豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

ラジオ深夜便 カーペンターズ

2024年03月01日 | テレビ&ポップス
 
 2月28日のラジオ深夜便、午前2時からは「カーペンターズ」特集だった。
 カーペンターズも、サイモン&ガーファンクルンドなどとともに一時期好きなグループだった。

 きっと最後にかかるのは「イエスタデ―・ワンスモア」だろうと思って、午前3時前にコーナーが終わるまで聞いたが、予想通り最後にこの曲がかかった。
 ※上の写真は、 “Carpenters” (盤面には “Gem of Carpenters” と表記。 A&M Records,キングレコード、1973年)。このレコードでは、「イエスタデ―・ワンスモア」はディスク1のA面の最初の1曲目に入っている。この順番が妥当だろう。

 「イエスタデ―・ワンスモア」は、深夜便のナレーションでは1973年のリリースということだった。ぼくはもっと後だと思っていたので、意外だった。
 あの曲の歌詞の通り、過ぎ去った1960~70年代の青春を10年くらい経って回想しながら懐かしく聞いたつもりでいたのだが、まだ大学3、4年生の頃だったとは・・・。
 でも思い起こすと、たしかに大学生の頃に実家の畳に寝そべって聞いていたような気もする。

       

 ぼくたち団塊の世代は、購買層のボリューム・ゾーンだったので、常に商魂たくましい連中の餌食にされ続けてきた。
 手元にある「週刊読売」1975年10月10日号は、「20代の諸君! オレたちにも すでにして回想があるのだ!」と銘うった特集を組んでいる(上の写真)。当時25歳だったぼくは、こんな企画によって、わずか数年前の日々を回想させられていたのだろう。
 そして、「イエスタデ―・ワンスモア」が1973年のリリースだったというのだから、この「週刊読売」より2年も前に、すでにぼくはこの曲を聞きながら、わずか1、2年前のことをノスタルジックな感傷に浸って回想していたのかもしれない。

 2024年2月29日 記

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ラジオ深夜便 星加ルミ子とビートルズ

2024年02月28日 | テレビ&ポップス
 
 一昨日(2月26日)のNHK「ラジオ深夜便」午前4時からのコーナーに星加ルミ子が出ていた。
 星加ルミ子は日本人で初めてビートルズとの単独インタビューに成功した音楽ジャーナリストとして有名だが、ぼくは1960年代の終わり頃に、どこかの民放テレビ局で毎週土曜日の午後にやっていた「スパーク・ショー」の司会というかDJとして覚えている。
 「スパーク・ショー」は森永製菓の提供で、星加と木崎義二ともう一人(大橋巨泉だったかも・・・)の3人で進行した音楽番組である。3人の進行役は、スタジオから少し高い「アップダウン・クイズ」の解答者席のようなところに座っていたように思う。フロアでは一般の来場者が曲に合わせてツイストなんかを踊っていた。
 「スパーク」というのはその頃森永から出ていた炭酸飲料「森永スパーク」から取ったのだろう。

 その星加が、ビートルズとの3回のインタビューの思い出を語っていた。
 彼女自身は、デビュー当初のビートルズをそれほど買っていなくて、アルバムが3枚くらい出た頃から評価するようになったという。その頃に所属雑誌社から派遣されてイギリスだかアメリカで最初に出会い、その後ビートルズ来日の折に同じホテル(赤坂東急だったか?)に宿泊するように指示されてインタビューし、最後に「フール・オン・ザ・ヒル」のレコーディング中の彼らにインタビューしたという。半睡状態で聞いていたので、正確かどうかは怪しい。
 
 彼女はジョン・レノンと同じ1940年生れで、ビートルズの200何曲かのうちでは「ヘイ・ジュード」が一番好きだと言っていた。これはぼくも同感。ただし、ぼくの場合は「ヘイ・ジュード」の曲の魅力だけではなかった。
 当時ぼくは信濃町にある出版社でサラリーマンをしていたのだが、時おり昼食を食べに行ったスナックにジューク・ボックスが置いてあった。100円でドーナツ盤を1曲か2曲聞くことができたのだが、「ヘイ・ジュード」は最後のリフレインが終わるまで8分以上かかる曲できわめてコスパ(?)がよかったので、しょっちゅうかけたのである。あの頃のヒット曲の中には2分30秒足らずで終わってしまう曲もあった。
 でも本当は、同世代だったそのスナックの女の子に「ぼくはヘイジュードが好きだ!」と訴えていたのかもしれない。

 デビュー当初のビートルズを好きでなかったという点でも、ぼくは彼女と同じである。
 ぼくが中学3年の時に「抱きしめたい」が日本でヒットした。クラスの中にエレキギターを学校に持ってきて弾いているのがいたけれど、その頃のぼくは、ジリオラ・チンクェッティ「夢見る想い」、ボビー・ソロ「頬にかかる涙」、シルビー・ヴァルタン「アイドルを探せ」や、キングストン・トリオ「花はどこへ行った」、PPM「500マイルも離れて」、ブラザーズ・フォア「七つの水仙」などなどが好きで、ビートルズは騒がしくて苦手だった。
 ただし、「抱きしめたい」は、これを聞くと中学3年の中学校のあれこれの光景や同級生のことが蘇ってくるので、今ではぼくの好きな曲の1つになっている、

