還暦直前に心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症弁形成術体験記)

還暦を目前にして滋賀医大の浅井徹先生の執刀で僧帽弁形成術を受けました。
私の体験が同病の方の参考になれば幸いです。

退院時に受け取ったもの

2010年12月25日 | 入院(一般病棟~退院)
会計で支払いの時に、以下のものを手渡されました。

領収証
診療費のお知らせ
診療明細書
ヴォーリズ記念病院寺尾先生宛封筒
封筒に入っていたものは次の1~3です。
1.紹介状
2.2枚綴りの手術記録
3.心臓超音波レポート(術後9/17に実施)

退院療養計画書
これは、術後8日目(退院2日前)にいただきました。

ほかに手術前の説明時に受け取ったものは
手術・観血的処置等に関する説明書 ←手術説明書のこと
MRI検査報告書
CT検査報告書
心臓超音波レポート(術前9/10に実施)

以上です。

寺尾先生宛封筒に何が入っているのか興味津々でしたが、見るわけにはいきませんよね。
一週間ほど後にヴォーリズ記念病院に診察に行ったときに、コピーをいただきました。
診療明細書は10枚綴りで
区分、項目名、点数、回数が事細かく記入されています。
これをじっくり読めば、自分に対しどんな手術や処置、投薬、検査が加えられたかよくわかります。
手術中などは、ものすごい薬漬けです、はい。
しかし、安全に手術を行うためにはこれだけのことが必要なのか、と納得。
生食(生理食塩水のこと)だけでも4リットル使われています。これにいろいろ薬を入れて点滴するわけです。なるほど、体重が増えるはずですね。

手術前後の心臓超音波レポートの結果を比較すれば、何がどのようにどう改善したかよくわかります。専門用語、略語(イニシャル)満載ですが、ネットを駆使すれば次第に意味が理解できるようになります。
手術説明書には病名、合併症があればその病名、手術を選択する理由
その他の治療法と手術をしなかった場合の結果
手術の具体的方法
手術により起こりうる合併症とその頻度・危険性および緊急時の処置について
当診療科における成績
その他
このような内容で極めて具体的に書かれています。

手術説明については基本的に家族同伴です。同意を得るためももちろんですが、同じかそれ以上に手術に対する不安を取り除くために医師は説明をしてくれるのだと考えています。ですから疑問があれば先にメモ用紙などにまとめておき、その時に質問をするのがよいと思います。あれ聞こう、これ質問しようと思っているだけでは、説明を聞いているうちにどっかに飛んでいったり、雰囲気に飲まれてしまうってことも無いとは言えませんから。

もっともそこに到るまでに、最良と思える病院探しがすごく重要なことですよね。
幸い弁膜症は急激に悪化することはほとんど無い病気なので、じっくり腰据えて良い病院に出会っていただきたいと思います。

なお、手術を撮影したDVDは退院一週間後に郵送されてきました。
妻も興味津々で、届いた日の夕食後にはもう見てしまいました。
長女も帰省したときに見ましたが、10月半ばに退職して家に転がり込んできた二女は見たくないとのことで、見向きもしません。

さて、退院&帰宅したので、このカテゴリーの記事はこれで終わります。
次からは、「退院後の生活」編ですが、今まで日々起こったことを書き散らかしてきたので全然まとまっていないのですね。
それで、「退院後の生活」は少し後にして「各ステージでのまとめ」をしたいと思います。

退院-9/24(金)-2

2010年12月23日 | 入院(一般病棟~退院)
これで退院の手続きはすべて終了しました。
台車を転がしながら正面玄関から出てタクシー乗り場へ。
荷物は運転手さんがトランクに積み込んでくださり、そして空になった台車はボランティアさんが運んで行ってくださいました。
これには大変助かりました。何につけ助けていただいてばっかりです。
慌てずゆっくりタクシーに乗り込み行き先を告げて、次の滋賀医大の診察は正月明けかぁ?
いろいろ感慨にふけりながら病院を後にしました。

タクシーの運転手も無茶はしません。
外の流れゆく景色を眺めるともなく眺めていましたが・・・・
助けてもらったのは心臓だけではなくて本当に何もかもで、入院中は「生かされているんだ、私は」と実感していました。自分でやっていたのは本当に身の回りのことだけ。
退院したとはいえ、今の自分にできることはほとんど無い・・・・
しかし焦りは禁物なのです。
などと、物思いにふけっているうちに眠ってしまったのですね。高速道路を走った記憶がありません。目が覚めるとほとんど目的地の駅でした。ちょっとお疲れモード。
退院後電車で帰宅は無理な相談でした。やっぱりね。
荷物多いし、体力無いし(^_^;)

その駅前のタイムズの駐車場で妻の車に乗り換え、家に戻りました。
家の屋根が見えたとき・・・・戻ってきたんだあ、感慨ひとしお~~

門扉を開けアプローチからさらに家のドアを開けて中に入りました。
(妻が開けてくれました)
今まで意識しなかったのですが、道路から家に入るまで、いや入ってもとにかく段差だらけです。
あらまあ、こんなにバリアだらけとはね。初めてバリアを意識しました。
うーむ、年取ったら大変だ。
いや、今も大変か・・・・
一歩一歩慎重に足を運んで家の中に入りました。下見てばっかり(苦笑)

まず2階に上がり和室に祀ってあるご先祖様に手術成功と退院の報告をしました。
弁膜症が判明して間もない頃、近々手術になることを報告したときには思わず涙が出ましたが、今回も・・・・今度はうれし涙です。
母親は褒めてくれたでしょうか、それとも心配ばかりかけてからに…?

