豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

緑の東横線車両

2022年12月13日 | 東京を歩く
 
 先日久しぶりに都心に出かけた。

 その帰りに、地下鉄副都心線で明治神宮前駅から小竹向原駅へ、乗り換えて西武池袋線を待っていると、何か不思議な車両の電車がホームに入ってきたので、一瞬とまどった。しかしアナウンスが石神井公園行きと言っているので、そのまま乗った。
 そして石神井公園駅で下車すると、なんと懐かしい、ぼくが大学生の頃に通学で乗っていた緑色の東横線の車両ではないか!(上の写真)
 この緑色の車両を見ると、東横線の渋谷駅のホームに並んでいた姿を思い出す。ただし、当時の車両はもっとくすんだ緑色だったし、今ほどスマートではなかったと思う。

 実はこの日は、高校時代の同級生が4人だけで集まったミニ・クラス会だった。
 中学から一緒だったのが1人、大学も一緒だったのが1人で、高校時代はこの4人組が特に親しかったわけでもなかったのだが、そのうちの1人が、娘家族の住む福岡に移住することになったというので、2月に送別会をかねて集まった。大学時代に一度会ったきりで、それから数十年ぶりだった。
 その福岡の友人が上京するというので、また集まったのである。別の1人が、南青山の骨董通りにあるビルの一角でコレクションの展示会をやっているというので、そこに集合し、その後で彼のなじみの店に行って昼食をして、喋って別れた、それだけである。

 あえて共通点を探すと、4人とも普通の会社員生活を全うしていないことに気づいた。
 1人は最初から医者だったが、残りの3人は、最初は会社に入ったのだが、3人とも途中で脱サラして別の道を歩いてきた。一匹狼というほどではないけれど、終身雇用に安住することはなかった。
 今では別に珍しくもないのだろうが、1970年代初めの入社組としては少数派だった。ただし、うち2人は出版社で、もう1人はかの広告代理店だったから、一般の商事会社に比べると途中退社はそれほど珍しいことではなかった。
 
 「一匹狼」には思い出がある。ぼくが東大を受験した1969年の英語の入試問題で、こんなのがあった。
 ある男がバーで「自分は一匹狼を貫いて生きてきた」と自慢話をしたところ、聞いていた相手の男が「自分も一匹狼として生きてきた」と返したため、2人は意気投合して「一匹狼の会」を作ることになった、という英文を読んで、この話のどこが可笑しいのかを50字だったかで説明せよ、という問題があった。
 一匹狼で生きてきたわけではないが、社歴自慢、ゴルフ自慢、愛車自慢、家族自慢などが一切ないので気楽なのかと思う。容貌、体型なども、この期に及んでは皆などっこいどっこい。それぞれ「一病息災」?だが、さいわい大病はしていない。

 2022年12月13日 記