還暦直前に心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症弁形成術体験記)

還暦を目前にして滋賀医大の浅井徹先生の執刀で僧帽弁形成術を受けました。
私の体験が同病の方の参考になれば幸いです。

ハートオフ会に参加しました

2011年06月29日 | 近郊・日帰り
6月26日の日曜日、カムバックハートさんの呼びかけにより、横浜は山下公園界隈で開催された「第三回(元)心臓病仲間の集まり」に初めて参加しました。
前回の第二回は退院してまもなくだったため、見送らざるを得ませんでしたが、今回は満を持しての参加。
それだけに期待するところも大・大・大でしたが、期待をはるかに上回る熱気と雰囲気と、それに皆さんの笑顔…に圧倒されっぱなしではありませんでした(笑)
これから手術を受けられる方も数人参加されていましたが、文字だけの情報収集では得られない、元患者の生の声と表情、そしてエネルギーを感じていただけたのではないでしょうか。
術後はがらっと表情が変わりますよ。

驚いたことがいくつか。
還暦の私はほとんど最年長だろうことは予想していて、それはほぼその通りだったのですが、かなり若い方が意外に多かった。これほど参加者の平均年齢が若いとは思ってなかったです。
弁膜症は罹患する年齢に幅があります。全生涯に渡ってとも言える。
もちろん老年期に入ってから手術される患者が多いのは確かですが、ネットを通じてのオフ会となると年齢的には若くなるのですね、と納得。
それと周りから見て「患者の会」とはおよそ想像もつかなかったであろうことです。

弁膜症は生活習慣病ではないので若くしてかかる場合もあれば、生活習慣に気をつけていてもかかってしまうこともあります。そういう意味では理不尽とも言えますが、半面治療法も確立していますので(特にここ10年の進歩は素晴らしい)、ほぼ確実に治る病気になってきました。
昔は難病の一つだったのですが…

往き帰りの時間はそれぞれ4時間、合計8時間でしたが、長いとは感じませんでしたよ。
往きはもうすぐ会えるという期待感でワクワク、帰りは楽しかった時間の反芻をしていました。
その帰りの新幹線から東海道線への乗り継ぎが、米原で2分しかない!!
これはダッシュしないと…遅れると次の電車までだいぶ待たされます。
頑張ってダッシュしましたよ。意外と余裕で間に合いましたY(^^)ピース!
効果の確認って、PDCAを回しているみたい。

ところで、いくつかリクエストをいただきました。
一つはオフ会 in 関西の企画
もう一つは創の写真公開をしなさい、と。
えー、創の写真の方が手っ取り早いので近々公開いたします(^^;)

術後に感じていた不思議な感覚

2011年06月25日 | 各ステージでのまとめ
手術してから早いものでもう9ヶ月が過ぎました。
いやいや~ほんとに早いです。体がほぼ元に戻った今年になってからは疾風のごとく。
手術した時はブログタイトルの通り還暦直前だったのに、今や還暦も半分を過ぎようとしています。
還暦と言っても全然実感が湧かないのです。
これはまだ孫がいないからなんでしょうね。

ところで術後数日間感じていた、不思議な感覚があります。
私は本当に手術したんだろうか?
周りみんなで芝居してるんじゃないかってね。
(白い巨塔の見過ぎ?)
しかし、体はあちこち痛いし食事も満足に出来ないし、心雑音は消えたし、ということで客観的事実は手術したことを証明しているのですが、それでも何かしら違和感がぬぐえませんでした。
事実と感覚の違いってヤツ?
それが何に起因するものなのか?