 ぼくがビートルズを好きになったのは、いつ頃からだったのかはっきりとは記憶にないが、「イエスタデ―」や「ミッシェル」など落ち着いた曲がはやるようになった頃だったと思う。
 今でもぼくの「ビートルズ・ベスト5」は、「ヘイ・ジュード」「ヒア ゼア アンド エブリウエア」「アンド アイ ラブ ハー」「ロング アンド ワインディング ロード」「フール オン ザ ヒル」あたりである。
 唯一ぼくが持っているレコードも、「ラヴ・ソングス--ザ・ビートルズ31」(東芝EMI、1977年)というアルバムだけである(上の写真)。2枚組3600円で、英語の歌詞パンフレットと、解説の冊子がついている(下の写真)。

      

 “Love Songs -- The Beatles 31” という「このアルバムで、ザ・ビートルズはロック・バラードの美しさ、優しさをも鮮やかに証明している」とうプロデューサー(ジョージ・マーティン)の言葉が帯(?)に書いてある。
 このような変化が、ぼくをビートルズ好きにさせたのだろう。残念ながら、「ヘイ・ジュード」と「フール オン ザ ヒル」はこのアルバムには入っていなかった。

 このレコードについた解説の中には、星加ルミ子の解説もあって、ラジオ深夜便で語っていた彼女とビートルズとの交流も書いてある。彼女は「ミュージック・ライフ」という雑誌の編集者で、最初の出会いは1965年のロンドン、アビーロードのEMIスタジオで、最後は1970年のアメリカでの解散コンサートに同行した時だったという。出会いの場面など深夜便を聞いたぼくの記憶と少し違う所もあるが、彼女が日本で一番ビートルズと直接交流できた一人であったことはまちがいないだろう。

 2024年2月28日 記

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予審判事マリアンヌとシトロエン2CV

2023年10月24日 | テレビ&ポップス
 
 昨日(10月22日)の午後4時から11時まで、「予審判事マリアンヌ」(BS560 ch、ミステリー・チャンネル)を見た。全6話一挙放送だったが、8時から9時の1回分は所用で見られなかった。
 なお、番組の正式名は「甘党女判事」とか何とか題していたが忘れてしまった。原題は「マリアンヌ」 “Marianne” で、彼女は判事ではなく予審判事だから「予審判事マリアンヌ」でいいだろう。ただし放送では、書記官(?)が彼女のことを “juge” (ジュジュ=判事)と呼んでいたようにも聞こえた。
 フランスのミステリー番組は「メグ警視」と「ジュリー・レスコー」以外は苦手なのだが、この番組は、予審判事の活動の実態を知るうえでも参考になったし、どのエピソードも及第点以上だった。
 何といっても、彼女の愛車がシトロエン2CVというのがよかった。(冒頭の写真は各回のタイトルバックから)

 フランスには予審判事の制度がある。予審判事というのは(正確なところは分からないが)、捜査官と裁判官の間のような役職で、捜査の適法性を担保しながら捜査をする機関である。
 英米の刑事司法では、事実を追求する捜査機関(警察、検察官など)と、事実を判断する司法機関(裁判官)を峻別して、プレイヤーである検察官に対して裁判官はアンパイアに徹する。これに対して、フランスでは予審判事が捜査しつつ、判断もするのである。日本でいえば、検察官と(令状発付を行なう)簡易裁判所判事を合わせたようなものか。
 日本にも戦前は予審判事制度があったが、その糾問的な態度や本裁判において予断を生じさせることが問題視されて、戦後は廃止され、戦後は英米流の当事者主義が採用されることになった。
 
 今日の英米や日本の刑事司法は「当事者主義」という考え方を原則にしている。「プレーしつつジャッジする」予審判事に対して、「プレーする者はジャッジしない」(裁判官はアンパイアに徹する)のである。
 「当事者主義」(adversary system)というのは、「(アップル)パイを切る者には、(切ったパイのどちらを食べるかの)選択権はない」というルールだと説明される。そのようなルールがあれば、パイは可能なかぎり正確に2分の1に切り分けることができるというのだ。しかし、当事者の能力に差がある場合には、このルールは不公正なルールになってしまう。
 中学生の兄貴が6歳の弟にパイを半分に切らせれば、6歳の子は正確に2分の1に切ることなどできないから、いつでも兄貴が大きい方のパイをゲットできてしまう。同様に、税金によるカネと人員をふんだんに使って捜査できる検察と、拘留中の貧しい被告人の間に「当事者主義」をそのまま当てはめたら、常に検察の勝利に終わってしまうだろう。実質的な公平を実現するためには、非力な被告人に弁護人選任請求や証拠開示請求などの防御権を保障することが必要になる。

 「マリアンヌ」を見ると、この予審判事は警察官(警部)と一緒に捜査に当たっていた。時おり検察官(検事総長だったか)も登場するが、個別事件の捜査には関与していないようである。検察官は公判段階から登場するのだろうか。「マリアンヌ」のような予審判事と警察官のコンビによる捜査が実際のフランスの実態を反映しているのか、フィクションなのかは分からない。「メグレ警視」では、警察官のメグレが予審判事と行動を共にすることはなかったと思うが。
 とにかくこの番組で一番嬉しかったのは、彼女の愛車が水色のシトロエン2CVだったことである。シトロエンが登場する場面を楽しみにするだけでも、6時間は長く感じなかった。
 容疑者の高級車販売業のいけ好かないオヤジが、彼女の愛車に向かって「ゴミ」とか言っていたけれど、今のフランスでは2CVはそんな評価なのだろうか。今年はパリも猛暑だったみたいだから、半開きのドア窓から入ってくる風だけの2CVはきつかっただろう。
 ミステリー・チャンネルには「名探偵の食事」といった番組があるが、「名探偵とクルマ」という番組もぜひやってほしい。

 2023年10月24日 記

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マークスの山(BS日テレ)