1階に下り荷物片付けてコーヒーを淹れ、一休みしました。
退院後の初コーヒーは格別でした。

夕方になり会社に電話で退院報告しましたが、相当に驚かれました。
術後7日目に見舞いに来ていただいたとき、私の快復ぶりはご存じのはずだったのですが、それから3日で退院するとはさすがに思えなかったのでしょう。

18日ぶりに家で夕食♪
無事帰れたという安堵感や妻への感謝などいろんな思いが渦巻いて、こみ上げてくるものがありました。すっかり涙もろくなっています。元々涙もろいところがあるのですが、さらに磨きがかかった?
妻は、食事制限がないことでとても喜んでいます。何か制限はあるだろうと思っていたそうです。
私も何かはあるだろうと思ってましたが、制限がないのは私も嬉しいです。
もっともだからといって暴飲暴食して良いわけではない・・・・

ところで、退院したこの日は金曜日で次の日は休日。
復帰後に聞いた話では、職場の仲間達は土曜日とか日曜日に豆パパを見舞いに行ってやろうかと、相談を始めていたそうです。早いとまだ伸びてるし、遅いと退院してしまうし土日辺りがちょうど良いかなと・・・・
ちょうどそこへ退院したと電話したものですから、結果的に行きそびれてしまったそうです。
うーん、悪いことしたかな?
今の医療は入院期間を短くする治療方針なので、周囲で入院する人が出た場合見舞いに行くタイミングを計るのはかなり難しいと感じました。

退院-9/24(金)

2010年12月18日 | 入院(一般病棟~退院)
おはようございます。
術後十日目、入院して17日目です。
ついに?、とうとう?、やっと?、待ちに待った?(言い方はいろいろありますね)
退院の日です。

朝一番恒例の(これも最後)
検温 36.7℃
体重 51.9kg
51.9kgは入院中最低、いや成人してからの最低記録を大幅更新しました(苦笑)
体温も術後最低かな?
それにしても最後まできちんと管理するんですね。

起床は6時、昨夜より文字通り爆睡しました。もっとも看護師さんに起こされたわけですが、もう眠くて眠くて・・・・
(こんなに眠いのも初めて)
身も心もすっかりリラックスしたのでしょうね。
お茶を汲みに行ったデイルームで術前同室のMさんに出会い、ひとしきりおしゃべりしました。
Mさんは明日退院とのことで、お互い順調な快復を祝い合いました。
このMさんは年齢は1つ違い、2人ともまだまだ社会人バリバリでいろいろ話が合いました。
別れ際に退院時にお部屋に伺いますので、と申し上げて部屋に戻りました。
朝食です(これも最後ですね)。

ハニーロール、牛乳、いちごジャム、クリームスープ、オレンジ
でした。おいしかったです、はい。
というより17泊18日の入院期間中、食事に飽きて困ったということは一度もなかったです。
一日三食の合計カロリーは1900キロカロリーらしいのですが、運動などしない割には不足気味ではありました。もっともっと間食しても良かったのかもしれません。

朝の回診で、浅井チームご一同がお越しになり(私にとって最後の教授回診)、
今日退院ですね、おめでとうございます。
ブログに我々のこと、いろいろ書かれるそうだから・・・・
と、チームの先生、看護師さんに披露されました。
うう…、これ逆にプレッシャーだよ(^_^;)

9時過ぎに妻が来ました。着替えて荷物整理して・・・・
(そんなにテキパキとできる訳じゃなくて、ゆっくりした動作です)
会計の担当者を待ちました。
平服でもパジャマよりははるかに重いので大丈夫かなと思いましたが、いけそうです。
11年前の入院時は重くて重くて家に帰るなり、パジャマに着替えてしまったのです。

さて、しばらく待った後会計担当の方から請求書を受け取り、帰宅の最後の準備にかかりました。
荷物って結構増えてるものですね。とても2人の手では持ちきれません。
1階に降りて台車を借り病室まで戻り、荷物を積み込みました。
これでよしっと、あらら・・・・台車いっぱいになりましたよ。
ナースステーション前の個室にいた数日間は毎日、退院される方が台車を押していくのを見ていました。その時はあんなに元気になるのかと、驚きの目で見ていました。
平服に着替えるといったい誰が元入院患者なのかわからないくらいでした。
いいなあ、退院か~~と、羨ましがっていたわけですがこんどは羨ましがられる。
まあ、でも順番ですから。。。

