豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』

2007年08月13日 | 本と雑誌
 
 テレビの電波が届かない軽井沢では、テレビ受像機はもっぱらビデオやDVDを見るための道具になっているが、去年は従弟が仕事柄ゲットした“ジェニーの肖像”というジェニファ・ジョーンズの古い映画のDVDを持ってきてくれた。

 そんなことを思い出しながら、妹の本棚を何気なく眺めていると、“ジェニーの肖像”という偕成社文庫の1冊を見つけた。現在はフランス映画の翻訳などを仕事にしている妹は、最初のフランス留学に旅立つ際に、子どものころの蔵書(といっても少年少女文学全集の類だが)を全部軽井沢に運び込んでいった。そのなかの1冊に、表紙や小口が黄ばんだ“ジェニーの肖像”があった。

 山室静訳で、1972年発行の第2版とある。もともとは映画“ジェニーの肖像”の公開を当てこんだ出版だったらしいが、山室静の解説によると、翻訳の依頼を受けた当初、彼はあまり気が進まなかったが、読んでみると映画よりも原作のほうが良かったので引き受けたという。初版は橋本福夫との共訳だったとも記されている。
 映画よりも原作のほうがすばらしいかどうかは異論があるが、最後の津波のシーンは不要だという山室の意見には賛成である。あんなシーンはないまま、現実なのか幻想なのかの判断は読者に任せておけばよかったと思う。

 この夏はたまたま息子が、大林宣彦の“時を駆ける少女”のDVDを持ってきたので一緒に見たが、アニメまがいのシーンもあったりして、原作のイメージがぶち壊しになっていた。15歳の原田知世は清楚で可愛いかったけれど。
 小学校、中学校時代に僕のクラスにもいた、どこからか転校してきて、クラスに馴染むこともなく不思議な印象を残したまま、挨拶もなしに夏休みが明けたらどこかに転校して行ってしまった、ちょっと悲しげな女の子への想いを読者が勝手に重ね合わせることが、“風の又三郎”から“謎の転校生”に至るあの手のSFの読み方である。“時を駆ける少女”にも、変な説明などはつけてくれなくていいのである。

 その点で、“ジェニーの肖像”はよかった。そして津波のシーンはいらなかったのである。
 

(写真は、ロバート・ネイサン/山室静訳“ジェニーの肖像”[偕成社文庫]の表紙。)
 * ちなみに、ネット上で調べると、“ジェニーの肖像”の翻訳を紹介したページが見つかった(どの世界にも詳しい人がいるものだ!)。
 それによると、この本は1950年[僕が生まれた年!]に最初の翻訳[山室訳]が出て以来、4人の訳者による翻訳が出ているらしい。偕成社文庫以外は、ハヤカワ・ポケットブック、東京創元社版、そして2005年の創元推理文庫版である。

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