それってやはり麻酔が違和感の原因なのかなって思ったものですから、麻酔についてお勉強…。

麻酔の役割には大きく
・患者に痛みを感じさせない
・患者の不意の反射などの動きを封じる
・患者を無意識下に置く
の3つがあります。
もっとも大切なのは痛みを感じさせないようにする鎮痛作用です。
痛みを完全に取ったとしても患者が意識のある状態に置かれていれば、手術というストレスに長時間さらされることになりますから、後々いろいろ精神的な問題が出てくるのではないかと思います。
患者を【完全なる】無意識下に置くことによって手術の記憶を完全に消し去り、精神の安定を保つことが出来るのではないか。
それなら違和感を感じたとしても、やむを得ないと言えるのかもしれません。

患者は手術室で眠ってからICUで目覚めるまで一切の記憶がありません。
自発呼吸さえ出来ないし、多分体温調節も。すなわち半死状態なわけですね。
それほどものすごく深~~い眠りについているわけですが、麻酔から目覚めたときの感覚は普通の睡眠から覚めた時のように、時間が経ったという感覚はあります。
それは少し意外でした。
手術中痛みはなくても意識があったとしたら、違和感を感じることはないかもしれませんが、いろんな音や声やら聞こえることでけっこうな恐怖体験になるかもしれないですね。

私は11年前の1999年9月に痔の手術を受けましたが、この時は局部麻酔でした。手術時間は50分ぐらいでしたが、腰から下だけの麻酔だったのでボンヤリですが意識はあり、声や器具の音は聞こえました。
あれが長時間だと多分参ってしまうでしょうねぇ。あとから夢も見るでしょうし。

ところで前も今回もですが、手術室は寒かった。手術室って・・・・寒いんですよ。
20℃もないくらいに感じました。冬は暖かく感じるのでしょうか?
何か理由があるはずだと、勝手に想像してみたのですが、
1.周りを取り囲む医療機械の故障率が低い
2.術者等手術スタッフは無影灯で照らされたりするので
  それくらいが快適な温度
  患者は薄い手術着だけなので寒く感じる
3.感染予防
が頭に浮かびました。

定年まで残り半年…です

2011年06月22日 | 日記
今年の正月の時、定年まで1年切ったなあ、などと言っていたのが、もう後半年になりました。
少し前に出来た再雇用制度を利用して申し込むか、そのまま退職するか…
気持ち的には揺れ動いていた面があり、去年まではそのまま退職するという気持ちの方が勝っていました。
この頃は理性と感情がせめぎ合っていました。
そんな大きな病気したら人事が認めんやろという人もいました。
それが体調の回復と共に、残れるなら残ろうかという気持ちがだんだん強くなってきました。
娘達は家にいてどうするの? 呆けるで
などと一人前のことを言います。

そして4月になり上司との面談時、再雇用を希望する/しないの話も出て、希望しました。
最長で65歳直前までいることが出来ます。取り敢えずは1契約3年で1年更新だそうです。
その後はまたその時に。

1972年3月27日入社、定年退職が2011年12月20日。なんと、誕生日の翌日なのです。
いえ、別に誕生日の翌日が退職日という制度じゃないんですが、なんだか憶測を呼びそうな?
39年9ヶ月のご奉公です。長かったような短かったような。
この40年弱の間にはそれはたくさんの出来事があったわけですが、長かったという感触はあまりないんですよね。
クレームなどで東奔西走した経験も時間というフィルターで浄化されて、今は懐かしい想い出です。

とにかくあと半年です。もうケガや病気しないように気をつけよう。
それにしても手術が今年だったら…
最終的に産業医が認めないと雇用延長は出来ませんので、どうなったことやら?
去年のうちに治しておいて良かった・・・・・・・

還暦パーティー♪

2011年06月18日 | 日記
妻と私は2人とも1951年生まれで、妻が一足先に誕生日を迎えました。
それで還暦記念にと、近くのホテル内のレストランでディナーを予約しました。
長女も昨夜、大きな荷物を抱えて帰ってきました。