そしてMさんに最後の挨拶をしようと思い部屋を訪れましたが、あいにく不在で挨拶できませんでした。
そのMさんの部屋を出て歩いているとナースステーション前で細羽先生に出会い、退院の挨拶をしました。
「豆パパさんはパーフェクトでした」
「ありがとうございます、お世話になりました」
「おだいじに」
ナースステーションで担当いただいた看護師さんを探してみましたが見当たりません。それでいらっしゃった看護師さん達に挨拶したところ
「ちょっとお待ち下さい、追加になった薬を預かってますので・・・・」
と奥から2袋の薬が。よく見ると、眠剤と痛み止めでした。
使用は必要に応じてとなっています。
台車を押して1階に下り会計に並び、支払いを済ませました。
滋賀医大ではクレジットカードが使えるので大金を持つ必要が無く、助かりました。
会計ではレシート以外にたくさんの書類をいただきました。

術後9日目--9/23(木)

2010年12月13日 | 入院(一般病棟~退院)
今日は秋分の日、祝日です。
そして浅井先生解説によるビデオ見学日です♪
このようなものを見るのに適した言葉はなんなのか?
見学 見て学ぶわけだからこれで良いのではないだろうか。
鑑賞 一般的に芸術作品に触れることを言うのだが心臓の手術はアートだからこれでも良いのではないだろうか。

朝一番の検温 36.8℃ ←36℃台で安定してきました
体重 52.0kg ←もう十分
術後2~3日はむくんでむくんで手も握れないほどでした。
手術翌日の体重は56kgもあり、その時はしわ1つ無くつるつるの手首や手でしたが、水分が抜けてけっこう萎びてきました(笑)
体調はもうすっかり快復して、確かにいつ退院しても大丈夫な感じです。
ここ一両日の快復ぶりは劇的とも言えます。

行動範囲に制限が無くなったので、初めて売店に買い物に行きあんパンとロールケーキとカステーラを買いました。あんパンは大好物なので・・・・♪
記念? のレシート

後にも先にも買い物したのはこの1回だけになりました。

午後2時を過ぎたころ、廊下から浅井先生の声が聞こえます。来はった来はった・・・・
浅井先生は子供好きなのでしょう、同室の患者さんの見舞いに来られたお孫さんの相手をひとしきりなさってました。白衣は着ておられましたが、白衣の下は私服でした。
本当は先生は今日オフなのですね。
私のために時間を取っていただいてありがとうございます。

ビデオはカンファレンスルームにて見せていただきました。
カンファレンスルームはたくさんの液晶モニターや大きなスクリーンが設置されています。
手術後、妻と娘はこのカンファレンスルームで説明を聞いたそうです。

手術映像は大きなスクリーンに投影されることになりました。それに先立ってまず、術前の心エコーの説明がありました。

これがカラードップラーエコーの画像ですが、中央部に薄黄色で横に流れているジェットが見えます。これが僧帽弁の逆流です。薄黄色は激しい逆流を意味しています。
この逆流が心雑音の原因になっているわけです。

次に浅井先生に解説いただきながら僧帽弁形成の様子を見せていただきました。
画像(動画から切り取った静止画)については、記事「手術日--9月14日(火)-3」に掲載しています。

術後の心エコーの画像も映していただきましたが、逆流はもちろん無くなっていました。

一通り見せていただいた後質問の時間になり、いくつかお聞きしました。
そして、入院、手術体験をブログにする時に浅井先生の名前を出すことについて了解を求めました。答えはブログ記事の通りです。
このような体験記ブログは歓迎するし、他に手伝えることがあれば何でも申し出て欲しいと仰ってくださいました。

しかし、こうしてブログ書くために何度もDVDを見ているとその時気がつかなかったことなどがいくつか出て来ます。DVDが入っていた封筒には質問があればいつでも聞いてくださいと手紙が入っていましたが、なかなかメールできずにいます。

最後にYoutubeにアップされている、浅井先生の僧帽弁形成術の動画をご紹介します。
Techniques of mitral valve repair for papillary muscle rupture

術後8日目--9/22(水)-2

2010年12月11日 | 入院(一般病棟~退院)
それからしばらくして11時頃でしょうか、妻が熱いコーヒーを持って見舞いに来てくれました。娘がくれた菓子がまだ残っていたので、それらを持ってデイルームに出かけました。
コーヒーは大好物で、普段は1日3杯くらい飲みます。
ここでは18日間の入院期間中、5杯も飲んだでしょうか?
デイルームに出かけるときは、行き先を書いたページを開いたメモ帳をテーブルに置いておきます。
(よく忘れるんですが・・・・)
行き先と言っても院内ですからせいぜい
デイルーム
風呂
ぐらいのものです。外に出るのは早朝だし検査やリハビリはナースステーションで管理されてるし。

