豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

映画『ペーパー・ムーン』

2022年04月26日 | 映画
 
 ハリウッド映画の子役といっても、「シェーン」の子役くらいしか思い浮かばないと書いたが、大変な子役を忘れていた。
 『ペーパー・ムーン』の子役、ティタム・オニールである。
 『オズの魔法使』のジュディ―・ガーランドは子役というにはやや成長しすぎの感があったが、『ペーパー・ムーン』のテイタム・オニールは当時9歳、まさに子役そのものである。

 『ペーパー・ムーン』は、ピーター・ボグダノヴィッチ監督、ディレクターズ・カンパニー製作なので(原題 “Paper Moon”,1973年)、「ハリウッド映画」の子役といえるか分からないが、パラマウント配給なので、一応はハリウッド映画ということにしておこう。
 詐欺師の父(ライアン・オニール)と娘(テイタム)が、ローカル新聞の死亡記事を見ては、遺族のお爺さん、お婆さんをだまして聖書を売りつけながら、車でアメリカの田舎を旅をするという単純なストーリー。
 舞台は偶然にも、『オズ・・・』と同じカンサス州だった。カンサス州の風景はモノクロが似合っている。

 聖書を売るお父さんに連れられた幼い少女として被害者の同情を買う共犯者なのだが、優しいところもあって、父親が騙した気の毒なお婆さんには父親に無断で代金をまけてしまったりもする。煙草までふかす生意気ぶりなのだが、子役にありがちな “こましゃくれ” 感がまったくなくて好感がもてた。「子ども」であることを要求されない役柄がよかったのだろう。
 いま思い浮かぶアメリカ映画の中で、ぼくの一番お気に入りの子役はテイタム・オニールということにしておこう。この映画以降も映画に出ていたようだが、ぼくは『ペーパー・ムーン』1作しか見ていない。もう60歳近くになっているはずである。

 主題歌も映画の内容にマッチしていた。というより、挿入曲の “It's Only a Paper Moon” というジャズのスタンダード・ナンバーから映画の題名が決まったそうだ。
 「ボール紙に書かれた紙の月でも、あなたが信じるならば、それは本当の月である、・・・あなたが愛を信じるように・・・」といった歌詞だった。
 ※ きょう『ペーパー・ムーン』のメイキング・ビデオを見ていたら、『ペーパー・ムーン』を作曲したハロルド・アレンという人は『虹の彼方に』の作曲者でもあるそうだ。舞台がカンサス州でモノクロ撮影というだけでなく、この点でも『オズの魔法使』と共通だった。なお、P・ボグダノヴィッチ監督は「カンザス」と発音していた。(2022年4月28日 追記)

 2022年4月26日 記

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映画『オズの魔法使』

2022年04月24日 | 映画
 
 ディック・モーア『ハリウッドのピーターパンたち』を読んで、「子役」という視点から古い映画をもう一度見ることにした。

 モーアの本に出てくる映画のうち、手元にDVDがあったものの中から、ジュディ―・ガーランド主演の『オズの魔法使』(原題 “The Wizard of Oz”,1939年、MGM製作、ヴィクター・フレミング監督)を選んだ(水野晴郎のDVDで観る世界名作映画10、キープ社)。
 子どもの頃に連れて行ったと亡母が言っていたが、ぼくには覚えがない。主人公の女の子が竜巻で家ごと吹き飛ばされて、愛犬と一緒に夢の国を旅するというストーリーは、大人になってからテレビで放映されたときに見て知ったが、小さい頃に映画館で見た記憶はない。
 --「赤い風船」なら小さかったころに親に連れられて見に行った記憶がある。モノクロームだった画面から、子どもが握っていた風船が突如つややかに光る真っ赤に変わったシーンが鮮明な印象として残っている。見に行ったのは虎ノ門ホールだと、これまた亡母が言っていた。

 しかし、久しぶりに見た『オズの魔法使』は、70歳を超えたぼくには無理だった。
 モノクロで撮影された冒頭のカンサスの農家の情景と、最後にドロシーが夢から覚めるモノクロのシーンは懐かしかったが、カラーで撮られた夢の部分にはついて行けなかった。1939年当時にこれだけのカラー映画を製作したアメリカの経済力には驚かされるが、今から見れば「作り物」感は否めない。小人たちの場面も違和感を禁じえなかった。
 ジュディ―・ガーランドは、「子役」というには少し成長しすぎていた。身体の線を隠すために全身にガーゼを巻かれて撮影したなどというエピソードを知った後では、なおさらである。
 中間のカラーの部分はすっ飛ばして、最初と最後だけ見た。

 主題歌「虹の彼方に」“Over the Rainbow” は良かった。
 カンサスの竜巻で家が吹き飛ばされた際に頭を打って意識を失っている間に見た夢という、この映画のストーリーと整合しているかはやや疑問だが、映画とは独立した歌としてよかった。
 ドロシー(ジュディ―・ガーランド)が最後のセリフで、“There's no place like home.” と言っていた。ドロシーには父親も母親もなく、育ててくれているのは「叔父さん」と「叔母さん」で、雇われた3人の農夫たちとともに農家で生活しているという背景も、まったく覚えがなかった。
 ドロシーの飼い犬が近所の意地悪ばあさんを噛んだために、保安官に引き渡されて殺処分されかかるという場面もあった。当時のカンサス州法ではそうなっていたのか。

 「子役」から見た映画シリーズ(?)はやめることにした。
 子役というと、ぼくには『汚れなき悪戯』のパブリート・カルボや、『自転車泥棒』や『鉄道員』の男の子など、ヨーロッパ映画の中の子役のほうが印象に残っている。

 2022年4月24日 記

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ヒチコック映画『三十九夜』

2022年01月10日 | 映画
 
 ヒチコックの映画『三十九夜』(イギリス、1935年)を見た(『水野晴郎のDVDで観る世界名作映画』KEEP)。
 昨年末に見た映画『ヘンリー八世の私生活』の解説で、1930年代当時、ハリウッド映画に席捲されていたイギリス映画がこの『ヘンリー8世・・・』で息を吹き返し、さらに(イギリス時代の)ヒチコックの『三十九夜』でイギリス映画が活気づいたと書いてあったので、見ることにした。
 そういえば、『我が父サリンジャー』に、サリンジャーが最も好きな映画がヒチコックの『三十九夜』だったと書いてあった。

 今年最初の映画である。前にも見たような気もするが、内容はまったく覚えていなかった。

 映画の原題は “The 39 Steps” で、ジョン・バカン(John Buchan)の原作も “The Thirty-nine Steps” である。何ゆえ映画の邦題だけが『三十九夜』などとなったのか。内容的には「三十九夜」でも「三十九階段」でも大した違いはないのだけれど、「夜」のほうがサスペンス的だとでも思ったのだろうか。「階段」も十分にサスペンス的だと思うけれど。
 確かにスリリングな場面は夜のほうが多かった。モノクロ撮影なので夜のほうが演出しやすいのかもしれない。