今朝、コーヒーを淹れて録り溜めたテレビ番組を見ていると娘達から
還暦おめでとうと、祝いの品を頂戴しました。
長女からはシルクのパジャマです。
わー、なんと手触りのなめらかなこと。なるほど、シルキーとはこういうことを言うのか。
二女からはアントニオ・ザッカレラ作の陶器の壁掛け時計です。
あまり陶器らしくなく、しかし渋い色合いでこのようなお洒落な時計を1年以上前から探していたのです。まだ箱の中です。


今までの時計はこれ

娘は、この古時計はオークションに出したら、などと言ってます。
さらに、
二女の婚約者から私達に有田焼の湯呑みをいただきました。
有田ってこないだ行ったんだよ。
みんな、ありがとう~~
それにしてもいつの間に用意してたんだろ?
私はこんなに親孝行しなかった。
でも両親が還暦を迎えたときには、かわいい孫の顔を見せられたから、良いのでしょうか?

そして夕方5時半に予約していたレストランに集合。
フットワークの軽い長女は先に出かけて友人とお茶していたそうです。
それは楽しいディナーのひとときを過ごしました。
私はノンアルコールでした。主役のはずなのですが運転手を務めました。

弁形成術費用は何家族分の保険給付に相当?

2011年06月17日 | 入院・手術費用
最近届いた健保だより(健保組合が全社員に配っている)に今年度の予算が載っていました。
それを見ると、被保険者1人当たりの保険給付費は約31万円となっています。
つまり1家族当たりの給付が31万円として予算が組まれているわけです。
昨年の心臓手術で約350万円の費用がかかりましたが、高額療養費対象なので費用の大半は保険から支出されました。
家族当たりの給付金は去年とあまり変わらないとすると、単純計算で
350/31≒12となりますので、
12家族分の給付を独り占めした
あるいは
12年分の給付を一度にもらった
こととなります。

保険の意義は
1人はみんなのために、みんなは1人のために
One for All,All for One
というところにありますが、つくづくそう思います。

社会人になって今まで39年あまり、保険料を払い続けてきましたが、今まで家族誰もが大きな病気したことがないので、その保険料は誰かの役に立ってきた。
今回逆に、みんなから助けてもらったことになるわけです。

ところで
One for All,All for One
という言葉、もっとも古いところでデュマの三銃士に出て来たと言われています。
第九章のラストで、ダルタニアンがアトス、ポルトス、アラミスと手を重ねて誓った言葉だそうです。
この三銃士はフランスの小説で、原文では
Tous pour un, un pour tous
と書かれていますので、そのまま訳すと
みんなは1人のために、1人はみんなのために
となりますから、いつの間にか、みんなと1人がひっくり返ってます。
All for One,One for Allという言い方はないことはないが一般的ではないみたい。

この「三銃士」ですが、入院する前の週の金曜日に本屋で買ったんです。病院で退屈したら読もうかと思って。上下2巻でしたが、入院中は結局上巻の途中までしか読めませんでした。
その後退院した後に読み終わりはしたのですが、
1人はみんなのために、みんなは1人のために
というダルタニアンの言葉は今以て思い出せません。もっとも意訳されているのでこのままの言葉ではないそうですが。。
この本はその後処分してしまったので今さら探しようもなく…
あー、捨てるんじゃなかった・・・・

そうだ、立ち読みしようか…


薬を飲むのが遅くなった

2011年06月13日 | 日記
土曜日のことですが、予定変更で夕食を外出先ですませてから帰宅することになりました。
コンサートの日だったのですがコンサートが終了し大阪駅に戻り、新しくできたデパートで買い物など楽しんでいました。
今までなら、デパ地下で弁当など買って帰宅し、家でチンして食べていたので、今回もその予定だったのです。
ところが買い物が増えたりして荷物も嵩張るし、もう食べて帰ろうという話になりました。
で、食事の途中で薬持ってきていないことに気がつきましたが、今さらどうしようもない…
それで妻や娘は、予定はどうなるかわからないから、薬はいつも持っていた方がよい、と言います。
確かにこれからもこんなことはありそうなので、外出するときは必ず持つ財布の中に薬を入れておくことにしました。会社の置き薬とは別にです。