2023年10月21日 | テレビ&ポップス
 
 「マークスの山」(BS日テレ、141ch)の第5回(最終回)を見た。
 第1回からきちんと毎週見たドラマは久しぶりである(上の写真は同番組のエンドタイトル。部屋の照明器具が映り込んでしまった)。

 原作の高村薫『マークスの山』はかつて読んだけれど、その記憶もかなり怪しくなっていたので、ほぼ初見に等しかった。そして面白かった。最近のテレビドラマに比べると出色の出来であると思った。
 高村の原作自体が、同時期の他の直木賞受賞作に比べて群を抜く圧倒的な筆力で書かれていた。
 その原作では、「が-------」のような擬音が頻出してうるさかった記憶があるが、テレビドラマの方では、効果音が異様に高まる場面があった。あの原作の「-------」の場面を音声化しているのだろう。

 都立大裏!の公園(もちろん目黒のほうの都立大)で殺人事件が発生し、事件に関わりのある人物の自殺や殺人事件が相つぎ、関係者が刺客に襲われる事件も起きる。
 殺人事件を捜査する碑文谷中央署の刑事(上川隆也)は、事件の背後に潜む政財界、法曹界の巨悪シンジケートに肉薄するのだが、警察、検察の上層部から捜査中止の圧力がかかる、といったストーリーである。原作にはあった所轄警察署の間の縄張り争いはカットされていた。
 「マークスの山」というのは、富士山に次いで日本で二番目に高い山にもかかわらず、登るのが困難なため余り知られていないという北岳のことである(冒頭の写真の背景が北岳だろう)。
 「暁成大学」山岳部の同窓生たちが、この北岳を舞台に何をしたかの究明がストーリーの主軸になるのだが、目撃者のことも、ラストシーンもすっかり忘れていた。
 
 最近のテレビ・ドラマとしては出来は良いほうだと思うが、主演の刑事役上川の恰好に最後まで違和感が残った。皺ひとつないスーツ、糊のきいたワイシャツの襟もとにはしっかり締められたネクタイ、バリッとしたステンカラー・コートを着ていながら、靴は白いスニーカーという恰好に最後まで馴染めなかった。チラッとのぞいたコートの裏地はバーバリーのようだった。
 どうしても視線が上川の足元に行ってしまう。足で稼ぐ刑事ということなのだろうが、その割には、スーツ、ネクタイが折り目正しいサラリーマン風であるうえに、ワイシャツの襟もバリッとしすぎていて、スニーカーにはなじまない。白のスニーカーは原作にあったのかもしれないが、文字で読むのと、画像で見せつけられるのとでは印象が違う。

 権力者たちの出身大学が「暁成大学」というのも(これも原作のとおりだが)なじめなかった。
 ストーリー的には「東京大学」だろうが、目黒近辺の私立大という設定だから「目黒大学」でも「柿木坂大学」でも「鷹番大学」でも「碑文谷大学」でも「上野毛大学」でもよかっただろうに、「暁成」とは・・・。
 「暁成大学」の正門や本館が画面に出てきたが、撮影したのはどこの大学だろう。よく撮影を承諾したと思う。
 
 北岳の所轄署の刑事役の大杉蓮もよかった。ところで、あの看護婦さんは犯人の何だったのか?肝心のところを見落としてしまった。

 2023年10月19日 記
 

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「帰って来たヨッパライ」異聞

2023年09月24日 | テレビ&ポップス
 
 もう1ヶ月くらい前のことになるだろうか、NHKラジオ深夜便に元ニッポン放送アナウンサーの斉藤安弘が出演していた。聞き手のNHKアナは徳田章だったと記憶する。

 その中で、最初は関西のラジオでヒットしていたフォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」を関東のラジオ局で初めて流したのはニッポン放送の「オールナイト・ニッポン」だったと斉藤が語っていた。
 そのヒットに気を良くして、その後もザリガニ―ズの「海は恋してる」や、自分たち(カメ&アンコ―)の「ケメ子の歌」などコミカル・ソング路線がつづいたという。そんなことがあったか・・・。
 ぼくは、「オールナイト・ニッポン」のDJでは、今仁哲夫(春日部のテッちゃん!)の語り口としょうもない内容が好きだった。
 斉藤の話では、他局の深夜放送は自動車会社がスポンサーだったので、ヨッパライ運転で死んでしまった男の歌を流すことができなかったと言っていた。

       
 それで思い出したが、TBSラジオの深夜放送「パック・イン・ミュージック」のスポンサーは、確かに日産自動車だった。
 誰のコピーか知らないが、「最果ての駅 乗り遅れた最終列車を追って 隣りの駅まで送ってくれた 見知らぬ彼 サファリ・ブラウンに輝くスカイライン」というCMを今でも覚えている。
 スカイラインは、ケンとメリーもそうだったが、なぜか北海道のイメージで売っていた。稚内あたりの駅で、そんな男女のドラマがあったかもしれない。
 上の写真は家族旅行で北海道の美瑛を訪ねた際に撮ったケンとメリーの木。映っている息子の小ささからみて1995年前後と思う。

 文化放送の深夜放送「セイ・ヤング」のスポンサーに自動車会社が入っていたかどうかは、記憶にない。
 「セイ・ヤング」で覚えていることは、みのもんたが本名の御法川(みのりかわ)何某という本名でDJをやっていたこと、DJの落合恵子が「レモンちゃん」とかいう愛称で呼ばれていたこと(ぼくは呼ばなかった。ぼくのご贔屓は午前3時からの第2部の馬場こずえと滝良子だった)、同番組の田名網(たなあみ)ディレクターという人が、「日本史の傾向と対策」(旺文社)の筆者として当時の受験界で有名だった田名網宏先生(都立大教授!)の息子だったこと(落合が番組でそう言っているのを聞いた)くらいか。