 内容は、ロンドンの劇場で知り合った女スパイから、敵国スパイ(1930年代が背景で、ロンドンの防空情報が漏れたとか言っていたからドイツのスパイだろう)に漏れた情報が敵国に伝わるのを阻止するように依頼された主人公が、依頼に応えるべく、敵に追われながらもスコットランドの僻地まで逃亡し、さらに再びロンドンに戻って、最終的には情報漏えいを阻止するというストーリー。
 数年前に旅行して気に入ったエディンバラのウェーバリー駅がチラッと出てきた。ロケかどうかは分からなかった。

 舞台がミュージックホール(劇場)での群集の騒ぎだったり、ローカル鉄道の列車内での追跡劇だったり、はたまたスコットランドの荒涼とした丘陵地帯だったり、刑事と思われた人物が敵の一味だったり、主人公が救いを求めた農家や宿屋の主人が敵なのか味方なのかがわからないなど、初期からヒチコックのサスペンス作りはうまい。
 原作では男だった登場人物を女に代えてロマンス的要素を加えたりもしている。その女がまた、敵か味方か分からない両義的に描かれている。

 ただし、主人公の俳優のメイクが凄すぎて現実感がない。こんなメイクの男が列車に乗ってきたらたちどころに怪しまれてしまうだろう。1930年代にはまだ無声映画時代のようなメイクが普通だったのか。そう言えば、ヘンリー8世を演じた俳優のメイクも同様にすごかった。ひょっとすると、イギリスでは舞台のメイクがそのまま映画界にも入ってきたのだろうか。

      

 原作は、中学か高校時代に、旺文社か学研の学年別月刊誌の付録の文庫本で読んだ。抄訳だっただろう。
 ※ きょう、中島敦の『山月記』について書き込んだ。『山月記』はたしか旺文社文庫版を持っていたはずなので、物置を探したが見つからなかった。そのかわりジョン・バカン『39階段』(創元推理文庫、1976年、140円)が出てきた。訳者は小西宏氏(ペンネーム)で、ぼくの大学院時代の先生の1人である。小西先生は本書のほかにも、創元推理文庫でE・ガードナーのペリー・メイスンものをたくさん翻訳している(『ビロードの爪』『吠える犬』『奇妙な花嫁』『義眼殺人事件』『管理人の飼い猫』などが手元にある)。本書をはじめ英語の翻訳だが、語学ができる方だったのだろう、大学院ではフランス書講読も担当しておられた。 (1月23日追記)
 
                                 

 その後、行方昭夫氏の「 retold 版でもよいから多読せよ」というアドバイスに従って、ディケンズやハーディーなどを retold 版でせっせと読んでいた時期に、“Oxford Bookworms Library” 版で読んだ(下の写真)。2008年1月2日に(何で正月早々のこんな時期に?)池袋のジュンク堂で購入している(レシートが挟んであった)。
    
 カバーの写真は映画(テレビドラマ)の主人公だと思う。
 水野氏の解説によれば、この作品はヒチコック以後2回リメイクされたとある。そのうちの1つか、テレビドラマだろう。retold 版の表紙はBBC作成のドラマの1シーンが使われることが多い。

 2022年1月10日 記
 2022年1月23日 追記

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映画『ヘンリー八世の私生活』

2021年12月31日 | 映画
 映画『ヘンリー八世の私生活』(イギリス、1933年、日本未公開)を見た。アイ・ヴィー・シー(IVC)のDVDで。
 今年の9月頃に、イギリス熱が高まっていた時に買ったまま放ってあったものである。今年の映画の見収めに見ることにした。

 内容は、題名そのもの(原題も“The Private Life of Henry Ⅷ”)で、ヘンリー8世の私生活を描いた映画である。
 ヘンリー8世は生涯に6回結婚し、しかも当時のローマ・カトリック教会が離婚を禁止していたため、妻を処刑したり、国教会を設立してローマ・カトリックから離脱してまで離婚を強行したことで知られている。そのヘンリー8世の2番目の妻(アン・ブーリン)の処刑から始まって、3番目から5番目の妻との関係を描いたのちに、6番目(すなわち最後)の妻との(ようやく訪れた)穏やかな老後の夫婦生活を描いてThe End となる。

 巨漢で、大食漢で、性的に放逸だったヘンリー8世の「性生活」(このDVDの解説はそう書いている)をチャールズ・ロートンという俳優が演じている。
 とんでもない国王なのだが、この映画はその生活をあっけらかんと描いている。イギリス人が好きそうな、いわゆるピカレスク・ロマン(悪漢小説)のような描き方である。

 ヘンリー8世の公的ないし歴史的な生活はほとんど描かれていない。したがって、前に見た映画『わが命つきるとも』の大法官トーマス・モアとの関係などもまったく描かれていない。

 解説によると、ハリウッドに席捲されていたイギリス映画界の起死回生の作品だったそうで、主演のチャールズ・ロートンはこの映画で同年のアカデミー男優賞を受賞したという。ただし、国王の私生活(性生活)というきわどいテーマのために、日本では公開できなかったとのことである。

 2021年12月31日 記

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映画『わが命つきるとも』を見た

2021年08月31日 | 映画
 
 映画『わが命つきるとも』を見た(ソニー・ピクチャーズ、原題は“A Man for All Seasons”.1966年製作)。

 『ユートピア』の作者でもあるトマス・モアの生涯を描いた作品である。
 トマス・モアは庶民階級出身の弁護士だったが(祖父も父も法律家だった)、ヘンリー8世に才能を認められ大法官に任命される。ローマ教皇が禁止していた離婚の許可を得ることが国王の目的だったが、トマス・モアは最後までカトリック信仰を曲げずに、ヘンリー8世の離婚およびアン・ブーリンとの再婚を認めなかったため、かつての部下の偽証によって反逆罪で裁判にかけられ、斬首の刑に処せられてしまう。

 トマス・モアを演ずるポール・スコフィールドの演技がうまい。
 節を曲げない信仰の人であり、有能な法律家ではあるが、ただの頑固者ではなく、家族とくに娘を大事にする父親、家庭人でもあることが伝わってきた。
 なかでも、国王や枢機卿や枢密院議長(ピューリタン革命のクロムウェルの遠縁のクロムウェル)らとの会話シーンの表情がよかった。最期の断頭台で黒覆面の刑吏に語りかけるシーンもよかった。そういえば、『クロムウェル』のラストシーンで、断頭台の上のチャールズ1世を演じたアレック・ギネスもうまかった。

    

 この演技で、ポール・スコフィールドはアカデミー主演男優賞を受賞した。なおこの映画は同年のアカデミー作品賞、監督賞(フレッド・ジンネマン)、脚本賞ほかを受賞している。
 フレッド・ジンネマンは『日曜日には鼠を殺せ』の監督だが、たしか『ジュリア』も彼の監督だったように記憶する。彼の作品はこの3作しか見ていないと思うが、ずいぶん毛色の違う映画を作ったものだ。
 撮り方も随分違う。ーーと言っても『日曜日には・・・』は50年近く以前に見た映画なので、レジスタンス物という以外は、ストーリーをはっきりと覚えているわけではない。しかし、濡れたような黒を基調にしたモノクロの画面が強く印象に残っている。

