豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

アルフォンス・ドーデ 「風車小屋だより」

2019年08月14日 | 本と雑誌

 以前の書き込みで、大学時代のフランス語の授業で読んだ「スガンさんの山羊」は、ぼくの記憶では「スガンさんの羊」だと書いた。
 しかし、軽井沢においてある古いドーデ「風車小屋だより」(辻昶訳、風土社版・世界の名作16巻、1977年)を取り出して眺めてみたところ、ぼくが授業で読んだのは「スガンさんの山羊」ではなく、「星――プロバンスのある羊飼いの物語」という短編だったことが判明した。

 50年ぶりに読み返してみたが、ストーリーの記憶は相当違っていた。
 ぼくの記憶では、どうした経緯からかは忘れたが、貧しい羊飼いの少年が憧れの少女と放牧地で二人だけで一夜を過ごすことになった。
 羊飼いは、少女に触れることも叶わず、つらい羊飼いの生活から逃れるために、満天に輝く星々を眺めながら、あの星の1つになりたいと願いつつ崖から跳ぶのだが、翌朝羊飼いの少年は崖下の草むらの中で死に絶えていた・・・というのがぼくの記憶である。

 星の輝く牧草地で憧れの少女(雇い主のお嬢さんだった)と一夜を過ごすところ、そして、純粋な気持ちでお嬢さんを守らなければと思う気持ちと、彼女を自分のものにしたという気持ちがせめぎあう描写はなくはなかった。
 当時のぼくは、ジョン・トラボルタとオリビア・ニュートンジョンの「サタデー・ナイト・フィーバー」の一場面を連想した。酔って眠っているオリビアを今がチャンスだとけしかける悪魔と、お前を信頼して眠っている彼女を守ってやれという天使が葛藤する(画面の左右に悪魔と天使のアニメが登場する)シーンである。

 辻訳によれば、「わるい考えがすこしも浮かばなかったことは、神さまがよくごぞんじだ」という一方で(47ページ)、夜も更けてお嬢さんが羊飼いの肩に頭をもたげて眠ると、「心の奥ではすこしばかり悩ましい気持ちになっていたが」(52ページ)とある。
 このあたりの記憶はけっこう正確である。
 しかし結末がまったくちがっていた。
 羊飼いは崖から跳んだりはしなかった。ただ自分のとなりで眠るお嬢さんを、夜空の星が自分の肩に降ってきたと思うだけであった。

 なんで、ぼくは50年にわたって、羊飼いは崖から跳んで死に絶えたなどと思っていたのだろうか。何かほかの羊飼いの物語と混同したのだろうか。
 しかもなんで羊飼いが死んだかというと、彼はこの崖から跳べば星になれると信じていたのだが、しかしひょっとしたら崖下に落ちて死んでしまうのではないかという一抹の不安を抱いており、絶対に星になれるとは信じ切ることができなかったからである、という理由までしっかり思い込んでいた。

 <山羊―羊>問題が解決したら、今度は、羊飼いの崖から飛び降り問題という新たな謎が生まれてしまった。
 いずれにせよ、学生時代のぼくは、フランス語ができなかったので、日本語訳を必死で暗記して、わずかに理解できた仏文からどの部分かを推測して日本語訳で読んだストーリーを答案に再現して仏文和訳をしのいだのだった。

 なお、辻訳の初版は1977年であり、この年には、ぼくはもう社会人になっている。
 ぼくが大学時代(1969年~70年ころ)に読んだ日本語訳は岩波文庫だったと思う。「星の王子さま」も「マテオ・ファルコネ」も、そうやってしのいだ。
 だからフランス語はまったく身につかなかった。そもそも1年生の前期だけで文法を終わらせて、1年の後期から訳読が始まるというのは、よっぽど語学の才能のある人間でなければ無理ではなかっただろうか。


2019/8/12 記 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« “二十日鼠と人間” (453ch ... | トップ | きょうの軽井沢 (2019年8月1... »

本と雑誌」カテゴリの最新記事