で、この日は家に着いてから飲んだのですが、翌朝お腹が壊れました。
これは食後すぐに薬を飲まなかったからかもしれません。
しかし、本当にそうなのか今度薬局で聞いてみることにします。

10回目の外来受診

2011年06月12日 | 手術後の外来診察
6月4日(土)のヴォーリズ記念病院、早いもので退院後10回目の外来受診達成です(?)
しかし…達成感ゼロ←当たり前だ。
献血は15回くらい行ってるので、まだまだです。

ところで土曜日は予約診察なので、待ち時間はあまりありません。
特に最近は順調に流れています。
まずは、処置室で採血。前回は翼付針ではなかったのですが、今回は翼付針です。
看護師さんによって違うのかも。
得手不得手があるのかな?
今度聞いてみよう。
採血が終わると間髪を入れずって感じで診察室からお呼びがかかりました。

血圧は少し上がって128-78でした。
最高血圧ですが、術後しばらくは100を行ったり来たり、退院後も半年くらいは100~110が続いたのですが、ここに来て少し上がってきてます。
会社の健康診断では131だったので少しだけ下がってますが、このくらいは誤差みたいなもの。
ところで最高血圧が130を超えると、メタボ診断ではイエローカードなんです。
他にメタボ診断の基準は中性脂肪、コレステロール,腹囲があります。
イエローカード2つでレッドとなり、晴れてメタボです。
決して太っているからといってメタボになるわけじゃないんですね。
それで、このスリムな私がメタボ予備軍になってしまいました。
血圧がたった1超えただけで。。
BMIは20弱なのに…
薬はワーファリンが2錠から3錠に増えました。
他は変更ないってことで、減るどころか、逆に増えちゃいました。

その他5月末に手元に届いた会社の健康診断結果報告書に気になることがあったので持参し、相談しました。こないだの記事にも書きましたが、心電図のRSRパターンのことです。
先生の話では電極の付け方一つでこのパターンが出ることもあり、RSRパターン自体そんなに心配はないらしいです。
私の場合、軽微でもあり全く心配はしていませんが、そのまま鵜呑みにはしないで下さいね。気になることが有れば、信頼の置ける先生に相談いただくのがベストです。

健康診断結果報告書について先生から
コピーもらって良い?
と聞かれたので、もちろんOKしました。

次回診察は4週間後、7月2日です。これで今週から5週連続週末は予定で埋まりました。
10回目の診察←今回
コンサート
還暦記念パーティー
横浜で会合
11回目の診察
その2週間後にも予定があります。
これからしばらくは大忙しです。

さて、診察終了後は院外の調剤薬局へ。
処方箋を出しながら一昨年のピロリ菌除菌時の処方箋データが残っていたら、コピーいただけないか聞いてみました。
PCからすぐにデータは出てきました。投薬リストは薬と一緒に袋に入れてくれました。

ツーキニスト

2011年06月05日 | 雑記帳(心臓と関係有り)
って話題になってるんですね。少し前のNHKのクローズアップ現代で取り上げられ初めて知りました(^^;)
でも…それって………オレもやってたじゃん♪
というわけで、何を隠そう…20代半ばと30代後半の時、合計で約5年間、天気が良いときツーキニストをやっておりました。
(天気が悪いときは電車かクルマ)
1977年の5月のこと、25歳で結婚し比較的会社から近いところにアパートを借りたのですが、健康増進と通勤代を浮かせることの二兎を追い自転車を買いました。この時買った自転車はいわゆる軽快車でリムは26インチ、外装5段変速でした。いや、内装3段だったかな?
昔すぎて忘れちゃいました(^^;)
そしてランチジャー式の弁当箱だけ後に積んで(^^;)、会社に通ってました。このアパートは古いこと、狭いことを除けば会社から近くて(距離は1.5kmくらいで通勤手当が出るギリギリ)、なかなか良かったです。
天気の良い日はツーキニストでした。
雨が降ったらクルマ。稀に歩きも。
会社から近いので汗をかく前に会社に着いてしまいます。それで格好はごく普通。