 そう言えば、ゆうべ(9月23日午前0時すぎ)のNHKラジオ深夜便の落合恵子のコーナーで、「白い渚のブルース」がアッカ―・ビルクのクラリネットで流れていた。落合は、自分の番組をもてたら、この曲をオープニング曲にすると言っていた。
 「白い渚のブルース」はぼくも好きだな曲だが、ぼくはビリー・ボーンのLP盤できいた。その昔、ビリー・ボーンの「真珠貝の歌」がオープニングに流れるリクエスト番組が、たしか土曜日か日曜日の夕方に、NHKかラジオ関東でやっていた。長崎節か高崎一郎がDJだった(と思う)。

 2023年9月24日 記

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“ 刑事モース--オックスフォード事件簿 ”

2023年06月03日 | テレビ&ポップス
 
 このところ毎日午後になると、“ 刑事モース--オックスフォード事件簿 ” を見ている。
 BS 451ch、WOWOW プラスで、毎日午後に2本づつ放映している。
 大相撲五月場所が終わって、午後のルーティンがなくなってしまったので、その代わりである。

 ここ数日で見たのは、第17話・不吉な収穫祭(2018年)、第18話・堕ちたミューズ(〃)、第19話・死者のフィルム、第21話・失われた英雄(〃)、第24話・花飾りの少女(2019年)など。
 第20話・殺意を誘う列車(2018年)、第22話・疑惑の四重奏(〃)、第23話・ねじれた翼(〃)、第25話・月の裏庭(2019年)、第26話・甘い罠(〃)は、すでに見たか、内容にあまり興味がわかなかったのでスルー。第27話・新世界の崩壊(2019年)、第28話・夏の序曲(2020年)も未見。
 上の写真は、第17話「不吉な収穫祭」の1シーン。舞台となったオックスフォード郊外の光景が、秋の穏やかな日ざしを浴びてきれいだった。初秋の軽井沢を思わせる光である。最近見たモースの中でもっとも印象的なシーンだった。

 見ることができなかった回は、お見逃しサービスで見たので、見た順番は不同。しかも、お見逃しサービスのDVD(?)版では冗長なシーンは倍速で見ている。
 そのため、カウリー署、テムズ・バレー署の統廃合や、モースが平刑事に降格されていたり、サーズデイが警部補に格下げになり、署長が交通部に配属されていたり、強盗課から配属された悪徳警部とその部下との関係など、所々話がつながらない。モースの恋愛事情や、サーズデイの夫婦関係、父娘関係もどういうことなのか、分からないことがある。倍速も考えものである。

 6月2日(金曜)午前中に、前の夜に途中で寝てしまった、第21話「失われた英雄」の続きをお見逃しサービスで見た。
 心を病んだ朝鮮戦争からの帰還兵などが登場して、イギリスが朝鮮戦争に参戦していたことを知った。たしかに朝鮮戦争は、北朝鮮軍+中国人民軍 vs 国連軍だから、イギリスが参戦していてもおかしくはないのだが、あの時の「国連軍」は全員がアメリカ軍だと思っていた。 
 しかも登場するイギリス兵が戦ったのが、あのイムジン河(!)における戦闘だったという。フォークルが歌った「イムジン河」にはそんな歴史もあったのだ。

 午後1時からは、第29話・望郷の調べ(2020年)と第30話・永遠のアリア(〃)の2本を見た。
 「望郷の調べ」はバングラデシュ(故郷はベンガルと言っていた)からイギリスに移民してきて、一家でインド料理店を営む家族の争いがテーマ。
 ミスリーディングのエピソードとして有色人排斥活動をする保守党議員とそのシンパたちと、パキスタン人を含むボクシング興行師の集団が登場する。1960~70年代のイギリスにはそのようなことがあったのだろう。この頃の警察署内はまだ全員白人である。
 「永遠のアリア」は(現時点での)最終回らしい。オックスフォードの運河で起きた(一見すると不連続にみえる)連続殺人をめぐって、サーズデイとモースが対立する。「刑事モース」の最初の頃に見られたふたりの蜜月ぶりからは信じられないくらいの、かなり激しい対立である。
 サーズデイは直観から、モースは動機と手段の解明から捜査を進めるが、最終的に両者の意見は一致する。しかし、モースはサーズデイのもとを去り、異動願いを出してキドリントン署だったかウッドストック署だったかへ転勤していく。ラストシーンは、オペラのストーリーにあわせて、エピソードの一つが解決に至る。

 同僚ストレンジ(「モース警部」ではモースの上司になっている)と検視医のドクターは、違和感のない顔立ち、体型の役者が演じているが、モース役の俳優はどう見ても「刑事モース」と「モース警部」が重なり合わない。
 「刑事モース」では、オックスフォードでのロケ・シーンが少ない。古い街並みが残っているとはいえ、やはり1960~70年代のオックスフォードをロケで再現することは難しかったのだろうか。
 東京だって、小津安二郎が撮った1960年代の風景(ニコライ堂、聖路加病院、東京駅や上野駅など)を21世紀の現在、ロケで撮ることは難しいだろう。

 2023年6月3日 記

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ジョニー・ソマーズ “ ワン・ボーイ ”

2023年05月04日 | テレビ&ポップス
 
 5月4日(木)、連休は後半戦に入ったのだろうか。
 1年中が連休の身には、5月の連休は自宅で静かに過ごす日々である。

 天気が良いので、昼食を済ませてから、隣りの石神井公園駅まで散歩に出かけた。
 何か目標がないとつまらないので、一昨年だったかに橋本福夫著作集を見つけた古本屋に行くことにした。
 時おり、古本屋や探している古本がぼくを呼んでいるような気がすることがあるが、きょうはそのような予感はまったくなかった。

