豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

豆豆先生、最後のシネマ(2020年3月31日)

2020年04月01日 | 映画
 
 とうとう教員生活最後の一日がやって来た。
 明日からは「無職」である。

 教員生活最後の日に見るにふさわしい映画というようなものもないだろうが、なにかを見たら、それが教員ないし社会人生活最後の映画になる。
 BS放送の番組案内を調べたら、午後8時から10時まで、「ディーン」をやっていた。ジェームス・ディーンの生涯(といってもわずか24年で、しかも「エデンの東」の公開直前で終わっていた)を描いた映画である。

 ジェームス・ディーンを描いたというより、ブレイク直前のジェームス・ディーンを撮っていたライフ誌の駆け出しカメラマンとディーンとの交流を描いた映画といった方が正確だろう。
 男が二人登場すると、何でも同性愛と見たがる傾向があるとジョー・メカスが批判していたが、少なくとも、ディーンの側にはこのカメラマンに対する「愛」があったように描かれているとぼくは思った。
 この映画にも登場する下の写真をはじめ、ジェームス・ディーンの有名なポートレイトは、ほとんどがこのカメラマンによるものであった。

         

 カメラマンはニューヨークの貧しい家の出身で、結婚生活にも失敗した男、ディーンはインディアナの経済的には裕福だが早くに母を失ったという意味で家庭的に恵まれない家の出身(だったらしい)。
 この二人の家庭生活を背景に、ストーリーは展開する。そして「エデンの東」がブレイクする直前に、プレミア試写会をすっぽかしたディーンがロスに逃避するところで映画は終わる。
 この逃避行にディーンはカメラマンを誘うのだが、かれは写真家としての出世を選択し、ディーンとは永遠に別れることになる。

         

 豆豆先生最後の映画としては、積極的に選択したわけではなかったが、結果的によい映画を見た。

 「エデンの東」の原作(スタインベック)のテーマは「選択」ないし「自己決定」である。
 原作のラストシーンは、(映画でのディーンの)父が死の床で発する一言、「ティムシェル」である。「ティムシェル」は古代ヘブライ語で「人は道を選ぶことができる」という意味だそうだ。
 「エデンの東」が発する読者ないし観客へのメッセージは「人は道を選ぶことができる」、そして自分で選んだ道を歩いてゆくしかない、ということである。ジェームス・ディーンも彼が選んだ道を歩き、カメラマンも彼の道を歩いて行った。
 ぼくも、紆余曲折を経ながら自分が選んだ道を歩いてきたのだろう。

 この映画とともに、ぼくの社会人生活、教員生活は終止符を打った。

 冒頭のシーンは、ぼくが中学校時代に歌った「エデンの東」の日本語訳詞の、あの「むらさきの 雲の流れに~ ♪~」にふさわしい。
 あの夕日は「エデンの東」の舞台となったカリフォルニア、サリナスで撮影したものだろうか。 

 ついでに、ジェームス・ディーン百科のような「カタログ ジミー ディーン」(芳賀書店、出版年不詳)の表紙もアップしておいた(上の写真)。


 2020年3月31日 記