やがて子供が生まれ1年も経つと手狭になったのでこのアパートは引き払い、引っ越しました。会社から20km弱離れた住宅街で、28歳の時でした。
数年間は電車とクルマを併用して通勤してましたが、1987年ですね、この頃自転車が一大ブームになりました。
片道約20キロの道のりをひとつ自転車で通おうと思い立ち、近くの自転車屋さんに行ってドロップハンドル式のロードバイクを買いました。
まだバドミントンをガンガンやってた頃なので、体力は根拠のない自信が有りました。

この自転車はフレームだけクロモリ(クロムモリブデン鋼)なのでそれほど高級ではありません。
リム径は27インチで荷台はもちろんありません。
装備はフロント2段、リア6段の外装変速機、速度計、ドリンクホルダー、補助ブレーキレバー、スタンド、泥除け。
トークリップは付けませんでした。トークリップを付けると足先は安定しますが、転倒時にクリップがうまく外せなかったために大怪我し、数ヶ月入院した知り合いがいました。
したがってトークリップはあまりお勧めしません。

服装はほとんど普段着で、夏は短パンとTシャツ。片道1時間近く走るので夏は会社に着くと汗だくです。下着から替えていました。冬は上だけウィンドブレーカー。朝一番で余り暖房が効いていなくても体ほかほかで暖かかったですよ。
ヘルメットは被りませんでした。幸い事故に遭わなかったのですが、安全のためには本当は必要です。80年代はまだヘルメットは一般的ではありませんでした。
バックミラーも付けませんでしたが、これも安全走行のためには装備した方が良いです。

ツーキニストやるとパンクにも遭います。MTBはパンクしにくいですが…
チューブラータイヤはパンクしたらおしまい、ほぼ使い捨てです。ですから予備が必要です。
私のは普通のタイヤとチューブでした。それでパンク修理道具と空気入れも一式リュックに入れていました。

こんな感じで、天気予報の降水確率が30%以下の時はツーキニストです。経験上30%以下ですと家出るときに降っていなければほとんど大丈夫でした。でも万一降られたら大変ですから雨合羽も常備していました。
時雨や予想が外れて何度か合羽を途中で着ましたが、汗を通さないので後が大変でした。
雨で道路が濡れると白線の上は走行しない方が良いです。すべりますから。
パンクは半年に1回くらいでしたが、決まって帰りで暗くなってからでした。
暗いところでパンク直すって情けないですよね。まず明るいところまで押さなきゃならないし。
ある時など警察の敷地のすぐ外の街灯の下で修理していると、お巡りさんがやってきてじろりと睨まれ(笑)
手が汚れるので後で水道を貸していただきました…
ガソリンスタンドの隅を貸してもらったり、パンクしたときに家から近いところまで辿り着いていた場合は、直さずに押して帰りました。
2日連続でパンクしたこともあります。
って、ツーキニストの友達としゃべっていると
「オレは往きと帰り、1日で2回パンクしたこともあるぞ」ですって。
パンク自慢(爆)

なんかネガティブなことばかり書いていますが(笑)
定時で仕事が終わり明るいときに帰る場合などは、少し回り道して堤防上の自転車専用道を走ったりしました。自動車が横を走らないので安全ですし、風は気持ちいいし、こんなときは最高でした。
残念ながら写真を撮ってないので、どんなに素晴らしかったかご紹介が出来ません。

