石坂洋次郎「麦死なず」(新潮文庫、1956年、初出は昭和11年)を読んだ。
これも、高見順「昭和文学盛衰史」で興味を持った本である。あの「青い山脈」や「若い人」の石坂洋次郎がかつてはプロレタリア作家だったということにまず驚いた。そんな彼のデビュー作である「麦死なず」というのはどんな内容だろうか。
「麦死なず」は昭和11年(1936年)に改造社の編集者だった上林暁の英断によって「文藝」8月号に480枚一挙に掲載されたという(福田宏年解説279頁)。この頃石坂は同時に「若い人」を「三田文学」に連載執筆しており、秋田県横手で学校教師をしながら作家を目指していた石坂はこの2作の好評によって上京し、職業作家になった。
「麦死なず」という題名から、火野葦平「麦と兵隊」のような従軍作家ものかと思ったら、題名の「麦」は兵隊の象徴ではなく、「一粒の麦もし死なずば・・・」という聖書が出典だった。横手の教師石坂自身が「麦」だったのだ。
この小説も、高見順「故旧忘れ得べき」や丹羽文雄「鮎」などと同じく、石坂の身辺で実際に起きた事件を素材にしている。
「麦死なず」の主人公は青森で学校教師をしながらプロレタリア小説を書いていたが、共産主義に共鳴する同志の女性と結婚する。妻は子を3人もうけるが、教師としての日常生活に埋没している夫に飽き足らず、夫を捨てて地域の左翼運動の指導者であり作家としても注目され始めていた男と駆け落ちしてしまう。夫は、左翼思想の深さでも作家としての能力でも相手の男よりも劣っていると自分を卑下して悩む。
しかし結局妻は帰宅して主人公とよりを戻し、駆け落ちした相手の男もその後検挙されて転向したことを主人公は知ることになる。主人公は自信を回復するというか、コンプレックスから解放される。
解説によると、「麦死なず」の内容がほとんど石坂の私生活で実際に起こった事実であったことを、妻の死後に石坂自身が随筆で告白しているという。高見順も丹羽文雄も石坂も、みんな身を切る思いで小説を書いていたのだ。この3人の中では石坂が一番「風俗小説」的な文体であった。なお福田解説によると、石坂が一貫して追求したテーマが「性」だったとある。「麦死なず」では、時代の制約か「性」ではなく「愛欲」と表現していた。
戦後のぼくたちの世代では、学習雑誌「高校時代」(旺文社)や「高校コース」(学研)が時おり「若者の性」や「18歳の性」などを特集していた。小学館から出ていた「中学生の友」の終刊号はまさに「性」特集だった。あれらの雑誌に小説を載せていた富島健夫は石坂の弟子だったか・・・。
※ネットで調べると、何と富島は丹羽が全額を出資して創刊した「文学者」の同人だったというから、丹羽文雄の孫弟子だった。
石坂の小説はこれまで一つも読んだことがなかった。読む気も起らなかった。ハーレクインか、最近のライトノベル程度かと思っていたが、その石坂にこんな修業時代の苦悩があったとは知らなかった。
原節子主演の「青い山脈」は映画(DVD)で見たが、「若い人」は映画すら見たことがなかった。調べるてみると、「若い人」の三度目の映画化(1977年)のヒロインは何と桜田淳子だというではないか! 桜田淳子主演の「若い人」があったなどまったく記憶にないが、その後の彼女の人生を考えると江波恵子役は意外と適役だったかもしれない。残念ながらDVDはないようだ。
いずれにしろ、石坂洋次郎は「麦死なず」で最後だろう。
2024年12月13日 記