豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

霧の軽井沢

2010年09月09日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 そして、今日の朝、朝食を済ませ、家の片づけを済ませてから、東京に帰ることになった。
 
 昨日は台風の影響で、夜半は大雨、日中も雨が降ったり止んだりの一日だった。今朝の軽井沢も最初は曇って、霧のような雨が降っていたが、9時近くには薄日も差してきた。

 例によって、帰りがけに、中軽井沢駅近くの佐久農協販売所に立ち寄る。
 女房から「シナノ・レッド」(というリンゴ)があったら買ってきてと言われていたのだが、もう出荷されていなかった。
 定番のトウモロコシ(「味来」という品種、成田成子さん生産)、モロッコいんげんなどを買う。モロッコいんげんは遠山よね子さんの生産。
 実は、わが家がこの佐久農協に「はまった」のは、数年前にたまたま立ち寄って買ったトウモロコシがめちゃくちゃ美味しかったからなのだが、その時のトウモロコシの生産者が、まさに遠山よね子さんだった。“遠山よね子”は、わが家では軽井沢を代表する「ブランド」なのである。
 遠山さんは、どんな人なのだろうか。意外と若かったりして。若いころの坪内美子(似)ということにしておこうか。

 今回の成田さん生産の味来もおいしかった。

 72ゴルフ場を過ぎて、碓氷軽井沢ICに向かう下り坂の中ごろから、にわかに霧が濃くなった。
 まったく視界がなくなるわけではないが、100メートルはない。幸いこんな午前中から東京に帰る下り(東京への「上り」)のクルマはなかったが、坂を登ってくるクルマが危ないので、50キロくらいでゆっくり走った。
 上信自動車道に入ると、もう霧はなく、下界も今日は覚悟していたほど暑くはなく、助かった。

 * 今日の午前中の軽井沢の霧にけむる木立ち。

 2010/9/9

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高橋治 『絢爛たる影絵 小津安二郎』

2010年09月09日 | 本と雑誌
 
 勉強目的で出かけた軽井沢のはずだったが、実は“カルメン 故郷に帰る”のDVDだけでなく、高橋治“絢爛たる影絵 小津安二郎”(文春文庫)も持っていったのである。
 万が一(?)、仕事に行き詰ったときの気分転換に、と思って。

 先日、小津の作品をDVDで見ている頃に、ふと近所の古本屋に久しぶりに立ち寄ったら、文庫の棚にこの本があった。262円、表紙に印刷された定価のちょうど半額だった。
 相当日に焼けていて、古本臭もしていたのだが、買ってしまった。
 今月の17日だかに岩波現代文庫で出る、定価は1300円くらいという広告が出ているが、貴田庄の本ではあまり好意的に引用してなかったので、大した本ではないだろう、1300円の本が262円なら、という気持ちだった。 

 ところが、軽井沢2日目の夜12時近くになって、寝る前にちょっとページを開いてみたら、引き込まれてやめられなくなってしまった。
 共感したからではない。違和感からである。
 昨日見て、何がいいのか分からなかった木下恵介“カルメン 故郷に帰る”を小津は高く評価し、試写会の後の酒席で「いい映画を見た後は酒がうまい」と言ったという。監督会でも、小津はいつも木下を隣りに座らせた。
 単純なぼくとしては、“二十四の瞳”なら分かるけれど、なんで“カルメン~”を見た後で酒がうまいのか。軽井沢が舞台で、草軽電車が出てこなかったら見ない映画である。

 高橋は東大を出て松竹に助監督として入社して、たまたま代役で“東京物語”の末席の助監督を務めたらしい。
 この本は、実際に高橋が交流した小津の姿と、小津の周辺の人物への取材からできている。でも、小津を語りながら、実際には高橋自身を語っているようにも読める。直木賞候補になったらしいが、小説らしくはない。

 だけど、やめられなくなってしまった。
 映画批評というのはああいう風にやるものなのか。ぼくがこの“豆豆研究室”に書いているものなど、あまりに表面的すぎて、われながら笑ってしまうような代物である。
 “東京物語”の原節子は「もう一人寝はできなくなりかけている女」だし、“晩春”の原節子はエレクトラ・コンプレックスを抱えた娘である。笠智衆との京都旅行の際の部屋に飾られた「壺」さえ性的な隠喩らしい。
 
