豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

軽井沢・幻のホテル3 昔日の星野温泉

2006年03月20日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 “軽井沢 幻のホテル”物語

 3. 昔日の星野温泉

 昭和30年代に私が居候していた親戚の軽井沢の別荘は獅子岩(千ヶ滝中区)にあった。
 ここから星野温泉に行くためには、こけもも山荘の裏から塩壺温泉の脇を下っていく方法と、もうひとつ培風館山本山荘下の草むらのなかのやっと人一人が通れるくらいの山道を沢づたいに下る方法とがあった。

 冒険をするつもりのときは、沢づたいの山道を下った。途中には幅1メートルほど、深さも1メートル弱のけっこう流れの急な用水路などもかかっていた。
 ちょっと“Stand by me”風の道だった。この道を下り終わって平坦なところに出ると、そこは星野温泉の裏庭のようなところだった。従業員の宿舎かと思われる平屋の質素な同じような住宅が軒を連ねて建っていて、その庭先には家庭菜園があったり、ひまわりが咲いていたりした。
 “幸せの黄色いハンカチ”に出てくるような、平凡な片田舎の風景である。あまり軽井沢らしくはないが、ぼくはこの風景が懐かしい。

 クルマで行くときは国道146号を下って、星野温泉入り口を左折して土の道を行くと、左手には原っぱが山すそまで広がり、右手にはテニスコートがあり、ついで左手には池とプールと外浴場が、右手には確か“ちびきや”という売店と、診療所があり、正面の小さいロータリーの向こうに和風の2、3階建ての旅館玄関があった。 
 一度妹が軽井沢で発熱したときに父親が妹を背負って、こけもも裏の道を下って、この星野温泉の診療所に担ぎ込んだことがあった。星野温泉の経営者一族の誰かがお医者さんだったように思う。

 ここも高級旅館で、ぼくは外浴場に浸かりに行ったことしかないが、星野温泉のテニスコートにはしばしばテニスをしに行った。
 テニスコートに面した別荘(写真には写っていないが向かって左側)に中学生くらいのかわいい女の子がいて、ときおりぼくたちがテニスをするのを眺めているその子に恋をした。
 いよいよ東京へ帰る日が近づいた8月の終わりに、その子に声をかけようと意を決してテニスコートに行ったが、すでにその別荘は雨戸が閉まっていて結局この恋は片思いのままに終わった。

 テニスコートの裏山には祖父の友人だった綿貫哲雄先生の別荘があって、祖父のお供でついて行ったことがある。まるい輪のなかに狸の絵が書いてある表札だった。「わ・たぬき」…。
 奥様は加納治五郎の娘さんと聞いた。イギリス留学経験もあるユーモアがあって親しみやすいおじいさんだった。
 綿貫さんの別荘のある小山の、道を挟んだ向かい側には原っぱというかグラウンドだった。ある夏、慶応の児童文化サークルが子ども教室を開いていた。小学生だった従弟はそこのソフトボール大会に参加したら、毎年軽井沢に静養に来ていた現在の皇太子も参加していて、一緒にプレーをしたことがある。

 星野温泉入り口の前はしょっちゅう通っていたが、久しく中に入ることはなかったが、「ずいぶん様変わりしたよ」と従弟がいうので、去年の夏久しぶりに行ってみたが、どこがグラウンドの跡で、どこがテニスコートで、どこがかつての玄関なのかも判別できないほどに豹変していた。
 まごまごしていたら駐車場に入ろうとする後続車にクラクションを鳴らされたので、ほうほうの体で退散することにした。

 * 写真は1965年か66年頃の星野温泉テニスコート。星野温泉は現在も営業しており、「幻の」というのはふさわしくないかもしれないが、あのロータリー正面にあった和風の玄関をはじめ、往時の建物が幻になってしまったという意味である。
 
  2006/3/20

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