デイルームにいるとき看護師さんが行き先表示を見て探しに来られたことがありました。
役に立って良かったです。
「探しますのでわざわざ書いていただかなくても良いんですよ。」
と仰ってましたが、少しでも看護師さんの仕事が楽になれば・・・・

お昼になり私は部屋に戻って食事、妻はレストランに行って食事(うーん、羨ましい)
食後妻が部屋に来てまもなく、給食部の方がメニュー希望票を回収に来られました。
もう退院近いので希望はないですが、お礼を一言書かせてもらいました。
と申し上げたところ、担当の者みんなに見せますので、と持って帰られました。

1時半からリハビリ、今日は迎えがないので自分で歩いていきます。1人で行くのもリハビリなのでしょう。妻とはエレベーター前で別れました。
負荷  20W(前回15W)
回転数 50回転/1分--前回と変わらず
時間  20分(前回20分)
という強度です。
脈拍は82~83で前回と変わりありませんでした。負荷の増大と共に上がるのが良いそうです。つまりは、まだ心臓の働きが十分ではないということなのかもしれません。
バイクのペダルは少し重さを感じました。
心電図は良い波形をしています。大丈夫かな?
これが結果的に最後の正規版リハビリになりました。

リハビリ後に部屋に来られた看護師さんが笑顔で
「快復、順調すぎますね」
「えっ?!、そうなんですか?」
「はい」
自分としては多少は遭ったと思うのですが、それでも順調(過ぎ)とはね?
高血圧とか糖尿が無いから?
ということは普段の健康管理が快復の役に立ったということなのかなあ?

時間は経って4時45分、薬剤部の先生が退院後の薬を持ってお越しになり、説明を聞かせていただきました。これがいただいた薬の一覧です。

朝食後飲む薬
タケプロンOD錠30mg  1錠  胃酸分泌を強力に抑える
バイアスピリン錠100mg 1錠  血を固まりにくくする
リバロ錠2mg       1錠  コレステロールを下げる
アーチスト錠2.5mg   1錠  心臓の働きを改善する
夕食後飲む薬
アーチスト錠2.5mg   1錠  心臓の働きを改善する
ワーファリン錠1mg    2錠  血を固まりにくくする

これで以上です。術後数日は利尿剤のラシックスやアルダクトン、カリウム剤のアスパラカリウムが出ていましたが、それらはなくなりました。
薬には副作用があります。私に起こっている副作用(自覚できるもの)はアーチスト錠によると思われる目まいやふらつきです。術後3カ月になろうかという今でも継続中・・・・

薬剤部の先生の次にリハビリの先生がお越しになり、退院後の生活指導がありました。
基本は、胸骨がくっつくのに3カ月かかるのでその間は無理しないこと
退院後1ヶ月は
車の運転をしない
荷物は各5kgまで左右に振り分けて持つ(合計10kg)
温泉や銭湯に浸からない
家では基本的にはシャワー
風呂に浸かるなら一番風呂
体をひねる動作をしない
主にはこんなところです。

夕食後6時40分にナースステーションからコールが・・・
「Hさんと仰る方がお見えですが」
昨日と同じようにナースステーションまで歩いていくと、やはりびっくりしていました。
「もう歩けるんですかぁ~?」
「このくらい全然大丈夫やし、こっち行こ」
そのままデイルームに案内し、面会時間を少し過ぎる時間…7時30分ごろ…まであれこれしゃべりました。すまないねぇ、仕事ではいろいろ迷惑かけてます。
ところで私の周囲の人達は私をモデルにして、最近の心臓手術の進歩を目の当たりにしているわけです。
心臓手術は怖いという認識が改まったとすれば、それはそれでお役に立てたのではないか・・・・
ただ、病院間格差は以前より広がっているのかもしれません。

その後部屋に戻って体温を測ってみると37.5℃に上がっていました。
昨日もやはり上がっていましたので、エネルギーを発散すると体温が上がってしまうのですね。
体温調節機能もまだまだ本調子ではないのでしょう。

今日は退院に向けて本格的に動き出したので、それなりに忙しい? 1日でしたが、体は昨日よりさらに軽くなっているので入院生活を満喫した1日になりました。

術後8日目--9/22(水)

2010年12月08日 | 入院(一般病棟~退院)
熟睡作戦もかなり習熟してきて、夜はしっかり眠れるようになりました。

しゃべろうとすると声はまだかすれていて痰も出やすく、横隔膜もまだ少し元気? なのでちょっとちょっとですが、寝る分にはもう大丈夫になりました。
胸骨も日増しにしっかりとしてきています。体全体では日に日に快復を感じます。