 さて『わが命つきるとも』だが、初めのほうで、時の枢機卿を周囲の貴族たちが「肉屋の息子」「肉屋顔」(“butcher's face”)などと悪口を言っていたが、何と演じていたのはオーソン・ウェルズだった! (上の写真、DVD盤面のイラスト右下がウェルズ)悪役かと思ったが、トマス・モアの意見を容れて国王の離婚を承認せず最後には斬首されてしまう。
 『クロムウェル』のときは17世紀イギリス史の勉強を少しやったのだが、もう少し遡ってヘンリー8世の時代のイギリスの歴史も勉強しておいた方がより面白く見ることができただろう。ヘンリー8世の実像はもっと知っておきたいと思った。
 トマス・モアを裏切って偽証までして断頭台送りにし、後には大法官の地位に上りつめたリッチという人物などは実在したのだろうか。ちなみにヘンリー8世を演ずるロバート・ショウ(冒頭の写真の向って左側の人物)が赤毛に同色のあご髭を蓄えた小さな眼の俳優で、現代のヘンリー王子を彷彿させた。

 原題の“A Man for All Seasons”とはどういう意味なのだろう。手持ちの辞書にはこのフレーズは載っていなかった。直訳すると「全天候型の男」、season には「旬の」という意味もあるようだが「いつも旬の男」ではトマス・モアの生涯を表すには不適切である。
 映画に描かれた彼の生涯から想像するなら、むしろ「常に節を曲げなかった男」とか「いつも変わらない男」くらいのニュアンスではないだろうか。

 ネット上でこの映画に対する批評を眺めていたら、この映画について、“ ・・・ like all Zinnemann's best films this is a story of moral conflict and personal victory” と評しているのに出会った。
 そう言われてみると、ぼくが見たことのあるジンネマンの3作品は、いずれもこの評言が当たっていると思う。「ずいぶん毛色の変わった映画を撮った」ものだと書いたが、時代や登場人物の状況は異なるものの、“moral conflict and personal victory”(心の葛藤とその克服)という点では確かにぼくが見た3本の映画は共通していた。
 本作品のトマス・モアも、何の葛藤もなしにカトリック信仰に殉じて国王の離婚に反対して刑死したわけではなく、家族とくに娘の行く末を案じて本心を家族にさえ洩らすことなく、ひたすら沈黙を貫いて証言を拒否した結果として国王の離婚を承認しなかったのである(ただし妻はモアを理解しない悪妻として描かれている。史実なのかどうか)。
 
 『ユートピア』(岩波文庫、平井正穂訳)も古本を買ったきり何十年も読まないままになっているが、こんな興味深い人物、しかも法律家が思い描いた「ユートピア」となると、どんな内容なのか知りたくなった。
 今読んでいるホッブズ『リヴァイアサン』でも、この映画の中でも「法律に忠実に従う」ことがたびたび強調されている。イギリス社会に根づいた「法律」の力強さを感じる。
 ともすると政府や行政の側に流されがちなわが国の法律家、とくに物分かりの良すぎる若い法律家にぜひ見てもらいたい映画である。

 2021年8月31日 記

 ※ 『真昼の決闘(High Noon)』、『地上より永遠に』もジンネマンの作品だった。ぼくは上記の3本のほかにもう2本を見ていたことになるが、5本とも、まさに“moral conflict and personal victory”がテーマだった。『真昼の決闘』のゲーリー・クーパーも、『地上より・・・』のフランク・シナトラも、指摘されてみれば『わが命・・・』のトマス・モアと同様の境遇にあった。この評者の評言はすばらしいと改めて思った。

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映画『父ありき』を見た

2021年08月30日 | 映画
 
 小津安二郎監督『父ありき』(キープ社版、小津安二郎大全集)を見た。

 小津の『東京物語』を見たついでに、『父ありき』も見たくなった。初見の時にぼくは『東京物語』よりも『父ありき』のほうが気に入った。笠智衆も『父ありき』が好きだと語っている(笠『小津安二郎先生の思い出』朝日文庫)。
 テーマが親子関係(父子物語)だったためかもしれないし、父子がともに学校教師だったためかもしれない。舞台が信州、上田だったからかもしれない。
 前にも書いたが、上田城の石垣の上に親子が座って語り合うシーンは、上田城ではなく小諸城の石垣の上で撮影されたものだと思う。小諸城に行った時に右端の石垣の石の形で確認した。木が繁った以外は変わっていなかった。
 上田城にも行ったことがあるが、あのような石垣はなかった(と思う)。

       

 もう1つ、父子が料理屋の二階の座敷で食事をするシーン(上の写真)もぼくの好きな場面である。
 このシーンは別所温泉で撮影されたのではないかと思ったが、こちらはセットで撮影されたということだった。しかも残念なことに、息子が旧制中学生だった頃のシーン(津田晴彦)と、秋田の鉱山学校教師になった時のシーン(佐野周二)が実は同時に撮影されたなどという裏話が貴田庄さんの本に書いてあった(と思う)。

 キープ版の『父ありき』は音声が悪いのに驚いた。声がこもっていて聞き取れない台詞が多数あった。前に見たときもこんなだったのか、それともぼくの耳が当時よりさらに悪くなったのか。
 ストーリーを知っているので、弁士なしで無声映画を見るように見た。

 2021年8月30日 記


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映画『東京物語』を見た

2021年08月30日 | 映画
 
 小津安二郎監督『東京物語』を見た。
 着想を得たというアメリカ映画『明日は来らず』を見たので、『東京物語』も再見したくなった。
 「あの頃映画50’s 松竹DVDコレクション」と銘打ったニュー・デジタル・リマスター版である(松竹、2011年。公開は1953年、昭和28年)。

 前に見たのはキープ社版の古いものだったので、見苦しいとか音が聞き取りにくいというほどではなかったが、本来の1953年に公開された映画がどんな色調だったのかはわからなかった。
 今回はじめて公開時に近い状態に復元された画像、音声で見ることができた。
 やはり『明日は来らず』とは出来が違っていた。ただし、前回見たときは、妻に先立たれた笠の面倒を末娘の香川京子が見つづけてくれそうな気配を感じたが、今回見ると、香川は原節子のように自立しそうな感じがした。

       
 ※ 上の写真は、付録についていた特典の家族集合写真。このような場面は映画にはなかった。
 
 キープ社のものに比べると、ずいぶん画面が明るくなっている。とくに尾道でのロケ部分の画面が明るい。しかし、夏の尾道の暑さが表現されているかというと、あまり暑さは感じられなかった。
 酷暑といわれる夏のさなかに見たせいか、『12人の怒れる男』もそうだったが、映像から夏の暑さが伝わってこなかった。杉村春子や山村聡らがせっせと団扇を煽いでいるのだが、みんな涼しげで、かえってわざとらしく見えてしまった。
 ぼくの祖父は学校の教師だったが、暑い夏の授業の時でも背抜きの夏服の上着を決して脱がなかったという。帰宅すると、明るいグレーのスーツの背中が汗でダークスーツのように黒く濡れていたと祖母が言っていた。昭和28年のニッポンの夏はそれくらい暑かったはずである。
 『東京物語』の撮影時期はいつだったのだろうか。小津は年に1本しか撮らなかったから、いい時候に撮影したのかもしれない。

 ちなみに杉村春子だったかが使っている団扇に高峰秀子の顔写真が見て取れた。松竹の宣伝用の団扇で済ませたのか、小道具にこだわる小津らしくない。あるいは、当時のパーマ屋では松竹女優の団扇が定番だったのかも。   

