還暦直前に心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症弁形成術体験記)

還暦を目前にして滋賀医大の浅井徹先生の執刀で僧帽弁形成術を受けました。
私の体験が同病の方の参考になれば幸いです。

産業医の面談

2011年02月27日 | 自宅療養
会社復帰への最後の関門、産業医の面談は10月20日午後2時半から行われました。
会社の就業規則で、一週間以上病気で欠勤または休暇取得したとき、復職に当たっては産業医の許可が必要になっています。
その許可を得るための面談というわけです。
少し早めの時間に駅まで妻に送ってもらい、電車でゴトゴト。そしてウトウト。
面談終了後に職場に顔出すつもりでしたので気分ワクワクドキドキです。それで気がはやったのかも。
一度京都駅で降りて構内のレストランで食事をした後再び電車に乗り、所定の駅で降りたところで、上司に電話を入れました。面談には上司の同席が必要なのです。
わざわざ京都駅で降りた理由は、まともなものを食べたかったのと時間つぶし。
会社の近くには食事に良い店があまりないのです。乗降客はそれなりに多いのですが?

駅から面談の場所まで10分程度で歩ける道のりを、15分くらいかけてゆっくり歩きました。この道は通勤の経路なのですが、真っ昼間にこの道を歩くことはほとんどありません。それもあって景色が違う感じがしてなんだか新鮮です。
あと残り100m…信号のある三叉路を曲がったところで上司が待っていてくれているのが遠目に見えましたが、敢えてペースは上げませんでした。
この日の服装ですが、まだ仕事じゃないのでラフな格好です。普段はネクタイ締めて出勤してます。

そしてその面談・・・・面談と言うくらいですから、診断などはありません。
上司もいるのでなんだか三者面談みたい・・・・おっと三者ではなくて、健康管理の担当者(白衣着てます)も同席していろいろメモを取っていました。四者かな?
そして用意してきた診断書を提出、質問に答える形で10分ほどで面談はあっさりと終了しました。
復帰はもちろん問題なくOKとなりました。ただし
当分は事務的な軽作業のみ
就業時間は時間制限無しのフルタイム
残業は体調を見ながら自身で判断
出張は当面禁止
という条件がつきました。残業禁止とか就業時間短縮などの措置はありませんでした。
仕事内容に寄るのでしょうね。私の仕事は元々一日中パソコンを眺めてキーボードを叩いて、マウスを操作してというものなので、作業強度としては軽いものです。
出張はメンバー調整か時期調整で何とかなるし、この時期はまだ忙しくなる前なので残業はしばらくしなくても大丈夫でしょう。
面談報告書は産業医が作成し、健康管理部門から人事部に送られます。
そしてそのコピーが私の所属長に送られてきて、勤務状況がチェックされるようです。
そして2回目の面談を1ヶ月後の11月24日に行うことになりました。

これで面談は滞りなく終了しましたが、診断書原本は人事部が保管するとのことでコピーを一部もらいました。その後職場に顔出ししました。2ヶ月ぶり。
ドアを開けるとき、ちょっと気恥ずかしい感じとでも言いましょうか・・・・
足を踏み入れた瞬間あちこちから声掛けられ、何人も人が寄ってきて
アンタはスーパーマンか…とか
見舞いに行こうと相談してたら退院したと聞いて行き損ねた…とか
リハビリはもう良いのか…とか
・・・・いや、もう大歓迎を受けましたです。ちゃんと居場所がありました。
つづいて上司からは、出勤したら3日目までに下期の業務計画書を書いて欲しいので考えといて…と、ありがた~い宿題もいただきました。そういえば上期の実績報告は出さないまま休みに入ったのですが、上司が適当に書いてくれたそうです。

さて、あまり長居してもじゃまなので30分ほどで切り上げ、次に特に付き合いの深い営業部門に顔出し~♪
私は製造部門所属で、この営業の連中とは長い長い付き合いです。
ここでも30分ほど彼らの仕事のじゃまをしたあと京都駅に戻り、妻に頼まれた買い物をして帰宅しました。

これで復帰に向けた準備はすべて完了しました。
やっとここまで来たのだから体調を崩さないように気をつけよう。


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