朝6時、看護師さんが来られてお熱は?
36.6℃---ようやく36℃台に突入しました
体重は52.2kg---まあまあ
ちなみに今朝は5時半に目が覚めました。

昨夜からの看護師さんの見回りは記憶にありません。熟睡していたのですね。
朝食です。

この朝食は入院全期間にわたって最高の朝食でした。メニューはロールパン、ブルーベリージャム、牛乳、ブロッコリーのクリーム煮、パイナップル。
もっとも好きなもの大集合というだけなのですが。
朝食後にお盆を返しに行くと、看護師さんから呼び止められました。
「退院希望の件は、今日午前中のカンファレンスで相談されることになりました」
先生の方から希望出してねと言われたのですから、問題なく承認されるでしょう。

朝の回診で浅井先生がお越しになり、手術ビデオ視聴のことを切り出してくださいました。
覚えていてくださってとても嬉しかったのですが、明日の23日(秋分の日)に時間を取っていただけることになりました。そして退院は翌24日となりました。
そういえば、横隔膜も大人しくなってきました。熱も6℃台に下がってきたし、なかなか快調です。
各駅停車から快速に乗り換えたような。

これは昨日お見舞いに来てくれた上司軍団からいただいたお花。


9時に細羽先生がお越しになり次のように仰いました。
退院OKです。退院したら一週間後ぐらいに、紹介元のヴォーリズ記念病院の寺尾先生を訪ねてください。浅井外来は3カ月後ぐらいに来てください。長いスパンでフォローしますので。

10時にレントゲン一般撮影が入りました。
撮影の後部屋に戻るとまもなく、麻酔科の先生がお越しになり、手術時の麻酔のフォローがありました。
歯は折れてないか、声のかすれはないか、聴診、痺れはないか等々
歯は折れてないし、声のかすれはほとんど良くなったし、痺れもなかった・・・・

その後ふとテーブルを見ると退院療養計画書が置かれていました。気がつきませんでした。
どんな注意が書かれているのかドキドキしながら手に取ってみると
退院後の計画 白紙
退院後の療養上の留意点として
食事 食事についての注意はありません
入浴 入浴についての制限はありません
運動 運動についての制限はありません
と書かれていて、特段の制限はないようです。ホンマかいな?
本当に何も書かれてないので、ちゃんと見てくれてるのかな? と逆に心配になりました(笑)
それとも私の状態が良いので、放っといても大丈夫と判断されたのか?

それから食事メニュー希望票も置かれていました。日付はもう退院後となっています。
そういえば、先生や看護師さん、お掃除してくれる方、食事を配膳してくださる給食部の方とはたびたび顔を合わすので、いつもありがとうを言うことができます。ところが治療の一環である食事を作ってくださる方とは顔を合わす機会が皆無なんですね。
それでこの希望票にお礼の言葉を書くことにし、ちょっと考えて数行の短い文にしたためました。
字が下手で汚いんだけど、まあいいや。。。

術後7日目--9/21(火)-2

2010年12月05日 | 入院(一般病棟~退院)
リハビリが終わり部屋に戻ると携帯に留守録が入っていました。職場の上司からでまたかけるとのことでしたが、こちらからかけました。
それで、今日の夕方何人かで見舞いに来ていただけることになりました。
シャワーの予約は4時にしていたのでちょうどよかった。
会社から誰かしら見舞いに来てくれるかもしれないと思い、早めの時間帯に予約しておいたのでした。
手術前日(9月13日)以来のシャワーですから8日ぶりのシャワーなのですね。
いやー、最高~~♪
4日目ぐらいに一度体を熱いタオルで拭いていただきましたが、あのときも気持ちよかったです。
シャワー終わって4時半にお茶を汲みに行った帰り、神原先生とすれ違いました。
「あ、こんにちは」
「あ、そうだ、豆パパさん、もういつでも退院できそうだからいつが良いか、考えておいてください」
おー、退院が見えてきましたよ~♪
でも、手術のビデオまだ見せてもらってないし、それ見てからだ。

その後5時の回診の時
「金曜日に退院できますよ」と、これは細羽先生
そういえば、個室にいてまだ熱が出てたときもそうおっしゃってたなあ~~
まだ熱も引いてないし、横隔膜も暴れてるし、でも、これらの症状に効く薬って「日にち薬」しかないんですよね。まあ、ここまで来れば、病院にいても退院しても同じです。
8月23日の日程相談のとき、9月14日手術だと25日か26日(土曜か日曜)には退院できるでしょうと、浅井先生が仰っていたことも思い出しました。その時は半信半疑でしたが、それより早く退院できるなんてねぇ~~