 そして行ってみると、やはり探している本は何もなかった。
 店頭に45回転のドーナツ盤が置いてあったので、弘田三枝子の “ 子供ぢゃないの ” を探したがなかった。暑いので、しゃがんでじっくり探すことができなかったのだが、いつかどこかで見つかる予感がしている。
 そのかわり、ジョニー・ソマーズの “ ワン・ボーイ ” が100円で出ていたので買った。
 「ワン ボーイ あなたと ふたりなら ♪ ~」と日本語の歌詞のほうが思い浮かぶのだが、中尾ミエあたりが歌っていたのだろうか。
 盤面にキズがないか心配だったが、帰宅してかけてみると、音は経年劣化していたものの、最後まで難なく聞くことができた。古いレコードは少し音が悪いくらいのほうが懐かしくてよい。

   

 ジャケットの裏の高崎一郎の解説によると、この曲は、「内気なジョニー」「素敵なメモリー」に次ぐ彼女の3枚目のシングルで、1941年生れの彼女が今年22才とあるから、1963年発売なのだろう。シングル盤330円の時代である。
 ミュージカル “ バイバイ・バーディー ” の挿入歌で、アメリカでは1960年に発売されたが、アン・マーグレット主演の同名映画の公開にあわせて、1963年にアメリカで再発売されたとある。

     

 ついでにもう1冊、原武史の「大正天皇」(朝日選書)も100円で買ってきた。
 現在ぼくは近親婚をめぐる迷宮をさまよっているのだが、もともとは森達也の「千代田区一番一号のラビリンス」を読んだことから、迷宮入りしたのであった。
 現上皇から昭和天皇、大正天皇、そして明治天皇と遡り、一方で粟屋憲太郎「太平洋戦争への道」などに逸れているうちに、現地点にたどり着いたのである。原の「大正天皇」は後に文庫本になったものを図書館で借りてすでに読んだが、手元にあってもよいと思う内容だったったので、断捨離の流れには逆らうが買ってしまた。

 裏表紙の内側に、大泉学園駅前にあった英林堂書店の2001年5月18日の日付のあるレシートが挟まっていた。英林堂もすでに閉店して久しいが、店主はお元気だろうか。

 暑くて疲れたので、帰りは電車に乗って帰った。

 2023年5月4日 記

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“迷宮グルメ 異郷の駅前食堂”(J;テレ 10ch)

2023年01月03日 | テレビ&ポップス
 
 1月2日(火)、19時~24時、J -;テレ(地上波10ch)で、ヒロシの “迷宮グルメ 異郷の駅前食堂” が5話連続で新年特集をやっていた。
 お気に入りの番組なので、忘れないように年末からスケジュール帳にメモしておいて、5時間ぶっ通しで全部見た。すでに放映されたものの再放送だったので、見覚えのある駅前もあったが、やっぱり面白かった。

 昨日はアジア編は香港と釜山、ヨーロッパ編はスロベニア、ポーランドとトルコが舞台だった。
 香港では、海外取材番組にはありえないような小汚い場末の路地裏を歩いたりもするのだが、それでも味があって良かった。旅人はヒロシでなければだめだろう。
 食堂で彼が食べるものは、ぼくには苦手そうなものが多かった。テレビでは味は伝わらないから気にならない・・・と言いたいところだが、台北の寧夏夜店(?)で食べた(本当は注文したけれどほとんど食べられなかった)微妙な味の牡蠣料理などを思い出した。

     
      

 「せわしない番組増えたこの時代 結構大人に見てほしい」という番組のキャッチ・コピーもいい。
 ぼくらのような小さい頃から草創期のテレビで育った老人には、最近のテレビ番組はドラマだけでなく、芸人のひな壇番組も素人番組も、何から何まで面白くない。CMの入れ方なども視聴者をバカにしているようで、かえってスポンサーやその商品が嫌われると思うのだが。
 「せわしない番組」増えたというより、「つまらない番組」増えたこの時代、である。もうテレビ局の現場には、テレビ第一世代を覚えている人間さえいなくなってしまったのだろう。

 再放送でも、再々放送でもいいから、“迷宮グルメ 異郷の駅前食堂” は “世界ふれあい街歩き” のように、いつまでも延々と放映してほしい。

 2023年1月3日 記

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“ 迷宮グルメ 異郷の駅前食堂 ”

2022年11月16日 | テレビ&ポップス
 
 11月16日(水)午後8時~9時、地上波(10ch)J-テレで、ヒロシの “迷宮グルメ 異郷の駅前食堂” を見た。

 いよいよ見るべき番組がなくなってきてしまった地上波で、ぼくが定期的に見ている数少ない番組の1つである。
 1時間番組で、半分がヨーロッパの旅、半分がアジアの旅である。
 「ヒロシです」のヒロシが(苗字は何というのだろう?)、一人で鉄道旅をしながら、田舎の駅で下車して、駅前を歩きながら地元料理を出すレストラン(駅前食堂)を探して、地元料理を食べる。それだけの番組である。
 ヒロシの茫洋(ヌーボーか)とした雰囲気がいい。「せわしない番組増えたこの時代、それこそ大人に見てほしい・・・」というJ-テレのキャッチ・フレーズにぴったりの番組である。