それで少し検索してみたら、京都自転車道というサイトが見つかりました。
たまにはこんな道を走っていたわけです。

暗くなってくるとライトを点灯しますが、普通のリムダイナモはとても重いです。
電球はたったの3W(6V)ですが。
私はたまたま捨てられていた6Vのバッテリーを手に入れたので、これをドリンクホルダーに取り付けました。測ったようにうまい具合に取り付けることが出来ました。
このバッテリーとライトをコネクタを介して接続し夜は点灯、昼は消灯♪
これでペダルの負担はゼロになりました。途中から電球を6Wに取り替えたのでさらに明るくなりました。
赤信号で停まっていてもライトは明々と点灯しているのです。じろじろ見られたり、話しかけられたこともありました。
バッテリーですから、使ってばかりでは消耗します。週末には充電する必要がありました。ちょうどマイコン遊び用に24V・2Aの可変電源を自作していましたので充電器としても使用できました。

自転車での走行距離は最短コースを取った場合で35キロになりました。片道17.5キロです。
所要時間は往きが45~50分。
帰りが55分~1時間。朝の方が元気でしたね。
巡航速度はだいたい30キロ、40キロも出すと空気抵抗がすごくて1分でバテてしまい、後が続かなくなり、かえって遅くなってしまいました。
この自転車で消費するカロリーは大したもので、走り始めて1週間経つとズボンがぶかぶかになりました。試しに体重計に乗ってみると…減ってる×2…それ以後は昼はうどんをプラス、夜はご飯を腹一杯食べるようになりました。それでもお腹はみごとに引っ込みました。
ツーキニストを2年ほど続けた後、今の住所(滋賀県)に引っ越しましたが、会社からの距離は50キロもあり、自転車なんか無理×無理、大人しく電車通勤になりました。

今思えばこの頃の心臓はまだまだ元気だったんですね。自転車とバドミントンで心臓も鍛えていたことになりますが
・心臓のポンプ性能が上がった
・しかし弁膜症の進行を早める結果になった
・しかし手術後の立ち上がりが早くなった
…自転車が心臓にとって良かったのか悪かったのか、なかなか難しいところですね。
でも、余分な脂肪が体にたまるのを遅らせることは出来たと思います。

今年(2011年)の健康診断

2011年06月04日 | 日記
毎年4月に行われる会社の健康診断。
今年は何か格別の気持ちで受けることとなりました。
去年の健康診断ですが、診察の医師から
「心雑音が大きいので、念のため精密検査を受けて下さい。」
とコメントをもらいました。そしてこの一言から始まって、去年はまさかまさかの心臓手術となりました。ところが健康診断結果報告書の判定区分には「要経過観察」としか書かれていなかったので、健保からも上司からもフォローはありませんでした。
おととしも心雑音は書かれていたのですが、この時医師から特にコメントはなかったのです。この1年で雑音が大きくなったということなのでしょう。
聴診器で自分で聞いても普通じゃないのがわかりました。

判定区分が「要経過観察」を超えるレベルとしては
「要治療」、「要精密検査・再検査」、「治療中」
があります。このレベルになると上司と健保の双方からフォロー(というか催促)されます。
私の去年の心雑音による精密検査の勧めは口頭だけで、書類に残らなかったのでフォローがなかったわけです。
そのフォローの無かった私が、職場ではもっとも健康を害してたってことですから何ともはや。

さて、それで今年の健康診断の結果はどうだったのか…
まず、今年は胸部レントゲン撮影を拒否してみました。すると別室に呼ばれ事情を聞かれましたが、了解していただけました。入院~退院後もさんざん撮ってますので。

結果報告書は先月末に全社員に渡されました。
で、今年は全項目クリアかなと期待していたところ、心電図に所見がありました。
RSRパターンが出ているとのことです。数年前にもRSRパターンは出たことがあっていささか気になります。
このRSRパターンが何なのか調べてみると、
右脚ブロック
右脚ブロックとは右心側の刺激伝導系がブロックされた状態で、刺激が右心側に伝わらなくなった状態をいいます。