 1950年生れのぼくは、笠智衆、東山千栄子、杉村春子はもちろん、山村聡、三宅邦子、中村伸郎、水戸光子など出演者はみんなテレビドラマやテレビのCMなどで知っている。ところが1954年生れの妻は、三宅邦子までは知っているが中村伸郎、水戸光子はまったく知らないという。4年違うとそんなものか。
 健在なのは(子役を除くと)香川京子だけになってしまった。
 香川京子は、数十年前の週刊誌のグラビアで、山手線、目黒駅の恵比寿寄りの跨線橋の橋の上でポーズをとった写真を見た覚えがある。親戚の家に行くときに渡る跨線橋だったので、印象に残っている。 
 橋のこちら側には「メイ牛山美容室」があり、橋の向う側にはライオン座という映画館があった。三越よりは小ぶりのライオン像が入口の脇に鎮座していた。

 2021年8月30日 記


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映画『12人の怒れる男』を見た

2021年08月16日 | 映画
 
 映画『12人の怒れる男--評決の行方』(原題“12 Angry Men”。20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン、DVD)を見た。
 「評決の行方」という副題は不要だろう。「12人の怒れる男」で陪審裁判のことが分からない人は「評決の行方」といっても分からないだろうし、「評決」だの「~の行方」だのを名のったその後の法廷映画に便乗する匂いを感じる。『12人の怒れる男』は『12人の怒れる男』だけで十分である。

 ヘンリー・フォンダの『12人の怒れる男』のリメイク版。1998年の製作らしい。
 ヘンリー・フォンダが演じた陪審員役を、今回はジャック・レモンが演じている。有罪の疑いに疑問を投げかけるジャック・レモンに対して、最後まで(証拠も論理もなく、スラムに住む移民に対する偏見から)有罪を主張しつづけて抵抗する頑固な陪審員役をジョージ・C・スコットが演じている。
 
 原作はどちらもレジナルド・ローズで、今回の映画も基本的に原作を踏襲している。ただし、前作では陪審員全員が白人の男性だったが、今回の陪審員にはアフリカ系、ヒスパニック系、イスラム系の有色人種や、東欧系の移民も入っている。
 原作が「男」(Men)となっているので、女性を入れるわけにはいかなかったのだろう。少し前までの判例法では、すべての陪審員が同一の性(男だけ、女だけ)では陪審は無効になったが、最近のジェンダー・フリーや性別の相対化(男女不問)のもとではどうなっているのだろうか?
 今回の映画では、罪滅ぼしのためか、裁判官は女性だった。
 ※ 下の写真は、原作、Reginald Rose, “Twelve Angry Men”(“Ladder Edition”, Yohan Pub. Inc., 1975)および、同著、額田やえ子訳『十二人の怒れる男』(劇書房、1982年)。
       

 ストーリーは改めて紹介する必要はないだろうが、父親殺しの嫌疑で訴追された息子に対する陪審裁判である。
 前作のヘンリー・フォンダに良心的アメリカ人の典型を見た思いを抱いてきたが、その後ヘンリー・フォンダの私生活上の問題行動を知ってしまった後では、以前ほどの感慨はなくなっていた。
 ヘンリー・フォンダが中年の精悍なアメリカ白人男性だったのに対して、今回のジャック・レモンは、年齢を重ねた穏やかだが信念を曲げない老人を好演していた。ジャック・レモンもぼくも年を取ったなと思った。
 ジョージ・C・スコットの隣りに座る陪審員を演じたアーミン・ミューラー-スタールという俳優も(有罪、無罪どちらに傾くかが読めない)両義的な役をうまく演じていて印象に残った。
 
 しかし、ぼくが一番気になったのは、イスラム系の有色の陪審員だった。
 いかにも品性が下劣で、英語も汚いらしい。喋り方や態度に品がないのは分かるが、その英語がどの程度品がないのかはぼくには分からなかったのだが、英語ネイティブの陪審員から「汚い口を閉じていろ」と怒鳴られるシーンがあったので、汚い英語なのだろうと想像した。
 まるでエディー・マーフィーが陪審員室に突然闖入してきたような演技だった。ポリティカル・コレクトの時代に、イスラム系の人間をあのように描くことが許されていることに驚いた。あるいは9・11の余波が及んでいたのだろうか。
 ひょっとすると彼が一番“angry” だったかもしれないが、ああいう態度を“angry” というのだろうかと疑問になって辞書を引いてみると、“angry” は「他人の悪いふるまいや不公平な状況などに対して怒っている状態をさす」とあり、ムカついている、カッカしているという場合は“mad”や“pissed”を、性格が怒りっぽいことを表す場合には“short-tempered”といった語を当てるらしい(ウィズダム英和辞典)。
 あの役者の怒りは後者だったように見たが、もし彼の怒りの根源がイスラム系アメリカ人に対する不公平な扱いに由来するのであれば、あれも“angry”といえるだろう。

 リメイクは本作ほどの出来栄えではないことが多い。しかし、この映画は結末が分かってしまっているのであまり期待もしないで見たのだが、時代に程よくあわせて陪審員の年齢、背景などが変更されており、陪審員間の激論も一部は改変されており、ほぼ新作と言ってもいい印象だった。
 ただし前作のようなアメリカ中西部(?)の蒸し暑さは伝わってこなかった。この作品では陪審員室のあの(気象上の)熱気が必須なのだが、本作では陪審員の来ているシャツの背中が少しずつ汗にまみれてゆくのだが、いかにも衣装係が霧吹きか何かで濡らしただけといった感じだった。

 2014年にイギリス旅行をした際も、ピカデリー・サーカスの劇場でマーティン・ショウ主演で「12人の怒れる男」が上演されていたが、英米では、陪審裁判劇(とくに「12人の怒れる男」)は定番の作品のようだ。
 英米の刑事裁判においては、「合理的な疑い」(a reasonable doubt)をさしはさむ余地がないまでに被告人が有罪であることを訴追側(検察官)が証明できないかぎり、陪審員は「無罪」(not guilty)を評決しなければならないのであるが、ごく普通の市民である陪審員の口から「合理的な疑い」という言葉が自然にしかも頻繁に出てくるところにアメリカ陪審制の強みを感じた。さっさと有罪の評決をして野球の試合を見に行きたいと思っている陪審員でさえ、検察官の主張に「合理的な疑い」が残っている限り、有罪評決ができないことは理解していた。