 きょうは(2018年の再放送だったが)、スロベニアの何処だかの駅で下車して、歩きまわってようやく牛レバーの炒め料理にありついていた。
 テラス席で食べていたのだが、途中でにわか雨に降られ、しかし食べ終わるころにはもう雨はやんで、青空がのぞいていた。虹でも出そうな空模様だった。
 番組の終わる直前に、「これだから駅前食堂(迷宮グルメだったかも)はやめられない!」とヒロシが言っていたのだが、番組は打ち切りになってしまうらしい。
 残念なことである。また一つ見る番組がなくなってしまった。残るはBS-NHKでやってる六角精児の「呑み鉄本線 日本旅」くらいになってしまう。

 これからはどうやって時間を過ごせばよいのだろうか。

 2022年11月16日 記

      

 数日前の散歩で通りかかったときには黄葉をたたえていた銀杏が、2、3日前の夜の強風で、きょう通りかかると、ほぼ枯れ木になってしまっていた。

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桜田淳子「眉月夜」ーーラジオ深夜便

2022年04月15日 | テレビ&ポップス
 
 「けさ」というか「ゆうべ」というか、4月15日午前3時40分すぎに目が覚めてしまい、ラジオをつけると、NHKラジオ深夜便から桜田淳子の曲が流れてきた。

 今朝のパーソナリティーは村上里和さんで、3時台は「桜田淳子特集」だった。2時から12曲かかったらしいが、ぼくが聴きはじめたのは終わりから3曲目だった。この曲と次にかかった曲は、桜田淳子らしいあまり上手いとはいえない歌だった。
 ところが最後にかかった「眉月夜」という曲は、ぼくは初めて聞いた曲だったが、すごくいい曲だった。朝起きてから調べると、小椋佳作曲、茅野遊作詞、1983年のリリースで、桜田淳子の歌手として最後の曲だという。1983年はぼくが脱サラした年、桜田淳子どころではなかったのだろう。
 曲も歌詞も、そして桜田淳子の歌い方もいい。歌も随分上手になっていた。
 ぼくは「眉月夜」なる月がどんなものなのか知らないが、おそらく眉のような形をした細い月がうっすらと夜空を照らしている夜なのだろう。

 山口百恵の「さよならの向うへ」に匹敵するとぼくは思ったが、そうはならなかった。何と言っても曲名が悪い。多くの人にとって「眉月夜」では何のイメージもわかないだろう。小椋佳が歌うのならともかく、桜田淳子の歌手生活最後の曲の題名としては可哀そうすぎないか。歌がいいだけにもったいない。
 桜田淳子が再デビューするということが話題になってからも既に10年以上経つけれど、再デビューは実現していない。村上里和さんが、あの穏やかな声で(この夜かかった桜田淳子の曲を)「子どものころに聴いた懐かしい歌」と語っていたが、そういう人々の思い出の中で生きるのもいいではないか。
 
 ※ 冒頭の写真は、数か月前に、偶然ノートの中から出てきた桜田淳子の下敷き。エスエス製薬の宣伝用と記憶していたが、グリコのコメッコの宣伝用だった。裏側は1977年4月から1978年3月までのカレンダーになっている。

 実は、田中茂範「文法がわかれば英語はわかる!」をノートを取りながら読もうと思って、下敷きを探していたら、この下敷きが出てきたのである。
 この本の中に、 “I' d ~” と “I used to ~” の違いについての説明で、“I' d listen to the radio.” と “I used to listen to the radio.” という例文が出てくる(72頁)。“I would ~” は過去を懐かしむ気持ちを表し、“I used to ~” は過去と現在で状況が異なることを表している、“I used to ~” の場合は現在では「~」をしていないのに対して、“I' d ~” の場合は現在でも「~」をしているかもしれないと説明がある。
 この例文は、カーペンターズ「イエスタデ―・ワンスモア」の “When I was young, I' d listen to the radio waiting for my favorite song. ” という1節が出典(?)ではないかと思う。
 知り合いの英語教師から聞いた話だが、生徒たちに英文を暗記させるには15ワードの文章がもっとも適切であるという英語教育学の知見があるそうだ。この知見を聞いた時にまっ先にカーペンターズのこの1節が思い浮かんだ。数えてみるとまさに15ワードだった。
 同時に思い浮かんだ、ピーター,ポール&マリーの「500マイルも離れて」の “If you miss the train I' m on, you will know that I have gone.” もぴったり15ワードだった。中学生だったぼくが50年以上経った今でも覚えているのだから、「暗記例文=15ワード」説はかなり信憑性が高いのではないかと思う。

 2022年4月15日 記

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「卒業写真」と「なごり雪」

2022年03月17日 | テレビ&ポップス
 
 春、3月は別れの季節である。

 ぼくが大学を卒業したのは1974年3月。
 3月25日が卒業式だった。
 翌3月26日、ぼくはゼミの1年下級生(ぼくは1年留年した5年生だった)に頼まれて、大学に卒業証明書を受け取りに行った。
 前の夜から東京にはまさに季節はずれの雪がふり、山手線原宿駅の車窓から眺める明治神宮の森や代々木体育館も雪化粧をしていた。
 心の中で「なごり雪」が流れていた。
 その時に聞いたのは伊勢正三の「なごり雪」(1974年リリース)だったのだが、ぼくの記憶はイルカの「なごり雪」とともにある。イルカ版の「なごり雪」は卒業翌年の1975年10月の発売だから(クラウン・レコード、PANAM ZP-10、600円)、ぼくの記憶には混同がある。