6時、食事の時間です。一口か二口食べたところにナースステーションからコールがかかりました。
「Yさんと仰る方がお見えですが」
「はい、こちらから行きます」
職場(職場外からも)の上司軍団3人でした。
個室ならいったん部屋まで来てもらっても良いのですが、もう大部屋の住人なので来てもらうと他の患者さんに迷惑がかかります。それと、ひとつリハビリの成果を見せてやろうという下心で・・・・(笑)
スタスタと普通にナースステーションまで歩いていったので、案の定ビックリさせてしまいました。でも、これは最先端の心臓外科治療の成果なのですけどね。何も私がすごいのではありません。
「もう普通に歩いてるじゃないですか?」
「ええ、手術の翌日から歩いてますし、皆さんこんなものですよ」
車イスに乗ってとか、思われていたのかもしれません。
食べかけの食事を片付けられたら飢えるので、片付けられないよう看護師さんに頼んでおいてデイルームの隣のデイコーナーに案内しました。

食事時なので全員各自の部屋に戻ってますから、私達で占領してました(笑)
写真では見にくいですが窓側の丸テーブルを囲んで、手術にまつわるいろんなことを説明したり創を見せたり(証拠?)、気胸になったこと、退院が近いことを言ったり、会社の様子を聞いたり、その他話題は盛りだくさんでした。

時間は経って6時半、看護師さんがデイルームに来られて
「豆パパさん、Kさんと仰る方がお見えです」
(ありゃ、聞いてないけど、まあいいや)
「こちらに案内お願いします」
時々駅近くで飲み会するいつもの気のおけない連中4人でした。
上司軍団は入れ替わりにお帰りになりました。
7時頃まで同じ話、違う話等いろいろ喋っていましたが、面会終了の案内が流れ出したのでこの4人もお帰りになりました。それから夕食を食べましたが、さすがに冷めてましたね。

それにしてもシャワーが間に合って良かったです。
シャワー浴びてなかったら私の周りに真空地帯ができたかも(笑)
食事の後妻に電話して退院の日程を相談しました。妻も驚いてましたが木曜か金曜か
・・・・でもビデオ見たいしね ←しつこい

電話の後ナースステーションに行き、看護師さんに退院希望を出しました。
娘にシャワーデビューのメールしたら
「これからお父さんの前で息止めなくてすむ」と減らず口で返してきました。

術後7日目--9/21(火)

2010年12月04日 | 入院(一般病棟~退院)
昨夜からほぼ熟睡できるようになりましたが、未明の看護師さんの見回りで目が醒めました。夜の11時過ぎと、未明(4時頃)の2回、見回りがあるようです。
カーテンを開け懐中電灯で照らしベッドにいることを確認されますが、それだけではなくて「生きている」ことの確認のためでしょうか、顔に光を当てます。そのため眩しさで顔を背けたり目を開けたり、何らかの動作があるとOKとなるようです。

入院した直後はそれがわからなくてなんで顔を照らすのだろうと戸惑いがありましたが、10日もいると事情がわかってきます。
未明の見回りの時、せっかくなので手を振ってあげましたよ。
一度やってみたかったんですが、けっこう不意打ちを食らうのでなかなかチャンスに恵まれなかったのですが・・・・ようやく逆襲? に成功♪
看護師さん、面食らったかもしれませんね。

体温は37.0℃---相変わらずです
体重は52.15kg---もうちょい
6時過ぎ、起きたついでにカメラを持って院内探検に出かけました。病棟外に出る許可も出ましたしね。手術室はどこ? ICUはどこ?
車イスに乗って手術室に入ったりICUから退室したりしたわけですが、具体的に一体どこなのか?
車イスによる移動って、どこ通ったのか自分の足じゃないのでけっこうわからないんですよね。

院内の各所に地図が掲げられているので、それを頼りに手術室入り口に辿り着きました。
へっっ、これが入り口のドア?
まるで倉庫の入り口のような鉄製のドア、この向こうが手術室?
あまりにも普通すぎて写真撮りませんでした。手術室という看板もないし・・・・
その隣がICUで、こちらも普通っぽい鉄のドアでした。
ここでは医療ドラマのロケはできそうにありません。

ICUのドアだけ写真撮って、そのまま廊下を歩いて階段から1階に降りました。ついで外来ロビーを突っ切って玄関から外に出ました。あまり遠くには行かない方が良いだろうと思ったので、5分程ゆっくり散歩して部屋に戻りました。万一転けたりでもしたら大事になります。胸骨がずれて再手術になってしまう・・・・
部屋に戻ると点滴スタンドが片付けられていました。

朝食はパンでしたが、デザートは巨峰!!
A君から巨峰もらっているので巨峰だらけです。こういうのって重なるんですよね。

前日だったかそれとも前々日だったか記憶が曖昧なのですが、医学生のOさんが挨拶に来られました。手術の現場見てどうだったのだろう?
リハビリと重なったような記憶があるので昨日だったのかな・・・・

9時になると部屋の移動を告げられました。個室から大部屋に移動することになりました。
ベッドと床頭台はスタッフが次の部屋まで動かしてくれますので私は体1つです。
今度の部屋はD308号室の窓側になりました。外が見えますから開放的で部屋も広く感じます。
さっそく住人に挨拶して回りましたが、今度は私が最年少で術後は私だけでした。
術前にいた部屋の時は私が最年長でした。