 ぼくは東京に帰ってから、思わず“晩春”を見直してしまった。
 確かに、父親、笠を見すえる原の眼差しは怖いものがあった。問題の「壺」も言われてみればそう見えなくもない。でも、どちらかといえば男の象徴に見えてしまった。
 そんなことより、京都の清水寺(?)のシーンに、あの“一人息子”、“戸田家の兄妹”の坪内美子が出ていたことを発見したことのほうが嬉しかった。所詮は縁なき衆生なのだ。

 小津の「不貞」へのこだわりの指摘、“戸田家の兄妹”を境に、小津がノースター主義から豪華絢爛スター主義に“転向”したという指摘などは同感である。
 前にも書いたが、“風の中の牝雞”で佐野周二が田中絹代を階段から突き落とすシーンの凄まじさは、少なくともぼくが見た9本の小津作品の中では他にない衝撃だった。ただし、「不貞」にこだわるのには、小津の実生活において何かの事件があったのかについては、高橋も示唆を与えてはくれない。
 ぼくとしては、「転向」前の小津の映画のほうが好きだし、“晩春”“麦秋”“東京物語”など(「夏三部作」というそうだ)も、この本に書いてあるような深読みではなく、映像とストーリーを表面的、画面通りに見ているだけで十分である。
 作っている人たちは一生懸命なのかもしれないけれど、ぼくにとっては映画は娯楽であり、小津の映画には、懐かしいぼくの昭和と東京を追体験する媒体になってくれる映像やセリフの二つ三つ(五つ六つか)があれば、それでいいのである。

 でも、この本のおかげで、小津の同じ作品を繰り返し見る楽しみを得ることができた。

* 高橋治『絢爛たる影絵 小津安二郎』(文春文庫)。

 2010/9/9

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“カルメン 故郷に帰る”

2010年09月09日 | 映画
 
 本当は夕食後も“お勉強”の予定だったのだが、そして息子に模範を示さなければならなかったのだが、初日の夜は、木下恵介監督の“カルメン 故郷に帰る”のDVDを見てしまった。
 はじめから、見るつもりで持って来たのだが・・・。

 何といっても、“カルメン 故郷に帰る”は軽井沢が舞台である。どうせ見るなら軽井沢にいるときに見たい。しかも、この映画には懐かしの草軽電車が登場する。
 以前に買った“写真集 草軽電鉄の詩”(郷土出版社)に、「銀幕に登場する草軽電鉄」というコーナーがある(同書50頁以下)。
 そこには、“マダムと女房”(昭和6年)、“彼女はいやと言いました”(同8年)、“月はとっても青いから”(同32年)、“山鳩”(同34年)などと並んで、“カルメン 故郷に帰る”(同25年――と書いてあるが26年)も、草軽電鉄が登場する映画として紹介されていた。
 “カルメン ~”のDVDはアマゾンに中古品が安く出ていた(500円くらいだった)ので、買っておいたのである。

 なんとも不可思議な映画だった。
 ストーリーは、幼い頃に牛に蹴られたために頭が少しおかくなった娘(高峰秀子)が都会でストリッパーになり、仲間の女(小林トシ子)を連れて故郷の北軽井沢に帰ってきてから、再び東京に戻って行くまでのドタバタ劇を描いただけである。
 その冒頭シーンで、草軽電車が北軽井沢駅に到着し、あの客車から高峰秀子たちが降りてくるシーンがある。その後、草軽電車は一切登場しないが、ラストシーンで、再び北軽井沢駅を発車する草軽電車で高峰たちが去っていく。

 日本初の「総天然色」映画だそうだが、不自然なまでに鮮やかな浅間高原を背景に、高峰秀子たちが腿も露わにストリップの練習に踊りまくる。
 小学校の校庭では運動会の練習が行われ、体操着姿の教師(佐田啓二)がオルガンを引き、本番では盲目の元音楽教師(佐野周二)が作曲し自らオルガンで弾く暗いフォークダンス曲が流れる。
 村民たちは地元で初めて開かれるストリップ・ショーに興奮し、小学校の校長(笠智衆)がこの騒動を顰蹙する。
  
 笠智衆が演ずる校長が、「変わらないのは浅間山だけである」というセリフを吐くシーンがあった。まったく同感である。昭和30年代と比べても、軽井沢はあまりに変わってしまった。変わらないのは浅間山だけである。
 撮影された昭和25年の秋の光を浴びる浅間山と、その裾野に広がる浅間高原の風景だけが印象に残った。

