サマセット・モームが『読書案内』(岩波文庫)の中で、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』が後のアメリカ作家に与えた影響について述べていた個所を読んで、まっ先にサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を思い浮かべ、それをきっかけにサリンジャーの初期の短編24編を読んだ。
ところが、マーク・トウェインのサリンジャーに対する影響は有名な事実だったようで、何人かがすでに言及していた。ぼくが読んだ中で一番たくさん言及していたのは、『サリンジャー選集 (3) 倒錯の森』(荒地出版社)の巻末に収録された大竹勝「J・D・サリンジャーの世界」だった(165頁~)。
大竹解説によれば、『ライ麦畑・・・』はトウェイン『ハックルベリー・・・』の伝統を引き継いでおり(185頁)、ホールデンが目ざしたのも、ハックルベリー・フィンと同じく文明社会からの脱出であったという(184頁)。
『ライ麦畑・・・』における俗語の頻用が『ハックルベリー・・・』との類似点として指摘され、具体的に、“swearing”、“and all”、“It kills me.”などといった言葉が、大竹氏自身のニューヨーク生活で体験したNY青年たちの会話を彷彿させると述べている(182頁)。残念ながら、ぼくにはそのニュアンスは分からない。
『ライ麦畑・・・』のユーモアに関しても、『ハックルベリー・・・』が引き合いに出されている(184頁)。
なお、大竹解説によれば、サリンジャーはフォークナーからも影響を受けたらしい。ぼくはフォークナーは『八月の光』(新潮文庫)しか読んでいないが、象徴的な文章で意味がよく理解できなかったという印象しかない。
久しぶりに引っ張り出してみると、「1981.8.3(月) pm 3:30 信越線下り あさま10号で」と最終ページに書き込みがあった。40年前の八月の光の中(を走る信越線の車中)で読んだらしい。
ちなみに、大竹解説によると、『ナイン・ストーリーズ』に収められた「小舟にて」は、サリンジャーがユダヤ人(「カイク」)問題を直接扱った唯一の作品だという(175頁)。また、『ライ麦畑・・・』とウィリアム・サロイヤン『人間喜劇』の類似性も指摘されている(185頁)。サリンジャーはサロイヤンの娘と交際があったと何かに書いてあった。
ということで、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』(講談社世界文学全集(53)、1976年、野崎孝訳。冒頭の写真)を読んでみようかという気になった。子どもの頃、面白くなくて途中で投げ出した記憶があるのだが、成人してからふたたび買ったものの、今日まで放ったらかしのままの本である。
2021年12月3日 記
※ 「コネティカットのひょこひょこおじさん」などといった人を食ったような題名のつけ方も、トウェインの「キャラヴェラス郡の有名な跳びがえる」などの模倣かもしれない。
2021年12月6日 追記