それから待ちに待ったシャワーの許可が出ました。
治療方針として術後一週間は感染予防のため、シャワー禁止にしていると聞きました。
シャワーを浴びた方が治りが早いそうです。さっそく予約♪

部屋を移動したのでデイルームに行って妻に電話しようとしました。
電話が通じたとき妻が面白いリアクションをしたために横隔膜がまた暴れ出し、一言も言葉を発することができません。電話の向こうで妻がかけ直したらと言ってます。
それへの返事さえできません。あー、ナサケナイ・・・・
深呼吸を繰り返して横隔膜をなだめ、10分後にあらためて電話しました。

午後1時半よりリハビリの時間、今日もリハビリ室から迎えに来てくださいました。
バイク漕ぎなのですが、今日は
負荷  15W(前回10W)
回転数 50回転/1分--前回と変わらず
時間  20分(前回10分)
という強度です。これで
脈拍    83
酸素飽和度 97~98

きつさはほとんど感じませんでした。もう少し上げても大丈夫かな。

術後6日目--9/20(月)

2010年11月28日 | 入院(一般病棟~退院)
今振り返ると、術後6日目はというとすでに術後の後半の差し掛かりになるわけですが、まだまだそんな実感は持てないでいました。

朝早く、看護師さんが採血に来られました。
「豆パパさん、おはようございます」
「おはようございます」
「気分はいかがですか?」
「はい、調子良いです」
私の娘と変わらない、いやもっと若いはずの看護師さん達ですが、なぜかお姉さんに見え・・・・
るわけはないです。
看護師さんだって人の子、眠いはずなのですが、そんなそぶりはこれっぽっちも見せません。
さすが、プロです。

体温 37.0℃--なかなか36℃台になりません。
体重 52.35kg(昨日より微妙に下がった)
ふと気がつくと、右肩の痛みはずいぶんと和らいでいます。これならもう大丈夫かも。
朝食です。朝は週のうち2回がご飯で、5回パン食となっています。

味噌汁、高野の煮物、海苔佃煮、牛乳でした。
ごはんの時も必ず牛乳は付いてきます。
お盆に患者名、病室番号、メニュー種類、メニュー内容が書かれた札が付いています。
札の下の方に
個人情報保護のため、この札はゴミ箱に捨てず、ご自身で処理してください。
と書かれているんです。そんなこともあってほぼ全部手元に置いています。

9時頃、術後2回目のレントゲン撮影がありましたが、もう車イス送迎はなくて、1人で歩いていきます。
院内の地理も必要なところは頭に入りました。

午前11時頃、A君が見舞いに来てくれました。術前にも一度来てくれて、暇つぶしにとクイズ本を差し入れてくれたのですが、あまり手つかずになっていました。
進んでますか? などと言われたら汗かきそうでしたが幸いその話にはならず、今回は巨峰を差し入れてくれました。大粒でおいしそうです。
家がこの病院に近いらしく、自転車漕いで来てくれました。救急車でこの病院に運ばれたこともあると言ってました。

昼食です。

湯葉冷や奴盛り合わせ、南瓜の煮物、ピーナツ和えでした。
食後はきちんと歯を磨いてます。

昼食後まもなく、胸のガーゼが取れました。
胸を初めてしげしげと眺めました。
皮膚には糸がなく、左右からテープで寄せているだけです。
どうやって縫ってるのだろう?
糸は中だけ?
どうやってるかわかったのは退院後に手術報告書を読んだときでした。
この時細羽先生が
「医者としてすることはすべて終わりました」
と仰いました。とても印象的で今もよく覚えています。

午後1時過ぎ、妻と娘が来てくれました。
それからしばらく後、娘の婚約者が見舞いに来てくれたのです。
背が高くてイケメン!!
5月に家に挨拶に来てくれて以来ですが、こんなところで再会するとは思いもよりませんでした。人数分のイスがないので、デイルームに出かけひとしきりおしゃべりを楽しみました。
私も少しはしゃべれるようになりましたが、うーん、まだ横隔膜がそっぽ向いてますね。

夕食は

ミートローフ、グラッセピーマンソテー、ボイルサラダ、ふりかけ でした。

夕食後、バンコマイシンの点滴がありました。これで抗生剤の点滴は終わりです。
どの日だったか覚えてなくて日記にも書いてないのですが、何回か教授回診がありました。
昔は大名行列よろしく教授が先頭に立って大勢で各病室を回っていたものですが、
(民間病院なら院長回診)
そのような物々しい回診はなかったです。人数もそう多くないし、フレンドリーで気さくでほとんど気を遣うことのない、患者にとっては有り難かったです。

突然ですが・・・・ここで彦根市のゆるキャラ、ひこにゃんの登場です。
娘が撮った写真です。




寝るときの作戦は続行です。もう大丈夫、しっかり眠れます。

では、お休みなさい。

術後5日目--9/19(日)

