シルビー・バルタン引退の話題からミッシェル・ポルナレフを思い出し、さらに「I Love You Because」をくれた編集者のことを思い出した。思い出話のついでに五木寛之のことを。
その人に五木寛之の小説の愛読者であることを話したら、当時彼女が勤めていた文藝春秋から刊行中だった「五木寛之作品集」を2冊くれた。「五木寛之作品集1 蒼ざめた馬を見よ」(1972年10月)と「同9 モルダウの重き流れに」(1973年6月)である。「作品集1」のほうには、黒地の表紙扉ページに白インク(絵具?)で五木寛之のサインがあった。
ぼくが最初に読んだ五木の作品が何だったかは忘れたが、四谷の予備校に通っていた1968年の秋に、雑誌に掲載された「聖者昇天」を一刻も早く読みたくて四谷の文藝春秋本社まで買いに行ったことがあった。「聖者昇天」(後に「ソフィアの秋」と改題)は、「ソフィアの秋」(講談社文庫、1972年)の年譜(坂本政子編)によれば1968年10月の「文藝春秋」に掲載されたようだ。ぼくの記憶では「オール読物」か「別冊文藝春秋」だったと思っていたが。
掲載紙の記憶はあいまいだったが、1968年10月はまさにぼくが四谷の予備校生だった時期である。四ッ谷駅界隈には書店はなかったのか(ドン・ボスコ社というのが駅前にあったが、キリスト教関係の本しか置いてなかった)、文藝春秋の本社に直接買いに行った。ホテルニューオータニの裏手にあって、ビルの壁面に「文藝春秋」と縦書きのロゴがあった(と思う)。
直木賞受賞作となった「蒼ざめた馬を見よ」や「ソフィアの秋」など、ロシアや東欧、北欧を舞台にした小説が好きだった。「さらばモスクワ愚連隊」というのは書名が嫌いで読まなかった。「青年は荒野をめざす」は書名が気に入って読んだが、ジャズ嫌いのぼくには合わなかった。
彼のような小説家になりたいと思って、彼の小説や(彼が新人賞を受賞した)「小説現代」を時おり購読したり、早稲田の露文か上智のロシア語科を受験しようかとさえ考えた。しかし実際の受験の時には無難に法学部を選んでしまった。ただし入学したのは政治学科である(その後法律学科に転科したが)。
学生時代だったか編集者時代に、五木寛之、久野収、斉藤孝の3人によるヨーロッパの政治、戦争に関する鼎談が「毎日グラフ」に連載された。これが五木を読んだ最後だったかもしれない。あるいは「デラシネの旗」が最後だったかもしれない。「内灘夫人」は読んだけれど面白いとは思えなかったし、「青春の門」「朱鷺の墓」など国内もの、恋愛ものは読まなかった。
前記「年譜」によると、1972年5月以後「ジャーナリズムから遠ざかる」とあるが、その頃からぼくも五木から遠ざかったのだろう。
数年前からNHKのラジオ深夜便で時おり五木寛之が登場して語っているのを聞くことがあったが、この1、2年は聞かなくなった。彼が出演しなくなったのか、ぼくが聞かなくなったのか。
五木の本もそろそろ断捨離するか。著者サイン入り本は捨てられないし、「ソフィアの秋」と「蒼ざめた馬を見よ」には思いが残るけれど。
2024年12月5日 記
※ 今日の夕方、孫娘の習い事に同行した待ち時間にジュンク堂を眺めたところ、文庫本の著者名「い」のコーナーには池井戸だの池波だの井坂だのがずらっと並び、五木寛之の本は「親鸞」というのしかなかった。「現代的」小説の寿命は短い。50年も経って五木も読者も変わってしまったのだ。