久しぶりに、“サマセット・モーム”のカテゴリーを1つ。
最近、近所の書店で、サマセット・モームの“片隅の人生”(天野隆司訳、ちくま文庫)を見つけて、買ってきた。
奥付を見ると、2015年11月10日の刊行である。
半年近く経っているのに、まったく気づかなかった。広告は出たのだろうか。
天野隆司訳は、昨年だったか一昨年だったかに、同じちくま文庫版の“昔も今も”を買った。
ぼくは、モームはもっぱらトイレで読むのだが、“昔も今も”は、買ってから何年経ったか知らないが、いまだに読み終えていない。
見ると、198頁にしおりが挟まれたままになっている。
面白くないのである。
そもそも、マキアベッリにぼくは何の魅力も感じない。
残念ながら、モームの筆をもってしても、醜男だが、話がうまく、女を手玉に取ることができるという人物の造形に成功していない。
おそらく、もう生涯読むことはないだろう。
それでは、トイレでは本業以外に何をしているかというと、最近はモームの“アシェンデン”を読んでいる。
正確には、創元推理文庫なので、“秘密諜報部員”である。
こちらは面白い。
“老女キング”、“ジュリア・ラザリ”の結末や、“毛なしのメキシコ人”の展開など、いかにもモーム風で、「ああ、モームを読んだな」という気にさせてくれる。
短編の1編が、少し長すぎるのが欠点である。本来の用事が終わっても、短編のケリがつくまで出られないこともしばしばある。
この点では“コスモポリタン”のほうがよい。
やはり、モームは短編がいい。少なくともぼくには、モームは短編である。
実は、“人間の絆”も、“剃刀の刃”も、“劇場”も、“クリスマスの休暇”も、“魔術師”も、すべて途中で投げ出してしまった。
なんか、短編に肉付けしているというか、梗概を読んだだけで、「そういう話ね」という気になってしまうのである。
おそらく、“片隅の人生”もそういう運命をたどるのではないか。そんな予感がする。
まだ読み始めたばかりだが、「40頁か50頁で決着をつけてくれ」という気持ちが芽ばえてしまった。
2016/6/1 記