです。そこのとこはこの記事に書きました。

術後2ヶ月での運転は、バックの時に体をひねるので胸に痛みが来ましたが、だいぶ軽くはなりました。痛みが完全になくなるのにはあと1ヶ月ぐらいかかりそうな感じです。

11月24日は午後に2回目の産業医の面談がありました。
職場に復帰してちょうど1ヶ月ですが、回復も順調なので、宿泊出張はまだ認められないが、日中に帰れる範囲の出張はOKとなりました。
つまり近場しかダメってことで、遠距離出張は来年春以降です。
40代から50代半ばまでは西に東に南に北に飛び回っていたのですが、そういうことももうなさそうです。
面談はこれで終了となり、後は自己判断です。

この先生、無理もさせませんが、必要以上に大事にもしないって感じです。見てわかるのかなあ?
経験豊富なのでしょうね。会社寄りでも、また社員寄りでもなく、ちょうど中間に立っている感じがします。