   *   *   *
 
 ぼくは卒業式には出席しなかった。
 そもそも卒業式があったのかどうかも記憶にない。ただ卒業(式)当日の夕方に、ゼミの仲間が大学に集合して、先生も交えて新宿の街に繰り出したことは記憶にある。先生の希望でダンス・ホールに入った。
 フロア係に案内されて席に向かう通路を、先生はタンゴだかジルバだかのステップを踏みながら進んだ! 
 先生は大正13年生まれ、復員後の昭和22年に大学を卒業された方だったから、社交ダンス、ダンス・ホール世代だったのだろう。
 彼女は光沢のある真っ青のドレスだった。

 卒業アルバムなどというものも作らなかった。少なくともぼくの手元にはない。大学側のイニシアティブで作ってくれるような時代ではなかったし、学生側で卒アル製作委員会ができるような時代でもなかった。
 だけど、ハイ・ファイ・セットの「卒業写真」(東芝EMI、ALFA、EXPRESS、ETP-20095、発売年月日不詳、500円)は好きな曲だった。
 「通った道さえ 今はもう 電車から見るだけ ♪ ♪」で思い出すのは大学ではなく、なぜか中学校である。中央線の西荻窪駅と荻窪駅のちょうど真ん中あたり、南側の遠くに天祖神社の欅の木立が見えるのだが、「卒業写真」を聞くと住宅街の中、中学校の隣りにあったあの神社の欅を思い出す。

 先日、高校時代の同級生が4人集まって小さなクラス会をやった。その中の1人が定年後は娘さんの嫁ぎ先のある福岡に引っ越してしまうというので、送別会をかねて集まった。
 最後に会ってから40~50年ぶりの再会だった。
 みんな姿かたちは年齢なりになっていたが、声としゃべり方は昔のままだった。性格も変わっていなかったように思う。

 2022年3月4日 記
 --ウクライナがあんなことになっているのに、のん気に卒業写真でもないだろうと自粛してきたが、あちこちの学校で卒業式が行われた今日、結局投稿することにしてしまった(3月17日)。

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“刑事ダルグリッシュ” (560ch ミステリー・チャンネル)

2022年03月10日 | テレビ&ポップス
 
 ミステリー・チャンネル(BS 560ch)で “刑事ダルグリッシュ” を見た。
 第1話から第3話まで、午後4時から9時半まで6時間近くぶっ通しである。北京オリンピックが終わって、時間をつぶすネタが切れたところだったのでちょうど良かった。

 表題は “刑事ダルグリッシュ” だが、作品中の字幕では “ダルグリッシュ警部” となっていた。“inspector” と呼ばれていたから「警部」だろう。
 10年ほど前にも他の俳優による「ダルグリッシュ警部」をやっていたが、その時の主役は今回のダルグリッシュ警部よりも繊細な感じだった(過去の書き込みを探すと2006年だった。16年も前のことだったとは!)。今回の俳優がタフというわけではないが。

 1970年代の初め、サッチャー政権が誕生する頃のイギリスが舞台だが、部下の白人刑事が同僚のアフリカ系の女性刑事にむかって、「お前はシャリー・バッシ―みたいなやつだ」といった趣旨の台詞をはいていた。1970年代であることを印象づけるための場面だろうが、今なら一発アウトである。
 シャリー・バッシ―がアフリカ系だとは知らなかった。「ゴールド・フィンガー ♪」の歌声だけは聴いていたが、歌う姿を見た記憶はない。

 2022年2月21日 記

   *   *   *
   
 先日、「ダルグリッシュ警部」について書き込んだ際(上記2月21日付けの書込み)に、時代背景が1970年代の初め、サッチャー政権が誕生する頃のイギリスだったため、ダルグリッシュ警部の部下の白人男性刑事が、同僚のアフリカ系女性刑事にむかって、「お前の母親はどこの出身だ?」、「お前はシャリー・バッシ―みたいなやつだ」といった趣旨の台詞があったことを紹介し、「1970年代であることを印象づけるための場面だろうが、今なら一発アウトである」と書いた。

 ところが、イギリス警察では、2020年代の現在でも、警察官によるそのような差別はなくなっていなかったようだ。
 東京新聞2022年3月7日の夕刊に、ロンドン警視庁初めての女性警視総監が、警察内部における差別事件の続発の責任を取って辞任することになったという記事が載っていた(上の写真)。
 
 「英警察 はびころ差別文化ーー現職警官が女性殺人、組織内ハラスメント」というその記事によると、コロナ禍のロンドンで、現職警官がコロナ規制違反名目で女性に手錠をかけて拉致し、レイプの上に殺害した事件が起き、さらにその被害者の追悼集会に集まった人たちをコロナ規制違反で逮捕し、献花を踏みにじったという。
 その他にも、アフリカ系女性の遺体写真を撮影してSNSで共有したり、同性愛者連続殺人事件を事件性なしとしたり、警察官の女性蔑視、黒人・イスラム教徒、障害者、同性愛者らへの差別的言動が横行していることなどが内部調査で発覚したという。

 現在のロンドン市長はパキスタン系だが、彼は子どものころから父親に「警官と目を合わせるな、彼らに口実を与えるな」と教育されてきたと語っている。
 イギリスのテレビ・ドラマの世界では、インド系の警察署長や、アフリカ系の女性刑事などが活躍しているが、現実はそんなに甘いものではないようだ。
 悪徳警官はテレビ番組にも時おり登場するが、警察内部の差別文化がこれほどのものだったとは知らなかった。ぼくは、武器を携行しないイギリスの警察システムとその警察官を尊敬していたのだが・・・。

 2022年3月10日 追記

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六角精児の“呑み鉄本線 日本旅”