詳しくは→こちら

右脚ブロックだなんて、なんだか一大事って感じです。以前なら大して気にもかけなかったかもしれませんが、大丈夫かなぁ~
しかし所見のレベルは、「わずかに基準範囲を外れているだけなので、日常生活に差し支えはない」
なので、あまり気にしなくても良いかなあとも。
ちょうど週末の6月4日が診察日なので相談してみることにしました。
結果表を見ていただいて相談した結果は、RSRパターンはよくあることで何ら心配はないそうです。もともと右脚は伝導系そのものがチャチだとか。
そう言っていただけると取り敢えず一安心です。

そして今年から検査項目に加わったのが、ヘリコバクター・ピロリ抗体と前立腺特異抗原、それにペプシノーゲンの3項目です。
私はおととしピロリ菌を除菌したので抗体値は基準内でした。除菌後に再感染していないのが確認できて良かったです。
前立腺特異抗原は前立腺癌の腫瘍マーカーになるようですが、抗原値は基準内でした。
ペプシノーゲンは胃粘膜の状態がわかるそうで、粘膜が萎縮(陽性)すると胃癌になりやすくなります。
ペプシノーゲンは陰性でしたし、ピロリ菌も陰性ですのでどちらもセーフ…当面、胃癌のリスクは低いといえます。

当面と書いた理由は、私はピロリ菌除菌者なので菌が胃に住んでいた50数年間のうちにもしかしたらガン細胞ができているかもしれない、ということが考えられるので定期的に検査が必要なのだそうです。

それにしてもピロリ菌を除菌するとお腹の調子がすごく良いです♪
このbefore-afterもなかなか劇的です。
この除菌のことはいずれ記事にします。

9回目の外来受診

2011年06月02日 | 手術後の外来診察
4月22日になりました。前回の外来診察が3月12日だったのでかれこれ一月半が経過。
もう慣れっこになってしまったヴォーリズ記念病院の受診日です。
今回も採血と診察のみです。
経過は順調とのことで、血圧は106-65でした。OKOK~♪
前回の採血結果をいただきましたが、大きな問題はありませんでした。
…が、初めて血糖値が基準値の下限より低い値が記録されました。
食後120分後の血糖値ですが、64mg/dl
基準値は70~109なので、10%ほど低かったのです。
これはでも一過性のものだと思います。

血糖値というのはある時点における血糖の値ですから、いわゆる瞬間風速のようなものです。
ある時点に測った血糖値はたまたま暴風かもしれず、凪いでいるかもしれず、そよ風なのかもしれないわけです。
その瞬間に基準値に入っていたからといって問題がないとは限らないわけですね。もっと長期的に評価しなければ、何が正しいのか見失いかねません。
そして都合の良い(?)ことに、長期的に評価できる指標があるのです。
その指標…HbA1Cというものがあります。
これは糖化ヘモグロビン(グリコヘモグロビンとも)、つまりヘモグロビンのうち何%がブドウ糖と結合しているのかを表すものです。
このHbA1Cの正常値は4.3~5.8%とされています。この範囲内ですと糖尿病でもなければ、低血糖でもない、ということです。
血糖値が高くなると血液中にブドウ糖が余っているわけですから、次々にブドウ糖がヘモグロビンにくっつくためHbA1Cは上がっていきます。
6.5%以上になると糖尿病と診断されるようです。

ところでヴォーリズ記念病院での血液検査では、HbA1Cは測定されません。しかし幸いなことに会社の健康診断では毎年HbA1Cが測定されていることがわかりました。
その結果によるとHbA1Cは4.9~5.1%で推移しているので、問題はなさそうなことがわかりました。やれやれです。

次回は6月4日の土曜日を予約、薬は従来通りで変更有りませんでした。
手術から半年以上経ちますが、まだワーファリンは終わりません。ただ少し気になることがあるので、まだ終わらなくても良いかなあとも思っています。