徳大寺語録から
1.「所有する喜びを与えてくれない」トヨタ・カローラ
その通り。それがカローラの美点なのだから。世の中には、乗っているあるいは所有しているクルマで自己主張したいと思う人がいるのと同じだけ、乗っているあるいは所有しているクルマで自己主張しているなどとは絶対に思われたくない人がいるのだ。そういう人間の側から見ると、所有するクルマでしか自分を主張できない人というのは、ちょっと情けない存在に見えてしまうのだが…。
これって負け惜しみかなのだろうか?
2.「キビキビ感はなく、モワーとした走り」のVWポロ
これもその通り。ポロはしばらくの間わが家のマイカーだったが、ほんとに「モワー」としていて、嫌になった。街中で信号待ちからスタートするたびに、並んだ車に遅れて一呼吸おいてから“どっこいしょ”といった感じで動き出す。碓氷軽井沢ICを出てからの坂道では、登坂車線側からフィットに抜かれてしまう。
車に乗っていてストレスを感じるたびに、「ほんとに“モワー”だね!」はわが家の車中での合言葉になってしまった。
3.「動く物置」ダイハツ・タント。
四角いクルマ、ミニバンとかミニミニバンといったクルマが苦手な私もまったく同感です。もっともセダンのトランクを「物置」とまではいわないけれど、「床下収納庫」くらいのつもりで使っている人は結構いるのではないだろうか。
4.「どちらを選んでも間違いではない」マーチ、ヴィッツ
「間違いだらけの~」という題名とは矛盾するけれど、徳大寺センセイはちゃんと評価すべきクルマは評価してきた。スバル1000、ジェミニ、ファミリア、シャレード、ミラージュなどなど…。
ヴィッツに至って、徳大寺センセイは本当は「わが国産車も悪くないではないか」という気持ちになっていたのではないだろうか。
5.「私がこのクルマに乗るとしたら、それは介護されるようになって後席に乗るときだ」というトヨタ・ラウム
でも、そういう状態でクルマの後部座席に乗る人もいるのだから、徳大寺センセイにはぜひ“後部座席から見た・間違いだらけのクルマ選び”を書いてほしいと思う。
あの本が“最終版”になってしまって、本当に寂しい。毎年の“間違いだらけ~”で徳大寺センセイが吼えるのをぼくは楽しみにしていたのに。ヴィッツ、シビック、スイフト、シトロエンC3、そして今度のカローラなどなど、いったいどんな評価を受けるはずだったのだろうか。
2006年03月05日
* 写真は、徳大寺有恒「間違いだらけのクルマ選び[最終版]」(草思社、2006年)。「所有する喜びのない」カローラというけれど、そんなこともないと思う。「所有する」喜びかどうかはともかくとして、故障もせず、それなりに走ってくれる喜びはある。