 2021年8月16日 記


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映画『明日は来らず』を見た

2021年08月14日 | 映画
 
 映画『明日は来らず』(原題“Make Way for Tomorrow”,1937年パラマウント映画、1937年日本公開)を見た(ジュネス企画発売DVD)。

 小津安二郎『東京物語』(松竹)はこの映画に着想のヒントを得て作られたことは有名な話だが、アメリカで製作された同じ年に日本でも公開されていたことにまず驚いた。しかも1937年といえば、日本では昭和恐慌で娘身売りなどの問題が起こり、中国との泥沼の戦争に踏み込んでいくという時代である。
 老親のたらい回しのような話も、当時の東京あたりではそろそろ現実味を帯びてきていたのだろう。小津の『戸田家の兄妹』は1941年の製作だが、『明日は来らず』と同じ老親扶養がテーマになっている。結末は、いかにも戦時中の作品だけあって、『東京物語』とは全く違う。『東京物語』は1953年の公開だから、小津はこの映画を見てから15年以上も構想を温めていたことになる。
 余談になるが、『戸田家の兄妹』が小津家の長男の嫁と二男(小津自身)の軋轢が背景にあることも多くの映画評論家が指摘するところで、小津家の長男の嫁ご本人がインタビューに答えて、この指摘を認める発言をしていた(YouTubeで見ることができる)。彼女は、小津家であのような出来事があったのは事実だが、姑(小津のお母さん)はあの映画で描かれた姑よりもっときつい人だったと語っていた。

 さて、『明日は来らず』に戻ろう。
 ストーリーは1930年代のアメリカ北部の(何州だったか忘れたが、雪が降っていた)小さな町の老夫婦の物語。夫は経理係を退職して数年がたっており、家のローンを返済できなくなり、住み慣れた家を銀行に明け渡すことになる。妻は専業主婦だったようだ。明け渡す数日前に5人の息子、娘たちがこの家に集まる。
 問題は、明け渡した後の老夫婦の居住である。息子、娘たちはそれぞれに家庭の事情があり、両親を二人とも引き取ることはできない。さし当りということで、父親は娘の家に、母親は息子の家に引き取られることになるのだが、いずれも息子家族、娘家族とうまくいかない。
 結局、夫婦は別れ別れになり、肺に病気のある父親は温かいカリフォルニアに住む娘の家に、母親はニューヨークの老人ホームに入ることになるのだが(そのことを妻は夫に告げないで息子の家に居続けるように装っている)、別れる最後の日に、二人で50年前の新婚旅行で訪れたことのあるニューヨークの高級ホテルでカクテルを飲み、ディナーをとり、ワルツを踊り、そしてニューヨーク(セントラル)駅から夫は列車に乗り込み去っていくのを、妻が見送る・・・。

 残念ながら『東京物語』のように感情移入して見ることはできなかった。
 老夫婦の性格があまりにも協調性がないように、ぼくには思えたのである。もちろん息子、娘たちやその家族にも問題はあるが、老親の側にも原因があるように描かれている。
 老妻を引き取った息子の嫁は、生活費を稼ぐためにブリッジ教室を開いているのだが、老妻はその教室に入ってきて、客たちを後ろからのぞいて「ハートがたくさんあるわね」だの「私はスペードの女王は嫌いだわ」などと持ち札をばらしてしまう。
 娘の家で風邪をひいた老夫も、娘が呼んだかかりつけの医師に対して、「お前は医者になって何年だ」とか「聴診器が冷たすぎる」などと悪態をつく。
 何でこんなシーンを観客に見せなければならなかったのか、ぼくには理解できなかった。息子、娘側の言い分にも耳を傾けて撮っているということか。

         

 上の写真は『東京物語』(松竹DVDコレクション、あの頃映画50’s)のケース。
 この老夫婦に比べれば、『東京物語』の笠智衆と東山千栄子の方が100倍好感のもてる老夫婦である。
 その老夫婦が生活に追われる息子や娘たちから冷たくあしらわれるのだから、観客の共感を呼ぶのである。しかも東山千栄子が急死してしまい、尾道に一人残された笠智衆には、面倒を見てくれる優しい未婚の末娘(香川京子)がいる。
 どちらが悲劇かといえば、おそらく『明日は来らず』の老夫婦のほうがはるかに悲劇的に思える。しかし個人主義のアメリカでは、あのような結末でも観客たちは納得するのだろう。

 老夫婦が二人でニューヨークの街中を歩くシーンや、老父が知り合いの雑貨屋主人に愚痴をこぼすシーンなど、『東京物語』にも対応する場面(上野公園での笠と東山の散歩や、笠が旧友の東野英治郎らと一杯飲み屋で息子たちの愚痴を語り合う場面など)があった。ストーリーの概略は『明日は来らず』から拝借したことは明らかだが(小津自身が語っているのかも)、作品の出来栄えは『東京物語』の方が上だろう。素人評定だが。
 なお、『明日は来らず』の脚本、監督、俳優らはぼくの知らない名前ばかりだが、唯一、音楽(の中の1人)にビクター・ヤングの名前があった。そして、ラスト近くのニューヨークのホテルでのダンスのシーンで演奏されたジャズ(曲名は知らないけどぼくでも聞いたことがあるスタンダードな曲)がいい曲だった。

 2021年8月14日 記


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映画『クロムウェル』を見た

2021年08月13日 | 映画
 
 映画『クロムウェル』を見た(原題“Cromwell”、ハピネット発売、DVD)。
 ケースに説明がないため、製作年や日本公開年は不明。“1970 Renewed 1988 Columbia Pictures Inc.”という著作権表示があるけど、1970年製作か。テーマからして日本では未公開だったのかもしれない。上映時間140分という長編。
 8月3、4日に一度見て、8月12日に再度見た。

 「アレック・ギネス&リチャード・ハリス2大名優が放つ歴史スペクタクル決定版」とケースに銘打ってある。チャールズ1世役がアレック・ギネスで、クロムウェル役がリチャード・ハリスだが、主人公のクロムウェルより、アレック・ギネスの演ずるチャールズ1世の謎めいた雰囲気が印象的だった。
 アレック・ギネスは『ドクトル・ジバゴ』でジバゴのお兄さん役を演じていた俳優で、“Sir” の称号をもつという。あの「ギネス」の一族か?

 第1回目は8月3日の夜に半分だけ見て、翌4日に残りを見た。
 予備知識は、高校時代の世界史で学んだクロムウェルおよびピューリタン革命のおぼろげな記憶と、7月に読んだ小泉徹『クロムウェル』(山川出版社)で知ったことだけだったが、小泉本で紹介されたクロムウェルの人物像に近いように役作りされているように思った。
 「神の摂理」を信じて行動する敬虔なピューリタンであるが、反カトリック、反ローマ教皇の信念もきわめて強い信仰の人、だからピューリタン信仰を守るためには国王の処刑も、アイルランド人大虐殺にも及んでしまう、というのが小泉本から得たぼくのクロムウェル像だが、この映画では観客のカトリック教徒への配慮からか、反カトリックの側面はあまり強調されていなかった。

 映画は1640年のケンブリッジから始まる。腐敗にまみれたイングランドを捨てて、家族とともにピューリタンとしての生活を送るために新天地アメリカにわたる準備をしていたクロムウェルのもとをかつての同志が訪ねてきて、議会に戻るように説得する。議会への復帰、議会と国王との対立、内戦の勃発そして議会派の勝利、国王の処刑、その後の議会との軋轢、そしてクロムウェルが護国卿(護民官)に就任するところで映画は終わる。
 信仰の人としてのクロムウェルという人物像は小泉本によって了解できたが、最初に見たときは、背景にある議会と国王の対立、議会内での議員間の対立、国王と王妃(カトリック信者)との関係など、知識不足で十分には理解できなかった。
 とくに内戦の実戦場面では誰と誰が対戦し、画面のどちらが国王派でどちらが議会派なのかすら分からなかった。

