豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

佐野市郷土博物館

2010年06月10日 | あれこれ

 栃木県佐野市にある県立佐野女子高校に出張授業に出かけてきた。

 この2年間は所属学部の入試責任者をしていたので、出張授業は免除してもらっていたのだが、久しぶりに声が掛った。

 9:14池袋発の湘南新宿ライン、快速宇都宮行きに乗って10:22小山駅着。10:44小山発の両毛線(上り!!高崎行き)で11:13佐野駅着。
 湘南新宿ラインは1時間以上乗らなければならないので、座れなかったらグリーン車で行くつもりだった。湘南ラインのグリーン車のシステムは座れる保証もないので心配だったが、普通車も「ガラガラ」に近い状態で、心配は杞憂だった。

 小山駅で無駄に20分以上待たされて、両毛線に。
 あとで佐野駅で乗ったタクシーの運転手さんに聞くと、この地域は完全なクルマ社会で、両毛線は高校生の通学のために運行しているようなものだから、昼間は1時間に1本しかないらしい。
 田植えの終わった田んぼに張られた水が初夏の陽ざしに光って、のどかな田園風景が広がっている。

 11:13佐野駅着。佐野女子高の集合時間は11:50なので、駅前でタクシーを拾って佐野市郷土博物館に行く。初めからここを訪ねる予定にしていた。この博物館には田中正造の展示室があり、以前から一度訪ねたいと思っていたのである。
 田中は佐野市出身の自由民権運動家で、後に衆議院議員も務めているが、古河鉱業による足尾鉱毒事件に際して、渡良瀬川流域の農民らの窮状を天皇に直訴しようとしたことで有名である。

 資産家だった彼は私財を投じて足尾鉱毒事件と戦い、最後には無一文に近い状態となり、信玄袋一つ抱えて知人宅を訪れ、そこで亡くなっている。その信玄袋の中には大日本帝国憲法と聖書と渡良瀬川の河原の小石が3つ入っているだけだったという話を、むかし林竹二か城山三郎の書いた伝記で知った。
 私利私欲に走る今時の政治家や天下り官僚たちには、爪の垢でも煎じて飲ませたいものである。
 それらが、この博物館に保存されているのである。それだけでも見ておきたいと思って、きょう立ち寄って写真に収めてきた。

 そして、佐野女子高校の授業でも、最初にこのエピソードを紹介して、君たちの郷土はこんな立派な先人を生んだ土地であると紹介してから、本題に入った。
 いつも顔を合わせている大学生も高校生も同じような若者かと思っていたが、久しぶりに何十人もの女子高校生を間近に眺めると、やっぱり女子大生よりははるかに若いというか、まだあどけない印象だった。
 休み時間に廊下ですれ違う時、みんなが「こんにちわ」と挨拶をする。学内のエレベーターで乗り合わせても知らん顔のうちの学生たちとはえらい違いである。その心がけをもったまま大人になってほしい、と切に思う。

 2010/6/10

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