 * “カルメン 故郷に帰る”(木下恵介監督、1951年。COSMO CONTENTS刊、“日本名作映画集60”)のケース。
 きのう平安堂書店に行ったら、「草軽鉄道」とかいうDVDが9800円(確か)で売られていた。草軽電車は懐かしいが、9800円はちょっと痛い。どの程度昭和30年代の旧軽井沢駅周辺の映像が写っているかによるのだが・・・。

 2010/9/9

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“かぎもとや” と “追分そば茶家”

2010年09月09日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 毎日、午前中は親子ともども勉強。
 昼食は外で食べ、夕食は自炊、夜はまた“お勉強”ということにした。

 9月7日は昼から中軽井沢駅に出かける。
 軽井沢の家には電話もネットの接続もない。ぼくは数日間でも、軽井沢滞在中はネットに煩わされない時間を確保したいが、息子はメールをチェックする必要があるという。
 軽井沢では、軽井沢駅、中軽井沢駅、町役場、軽井沢図書館など数カ所で、無料でインターネット接続のサービスが受けられる。

 そのため、中軽井沢駅の待合室に出かけた。
 この懐かしい駅舎もやがて取り壊されて、二階建てのビルになるという。先日、追分の古書店“追分コロニー”で聞いたところでは、駅舎の2階は図書館になるという。
 どうせなら駅名も“沓掛”に戻したらどうだろう。追分は軽井沢と差異化することで、かえって特色ある町になったように思うのだが、沓掛には追分ほどの独自色はないかもしれない。

 昼食は駅前の“かぎもとや”で天ざるを食べる。
 玄関をはいった左手に「十二月十二日」と書いた札が貼ってあった。12月12日は小津安二郎の誕生日にして、命日(還暦の誕生日に亡くなったという)である。
 帰りがけに店の人に聞くと、下から逆さに読むと「火に遠く・・・(後ははっきり聞きとれなかった)」とかで、火災除けのお呪いだそうだ。

 翌8日の昼食は、今度は追分の“追分そば茶家”で、天ぷらそば。
 この日は台風の影響で朝から雨が降り、寒かったので、温かい蕎麦にする。追分そば茶屋は、確かかぎもとやから分かれた店だったと記憶するが、どちらもおいしい。
 天ぷらはそば茶家がちょっと上、そばはかぎもとやがちょっと上、といった感じである。たいした食通でもないので、よくは分からないけど・・・。胡散臭い健康食品の宣伝ではないが、「あくまで個人の感想です」。

* 国道18号を中軽井沢から追分方面に向かう途中、借宿東の信号待ちの車窓から眺めた9月8日の浅間山。

 2010/9/8

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軽井沢プリンス・ショッピングプラザ

2010年09月09日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 9月6日(月)から、きょ99日(木)まで、おそらくこの夏最後の軽井沢に行ってきた。

 今回は上の息子と二人旅。
 あわてて出発したため、息子は衣類一式を入れたバッグを車に積み込むのを忘れてしまった。そのため、まずは軽井沢プリンス・ショッピングプラザに行って、衣類を買い込む。
 ちょうど3時から4時まで、アディダスで全品20%オフのタイムセールをやっていたので、ここでポロシャツ2枚とソックスを3足買う。

 ブリーフを売っているところがなくて困ったが、イーストの一番奥、ロイヤル・ベネトンの向かい側のコンビニ(こんなところにコンビニがあったっけ?)で、2枚パック735円で売っていた。
 軽井沢でブリーフを買うなんて、店員さんには、「ウンコかおしっこ漏らしたのかな・・・」とでも思われたのではないだろうか。

 今回のぼくの仕事は、今年上半期に公刊された家族法の判例20件を読んで、要約すること。昨年のこの時期にも、同じ仕事を抱えて軽井沢にやって来た。毎年、後期の授業が始まる前の年中行事になった。
 例年だと、半期で約30~50件弱の判例があるが、今回は少なめ。相変わらず、子の監護処分に関する事件が多い。親の離婚に巻き込まれた子どもたちの長期的予後が思いやられる。

 * 軽井沢プリンス・ショッピングプラザのイーストとウエストの間の芝生から眺めた軽井沢の秋空。ミサイルのような、イカのような形の雲が浮かんでいた。

 2010/9/7

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