 そこで、「イギリス内戦の原因の歴史」という副題のついたホッブズ『ビヒモス』を読み終えた今日(12日)の夜、再び全編を通して見た。さすがに2回目の今回はよく理解できた。むしろ事実関係や人間関係が省略され過ぎていて(例えば議会派のアイアトンがクロムウェルの娘婿であることなどは省略されている)、話が飛んでしまってついて行けないところがあった。
 イングランド国王であるだけでなく、イギリス国教会の長でもあるチャールズ1世が、カトリックのアイルランドばかりでなくフランスとまで密約を結んで議会軍=クロムウェル軍を鎮圧しようとしたことを知って、クロムウェルは国王を大逆罪で裁判にかけることを決意し、その結果王は処刑されるのだが、このアレック・ギネス演ずるチャールズ1世が不思議な存在をもって描かれている。下の写真は、処刑前に家族(二男と娘)に別れを告げるチャールズ1世(アレック・ギネス)。

       

 軍事に長けた迫力ある国王としても、専制君主としても描かれていない。どちらかといえば軟弱な風情である。しかし最初に見たときも今回も、クロムウェルよりも、クロムウェルをはじめとする議会派との交渉、そして裁判と処刑場に至る場面などのチャールズ1世(というかアレック・ギネス)の表情ばかりが思い出される。
 公開処刑場における態度に威厳があったため、「殉教者」として庶民の評価が高まったと山川の高校教科書にまで書いてあったように記憶するが、威厳というより飄々としてちょっと旅にでも出かけるような演技であった。アレック・ギネスのメイクは、教科書などに載っていたチャールズ1世の肖像画に似ていた。
 ※ 下の写真は、宮殿前の処刑台を取り囲む民衆たち。教科書に載っていた断頭台の挿絵(当時のもの)を思い出させる。

       

 議会の主権を尊重したいと思いながら、利権をむさぼる腐敗議員の跋扈する議会に失望して、クロムウェルが議会を解散するところで映画は終わっている。タイトルバックには、どこかの会堂で眠るクロムウェルの遺体と、「我は王に非ず、ただ神のみが王である」という彼の言葉が記されたプレートが写されていた。

 2回目は、ホッブズ『ビヒモス』を読み終えてから見なおしたのだが、ホッブズがどうしてあそこまでチャールズ1世を評価し、議会派を批判するのかの一端を体感することはできた。

        

 クロムウェルについては小泉『クロムウェル』でおおむね理解していたが、チャールズ1世の評価は分からなかったので、家にあった中公ホームスクール版『世界の歴史(4)』で確認すると、チャールズ1世は「謹厳、まじめ、柔和」な人物で、立派な容貌をし威厳にみちていた、美術愛好家でもあり、王子にはよき父、王妃には忠実な夫だったが、洞察力とユーモアを欠き、来たるべき大嵐にはまったく無防御だった、とある(208頁)。
 誰の評価かは書いてないが、アレック・ギネスは、チャールズ1世をまさにそのような人物として演じ切っていたと思う。

 2021年8月12日 記


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『フォレスト・ガンプ』を見た

2021年08月06日 | 映画

 映画『フォレスト・ガンプ――一期一会』(パラマウント、1995年日本公開、同年アカデミー賞作品賞受賞)を見た。「一期一会」は不要だろう。 

 バス停留所のベンチに座ったトム・ハンクスが隣りに座った人に向かって自分の生い立ちから現在までを回想して語る、朗読劇に画がついているような映画。
 アメリカ映画の文法(そんなものがあるのかどうか分からないが)に従ったいい映画だったと思う。
 障害をもつ子が出てきて、気丈な母親が出てきて、奇跡の回復が出てきて、しかし不治の病いも出てきたり、サクセス物語が出てきたりもする、そして主人公とヒロインとの純愛も出てくるという、典型的なheart-warming映画である。

 足の不自由だった男の子フォレスト・ガンプ(後のトム・ハンクス)がスクール・バスに乗ると、みんなが意地悪をして座席に座らせない。一人だけかわいらしい少女ジェニーが自分の隣りに座らせる。 
 フォレストのジェニーへの愛を縦糸に、フォレストの大学生活、軍隊生活、実業家としての成功など彼の経験が横糸となってストーリーが展開する。
「霧のサンフランシスコ」など1970年代のポップスやニュース映像(ケネディ、ニクソンから毛沢東まで)も登場する。ぼくらには懐かしいシーンである。

 思春期に見ていたら、通学のバスで毎日乗り合わせる武蔵野女子学院の女の子の向うにジェニーを思い浮かべて、声をかけていたかもしれない。

 2021年8月6日 記

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『騙し絵の牙』を見てきた

2021年03月31日 | 映画
 
 2021年3月30日、映画『騙し絵の牙』(松竹、2021年)を見てきた。
 TージョイSEIBU大泉シネマ。

 練馬区の高齢者生き生き健康券(?)というのの期限が3月31日までだったので、慌てて出かけた。65歳以上の練馬区民なら、年間映画を3本まで1000円引きで見ることができる。今回はシニア1200円のところを200円で見ることができた。
 この1年間で、『82年生れ キム・ジヨン』というのと、芦田愛菜の『星の子』を見たのだが、その後はあえて見たい映画がなくて困っていたのだが、先週末から『騙し絵の牙』が上映されることになり、出版社が舞台のドラマだというので、元編集者のぼくとしては、ようやく食指を動かされる映画に出会うことができた。

           

 舞台は、老舗の文芸書出版社の編集部。100年の歴史を誇るオーナー経営の出版社という設定だから、モデルは講談社か新潮社といったところか。先代社長の御曹司が「これたかさん」=惟高さん(?)というあたりは講談社を思わせる。
 他社の雑誌編集部から、この会社にやってきた情報誌の編集長(大泉洋)と、部下の若い編集者(松岡茉優)が主人公。松岡は、同社お抱えの作家(国村隼。モデルは誰だろう、彼かな?)の不興を買って文芸誌から情報誌の編集部に異動させられる。しかし、新人作家を見抜く眼力を大泉に認められれて活躍するのだが、やがて社内抗争に巻き込まれてゆく・・・、といったストーリー。

 出版社というか出版業界の内幕ものとしては、筒井康隆の『大いなる助走』のほうがはるかにリアリティもあって、ぼくには面白かった。編集会議における作品や作家をめぐる議論なども、『大いなる助走』に比べれば浅いが、この映画のよいところはアクションが多く、展開のテンポがよいところ。2時間弱を飽きさせなかった。
 ただし年寄りにはBGMの音楽がうるさかった。音楽といえば、ピアノの新垣隆も出ていた。ぼくはこのピアニストのキャラが好きである。「交響曲広島」騒動は売名行為かと思ったが、まったくそうではなかった。
 松岡茉優という俳優はテレビのCMでしか見たことがなく、期待もしていなかったが、まずまずの演技を見せていた。大泉洋や佐藤浩市らのエキセントリックな演技に合わせて、テンション高く青臭い役柄を演じていた。
  
     