2010年11月27日 | 入院(一般病棟~退院)
朝方というかまだ暗いうちにふと目が醒めるといきなり咳攻撃を受けました。全身蜂の巣(笑)
それで体を起こして枕を抱きながら目を瞑ると、まだまだ眠いので転がってしまいました。
ちょうどそこに看護師さんが来て私のその姿を見て
「豆パパさん、面白い格好!!」
あのねぇ~~
しかし客観的にその姿を想像したら、やっぱり尾も白いと思います。

さてと、体温は37.0℃、だいぶ下がってきました。
昨日よりさらに体は軽いです。順調に回復しているのを感じます。
体重は52.9kg、あと一息なのですが、それにしてもなかなか水分が抜けない体です?
点滴開始の時、バーコードリーダーであちこちピッピッとやっているのは何なのか聞いてみました。
私の手首のリストバンドのバーコード、看護師さんの名札のバーコード、薬のバーコードを読み込んで薬の処方が正しいことを確認していると言うことでした。トレーサビリティーをきちんと管理しているってことなんですね。

レスピフローで息の練習をしたが、あまり進展無し。術前の60%位しか肺活量がありません。
朝の9時半に心電モニターが取り外されました。
これ以後蓄尿も不要、病院内行動自由となりました。また病院食以外のものも食べて良いことになりました。
えっっっ、昨日娘からもらった一口ケーキを食べたのは、あれはフライングだったのか・・・言ったら叱られるかな?

手術創の処置をしていただきました。経過は順調とのことです。
ここのガーゼが取れないと、シャワーの許可が出ません。あと少し・・・・

今日は誰も尋ねてくる予定がないので、のんびり過ごしていました。
音楽聞いたり、読みかけの小説読んだり。
飽きてきたら廊下をブラブラ散歩したり。
病棟外に出る許可は出ましたが、まだ近場で(笑)

午後3時より心臓リハビリ開始、最初にストレッチします。
それからバイクに乗るのですが、初めはごく軽いメニューからスタートです。
バイクに乗ると、心電図測定用電極と酸素メーターが取り付けられます。
負荷  10W
回転数 50回転/1分
時間  10分
モニターに心電図と脈拍が表示されるようになっていて、脈拍は81でした。ベッドにいるときで75前後なのですが、この強度のリハビリですと脈拍はそんなに上がりません。
4人1チームでバイク漕ぐので他の方の心拍数や心電図も見ることができます。
それにしても1人1人違うものです。
ここで深呼吸すれば肺活量が上がるかもしれないと思い、途中からゆっくり深呼吸しながらバイクを漕ぐようにしました。このくらいの強度だと楽勝ですね。

リハビリが終了し病棟に戻ると看護師さんから声掛けられ
デイルームで面会の方がお待ちです、と。
ん、誰だろ? 聞いてないぞ。
慌てて、デイルームに行くと、おおおおーーー、N君が来てる・・・・
時間は4時近くになっていました。すまんな、待たせてしまって。
私を見て術後5日目とはとても思えなかったそうですが、まさに現代医学の賜物ですね。
現代医学の進歩を身を以て体験したわけで、私と付き合いのある人達はみんな認識を新たにしたのではないかと思います。
それで1時間近く、私と彼の所属する職場の近況などを報告し合いました。
と言っても、私はまだ十分しゃべれないし、声もかすれ気味なので聞きづらかったと思います。

昨日辺りから筋肉痛のような肩の痛みが感じられるようになってきてましたが、左はほとんどどうもなくて右だけが痛いんですね。私は左利きなのですが、利き腕でない方が痛いのだろうか?
利き腕の側は可動範囲が広いでしょうから、開胸のストレスに耐えられ痛みは少ないが利き腕でない方は比較すると可動範囲が狭くて痛みが強く出るのかもしれません。
私は体がかなり堅い方なのでこの痛みは強く出るのではないかと、気にしていたのですが、案外少なくてほっとしました。

リハビリの効果が出ているかどうかレスピフローで試したところ、肺活量は術前の状態まで一気に回復していました。
わぉ、もう回復した・・・・、またしぼんだりしないだろうね(笑)

このように元気になってくると、余計なことを考えるようになります。
この頃私が私が囚われていたのは、本当に心臓を手術したのだろうか?
ということでした。
なんせ、手術の最中は深い深い眠りの中ですから、実感が何もないわけです。
でも目が醒めたときは体しんどかったし、食事できなかったし、胸痛いし、何かはしたんだろうなあって・・・・
先生や看護師さんには失礼な話かもしれないですけど(^_^;)
聴診のとき、看護師さんから聴診器を借りて心音を聞いてみたら氷解したんでしょうね。
それもしないで、変な疑い? を持っていたのですからどうかしていたと思います。

就寝時は昨夜と同じ作戦を採用。かなり良く眠れました。
ちなみにこれは夕食です。

鶏肉トマトソース、ヌイユ、サラダ、しば漬け
でした。