2022年03月08日 | テレビ&ポップス
 NHK-BS プレミアム(BS104ch)の “六角精児の呑み鉄本線 日本旅” は最近では数少ないぼくのお気に入りのテレビ番組である。
 不定期のため、いつ放送されるのか分からず、しょっちゅう見逃がしてしまう。

 きのう3月5日は午後3時から放送されることをNHKの番組予告で知っていたので、スマホのスケジュールにメモしておいたので、見逃さないで見ることができた。

 昨日は、福井から九頭竜川をさかのぼり、途中でタクシーに乗って長良川本線を美濃太田に至る旅だった。
 福井、岐阜はあまり縁がない土地なのだが、六角さんが旅すると行って見たくなる。とくに沿線の桜がきれいだったので、行くなら桜の季節だろう。しかし桜は毎年満開の時期が違うから、行くとしても日程を組むのが難しい。
   

   *   *   *

 何か月か前の「呑み鉄」で、六角さんは、近江鉄道に乗って彦根を旅していた。
 彦根は、ぼくの父方の祖母の出身地であるが、一度も行ったことはない。
 途中どこかの駅で下車して造り酒屋を訪ねていたが、そこの街並みが古き良き日本が残っていて印象的だった。父方祖父の出身地佐賀の嬉野とともに、生きているうちに一度行ってみたいと思った。

 滋賀県は堤一族の出身地で(近江商人)、近江鉄道の車両も懐かしい西武鉄道の旧車両を改装したものだった。
 西武は、軽井沢ではプリンス・ショッピングモールやプリンス・ホテルで命脈を保っているが、苗場や万座のスキー場やプリンス・ホテルは売却されると報じられていた。「奢れる者も久しからず」である。
 彦根には、近江鉄道以外にも何か西武の面影は残っているのだろうか。 

 日本のあちこちに、一度も行ったことがなく、しかしぜひ一度は行っておきたい場所がまだまだたくさんある。

 2022年3月7日 記

 --ウクライナがロシアに侵略されているときに、何を呑気なことを言っているのだ、と躊躇があったが、書いてしまったので送信することにした。平和であることが如何に有難いかを痛感させられる。

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新谷のり子「フランシーヌの場合」

2022年03月05日 | テレビ&ポップス
 新谷のり子「フランシーヌの場合」(日本コロンビア発売、DENONレコード、CD-24、1969年6月、400円)は日本発の反戦歌である。

 パリの反戦デモで焼身自殺をした少女がニュースになったのだが、その少女を主人公にした歌だった。
 歌の背後に、彼女の事件を報じるラジオの音声が流れ、一部を古賀力がフランス語で歌うしゃれた曲だった。
 何の戦争に抗議した焼身自殺だったか忘れてしまったが、ジャケットの解説を読むと、ビアフラの独立をめぐるナイジェリアの内戦に抗議しての自殺だったとある。
 時は、1969年(か?)3月30日、場所はパリ、ベトナム戦争の和平会議が開かれていた会場近くの公園だった。
 ベトナム和平が決着したのは1972年だった(はずだ)から、和平までにはずいぶん長い時間がかかったのだ。

 2022年3月5日 記

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キングストン・トリオ「花はどこへ行った」

2022年03月02日 | テレビ&ポップス
 反戦歌を歌ったからと言って、戦争がなくなるわけではなかった。
 それでも、アメリカの仕かけたベトナム戦争に正義はないと思った若かったぼくたちは反戦歌、プロテスト・ソングを歌った。アメリカ人も歌った。

 キングストン・トリオの「花はどこへ行った」“Where have all the flowers gone”(東芝音楽工業、キャピトル・レコード、CR-1051、330円)。ジャケットの高崎一郎さん(なつかしい!)の解説によれば1963年のレコーディングらしい。

 野に咲く花たちは どこへ行った? という問いかけから始まり、
 若い乙女がその花を摘んで、若い男の胸に飾ったが、
 その若者は兵隊に行き、その若者は戦死してしまい、
 野に咲く花は若者の眠る墓地に咲いている、
 いつになったら人々は学ぶのだろうか、という歌詞だった。
 戦場となった草むらに、戦死した兵士のヘルメットが一つ転がっていて、銃弾で打ちぬかれたヘルメットの穴から野花が顔をのぞかせている写真が印象的だった。

   *   *   *
   

 「風に吹かれて」“Blowin' in the wind”は、ボブ・ディランの作詞、作曲だが、ぼくの手元にあったのはピーター、ポール、&マリーの「来日記念盤」と銘うった4曲入りのドーナツ盤(東芝音楽工業、ワーナー・レコード、BP-4701、500円)。「風に吹かれて」のほか、「パフ」などとともに、これにも「花はどこへ行った」が入っている。
 木崎義二さん(これまたなつかしい!)の解説によれば、PP&Mが1963年に歌ってヒットしたもので、来日は1964年らしい。ぼくは中学3年生である。

 人が人と呼ばれるまでに 人はどれだけ歩けばよいのか
 鳩が羽を休めるまでに 鳩はどれだけ飛べばよいのか ・・・
 人々の叫びが届くまでに 人はどれだけの耳をもてばよいのか
 どれだけ多くの人間が死んだら 人はその死を知ることになるのか
 友よ その答えは 風に吹かれて ・・・」
 と歌ってから、60年がたつ。

 ウクライナの悲劇に心が痛む。
 もうすでに多くの若者が亡くなり、多くの乙女や子どもたちが泣いているだろう。 
 ウクライナ人の勇気に感嘆すると同時に、あんな愚かな人間が支配する国が今日の世界にあったことが信じがたい。人間の愚かさ一般の問題ではない、一人の愚かな人間の問題である。
 今こそ、ロシア革命を!

 2022年3月2日 記

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