 ぼくが月刊誌の編集者時代に毎月2、3日間、時には徹夜で出張校正に出向いた板橋、小豆沢の凸版印刷の倉庫が映っていて、懐かしかった。
 ぼくが編集者をやっていた1970年代当時は、ゲラの出るのが遅かったり、印刷所の担当者とトラぶったり、遅筆の筆者の原稿が出張校正ぎりぎりまで入らなかったりで、毎月やきもきさせられたのだが、今となれば懐かしい。
 まだ活版印刷の時代だった。植字工の人が活字を拾って組む現場を、凸版の近くの東洋印刷に見学に行ったりもした。弁当箱のような木箱に、左右逆向きの活字を一本ずつ詰めていく作業である。改行が必要になる加筆などされようものなら、改めて詰め替えなければならない。
 あまり頻繁にゲラ刷りに大幅な加筆をする筆者に、いかに作業現場が大変か知ってもらうために、印刷所に連れて行き、現場を見てもらったこともある。それでもその先生はまったく反省することなく、その後も校正刷りに加筆をしつづけた。現在ではどんなに加筆されても、パソコンで簡単に行送りができるようになったが、植字の仕事はもう廃れてしまっただろう。今でも活字で組版をやっている印刷所はあるのだろうか。
 
 松岡の実家は、武蔵小金井で高野書店という昔ながらの小さな書店を経営している。この小さな書店の娘が主人公という設定もよかった。
 ぼくは現役の教師時代、週に1日、クルマで川崎市にあるキャンパスに通っていたが、途中の京王線布田駅のすぐ西の踏切を渡らなければならなかった。今では線路は地下化されて踏切はなくなったが、当時の京王線の踏切は朝の通勤時間帯は開かずの踏切で、いつもイライラさせられた。
 ある雨の朝、その布田駅踏切の北側で、いつものように踏切待ちで停車していたときのことである。
 道路沿いに間口一軒ほどの小さな書店があったのだが、黄色のレインコートを着た2、3歳くらいの女の子が、傘をさした母親に手を引かれてやってきて、書店の店頭に置かれた「めばえ」か何かを買ってもらって、お母さんに手を引かれて雨の歩道を甲州街道の方に遠ざかって行った。開かずの踏切に苛立っていたのだが、いい光景を見たことで気持ちが和んだ。
 その後、その書店は閉店してしまい、閉じられたシャッターに閉店の挨拶が貼られたままになっていた。通るたびに寂しい思いがした。あの女の子も小学校高学年か中学生くらいになっただろう。本好きの女の子になっただろうか。今はどこで本を買っているのだろうか。

 大泉と松岡の会話の中で、出版社の近くにかつては銭湯があったと語っているシーンがあった。ぼくが務めていた信濃町(地番は左門町)の小さな出版社の近くにも銭湯があり、ゲラが出ないで待たされている夕方に、風呂に行く編集者もいた。
 あのシーンの意味は何なのだろう。松岡が銭湯があったことを覚えているエピソードが編集でカットされたのだろうか。

 ぼくが元編集者だったことを割り引いても、この映画は面白かった。
 高齢者生き生き健康券で見た3本の映画のなかでは一番良かったし、それ以外に見た「パラサイト」や、数年前に見た山田洋次の「小さなお家」や、家族を描いた最近の映画よりもよかった。
 個人的には、徹底的に「活字」にこだわり、「本」にこだわり、小さな「書店」にこだわってほしかった。出版社もあんな現代的な本社ビルをもつ会社ではなく、小津安二郎の映画に出てきそうな、小さくて古びた社屋の出版社だとよかったが、残念ながらそういう方向では描いてくれなかった。
 でも、現在の出版社はあんなことになっているのだろう。部数が何ぼ、広告料収入が何ぼ、の世界、書店ではなくamazonなどネットでの販売が主流となり、大泉のような編集者が跋扈する業界。文芸誌編集長の佐野史郎を戯画化して演出するあたりに、部数を出した情報誌の編集長側に立った脚本家、監督の立ち位置が窺える。しかし、アンアン、ノンノ、マガジンハウスあたりから始まったかつての情報誌の隆盛も、最近ではネット上での情報流通に負けて陰りがあるという。

 本が好きで、本にしか興味がなく、就職の時には迷わず出版社を選んだぼくとしては寂しい思いが残った。まだ日本の出版界にブロックバスター時代が到来する前の1980年代初頭に出版社をやめて、教師に転職したのは正解だったな、と思わせる映画だった。

    *   *   *

 T-ジョイ大泉の館内には、先日のテレ東「アド街ック天国 大泉学園」でも紹介されていた高倉健と吉永小百合の腕(+手)のブロンズ像が飾ってあった。テレビを見るまでは気づかないで素通りしていた。ハリウッドの路上にある俳優たちの手形を真似たのだろうが、ハリウッドのほうがよい。
 現地に行ったとき、ぼくはソフィア・ローレンの手形にぼくの手を合わせてみた。ソフィア・ローレンと空間を共有している気分になった。

    

 2021年3月31日 記


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『ドクトル・ジバゴ』(NHK・BSプレミアム)

2021年01月29日 | 映画
 
 きのうの午後、NHKのBSプレミアムで “ ドクトル・ジバゴ ” をやっていた。
 デビット・リーン監督、オマー・シャリフ、ジュリー・クリスティー主演、モリス・ジャール音楽のほうである。

             

 ちょうどその頃、東京でも雪が舞っていて、季節にふさわしい映画を見た。
 東京の雪景色の写真も添えようと思っていたが、あまりきれいな雪化粧にはならなかったので、断念した。
 東京でも、もう一回くらいは雪が降ってくれることを期待しておこう。

             

 残念ながら、このシーンは、確かスペインで撮影されたもので(!)、しかも雪は人工雪だったか、どこからか運んできた雪だったはずである(メイキング・ビデオによれば)。 
 
 今回は、ラストのモスクワでのララとジバゴのすれ違いのシーンや、叔父(ジバゴの兄)と姪(ジバゴの娘)がダムの工事現場で出会うシーンも、あまり違和感を感じなかった。
 叔父を演じた俳優は、何とかギネス卿と、貴族の称号がついていた。

 2021. 1.28 記


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『星の子』--というか芦田愛菜を見てきた

2020年10月23日 | 映画
 
 また昨日も「いきいき健康券」(!)を使って、近所の映画館、T-JOY SEIBU 大泉で『星の子』を見てきた。
 「芦田愛菜ちゃんが出ている映画をやっているよ」というので、それだけの理由で見に行くことにしたのである。

 10年近く前だろうか、彼女が子役でテレビに出ていた頃から、子役特有の「こまっしゃくれ」感がなかった。            
 その後、10年を経て、サンドイッチマンと一緒に出ているテレビ番組を毎週見ているうちに、彼女のファンになった。
 彼女が出ているなら、というだけで出かけたのだが、見る直前になって、どんなストーリーの映画なのかを全く知らないでいることに気がづいた。
 映画館への道すがらで、初めて『星の子』の内容を女房から聞いた。ちょっと不安がよぎった。

 不安は的中した。
 もう仕方がない。ひたすら、大きなスクリーンに大写しになる彼女の表情を凝視しつづけて凌いだ。幸いほとんどの場面に芦田愛菜ちゃんが出ているので、それで足りる。
 賢そうな眼差し、けっこう肉感的な口びる、親しみを感じる小鼻・・・。中学1年生くらいにしか見えない小柄な制服姿とその歩き方。

 泣いている表情が上手だった。「嘘泣き」を感じさせなかった。
 芦田愛菜ファンなら見られるだろう。40年近く前のことだが、松田聖子の『野菊の墓』でも松田聖子ファンなら耐えることができたように。 

             

             

 T-JOY SEIBU 大泉は正面入り口に飾られた現在上映中の映画のポスターは10枚すべて『鬼滅の刃』、館内のポスター類も『鬼滅の刃』一色である。
 『星の子』も、『82年生まれ キム・ジヨン』も1日2回だけの上映に減らされてしまっていた。
 イートイン・コーナーに12月公開のポケモンのディスプレイが飾ってあった。

             

 2020年10月23日 記


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映画 『82年生まれ キム・ジヨン』

2020年10月15日 | 映画
 
 『82年生まれ キム・ジヨン』 を見てきた。

 出かけたのは、近所の映画館<T-ジョイ>。現在の正式名称は(上の写真のネオンサイン?によれば)「T-ジョイ SEIBU 大泉」というようだ。 
 出かけたきっかけは、練馬区の地域包括支援センターで給付している「令和2年度 いきいき健康券」(!)をもらったからである。65歳以上の練馬区民は、練馬区内の映画館で(といっても大泉のT- ジョイか、豊島園の映画館(豊島園に映画館があるらしい)の2館しかない!)、1回につき1000円割引で、年度中に3回映画を見ることができる。
 「健康券」プラス200円を払って、チケットを購入して入場。

             

 映画館で映画を見るのは、数年前の『小さなお家』以来である。
 コロナが収まらないので恐る恐るだったが、午後7時からの回は、われわれを含めて観客はわずか8名。ガラガラで飛沫感染の心配はなさそうだった。ぼくを除いて全員が女性だった。しかも(うちの女房を除けば)みんなキム・ジヨンよりずっと若い世代の女の子だった。

 6時55分開演なのに、7時10分ころまで延々と近日公開予定映画の予告編がつづく。どれもこれも見る気を起させない予告編ばかりだったのでうんざりする。しかも音量が凄まじい。さすがの耳が遠いぼくにもうるさい。今の人たちはあんな音量が平気なのだろうか。
 YOUTUBUでみる小津安二郎「秋刀魚の味」や「彼岸花」の穏やかな予告編が懐かしい。

             

 ようやく館内が真っ暗になり、『82年生まれ キム・ジヨン』 が始まった。
 1982年生まれの韓国女性が受けてきた差別がテーマだが、今もつづく儒教的因習に基づく差別と、もっと現代的な働く女性に対する差別とが混在する。
 盆暮れ(?)には夫の実家に帰省することを当然視する夫への不満、帰省した息子の妻に家事労働を半ば強制する姑や小姑への不満などは儒教的因習への怒りであり、子育てしながら広告製作会社でキャリアを積もうとする主人公に対する上司や同僚による差別やセクハラなどは後者への怒りであろう。夫が育児休業をとろうとすると、「夫の出世を妨害するのか」と妻の実家に電話して怒る夫の母親などは、両者が混ざっている。
 
 キム・ジヨンの実家は、女4人(3人だったかも?)姉妹に末っ子の弟1人のきょうだいで、現在は母親が食堂を営んで家計を支えている。母親(この俳優は韓流ドラマでよく見かける人で、この人の演技力が光っていた※)自身も、弟たちを大学に通わせるために、教師になる夢を捨てミシン工場で縫製の仕事をして家計を支えた経歴を持っている。それだけに、娘には好きな仕事を続けてほしいと願っている。
 父親は空威張りするだけで権威はない。末弟も姉たちの言いなりである。この家には儒教的な家父長の権威はなく、家族は女の力で運営されている。韓国も日本と同じで、家族は「妹の力」で支えられているようである。
 キム・ジヨンは結局仕事を辞め、子育てに専念するが、次第に心を病んでいく。やがて恢復して社会復帰を果たすのだが(この辺の経緯は映画のクライマックスなので書かないでおく)、彼女も実家の家族と一緒にいる時だけは心が安定してるように見えたので、実家(母や姉)の抱擁力で恢復するというストーリーを予期したが、そういう展開ではなかった。

 ※ ネットで調べると、この母親役の俳優はキム・ミギョンさんという人だった。『82年生まれ・・・』のキャスティングでは主人公役とその夫役の次に名前が出ていた。むべなるかな、である。彼女はこれ以外にも100本以上のドラマに出演しているらしい。

 全体を通じて、キム・ジヨンの夫が、自分の母親(姑)の介入に対してあまりにも無抵抗なのが印象的だった。今でもあのような態度が韓国の夫の一般的な態度なのだろうか。妻と自分の母(姑)との間で板挟みになる夫を、何十年か前の日本の週刊誌は「ハムレット亭主」と命名したが、最近の日本の夫たちはどうなのだろうか。統計では、今でも「親族間の不和」(≒「嫁姑の不和」)は離婚原因の上位を占めているが。
 息子を愛するなら、妻と自分(母親)との板挟み状態などに陥らせないのが親としての愛情だろうと思うが、「産んで愛して育ててきた息子を妻に奪われた!」という感情を母というのはコントロールできないのだろうか。ぼくは、息子を奪われたなどという感情はまったくない。男なのでお腹を痛めていないからなのか、もともと母親に比べて愛情が不足しているからなのか。

 ついつい「1980年ころ生まれ、キム・ジヨンの夫」の立場で見てしまった。

 そう言えば、数日前のNHKテレビの深夜番組(いとうせいこう司会で、織田裕二が出演した「ヒューマニエンス」)に、北海道大学の生物学の女性教授が出演していて、ヒトの性染色体(X染色体とY染色体)はもともとは同じ長さだったのだが、Y染色体は傷ついて少しづつ短くなっていて、今から500万年くらいするとY染色体はなくなってしまい、ヒトのオスは消滅すると言っていた。ちなみに、X染色体は2本づつあるので1本が損傷を受けても他方が補完してくれるので女が消滅することはないという。※
 Y染色体の消滅以降は、Y染色体に代わる細胞が発生を発動させるようになり、メスだけの単為生殖になるらしい。500万年後のことなど心配してもどうにもならないが、生物学的にも男には勝ち目はなさそうである。

 ※ 調べたら、黒岩麻里さんという方で、「消えゆくY染色体と男たちの運命」(秀潤社、2014年)とか、「男の弱まり」(ポプラ新書、2016年)という著書があった。読んでみよう。
 
 そして今朝(10月15日)、NHKラジオ “毎朝” で、『82年生まれ キム・ジヨン』 の原作者チョ・ナムジュの第2作(?)の短編集を訳者が紹介していた。
 映画では、主人公のキム・ジヨンはどちらかと言えばおとなし目の女性に描かれていた。韓流のテレビドラマで見るような、しっかりと自己主張できる強い女ばかりが韓国女性のすべてではないと感じたが、原作者自身は映画で描かれているキム・ジヨンよりもっとしっかりした女性のようだ。
 原作は韓国で180万部、日本で22万部売れたというから、相当に女性の共感を得た作品なのだろう。
 
 2020年10月15日 記
 

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